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また星が一つ流れた。。。

■忌野清志郎さん死去=RCサクセション率いた「ロックの神様」

 RCサクセションの中心メンバーとして活躍、「雨あがりの夜空に」などのヒット曲で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日午前零時51分、がん性リンパ管症のため、東京都内の病院で死去した。58歳だった。東京都出身。葬儀は9日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻栗原景子(くりはら・けいこ)さん。

 1968年にRCサクセションを結成。70年、「宝くじは買わない」でデビューした。「僕の好きな先生」「い・け・な・いルージュマジック」などが大ヒット。「ロックの神様」と呼ばれ、CM、映画などでも活躍した。

 政治的なメッセージを織り込んだ曲も歌い、反原発を取り扱ったアルバム「COVERS」や、パンクロック風にした「君が代」を含む「冬の十字架」が一時発売中止になった。

 2006年7月に喉頭(こうとう)がんで入院したが、08年2月、日本武道館公演で復活。しかし、7月に転移が判明し、治療に専念していた。

[時事通信]


■清志郎さん密葬に恩師「ゆっくり休め」

 2日にがん性リンパ管症のため58歳で亡くなったロック歌手忌野清志郎さんの密葬が3日、都内の寺院で営まれた。RCサクセションの盟友、仲井戸麗市(58)、親友の三浦友和(57)、共演した坂本龍一(57)井上陽水(60)竹中直人(53)らが悲しみに暮れる中、RCの最初のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルで都立日野高の担任教師、小林晴雄さん(77)が参列した。葬儀、告別式は9日正午から、東京・青山葬儀場で営まれる。喪主は妻栗原景子(くりはら・けいこ)さん。

 この日午後4時4分、都内の自宅から清志郎さんの遺体を運ぶ車が、密葬会場に向けて出発すると、晴天の上空に虹が2本アーチを架けた。雨上がりの空でもないのに…。気象庁に問い合わせても「極めて珍しい」という現象は、カラフルなメークと衣装で観客を酔わせた「清志郎ルック」の名残のようだった。

 ひつぎの清志郎さんは喉頭(こうとう)がんを克服して行った08年の日本武道館公演で着用した、関係者が「これしかない」というピンクのスーツを着ていた。場内に清志郎さんの歌が流れ、遺影はほほ笑んでいた。午後6時から近親者のみの密葬に親交の深い友人たちも参列した。RCサクセションのギタリストで第一の親友仲井戸は、沈んだ表情をサングラスで隠した。坂本も陽水も竹中も険しい顔つきで言葉はなかった。

 悲しみの中、松葉づえをつきながら、清志郎さんに別れを告げたのは日野高3年時の担任教師、小林先生だった。フォークバンド時代のRCが、初めて飛ばしたヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった美術教師だ。かつて漫画家や画家を目指した清志郎さんが同曲で「劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれたちっとも先生らしくない ぼくの好きな先生」と歌った小林先生は柔和な笑顔で「実際は苦しんだか分からないけれど、穏やかに逝った顔だったよ」と、語り始めた。

 高校を卒業して40年。清志郎さんが慕い続け、最後まで親交が深かった。2月の同高美術部の「OB展」が、最後の対面となった。「病気があるから、元気なうちにゆっくり話したかったようだ。回復しているように見えたんだけどなぁ…」と無念がポロリとこぼれた。

 清志郎さんは目立たない生徒だったが気遣いを忘れず「レコードを出したときもね。(モデルにして)『先生に迷惑かけちゃったかなぁ』って気にしていたよ」と振り返った。職員室より教室でキャンバスに向かうことが多かった小林先生は、体制にこびないパフォーマンスを繰り返した清志郎さんの原点だったに違いない。恩師が当時の顔を思い出しながら「よく頑張った。ゆっくり休め」と、ひつぎの教え子に語りかけるころ、虹が映えた青空に夜のとばりがおりていた。

[日刊スポーツ/4日追加]


■清志郎さん 眠るように天国へ旅立っていった

 2日にがん性リンパ管症のため、58歳で亡くなったロック歌手、忌野清志郎さん(本名・栗原清志)の通夜が3日、都内の寺院でしめやかに密葬形式で営まれ、親族をはじめ、芸能界からもRCサクセションの盟友、チャボこと仲井戸麗市、坂本龍一、井上陽水、竹中直人ら約120人が参列し、早すぎる死を惜しんだ。2日に天国へと旅立った際には、近親者に見守られ、静かに息を引き取ったという。

  ◇  ◇

 「愛しあってるかい?」-。そんな声が今にも聞こえそうだった。祭壇の中央には、スーツ姿で満面の笑みを浮かべる清志郎さんの遺影。その周りには、カラフルな花が飾られ、2006年10月にリリースしたアルバム「夢助」が流れる中、無宗教形式で行われた通夜の参列者は、それぞれ花を手向けた。

 清志郎さんは、景子夫人ら約10人の近親者に見守られ、眠るように息を引き取った。「すぐに起きてくるよ」-。58歳という若さで天へと昇ってしまった、清志郎さんの安らかな顔を見て、親族からはそんな声がこぼれたという。

 通夜への参列者も、その早すぎる死を受け入れられなかった。清志郎さんとともにRCサクセションとして「雨あがりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」などのヒットを世に送り出した仲井戸は、表情を硬くしたまま、コメントすることなく足早に斎場を去った。

 ファンは、06年7月にのどに見つかったがんとの闘いを終えた清志郎さんが一時帰宅した東京・渋谷区の自宅マンションにも駆けつけ、冥福を祈った。

 この日は報道陣の取材を受け付けることなく、親族は清志郎さんと最後の時を過ごした。4日に行われる葬儀も、遺族の意向で親族による密葬形式で営むため、芸能関係者の問い合わせに対しても、9日に東京・青山葬儀所で執り行う葬儀告別式への参加をお願いしているという。

[デイリースポーツ/4日追加]


■清志郎の死 悲しみの声相次ぐ 「信じない」「泣いて走った」

 ロックバンドRCサクセションのボーカルとしてヒットを放った歌手の忌野清志郎さんが、がん性リンパ管症のため58歳で亡くなって一夜明けた3日、関係者からの悲しみの声が相次いで寄せられた。

 忌野さんの遺体は3日、遺体が安置されている自宅マンションから、通夜・密葬が執り行われる葬儀所へと向かった。

 忌野さんのマンションの地下駐車場には、午後3時すぎに霊きゅう車が到着。午後4時すぎに知人や関係者らが一斉に入り口に整列すると、忌野さんを乗せた霊きゅう車が出庫した。

 密葬会場には、忌野さんと親交の深かった俳優の竹中直人(53)や三浦友和(57)、RCサクセションのメンバー、仲井戸“CHABO”麗市(58)、忌野さんの「い・け・な・いルージュマジック」を手掛けた音楽家の坂本龍一(57)らが沈痛な表情で続々と弔問に訪れた。

 また、RCサクセションのヒット曲「ぼくの好きな先生」(72年)のモデルとなった、忌野さんの母校・東京都立日野高校の元美術教師、小林晴雄さんの姿も。高校時代の忌野さんについて「特別な生徒じゃなかったですよ。出席状況はよくなかったですけど」と振り返りながら、「2月に会ったのが最後。実際に病院に行って『もう大丈夫』と言っていたのに…」と唇をかんだ。

◆師匠のよう

 俳優でシンガー・ソングライターの泉谷しげる(60)が3日、東京都内で行われた動画サイト『泉谷しげるのコラコラ放送局』の開局を記念した会見に出席。会見冒頭に、死去した忌野清志郎さんについて自ら切り出し、「おれとしては信じがたい。信じていません。通夜も告別式も行きません」とまくしたて、「恩返ししてないのに先に逝くんじゃねー!」と悲しい怒りを口にした。

 忌野さんとは約40年の付き合いという泉谷は、「あいつの死は受け止められない。似合わないでしょ? 僕の中では永遠だし、死なせません」。もともとRCサクセションの大ファンだったという泉谷は「あいつがいておれが出れた、というぐらいに世話になった。年下だけど、尊敬してて、師匠のようだった」と忌野さんを“天才”と評した。

◆歌い継ぐ

 THE ALFEEの坂崎幸之助(55)の話 2日は仙台でコンサートを行っていました。実は自分の父親もがんで闘病をしていましたが、コンサートのアンコール中に容体急変の知らせを受け、終演後、最終の新幹線に飛び乗りました。残念ながら、僕の到着を待たずに父親は逝ってしまいました。その直後、携帯メールに清志郎さんの訃報のニュースが飛び込んできたのです。この日は僕にとって、とても大切な人を、2人同時になくしてしまった、生涯忘れられない日になりました。

 清志郎さんの死は残念でなりません。ただ、彼が残してくれた素晴らしい楽曲という宝物を、これからもみんなで歌い継いでいければと思います。清志郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。

◆応援歌聴く

 ヨットやマラソンなどで地球を一周する「アースマラソン」に挑戦中のタレント間寛平(59)は昨年、忌野さんから応援歌を作詞作曲してもらっていた。その間が3日付の自身のブログで忌野さんへの思いをつづった。

 「昨日、アメリカのカンザス州に入ったところで、嫁からの電話で清志郎さんの訃報(ふほう)を聞きました。その後、一日走りながらも涙が止まりませんでした。清志郎さんは、僕みたいなお笑いの人間にも友達のように本当によくしてくれた素晴らしい方でした。この地球1周の挑戦が無事に成功した時に、本当に恩返しをしたかった方の一人でした。今は頑張って走り続け、この挑戦を成功させることが、清志郎さんへの恩返しになると思っています。明日も清志郎さんに頂いた応援歌を聴きながら走ります」

 ◆忌野清志郎さんの一般の弔問を受け付ける告別式 9日午後1時から東京都港区南青山2−33−20、青山葬儀所で。喪主は妻栗原景子(くりはら・けいこ)さん。

[中日スポーツ/4日追加]

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Posted by nob : 2009年05月03日 23:59