« 似て非なるもの Vol.46 | メイン | 私の周囲にも蔓延する友達親子。。。 »
進むべき道を誤ったあなたには、引き返すもしくは放棄逃避する勇気が、、、
進むべき道を往くあなたには、眼前の1個の事象にこだわるのではなく、何か自分は別の価値を求めているんだ、という思考法が必要、、、
人はいつからでもどこからでもやりなおせる。。。
■早死したくないなら「仕事に本気にならない」ことだ
養老孟司×隈研吾 日本人はどう死ぬべきか? 第5回
清野 由美
ジャーナリスト
日本社会において血縁共同体の代わりを担った「サラリーマン共同体」。だがそれには、「死」に対しては無責任であるという欠点があった。「定年=死」という生き方を回避するための秘訣は「仕事に本気にならないこと」と養老先生は説く。「日本人はどう死ぬべきか?」最終回です!
今回の対談は、私たちにとって切実な未来である「死ぬこと」について語っていただいています。養老先生、隈さんの共通したご意見は「死ぬことを考えるのは無駄」ということでした。
そこまで達観できればいいのですが、「日経ビジネス オンライン」の読者の方々には、40代から60代男性の自殺率の増加などは、身につまされることも多いのではないかと思います。
養老:自殺は、それぞれの国によって特徴があるんですよ。
隈:そうなんですか。
養老:自殺の原因には世界的、人類的な傾向というものがあるんです。だいたい、一人当たりGDP(国内総生産)の増加と比例して自殺が増える。日本では働き盛りの中年男性の自殺が多いけれども、中国では若い女性の既婚者の自殺が多いんです。
隈:死を選ぶ理由は何なんですか。
養老:抗議の自殺ですね。嫁さんがだんなの家族に抗議して死ぬんだ。
儒教的な考え方の中で、嫁が人間扱いされないということでしょうか。
養老:詳しいことは分からないんだけど、中国では、男の子を大事にするけど、女の子は相当下に見られているでしょう。
死の恐怖から救ってくれない「サラリーマン共同体」
日本の働き盛りの男性の自殺は、1999年から一気に増加しました。養老先生はどう見ていますか。
養老:日本の世間って結構うっとうしくて、そこに丸々付き合ったらたまったものじゃないよね。でも、丸々付き合ってしまって、にっちもさっちもいかなくなるんでしょう。そういう背景があると思いますよ。
不況をバックに、中小企業経営者の自殺が増えましたが、同時に定年前後の会社員も多いと言われています。
隈:サラリーマン人生って、勝ち残りの競争の中で、すごくクリティカルな、重大な分岐点がいくつもあるじゃないですか。判断ひとつで後戻りもできないし、先にも行けないというような。あれ、みんな、よく平気だなと思いますよ。
確かに。エリートになればなるほど、過酷をきわめる。
隈:それで定年間際には、そのストレスと、自分の体力的な転換点が重なるわけだから、おかしくなってしまうのは、よく分かるな。
この連載が本になりました。『日本人はどう死ぬべきか?』2014年12月11日発売。解剖学者と建築家の師弟コンビが、ニッポン人の大問題に切り込みます。
戦後の日本では、かつての血縁共同体がサラリーマン社会に置き換えられたわけじゃないですか。前世紀のサラリーマン社会も、ここにきて変貌が激しいし、それとどう付き合うかなんて、人類として未体験ゾーンですよね。
第4回の、隈さんのお父さまのお話とつながりますね(前回参照)。隈さんは、本能的にその事態を避けた。
隈:そうですね。うちのおやじから教訓を得て、サラリーマン人生を回避した。
でも、お父さまは定年を超えて、長生きされたわけですよね。
隈:85歳まで生きました。息子である僕や、家族にいろいろ八つ当たりしたから、長生きしたと思うんですよね。毒を周りに吐き散らかしながら(笑)。
養老:医学の方から言うと、中年男性の自殺は、初老期うつ病ということはあると思いますね。これは今に始まったことではなく、昔からあるんですよ。
それは男性特有なんですか。
養老:特有ではないけれど、女性の場合はその前段階で更年期障害があるから。初老期うつ病よりも更年期障害の方が認知度が高いでしょう。その分、自覚もしやすいし、対処のしようがまだあるんだと思いますよ。
隈:日本で一番死に近いのが、僕と同年代のサラリーマンだというのは、身につまされますね。確かに僕の仕事先の会社でも、そういう例を聞きます。「え、あの、先週ご一緒した〇〇さんが?」と、驚くことがある。
いい人ほど耐え切れなくなる、ということはありますか。
養老:それは個別には分からないね。ただ、イヤなやつは死なないんだ。池井戸潤の銀行小説に出てくるような野郎どもとかはね(笑)。
思い詰めてしまっている人に向けて、何かアドバイスはありますか。
養老:言ったって無駄でしょう、その年で。
隈:ラオスに虫捕りに行きなさい、とか。
養老:そういう忠告が効く段階としては、40代後半から50代って、もう遅いんだよ。
30代から考える、老後の生き方
いつだったら間に合いますか。
養老:やっぱり30代ぐらいで考えなきゃいけないことじゃないですかね。日本の場合は、大学を出て22歳でしょう。そこで社会に入ったとして、28〜29歳で社会的適応がほぼ完成する。そこから10年たったら、40歳近く。その辺で考えなきゃいけないんじゃないですか。でも、仕事に追われて、一番考えない時期ですよね。
今、アラフォーの読者の方々は、ぜひご傾聴ください。
養老:そうね。この後、どうするんだよ、ということは一応考えていた方がいい。
当の養老先生は考えておられましたか?
養老:まあ、考えるといったって、何か行動を起こす、というわけでもないよね。僕はだいたい40代で、「55歳になったら職場は辞めよう」とは思っていたかな。
養老先生の40代は、高度成長の世の中でしたよね。
養老:そんなのは全然関係なかった、と言ってもいいですね。
みんなが仕事にまい進している時期に、養老先生が辞め時を考えることができたのは、なぜだったのですか。
養老:なぜでしょうね。やっぱり仕事にあんまり本気でなかったんだろうね。
さらっと(笑)。
養老:実は、そういう態度が大事なんじゃないかと思っている。『アンナ・カレーニナ』に、官僚だったアンナの兄貴の話が出てくるけど、彼は官僚の仕事が好きじゃなくて、本気でやってなかったから官僚として成功した、と書いてある。実際に官僚組織に勤めないと分からないけれど、確かにあれは本気で肩入れしちゃいけない仕事だと思いますよ。
日本ではメディアをあげて「仕事しろ、仕事しろ、有能であれ、有能であれ」と、日々、強迫観念を押しつけてきます。
養老:人って、あんまり働くと周りに迷惑が掛かるよ。仕事というものに対しては、適度な距離がなきゃいけない。一番いい仕事をするのは、本来は仕事に関心がない人なんです。
建築家はどうですか。
養老:建築家は違うよ、全然。組織の仕組みの中にいる人と、何かを作らなきゃいけない人は違う。
隈:ただ建築家も、一個一個の建物で傑作を作ろうとすると、ストレスで破綻すると思います。
養老:それはそうですよね。
目の前の仕事を完璧にしようとすると破綻する
隈:クライアントがいて、予算があって、法律があってと、とにかくいろいろな制約があるでしょう。その中でいちいち完璧を目指そうと思ったら、破綻します。だからある種、超越した無関心さはいるかもしれません。
超越した無関心?
隈:目の前にある1個の建物にこだわるのではなくて、何か自分は別の価値を求めているんだ、という思考法。いちいちすべてが解決するとは思わない。そういった超越性のことですね。
17世紀のイタリアに、パッラーディオという建築家がいて、当時最高の建築家と謳われていたんです。パッラーディオは、ベネツィアの郊外に邸宅の傑作をいろいろ作っていて、それが後のヨーロッパのあらゆる住宅建築のモデルになったと言われています。
でも、あれだけの建築家でも、自分は本当はこうやりたかったけど、施主の都合でできなかった、というのがほとんどなわけです。だから「建築四書」という一種の作品集を自分でまとめた時は、全部自分がやりたかったように直したの(笑)。
養老:写真がない時代だからできたんだ。
隈:20世紀最大の建築家と言われたコルビュジエはもっとひどくて、自分の作品を撮った白黒写真で、白い壁の構成がうまくなかったと思うと、周りの影にスプレーをかけて、美しくなるように修正しました。彼の作品集の写真をよく見ると、影が不自然なものが多いんです。
「フォトショップ」(写真加工など画像編集ソフト)の先駆けですね。
隈:そうそう。自分の手で行うフォトショップで写真を全部直した。建築家って、そのぐらいのずうずうしさがないと、やっていけないんです(笑)。
養老:でも、クライアントには違う言葉で接していたはずですよね。
隈:パッラーディオが設計していたのはベネツィアのお金持ちたちの農園だから、お金持ちに絶大な信頼があったわけだけど、たぶんクライアントには全然違うことをしていたはずです(笑)。
養老:あの「半沢直樹」の作者の池井戸潤さんって、銀行に勤めていたのかな。
1963年生まれで、慶應義塾大学を卒業してから、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に勤めています。銀行を退職されたのは95年。バブルの最中から崩壊後までの時代ですね。
養老:彼も銀行の生活を、ああやって自分なりのフォトショップで書き直したんでしょうね。
隈:なるほど。
養老:銀行という組織内部のえげつない権力闘争の中で、こうあったらいい、というのが「半沢直樹」ですよね。
隈:現実では絶対にあり得ない、銀行内の下克上ですよね。
養老:あの小説とテレビドラマは、サラリーマンの健康法だよね。銀行のディテールを分かった上でのファンタジーだから、みんなに効いたんですよ。
隈:それは、さきほど養老先生がアンナ・カレーニナの兄のところでおっしゃったように、作者に「本気じゃない距離感」があったから描けたわけですよね。
養老:そう、距離があったわけですよ。銀行組織という、あの内部に丸ごと入っちゃうと、年を取ってから、もうどうしようもなくなっちゃう。
あんまり真剣になり過ぎないように、というのが養老先生のアドバイスですね。
養老:好きなことが何か1つでもあればいいんですよ。それがない人が、自分の仕事に真剣になっちゃう。でも、しょせん仕事なんて、誰かが代われるものなんだしさ。そういうことに真剣になりすぎるって、使い物にならないという、そのことだからね。
定年目前から死ぬまでにある「30年」
日本のサラリーマンは、定年を目前にして、「好きなものがない」と気が付くパターンも多いとか。
養老:そうなんですよね。ゴルフといったって、実は会社のやつとしか行ってない。しかも会計も会社持ちだったとしたら、趣味とか楽しみとかじゃなくて、業務の一環だよね。
50代で気づいても、もう遅いですか。
養老:いや、そこは断言できない。そこは知りませんよ。だって、今、みんな長生きになりましたからね。
厚生労働省が今年発表した2013年の平均寿命は、男性が80.21歳、女性が86.61歳で、男性もついに80歳を超えました。
養老:50歳から80歳まで、30年あるんだよ。モーツァルトは、35年の生涯の中で、600以上も作曲したわけだし、高杉晋作だって死んだのは28歳ぐらいだよね。
体力の問題は置いといて、革命の志士にもなれてしまう時間が目の前にある時代になりました。
隈:なんか、生きる意欲というより、もうどうなってもいいや、って思っちゃいますけどね(笑)。
養老:ともあれ、自殺は絶対にお勧めしません。死んでも当人は困りません、ということをこの対談でもさんざん言ってきましたが、周囲の人は困りますからね。自分がいなくなって悲しむ人は必ずいる。それは常に思っておいた方がいい。それと、無理心中も困りますよ。
殉死という概念に惹かれたりはしますか。
養老:典型は乃木大将でしょうけど。あれは、奥さんと一緒に自刃したんだよね。当時もいろいろ論議はあったんですけどね。息子たちが2人とも先に戦死していて、生きていてもしょうがないと思ったのか。田原坂で軍旗を取られたから、その時に死んだつもりで、というのが乃木さんの言い分だったんだけど、それを明治天皇が止めて、だったら明治天皇が生きている限りは、生きていようと。
その心境はご理解できますか?
養老:分かりませんね。
あっさり、分からない、と。隈さんはいかがですか。
隈:分からないですねえ(笑)。
あと、太宰治のように女性を道連れにして自殺未遂を繰り返すというのは、どう思われますか。
養老:あれは特別だよね。太宰は鎌倉の鶴岡八幡宮の裏山でも一度、首を吊っているんだよ。当然、失敗していますけど(笑)。
渡辺淳一じゃありませんが、心中あるいは殉死ということに、ある種あこがれるというのが、日本人の中にはあるんじゃないですか。
養老:知らない。
知らない、と。
薄くなった共同体の関係性をどう埋めるか
養老:自殺にあこがれるって、俺はよく分からないんだよね。
隈:僕も理解不能。
養老:理屈で言えば、別に本人は困らないからいいんだけど。それを生かしているのは、周りの知り合い、つまり共同体ですよね。その中に悲しむ人がいるんだから、自殺はやめてほしい。
ただ逆に言うと、共同体の関係性が薄くなってしまえば、生きる理由も薄まって、「もう死ぬよ」と言いやすくなってしまう。それは今の日本の社会に起きていることだと思います。
人間関係が薄くなれば、死ぬのは勝手でしょう、となりやすい。
養老:俺が死んでも俺は困らないし、だったら周りも困らない、という理屈が立ってしまう。しかも現代人には、命は自分のものだ、という意識があるから、ますますそうなっていくでしょう。昨今の無差別殺人の動機なんかはそれですよね。
でも、それは本当に困る。そこについては、誤解してほしくない。日本の世間は窮屈だと、僕はことあるごとに言ってきましたが、だから勝手に死んでもいい、ということではありません。「二人称の死」が持つ意味こそ、もう一度考えるべきでしょう。
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、鎌倉市生まれ。1962年、東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。1995年より同大名誉教授。著書に『からだの見方』(サントリー学芸賞)『人間科学』『唯脳論』『バカの壁』(毎日出版文化賞)『死の壁』『養老孟司の大言論』『身体巡礼』など、隈研吾との共著に『日本人はどう住まうべきか?』がある。
隈研吾(くま・けんご)
1954 年、横浜市生まれ。1979年、東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞。同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2010 年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。2011年「梼原・木橋ミュージアム」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『負ける建築』『つなぐ建築』『建築家、走る』『僕の場所』、清野由美との共著に『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』などがある。
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2015年01月09日 12:22