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また旅立つ君へVol.117/孤独は自由への扉

■心が強い人は「孤独は妄想」と知っている
簡単な練習で、「独り=至福の時間」になる

草薙龍瞬
僧侶

「独りの時間」は、人生には案外多いものです。仕事の合間や、プライベートなひととき。特にソーシャルメディア全盛の現代では、「つながり」を求めるあまり、逆に疎外感やストレスを感じている人も増えています。

仕事を失ったり、人と別れたりして、不意に孤独におそわれることもあります。

「これからどうなるんだろう?」という将来・老後への不安が、ふとよぎることも――「孤独」が胸に重くのしかかってくるのは、こんなときです。

一般にマイナスのイメージで語られることの多い「孤独」――しかし仏教では、「孤独」は恐れるものではない。孤独は「使いみち次第」で、幸福な時間に変えることができる、と考えます。

独立派の出家僧・草薙龍瞬氏(近著に『これも修行のうち。』がある)が、孤独を「人生の最強の味方」に変える方法を語ります。


「あなた、孤独ですね」といわれて、気持ちいい人はいないですよね。むしろ、ショックを受ける人が大半だと思います。

「孤独」は「人に好かれていない」証拠。人づきあいの希薄な自分には「価値がない」。何より「他人にそう思われることがイヤだ」――人が孤独を恐れることには、そんな心理が隠れている気がします。

はて、しかし? 一般常識にとらわれない自由人・ブッダなら、どう考えるでしょうか。きっと明るくこう答えるはずです――「ぜんぜん良いではありませんか」。

その真意は、「よいか悪いかは“孤独の使い方”による」ということ。今回は、孤独の「合理的な活かし方」を考えてみましょう。

孤独を「上手に使う」方法がある

そもそもなぜ「孤独」には、つらくて寂しいイメージがあるのでしょうか?

・話を聞いてくれる友だちがいない。思いを、ひとりで噛みしめないといけない――というつらさ。

・友だちの多い「ソーシャルな」人が大勢いる。リアルな人づきあいも、ネット上のつながりも、「こんなに頑張っている!」(ように見える)人たち。でも私は……というつらさ。

さらには、

・自分には、恋人も、結婚相手もいない……ということは、自分には魅力がないということ?(と考えてしまう)。

・このまま独りで年を取っていくのかと思うと、不安・寂しさが募ってくる。

といった思いもあります。こうした思いが、「孤独はよくないもの」というマイナスのイメージ(判断)を作り出しているように思えます。

しかし、「孤独」とは、本当につらいものなのでしょうか。仏教では、①ありのままの「事実」と、②それ以外の「妄想」とを、分けて理解します。

「つらい」と感じるのはなぜか

「孤独」と呼ばれる状態を、まずは「事実」として理解してみましょう。たとえば、

・世の中には、孤独に生きている生き物はたくさんいる(むしろそっちのほうが多数かもしれない)のが「事実」――なのに、自分は孤独をつらく感じている。

・そもそも、ひとは、脳も体も違う。個体としては、独りであることが、普遍的な「事実」――なのに、私は孤独を苦しく感じている。

・本来、ネット上のお付き合いなんて、なくても生きていけた(問題なかった)というのが「事実」――なのに、今はどっぷり浸かって、期待通りのリアクションが返ってこないことへのストレスや、振り向いてもらえない寂しさを感じている。

「事実」だけを見てみたら、孤独というのは、案外ふつうの状態です。なのに、「つらい」と感じるのはなぜか――その原因になっているのは「客観的に存在せず、アタマの中にしかない思い」です。つまりそれは、「妄想」だということになります。

つまり、「孤独がつらい」というのは、妄想が生み出す“ちょっとした心の風邪”といっていいかもしれないのです。

「孤独って、妄想なの?」――この発想が、ちょっと違った展開を人生にもたらしてくれます。

【孤独病からの抜け出し方①――とにかく「妄想しない練習」をする】

「孤独は妄想」だとしたら、孤独に悩まなくなるには、「妄想しない練習」が一番効きます。その方法を、いくつか紹介しましょう。

○まずは、「目をつむる」

目を閉じて、アタマの中に浮かんでくる「言葉」や「イメージ」に気づいてください。「目をつむったときに見えるものは、妄想である」と理解します。

「ああ、いま自分は考えているな。何かを追いかけようとしているな」と自覚しましょう。それは「妄想状態」です。

「相手のリアクションが欲しい」「他人の動向が気になる」というのも、「これは妄想」と理解します。「自分って、孤独だな(さみしい)」という思いがふとよぎった時にも、「あ、妄想した」と気づいてください。

できればその上で、深呼吸して「お腹のふくらみ・ちぢみ」を感じとる、歩いているときの「足の裏」を感じとる、目を開いて外の景色・光をよく見つめる――というように、心を向ける先をシフトしてください。

ポイントは「妄想状態に気づいて、体の感覚に意識を向けかえる」ことです。

○孤独こそが“人生の基本”と知る

目をつむったとき、外の世界は見えなくなりますね。仕事も家庭も、社会の動きも、「お付き合いすべき相手」も、その瞬間は、いなくなります。

実は、その「何も見えない(存在しない)」状態こそが、心の基本です。人は、得てして「外の関係」――世間の付き合い・つながり――ばかりに心を奪われがち。しかし、実は「心」――外の世界(関係)とは、別の領域――が、最初に存在するのです。

ひとりでいる自分の心が、基本。

つながり・関わりは、「心」の次にくる“さずかりもの”ということです。

【孤独病からの抜け方②――他人の動向を追いかけない】

「ひとりでいる自分の心」が基本だとすると、周りの人たちの言動や、世間のうわさ話やニュースなど、外の世界・他人の動向は、「おまけ」の部分です。

「おまけ」の部分は、追いかける必要のない「他人事(ひとごと)」であることが多いものです。知ったところで、「へぇ、そうなんだ」「だから何なんだ?」という話がけっこうあります。

「だから何なんだ?」というオマケの部分に振り回されているのは、もったいない話です。

そこで、「基本」と「おまけ」に分けるという発想に立ちましょう。他人の動向は、「自分に必要な情報か、それとも“おまけ”でしかないのか?」と考えてみるのです。

おまけの部分は、時間が空いたとき、ちょっとリラックスしたいときに“時間を決めて”お付き合いする程度のもの。「なくても平気」でいられる自分を、心がけていきたいものです。

つながりは、別の世界にもある

ちなみに、「つながり」だけなら、人間でなくても手に入ります。動物を可愛がる。夜空の星々を見上げる。仮に真夜中に深い森にさまよいこんだとしても、頭上には星々が輝き、木々の緑は呼吸し、大地には無数の命が活動しています。

どこまでも見渡すかぎり命(つながり)の中にある――というのが、仏教が教えてくれる真実です。

孤独は、まったく恐れるものではないのです。

【孤独病からの抜け出し方③――沈黙タイムを保つ】

独りに慣れるために“沈黙タイム”を積極的に作りましょう。

たとえば、仕事帰りや、休日の午後に、ひとりで喫茶店にいって本を読むとか、禅瞑想をするとか。

ほんとは職場でも「沈黙タイム」を作ってみるべきなのです。たとえば、「午後の一時間は、互いに話しかけずに作業に集中する」ことをルールに据えるとか。

ちなみに、古代のインドの修行者たちは「孤独こそ大の親友」という超ポジティブな生き方をしていました。原始仏典に、こんな言葉が残っています――
「三年の間、私が言葉を発したのは、一回だけ。その最後に“無知の闇”――自分の心が見えない状態――を打ち破った」
<「テーラガーター(長老の詩)」より>

極端な話ですが(笑)、それくらい「沈黙=孤独は、心を成長させてくれる」ということです。

【孤独の積極的価値を知る】

孤独だからこそ得られる“積極的な価値”も、たくさんあります。たとえば……

○ムダな反応が減る

独りになることで、ムダな反応は、確実に減ります。心をかき乱すような刺激・情報・他人の目に、いちいち反応しなくてすみます。

これは「心の平穏」という、心にとって何よりも大事な価値――“心の健康”――を、もたらしてくれます。

○大事な物事に集中できる

心が落ち着けば、大切な物事に集中できるようになります。仕事であれ、勉強であれ、趣味であれ、家事であれ、「いっときに、ひとつのことを、集中してやる」ことが、心にとっては、一番の快(すっきりした喜び)なのです。

○ムダなく考えられるようになる

さらに、当面の課題や、将来のゴールを達成するために、自分は何をすればいいか。予定、段取り、交渉、具体的な作業……それらを「正しく(ムダなく)考える」ために、独りの時間は、大切な意味を持ちます。

孤独こそは人生の基本です。そのひとときを、いかに、充実・静寂・集中・クリアな思考などの高い価値に活用するか――そこに目を向けようではないですか。
孤独を人生の味方につけよう

もともと、ブッダの合理的な考え方では、孤独を大事にします。
「犀の一本角のように、ただひとり歩め」
「自らをよりどころとし、ダンマ(真実・方法)をよりどころとして、他の何ものをもよりどころにするな」

つまりは、自分自身の中に「こういう心がけ・心の使い方が大事なんだ」という確かな土台をすえて、そこだけに立って、ひとり毅然と歩んでいけ、というのです。

ひとり歩むというのは、孤立ではありません。むしろ自分にとって本当に大切なつながり・生活・将来を見据えて、それを守ることを第一とする生き方です。

孤独とつながりは、両立できます。孤独――自分自身を軸とすること――が基本であって、その上でいい関係を“さずかって”(育てて)いくのです。

孤独は、孤独としての活かし方がある。孤独だからこその幸せもある。そういう考え方ができれば、孤独は、恐いものではなくなります。

孤独にあっても、つながりの中にいても、自分を肯定できること――それがカギになります。

そのための“心の使い方”を学んでいきましょう。楽しいですよ。

[東洋経済ONLINE]

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Posted by nob : 2016年10月28日 11:18