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歳を重ねていく愉しさ。。。
■年齢を重ねても「むなしくならない」働き方とは?
水産業界にIT技術による新しい流通プラットフォームを再構築し、注目されるフーディソン。卸売市場にある魚や産地で水揚げされた魚をデータベース化し、スマホから簡単に注文できるシステムの開発などを手掛けている。
社長の山本 徹氏は、不動産や介護などの業界に携わってきたが、水産業が置かれている状況の厳しさに触れたことから同社を起業。「世界の食をもっと楽しく」というミッションを掲げている。そんな山本氏の働き方は、これからのキャリアに悩む若手ビジネスパーソンにも刺激を与えてくれるかもしれない。
●学生時代の恩人の死が生き方と向き合う転機に
山本氏が仕事を選ぶうえで大事にしてきたのは、「人生の終わりを意識すること」だという。命が尽きる瞬間までに自分はどうなっていたいのか? そう考えれば、自ずと答えは出ると考えている。
「仕事に不満を感じている人に、『そもそも、どうなりたいの?』って聞くと、答えられないことがほとんど。それを決めることから逃げているケースが多いのかなって思います。人生には終わりがあるから、ラストを決めていないと走りようがないはずなんですけどね。キャリアに行き詰まってしまう根本の原因は、そもそも自分のなりたい姿について悩んでいないことなんじゃないでしょうか」
そう語る山本氏自身も自然とこうした考えに至ったわけではない。12年前、大きな転機があった。
「自分の結婚式に、10代の頃からお世話になっていた北海道の老夫婦を招待したのですが、おじいさんが式の1週間前に亡くなってしまっていたんです。その人は、大学受験の際に親切にしていただいてから交流が始まり、ご飯をご馳走になったり家電をプレゼントしてくれたりと、赤の他人なのに実の祖父母のように接してくれた恩人でした。感謝の気持ちを伝えようと招待したけど、間に合わなかった。人生ってこんなふうに“終わっちゃう”んだと。それが人生の終わりを考えながら行動するきっかけになりましたね」
●「今の働き方は、満ち足りています」 死ぬまで達成されないミッションとは
また山本氏は、ビジネスマンの働き方について、内面の成長と老いの“逆回転の相関”を踏まえることが大事だと語る。
「年をとると体力が落ち、能力的にもやれないことがどんどん増える。であれば、“自分が関わることで社会が今より良くなっていく”という感覚を持つことで、ひいては自分の幸せも担保されるようになるのではないでしょうか。僕は“世界がより良くなること”にコミットしています。自分がそこに関与していると、老いて死に向かう過程でも、世界を良い方向に変えている感覚を持つことができる。それって幸せかもしれないって思ったんですね」
山本氏のミッションは“世界の食をもっと楽しくする”というものだ。
「たとえば、今までより魚が美味しくなったり、安く叩き売りされている魚が適正価格になって産地の人が豊かになったりすること。そういう方向に向かうよう人生をかけて取り組んでいる今の働き方は、とても満ち足りています。
僕はどの業界で仕事をするか、という点にはあまりこだわりはありません。大事なのは自分が介在することで差を生み出せるかどうか。それが水産業界でした。もともと漁業にまったく縁がなかった僕が、岩手で出会った漁師に漁業の現状を聞くなかで『これだ!』って思えた。僕のミッションには終わりがなく、きっと死ぬまで成し遂げられないでしょう。でも、だからこそ“今より良くなり続ける”イメージは持てる。そんな仕事ができていることが幸せです」
(末吉陽子/やじろべえ)
[R25]
■樹木希林、家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」
老夫婦の素敵な暮らしを描いた映画『人生フルーツ』でナレーションを担当した樹木希林さん。ご自分の人生には、どんな果実を思い描いているのだろうか。長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる夫・内田裕也さんとの葛藤、娘と本木雅弘さんとの生活、そして自身の今後について語ってくれた。
☆ ☆ ☆
「私、女性週刊誌に出るのが嫌いなのよね。売るために面白いタイトルをつけるじゃない? 書かれるほうはつらいのよ」
“週刊女性です”と名乗ったスタッフに、いきなりカウンターパンチをくださったのは樹木希林さん(73)。
「若いころ、マスコミから逃げ回っていたことがあるんだけど。夫に“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”って言われてね。あれで、たまにはいいこと言うのよ。私も作り手なら、気をひくタイトルをつけちゃうだろうしね」
とフォローもあって、その押し引きは絶妙─。
「何かあるたびに、ここで記者会見を開くことになっちゃってるのよね(笑)」
という、渋谷区にあるご自宅の応接間には、モノは持たない主義ということでグランドピアノと最小限の家具しかない。その中で、ひときわ目立つ木製のテーブルは平幹二朗さんが使っていたものを、人づてにもらったのだとか。
「だから、何か事件があってうちで会見をするたびに平さんが“僕のテーブルが映ってる”と言ってたそうなんですよ(笑)。直接面識はなかったけど、魅力的な方でしたね。肺がんにかかられたのに、最期まで立派な役者として生きられて……」
杖はどこいった? じゃ、夫婦ゲンカにもならない
自身もがんを患いながら仕事を続けている希林さんは、1月2日に公開された映画『人生フルーツ』でナレーションを担当。完成品を見たプロデューサーが、
「地上と天空の間から発せられるような見事なナレーション。これは、呪文だ」
と驚嘆したほどの、沁(し)みる声だった。
「渡された台本を下読みもせずに、ただ読んだだけ。まぁ、60年近く声で人を騙(だま)してきてるからね(笑)。ナレーションはセリフを覚えなくていいからラクだと思ってたのに、年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。もう限界だと、スタッフには言ってるんだけど」
映画で描かれているのは90歳の夫・津端修一さんと、87歳の妻・英子さんの暮らしと人生。建築家の夫が建てた丸太小屋に住み、雑木林と畑で育てた約70種類の野菜と50種類の果物を季節に応じて収穫し、妻が丁寧に作った料理を、ふたりで食べる。お互いに“さん”づけで呼び、ほぼ自給自足の生活を支え合い、ゆっくり豊かな時間を過ごしている。そんな夫婦に、やがて別れの時が訪れ─。
「英子さんは可愛らしい人でね。映画が完成した後、初めてお会いして一緒に居酒屋に行ったんですけど、いいエネルギーに満ちあふれていた。ああいう女性は、修一さんのようないい旦那さんがちゃんと来るのね。散らかさなくてつつましくて始末がよくて、でも大胆なところもある旦那さんで、本当に素敵なご夫婦。
映画を見て“こんな人生を歩めたら言うことなし”だって、みんなそう思うんじゃない? もちろん、その人生がうらやましいとか、自分の人生がイヤだとか、そういうことはないのよ。でも、それはそれ。こういうふうな道しか歩けない私は私。だけど、津端さんのような人生も見事だなぁと思いますね」
反骨のロックンローラー・内田裕也さんとの結婚生活は43年になる。
“私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った”という相手。警察ざたになるほど大ゲンカをしたこともあるし、離婚しかけたこともある。しかし、長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる。
「うちは年をとっても若いときと変わらない。性格がまったく同じだから、何を考えてるか読み取れるし、争いにもなる。ただ、最近は年とってきてエネルギーがなくなったからケンカしなくなっただけ。“この野郎!”となっても、“杖はどこいった?”じゃどうしようもない。そのうちに“面倒くさいかぁ”で終わり。別に仲よくなったわけじゃないのよ。
『人生フルーツ』の英子さんは旦那さんのことを“年とっていい顔になった”と言ってるんだけど、うちは両方ともそんな境地じゃないわね。たまに顔を見ると“この人、昔はもうちょっと男前だったのに。どうしてこうなっちゃったのかなぁ”なんて思うもの。それはお互いだろうけど、決していい顔にはなってない。むしろ“奇っ怪(きっかい)”。とんでもないキャラクター商品って感じ(笑)」
30歳のときに出産したが、子育ても希林さん流だったという。
「私は、相手の気持ちに入り込むのが面倒くさいの。一歩引いてるというか。子育てもそう。例えばケーキをもらったら、私はまず自分が好きなのを取っちゃう。娘に“どれがいい?”と言って先に選ばせるなんてこと絶対にしない。だから、早く嫁に行ったんじゃない? きっとうちが居心地悪かったんだと思う」
娘の也哉子さんは19歳のとき、俳優の本木雅弘さんと結婚。長らく二世帯で同居し、3人の孫にも恵まれた。
「今、娘一家はイギリスに行っちゃったけど、それまではうちの上に住んでました。家族円満に見える? なんかねぇ。円満になっちゃったのよね。最初はそうじゃなかったのよ。本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかったし。ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね。
別に我慢や無理はしてないですよ。ああ、そうなんだ、この人はこういう性格なんだと思うだけで、どうこうしようと思わない。それは子どもや孫に対しても同じ。まぁ、二世帯住宅で、台所も玄関も違うし、まったく会わない日がいっぱいあった。距離がおける暮らしだから、やってこれたんでしょうね」
同居しているときから、自分のことは自分でする主義。石けんはひとつしか持たず、それで身体も食器も衣服も洗う。お経をあげるのと、掃除をするのが日課だそうだ。仕事もマネージャーはつけず、ひとりで現場に向かう。
「病気してからも普通に食べるし飲むし。無理してる感じはないのよね。年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。もともと少欲なの。仕事については、基本的に来た順番に引き受けているだけ。あまり先のことだと、わからないからお断りすることもあるけどね」
最期ぐらいは花を持たせてあげないと
『人生フルーツ』では、夫と最期のお別れをするシーンがあるが、希林さん自身の人生の最期には、裕也さんが歌う『朝日のあたる家』を聴いて逝(い)きたいという。
「最期ぐらいは花を持たせてあげないと、怒るだろうと思って。まぁ、歌自体がいい歌だしね。私が先にボケると信じてるので、もし、裕也さんが最期に駆けつけてくれたら、“まぁ、ご親切にしていただいて。……ところでおたくどちらさま?”と言って死ぬのが理想なんですよ。ただ、本当は向こうが先に逝かないとあとが困るかなぁという心配もあるんですけどね。向こうは向こうで“おまえ、ハンコのあり場所だけはちゃんとしとけよ”って言ってるから、自分のほうが長く生きるつもりらしいですよ」
というところで、取材時間終了。この後は、映画宣伝のため、自分で戸締まりして出かけることになっている。
「『週刊女性』としては、こんな話じゃもの足りないんじゃない? もっと中吊り広告のタイトルになるようなこと言えばよかったわね(笑)」
女性週刊誌が嫌いと言いながら、キャッチになる言葉もけっこうしれっと語ってくれた、サービス精神旺盛な希林さんだった。
◎取材・文/伊藤愛子
[週刊女性PRIME]
Posted by nob : 2017年01月12日 16:30