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支援救出放棄契約のうえで渡航を許可する以外にはない、、、かと思います。。。Vol.2/後藤氏をはじめ渡航する人達はみな覚悟の上でのことだと。。。

■「イスラム国」に対し日本と日本人がすべきこと

上久保誠人 [立命館大学政策科学部准教授]

英米に「自己責任論」は存在しない

 今回の「イスラム国」を名乗る組織(以下IS)による日本人人質殺害事件に関して、まず最初にいわゆる「自己責任論」を考えてみたい。これは、外務省が渡航自粛勧告を出していたISが支配する危険地帯に、「民間軍事会社の社長」を自称して入って拘束された湯川氏と、その救出に向かった後藤氏に対して、ネット上を中心に広がる「政府に迷惑をかけるな」「政府が助ける必要はない」などの批判のことだ。

 この現象は、英国国営放送(BBC)が、デヴィ・スカルノ氏のブログでの「後藤氏は自決せよ」という発言を紹介するなど(“Japan wakes up to bad news about Kenji Goto”を参照のこと)、諸外国からも「日本らしい」こととして強い関心を持たれているようだ。

 筆者が知る限りだが、少なくとも英国では、「自己責任論」というものを聞いたことがない。おそらく米国でも同じだろう。英米では、そもそも人間行動のすべてに「自己責任原則」が貫かれているので、あらためて特定の場面で「自己責任」を強調する必要がないからだろう。

 一方、日本の「自己責任論」は、「自己責任でない場合は、政府に生命と安全の保護を求めることができる」という考え方が前提のように思う。つまり、国民の自己責任とされる範囲は狭く、政府に頼れる範囲が広いとされているからこそ「自己責任論」が出てくるということだ。

 これには違和感がある。なぜなら、日本政府は「国民の生命と安全の保護」の意識が希薄だと思うからだ。例えば、筆者がかつて商社マンだった頃、世界のどこかで紛争が起こった際、日本大使館は日本人でさえ大使館に入れず、締め出すようなことがあったと聞いたことがあった。

 紛争時にはむしろ英国大使館や米国大使館が、国籍を問わず誰でも逃げ込める「駆け込み寺」になる。「なにかあった時は英米大使館へ向かうべし」というのが日本人駐在員の常識だった、と商社の先輩からよく聞いたものだった。逆説的だが、自己責任原則が貫徹されているはずの英米政府のほうが、国民の生命と安全を守る意識が徹底されているということだ。

日本はISの「キャッシュディスペンサー」に
なっていたかもしれない

 ひとついえることは、政府は万能ではないということだ。政府にできることには限界がある。それは、英米でも日本でも同じことである。

 ISは米国人3名、英国人2名を殺害している。ISの「空爆停止」の要求に対して、英米政府が一切の交渉を拒否したからである。ISに屈して交渉に応じ、身代金を支払えば、ISに多額の資金を与えることになる上に、さらなる身代金獲得を狙って、テロが繰り返される恐れがある。英米が人質救出のためにできることは、基本的に「軍事作戦」しかないのである。

 今回、ISによる日本人拘束が明らかになってからの日本政府の対応を批判する声がある。政府は、身代金支払い要求に応じない一方で、中山泰秀外務副大臣をヨルダンに送りこんで人質解放に協力を要請した。だが、ヨルダンがどのようなパイプでISと交渉しているのか、交渉状況がどうなっているのか、政府はほとんど掴めなかった。特に、ヨルダンがISに対して軍パイロットの安否確認を要求し、女死刑囚の釈放を拒否してからは、交渉状況は全く見えなくなった。このように、日本政府は人質解放に無力だったように見えることに、批判が集中している。だが、そもそも日本政府はISと交渉自体、してはいけなかったのではないだろうか。

 英米のジャーナリストがISに拘束・殺害されたケースと、今回の日本人のケースの違いを考えてみたい。繰り返すが、ISが英米人を拘束した際、英米政府に要求するのは「空爆の停止」である。そして、英米政府が一切交渉に応じないので、人質は殺害されることになった。英国のジャーナリスト、ジョン・キャントリー氏が拘束されたまま、ISの広報映像にたびたび登場しているが、彼を巡っての交渉も行われていないようだ。要するに、ISが英米人を拘束・処刑するのは、ISの恐ろしさをアピールする「政治的パフォーマンス」の意味しかない。

 一方、ISが日本人を拘束した今回のケースでは、「身代金」を要求された。そして、途中で要求が身代金から「人質交換」に変わった。これはISが、日本のことをより「実利的」に考えている可能性を示している。

 英米などの有志連合による油田地帯への激しい空爆や原油価格の下落で、ISの主な収入源である原油密売が激減しているという。そこで、ISは身代金目的の誘拐による資金獲得を強化している。身代金の収入は年間40~50億円になるという。ISは、弱腰のイメージがある日本なら、多額の身代金を払うと考えて、日本人誘拐を狙った可能性がある。

 これまでフランス、スペイン、トルコなどが、人質解放のためにISに身代金を払ってきたとされる。これらの国で、その後人質事件が頻発しているわけではない。だがそれはISが、これらの国は何度も多額の身代金を払い続ける力を持っていないと考えたからかもしれない。

 一方、日本は経済大国である。国連などさまざまな国際機関に多額の資金を拠出している。世界中の新興国・発展途上国に援助をばら撒いてきた。多額の米国債を保有する「米国のスポンサー」でもある。ISは日本に対して「金持ち」のイメージを持っているだろう。

 もし、日本が今回、身代金を支払っていたら、ISは日本のことを、活動資金を引き出すためにいつでも使える「キャッシュディスペンサー」と考えたかもしれない。ISが、まるでキャッシュカードを使うように、活動資金を引き出すためにありとあらゆる機会を捉えて日本人の誘拐を狙うようになれば、本当に日本人は世界中で危険に晒されることになる可能性があったのではないだろうか。

他国の死刑囚釈放で
自国民を取り戻すことの意味

 さらにいえば、ヨルダンに収監されている女死刑囚の釈放を条件に、後藤氏の解放を交渉して、もし解放が実現していたらどうだっただろうか。日本国内では、後藤氏の救出を願うあまり、ヨルダンがISの要求を受けて女死刑囚を釈放するかどうかに焦点が当たり続けていた。ヨルダンが「軍パイロットの安否確認」を求めて、ISの要求を拒否した時には、日本国内に動揺が広がった。

 だが、もし女死刑囚を解き放てば、ISはヨルダンの足元を見て、さらなる要求を突きつける可能性がある。同国や周辺諸国の住民は今以上にテロの恐怖に晒されることになるのだ。その深刻さは、一部の識者が指摘してはいたものの、ほとんどマスコミが取り上げることはなく、日本国民の関心ではなかった。

 換言すれば、日本人はヨルダン国民の置かれた厳しい状況に気を使うことはほとんどなかったように思う。だが、女死刑囚が釈放されて、ヨルダン国民が恐怖に晒されることになった時、日本人が生きて戻ってくるというならそれでいいと、日本人は歓喜の声を上げたのだろうか。それは、国家としてあまりに品格に欠けており、国際社会に「恥」を晒すことになったのではないだろうか。

 結局、日本政府が人質解放のためにできることは、なにもなかったということだ。非常に悲しいことだが、結果的に後藤氏が殺されるのを待って、ISに対して猛然と非難声明を出すことしかできなかったのだ。それ以外のすべての解決策は、日本と世界の人々を、よりテロの危険に晒すことになるものだったからだ。

 繰り返すが、政府は万能ではない。政府ができることには限界があるということだ。日本国民はそのことをよく自覚し、テロリストが支配するような危険地帯には、近寄らないようにするしかないのである。

政府は日本人がテロに遭う
危険性を最小化することができた

 ISは、「日本が『邪悪な有志連合』と同様に勝ち目のない戦いに加わるという無謀な決断をしたため後藤さんを殺害する。今後も場所を問わず日本人を殺害する。日本にとっての悪夢が始まる」と脅迫した。だが、これによって、日本人が世界中でテロに遭う恐れが強まったとパニックに陥るべきではない。

 そもそも、ISにとっては、英米のほうが日本以上に許せない「敵」である。だが、英米人に対して、世界中でテロが頻発しているというわけではない。前述の通り、空爆によるダメージや資金力の悪化で、ISが本当に世界中でテロを起こす力を残しているかどうか自体、疑問なのだ。

 日本は事態を冷静に受け止めるべきだ。日本は確かにISから「敵」とみなされることになった。だが、それは日本人も、諸外国並みの危機管理を考えなければならなくなったというだけのことだ。むしろ、政府が身代金、女死刑囚の解放に応じず、ISに「日本はキャッシュディスペンサーだ」と思わせなかったことは、日本人が今後テロに遭うリスクを、難しい状況の中で最小化できたと考えるべきではないだろうか。

 今後、日本政府は国内でテロを未然に防げるよう情報収集力、分析力の強化、海外に渡航・滞在する邦人への迅速な情報提供など、対テロ対策を強化することになるだろう。それは、悪いことではない。前述のように、従来日本政府は国民の生命・安全の保護に関心が薄すぎたように思う。政府が緊張感をもって、それが改善されていくならば、今回のような不幸な事件が起きた中で、せめてもの幸いなのかもしれない。

日本は「違い」ではなく「同じところ」を
強調して中東外交、援助を続けるべき

 今回の不幸な事件を考える際、忘れてはならないことがある。それは、ISの台頭は、石油を巡る欧米の中東進出の歴史の延長線上にあるということである。

 18世紀末、英国の進出によるペルシャ(現イラン)でのアングロ・ペルシャ石油(現BP)の設立に始まる石油を巡る欧米の中東進出。第一次世界大戦当時の英国が「東アラブ人にアラブの独立国を作る」(マクマフォン書簡)、「パレスチナにユダヤ人国家を建設する」(バルフォア宣言)、「トルコ支配地区を英国とフランスで分け合う」(サイクス・ピコ協定)という3つの異なる約束をした、いわゆる「三枚舌外交」。その結果である、欧米石油メジャー(セブン・シスターズ)による中東の石油利権支配の完成、欧米によって人工的に引かれた国境線によるアラブ人国家の成立、そしてユダヤ人国家・イスラエルの誕生だ。

 もちろん、中東諸国は一方的に欧米支配に甘んじてきたわけではない。第二次世界大戦後、石油産業を国営化し、OPEC(石油輸出国機構)を結成して、エネルギーの欧米支配からの独立を果たした。中東の多くの国は欧米のメジャーとともにエネルギー国際市場を形成し、国民はオイルマネーで潤っている。だが、その一方で、その恩恵を受けられない貧困層との格差が広がった。貧困層は、欧米を「異教徒」と敵視する「イスラム過激派」の土壌となった。

 イスラム過激派のウサマ・ビンラディンは、アフガニスタンで反米テロネットワーク「アルカイダ」を組織し、米同時多発テロを引き起こした。これに対して米国がアフガニスタンを攻撃し、イラクのサダム・フセイン政権を倒したことで、イラク国内が内戦状態に陥り、「イラクのイスラム国」の前身組織が誕生した。隣国シリアが内戦状態に陥ると、「イラクのイスラム国」はシリア内戦に介入。IS(イスラム国)に改名した組織は活動領域を拡大し、イスラム世界全体を統一するのだという野望を示し始めている。

 要するに、ISの台頭には中東の欧米支配と、それに対する宗教・民族の問題があるということだ。だが、筆者はこのような問題を考える際に常に言われる「お互いの違いを理解しよう」などとは言いたくない。

 むしろ逆だと考える。この連載で常々主張してきたように、この問題でも、お互いの「同じところ」に意識を集中していくことではないだろうか。

 中東諸国の国民や、欧米と日本に住むイスラム教徒の人たちから「イスラム教とISを一緒にしないで」という声がある。彼らは、イスラム教を信じる人たちだが、同時に、我々と同じ民主主義的なルールがある社会に住み(国によって程度の差はあったとしても)、共通の市場を形成してビジネスを行っている人たちだ。イスラム過激派は、ここに入れない貧困層から出現していることを考えると、我々は「違い」を過度に強調するよりも、この民主主義・市場経済という共通の社会基盤があることを重視したほうがいい。貧困層をなくして、民主主義・市場経済の中に組み入れていき、中長期的にイスラム過激派に走る人たちをなくしていくことである。

 もちろん、民主主義・市場経済という欧米の価値観にイスラムの人たちを合流させていくということには反発があると思う。だが、「違い」を無理に強調するよりも、現時点で「同じところ」に意識を集中することのほうが、現状の上に立ったリアリティがあるのではないだろうか。さらにいえば、短期的な軍事作戦よりも、より抜本的な解決策でもある。

 そして、ここに日本の役割があるのは言うまでもない。菅官房長官は「ISを恐れるあまり、日本が積み重ねてきた中東外交、人道支援をやめれば、テロリストの思うつぼだ」として、安倍首相が表明した難民支援など2億ドルの資金援助をさらに増やす考えを明らかにした。断固としてやり切ってもらいたい。もちろん、それだけではない。政府開発援助(ODA)やビジネス、技術提供、教育、人材育成など、日本が中東に対してできることは、一歩も引くことなく、すべて出していくべきである。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2015年02月10日 13:44