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逝き方は生き方の完結、、、自らがどう思うかだけでなく、〈看取る〉周りにどう思われる生き方をしてきたのかが問われる。。。
■在宅死、病院死。幸せな「最期」を迎えるにはどちらがいい?
~究極の難問。答えを出した人たちに聞いた
新藤兼人監督の場合
どんな家族も、大切な人を見送る時には、悩み苦しむ。一秒でも長く生きてもらいたいが、治療で苦しむ姿を見るのも辛い。簡単には答えは出ない問題。だからこそ、家族を見送った人たちの言葉から、改めて、家族の、そしてあなたの幸せな結末を考えてみて欲しい。
「亡くなる直前まで仕事を続け、自宅で孫娘に見守られながら、スーッと息を引き取った。息子である私も憧れるくらい、パーフェクトな最期だったと思います」
日本を代表する映画監督・新藤兼人氏の次男で、近代映画協会社長の新藤次郎氏はこう語る。
新藤監督は、'12年5月29日、先立った妻で女優の乙羽信子さんと共に暮らした都内のマンションで、静かに亡くなった。
そのひと月前の4月22日には、柄本明や大竹しのぶといった縁の深かった俳優や映画関係者を集めた、100歳の誕生パーティを行ったばかりだった。次郎氏が続ける。
「父は94歳のとき、映画の撮影の準備中に肺炎を起こして入院したんです。そこで検査してみると、血糖値の異常や胆石が見つかりました。
入院前から、独り暮らしの父のマンションにはお手伝いさんが通い、食事の準備をしていました。退院後には要介護3と認定され、糖尿病のためのインスリン注射が必要だったり面倒も増えるので、私の住む家で一緒に暮らそうと持ちかけました」
しかし、「息子の世話にはならない」と監督は断った。そこで、次郎さんの娘で同じく映画監督の風さんが、監督のマンションで付き添うようになった。
「父は孫娘とは気が合い、風は下の世話からいろいろ面倒を見てくれました。車椅子生活を余儀なくされながらも、98歳で『一枚のハガキ』をクランクイン。その現場にも娘がつきっきりでした。
ただ、すべてを娘がやっていては根を詰めてしまうので、食事はヘルパーさん4人でシフトを組み、面倒をみてもらいました。
父には老人ホームなどの施設の資料を見せたこともありますが、見ず知らずの人と一緒に生活できる性格ではなかった。正直言えば、施設に入るよりカネはかかったと思います」(次郎氏)
次第にベッドに横たわる時間は長くなったが、映画の構想のため常に頭を働かせていたという。
「食は細っていきましたが、最期まで自分で食べていました。死の前日の晩も、映画を撮影する夢を見ていたようで、『ここは英語と日本語で2回撮るよ』と寝言で言っていたそうです。
最期は定期的に診てくれていた訪問医が看取り、老衰と死亡診断書も書いてくれました」
次郎氏は、そう穏やかに語った。「父の最期に憂いがないのは、しっかり送ってあげられたという思いがあるからです」
約束は守りたい、でも…
ただし、すべての人が、新藤監督やその家族のように、納得できる看取りや、最期を迎えられるわけではない。看取る側、看取られる側が共に在宅死を望みながら、叶わなかったケースもある。千葉県在住の主婦・杉森栄子さん(66歳・仮名)が言う。
「独り暮らしをしていた母は、83歳で大腸がんを患って手術しました。お医者様からは、余命は半年と言われました。最期は住み慣れた我が家で死にたい。ことあるごとに母は私にそう言っていたので、在宅で介護を続けることにしたんです」
杉森さんの母親は、ヘルパーや訪問診療、訪問看護を利用しながら、半年どころか3年間を我が家で過ごすことができた。
「でも、母が少し風邪をこじらせて入院したところ、心身ともに一気に弱ってしまったようで、病院で『家に帰る自信がない』と言い出したんです。
大丈夫よ、家でみんなで交替で看るから、と何度も説得しました。でも、母はうんとは言わず……。
いま考えると、やっぱり私たち家族に遠慮していたんだと思います。結局その後すぐ、病室のベッドの上で眠るように亡くなりました」
それは、本当に母にとって幸せな最期だったのか。亡くなって4年が経ついまでも、杉森さんの頭からは苦悩が離れない。
「もしあの時、無理にでも連れ戻していたら、本人の『最期は家で』という願いを叶えてあげられたのではないか。そうふと考えてしまうんです。ずっと相談に乗っていただいた訪問看護の方は、『あなたは間違ってなかった』と言ってくれました。でも、どこかで違った道があったんじゃないかって」
都内の家電メーカーで部長まで勤め上げた北川豊さん(67歳・仮名)は、90歳で他界した母親の「死に方」について、逡巡を重ねた。
「元気なうちから母とは何度も話し合い、『延命治療はいらない。病院には入らない』と決めていました。母は80代の後半に入ってから認知症が悪化し、私とヘルパーさんとの区別もつかなくなり、ほとんど寝たきりになってしまいました」
動きまわったり、暴れたりしない分、介護はしやすくなった。北川さんはそうプラスに考えるようにもなった。覚悟はできているつもりだった。
「そんな中、娘が妊娠したんです。私にとっては初孫、母にとっては初めてのひ孫です。どうしてもひと目、顔を見せてあげたい、なんとか持ってくれと願っていましたが、母の調子は目に見えて悪くなっていった。
出産予定日まであと3ヵ月という時、母は誤嚥性肺炎を起こした。事前の約束など忘れて、病院に駆け込みました」(北川さん)
容態を持ち直した北川さんの母親は、経口で食事はできるものの、摂取できる量が明らかに減った。点滴や、胃瘻(腹部に管を通して直接栄養を送る)に頼れば、活力を取り戻せるかもしれない。このまま入院させれば、初ひ孫の顔も見せてやれる—そう北川さんは考えた。
「でも、前々からのかかりつけ医に『本当にそれでいいの?』と言われたんです。胃瘻をすれば、味わう力が落ちて、考える力もなくなる。点滴をして、元通りに食事ができるようになる人もいるけれど、心臓に負担がかかって寿命を縮めるケースもある、と」
結局、散々悩んだのち、北川さんはいちばん最初の約束どおり、母親を入院させず、自宅で自然に任せることを選んだ。
「母はひ孫が2歳になるまで、生きてくれました。結果としてですが、老衰で死んでいく母を傍らで看取ることもでき、納得しています」(北川さん)
もちろん、入院・治療を選択して命を長らえ、救われる家族もいる。長尾クリニック院長の長尾和宏氏がこう言う。
「私自身は高齢者や老衰では『在宅での自然な最期』がお勧めです。しかし胃瘻については否定しません。胃瘻のおかげで最悪期を乗り越えられた方もいるし、人それぞれの綺麗事ではすまない状況、考え方があるので、ご家族とはしっかりと話し合うことが大切。
ただ、胃瘻のメリット・デメリットを説明しても『私は手を汚したくありません。先生が決めて下さい』という家族も多い。最愛の家族の人生に責任を持とうとしない家族には、正面から向き合って欲しいと願います」
在宅死か病院死か—。どちらが正解ということはないが、医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳氏によれば、在宅で看取ったことを後悔する人が少ないのは事実だという。
「看取ったご家族のお宅にお焼香に伺ったり、四十九日を過ぎてから挨拶に伺うと、『大変だったけれど、家で看取ってよかった』という方がほとんどです。当社団が行ったアンケートでも、96%の人が、『家で看取るという選択をして良かった』と答えています」
「在宅」にこだわりすぎない
「最期は家で」と家族で話し合っていても、現実の介護という問題にぶち当たったとき、老人ホームなどの施設を頼らざるを得ないことも多い。特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医の石飛幸三氏は言う。
「私たちのようなホームに入居する人の多くは、家族での在宅介護が難しくなって飛び込んでくる人たちです。
いまは核家族化が進んでいるので、家族での介護も夫婦の老老介護や、親子でも一対一の関係が多い。すると、精神的にもどんどん疲弊していく。家族だからこそ長年積もり積もった感情がある。そこから、DV紛いのことが起きているのが実態です。そんな経験を経てホームに入居された人やその家族は、それはホッとした表情をされます」
施設の役割をそう強調しながら、「ただし」と石飛氏が続ける。
「在宅死を望むのは自然な感情です。このホームの方も、入居後しばらくは夕方になると『お家に帰りたい』と口々に言い出す。私は『夕方症候群』と呼んでいます」
老人ホームでは本格的な医療行為はできない。
「入居者の方には、病院に移らず、『自宅は無理でも、ホームで自然な最期を』と望まれる人は多い。
しかし、ホーム入居を決断したご家族ではなく、離れて暮らしていた親族が、『なぜ病院に入れないんだ!』と無理に連れだしてしまうケースもあります。そうしてチューブだらけになった親の姿を見て、心を痛める人も多いんです」(石飛氏)
どんな家族も、大切な人を見送る時には、悩み苦しむ。家族としては、「本人の希望」はもちろん叶えたい。一秒でも長く生きてもらいたいが、治療で苦しむ姿を見るのも辛い。そして、そんな考えすべてが、親への思いではなく、自己満足なのかもしれない……。
簡単には答えは出ない問題。だからこそ、家族を見送った人たちの言葉から、改めて、家族の、そしてあなたの幸せな結末を考えてみて欲しい。
[現代ビジネス]
Posted by nob : 2015年10月20日 13:20