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他者や体制への依存従属からの脱却のための主体的意識と行動のきっかけとして、デモを積極的評価。。。

■SEALDsが浮き彫りにした「個」と「忠誠」の相克

 安保法制をめぐる国会の中央公聴会で、大学4年生の奥田愛基氏が堂々とした意見を述べた。彼の意見には、安保法制への賛否の立場を超えて、耳を傾けるべきだ。彼は一個人として、自分の頭で考え抜いて、自分の言葉で主張した。さらに、彼と同様に自分で考え、自分の言葉で語る若者が全国で行動を始めた。これまで、日本の政治的舞台において、個人に基礎をおくリベラルな主張がこれだけの力を持ったことはなかった。しかし一方で、議論は依然としてかみあっていない。なぜ議論はかみあわないのか、どうすればこの対立を克服できるかについて考えてみたい。

日本に存在しなかった本当の「リベラル」政党

 欧米社会には、リベラルと保守の二大潮流がある。このうちリベラルは、個人の自由を重視し、国家は原則としてこれを制限してはならないと考える。これに対して保守は、国家があってこそ個人も守られると考える。もちろん個人の自由は尊重するが、国家の利益のための義務を果たすことを重視する。日本における自由民主党の立場は、保守主義である。一方、戦後の日本において自由民主党と議席を争ってきた革新政党もまた、かなり強い集団主義的な立場にあった。

 そもそも日本は非常に同調圧力が強い社会だ。「郷に入れば郷に従え」「出る釘は打たれる」など、社会的同調を求める言葉はあっても、個人が自由にふるまうことを讃える標語は聞かれない。この社会的特徴を背景として、これまでの日本の政治において、自由な個人に基礎をおくリベラルな政党は存在しなかったと言える。

 この日本の政治史を考えれば、SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)の登場は大きな事件だ。私は8月30日の国会前行動を契機に彼らの活動に興味を持ち、彼らの主張に耳を傾けてみた。その結果、よく分かった。彼らは一人ひとりが自由な個人として考え、討論し、活動している。彼らは個人の自由を制約する党派に所属するつもりはないし、党派を作るつもりもない。しかし、自由な個人でありながらも全国に支持をひろげ、100万人規模で市民を動かすことに成功した。このスタイルは、日本の政治史においてまったく新しいものだ。

なぜ多くの市民がSEALDsの呼び掛けに答えたのだろうか。それは、直接的には、奥田氏らSEALDsメンバーの言葉に説得力があったからだ。彼は公聴会での意見陳述の最後に、議員に対してこう呼びかけた。

 「どうかどうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった1人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください」

破られた2つの道徳的規範

 しかし、個人の声で個人に呼びかけるだけでは、100万人を超える市民が行動することはなかっただろう。SEALDsはなぜここまで支持されたのか? この理由について、奥田氏は公聴会において以下のように述べた。

 「SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を私たちが作りだしたのではありません。もしそう考えておられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。私の考えでは、この状況を作っているのは、紛れもなく現在の与党のみなさんです。つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたい、たとえ話をみて、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めたのです」

 彼は実に冷静に状況を認識している。国会前に足を運んでいる多くの市民は、安保法制に関する与党の態度に不安を感じた無党派層だ。では、多くの無党派層が感じた不安の正体は何だろうか? それは、欧米の社会で広く支持され、そして戦後の民主主義教育を通じて日本にも根付いた2つの道徳的規範が破られたことである。その2つとは、他人に危害を加えないこと、そして嘘をつかずルールを守ることだ。道徳心理学の研究によれば、この2つの道徳的規範は、保守とリベラルの違いを超えて、広く支持されている。

 集団的自衛権を認めれば、日本が攻撃されていない場合でも、他国を攻撃することが可能になる。政府がいかに「存立危機事態」に限定したものだと説明しても、戦争に巻き込まれる危険が大きくなるという市民の不安は払拭されていない。

 また、改憲派の憲法学者も含めて、多くの憲法学者が違憲だと判断する法律を政府がつくるのはルール違反だ、ルールを守らない政府の主張をどうやって信じれば良いのか、この疑問が市民の不安を掻き立てている。

 さらに、政府の説明は二転三転している。法案提出当初に必要性の理由にあげていたホルムズ海峡の機雷撤去や軍艦により輸送される邦人保護という説明は撤回された。政府は嘘の説明をしていたと市民は感じた。

なぜ議論はかみあわないか?

 多くの無党派層が批判の声をあげ、行動を起こした結果、今国会での安保法案採決に反対する声は世論調査で過半数に達し、メディアによっては約7割に達している。

 しかし、国会はもちろんだが、テレビ番組やネット上での議論はかみあっていない。奥田氏の意見陳述に対して、歴史に残る名スピーチだという高い評価がある一方で、国際社会の現実を見ないポエムだという批判がある。議論はなぜこれほどかみあわないのか? それは、安保法案に賛成する保守派が、別の道徳規範に基づいて善悪を判断しているからだ。

 人の道徳規範は、実は上記の2つだけではない。忠誠というもう1つの重要な規範がある。読者にも経験があるはずだ。あなたが巨人ファンなら、アンチ巨人を快く思わないだろうし、AKBファンならももクロを格下に思うだろう。私は九州大学で働いているので、他の大学に対してついライバル意識を持ってしまうことがある。そして日本人なので、オリンピックやワールドカップでは日本チームを熱心に応援する。

 厄介なことに、リベラル派がこの規範にあまり重きを置かないのに対して、保守派はこの規範を重視する。保守派の多くが隣国に対して敵対心を燃やす心理はまさにこれである。安保法制に賛成する人の多くは、中国の軍事的脅威に対抗する上では、集団的安全保障は善であると判断している。一方で、安保法制に反対する人の多くは、他人・他国に危害を加える可能性を拡大する点で、集団的安全保障は悪であると判断している。

 このような善悪の判断は、理性的判断に影響することが分かっている。多くの憲法学者が違憲だと説明しても、集団的安全保障は善であるという結論が先にあれば、理性はこの結論に都合の良い別の説明を探すのだ。科学的判断と違って、善悪の判断は事実によって反証できないので、いかに理性に訴えても相手の判断を変えることは難しい。これが、安保法制をめぐる議論がかみあわない理由である。

保守・リベラルの対立を超えて

 ではどうすれば、かみあわない議論を収束させて、保守・リベラルの対立を乗り越えることができるだろうか。

 まず第1に必要なことは、忠誠心の大小が人の個性であるという理解を共有し、そして互いの価値を認め合うことだ。忠誠心が高い人は、チームの協力を強める上で大きな役割を果たせる。しかし忠誠心が高い人ばかりのチームは失敗しやすく、創造性も低下しがちだ。これに対してチームの方針に批判的な人は、チームの失敗を未然に防いだりイノベーションを起こしたりする能力が高い。要するに多様性が重要なのであり、どちらか一方が他方を排除する社会ではみんなが損をする。この点を共通の理解にして多様性を認め合うことが、対立を乗り越える第一歩だ。

 第2に、「嘘をつかずルールを守る」という道徳規範については、保守・リベラルの立場を超えて厳守すべきだ。今回の安保法制をめぐっては、与党側がこの道徳規範を軽視したために、議論が混乱した。立憲主義は長い歴史を経て作り出された基本的ルールであり、これを軽視した点で、与党の提案は改憲派の憲法学者や自民党の長老議員からも批判を浴びた。

 第3に、常に複数の選択肢を考え、これらのベネフィットとコストやリスクを比較することだ。中国の軍事的脅威に対する政策として、集団的安全保障が唯一の選択肢ではない。経済的連携を強めることも、抑止力になる。二国間の貿易量が増えれば、戦争をするコストが大きくなり、その結果戦争が抑止されることが分かっている。

 一方で、軍事同盟にはリスクも伴う。126の戦争事例に関する統計的な分析の結果、軍事同盟が大きければそれだけ戦争に巻き込まれる確率は高くなることが分かっている。このような統計的な根拠に基づいて、複数の選択肢のメリットとデメリットを冷静に比較することが必要だ。前述の通り、善悪の判断が理性的判断を抑えてしまう弱点を我々は持っている。複数の選択肢を比べることは、この弱点を乗り越えて理性的判断を行う上で、有効な手続きだ。

 SEALDsの登場は、自由な個人に依拠するリベラルな考えが日本に深く根付いていることを明らかにした。一方で、伝統的な集団主義的価値観もまた、日本社会に深く根付いている。そして大部分の市民は、両者を兼ね備えているのだ。リベラルと保守の二項対立を乗り越えて、ルールに則った理性的対話を通じて、次の社会を作っていきたいものだ。

[JBPRESS]

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Posted by nob : 2015年09月21日 06:46