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自らに厳しい者は自ら命を絶たない、、、生き抜くことこそ厳しさの第一歩。。。

■加藤和彦さん密葬 「自分への厳しさか」先駆者の面影しのぶ

 「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」など数多くの名曲を手がけ、17日朝に亡くなっているのが見つかった音楽プロデューサー、加藤和彦さん(享年62)の突然の死は、音楽関係者に深い悲しみをもたらしている。19日には密葬が営まれ、友人や関係者らが日本のポップスの開拓者として時代の先頭を走り続けた音楽家の面影をしのんだ。

 密葬が行われた東京都目黒区の碑文谷会館には、つのだ☆ひろさんや高橋幸宏さんら、加藤さんが率いたロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」の元メンバーをはじめ、音楽ユニット「和幸(かずこう)」を一緒に組んでいた「THE ALFEE」の坂崎幸之助さん、歌手のかまやつひろしさんら音楽仲間が次々に姿を見せた。参列者の中には、歌舞伎俳優の市川猿之助さんや市川右近さんらも駆けつけ、生前の故人の交友関係の幅広さをしのばせた。

 午後1時に始まった密葬は、50分ごろには終了。出棺を数十人の参列者が見送った。つのださんは目に涙を浮かべながら「語ることはないです。ちょっと、今日、もう、語ることはありません…」と言葉少なに車に乗り込んだ。

 歌舞伎で一緒に仕事をしたという松竹の役員によると、会場内には祭壇はなく、遺書をパネルにしてはってあった。遺書は、自分が実際に作っていた音楽がこの世に必要だったのかといった、疑問を投げかける内容だったという。「参列者の方が最後に、加藤さんの中には厳しい面と優しい面の二人がいて、その厳しさとは自分にも厳しくすべきだ、ということをしたための死だったのかな、と話していました。白い花に囲まれ、気持ちよさそうでした。穏やかなお顔でした。献花だけでしたが、(故人の人柄を表すような)優しい会でしたね」と振り返った。

 関係者によると、お別れの会を後日、開くことにしているという。

[産経新聞]


■【加藤和彦さん死去】吉田拓郎がメッセージ「僕は僕で生きていく」

 7月の“最後のコンサートツアー”を体調不良で休止した歌手、吉田拓郎(63)が19日、ニッポン放送「松本ひでお 飯田浩司 ショウアップナイターバッテリー」(20日午後8時)の収録で、加藤和彦さんにメッセージを寄せた。

 「『日本の若者のポップシーン』を作ったさきがけとなったのは、フォーク・クルセダーズであり、加藤和彦に間違いない。ギターが本当にうまい。指が長いので、俺たちが不可能な指が届いているから、やわらかく弾く。天才肌のセンスとテクニックをもった男・加藤和彦、永遠なれ」

 また、拓郎は自身の体調について「ツアー中止の時が30%だとしたら、今は100%に戻った。元気が出てきたし、やりたいことも出てきている。僕は僕で生きていく」とコメントした。

 20日にはニッポン放送の特別番組「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」(午後10時)に出演。11月11日には、7月4日の東京公演をノーカットで収録した3枚組CDが発売される。

[産経新聞]


■加藤さんの歌を絶やさないよう、みなさん長生きして

 17日に長野県軽井沢町のホテルで首をつり死亡しているのが見つかった音楽家の加藤和彦=かとう・かずひこ=さん(享年62)の密葬が19日、都内の斎場で営まれた。「葬式はいらない」との遺志を尊重し僧侶による読経はなかったが、棺のそばに「遺書」が飾られた。「ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)」で活動をともにした精神科医の北山修=アーティスト名・きたやまおさむ=(63)が別れのあいさつをした。

 盟友の死にただただ涙に暮れていた北山。参列者によると、出棺前に「加藤さんの中には2人の人間がいた。1人はいつも優しくてニコニコしている人。もう1人は厳しくて完ぺき主義で怖い人。この2人のうち厳しい人が自らの命を絶たせてしまったんだと思う」と話した。さらに「こんな死に方…。いつも仲間の言うことを聞いてくれたのに最後は聞いてくれなかった」と悔やんだ。

 北山は65年のフォークル結成当時からのオリジナルメンバー。盟友として精神科医として、自殺を食い止められなかった無念さがにじんだ。参列者からはすすり泣く声が漏れたが、北山は「加藤さんの歌を絶やさないよう、みなさん長生きしてください」と懸命に呼びかけた。

 加藤さんが生前、友人に送った手紙には「葬式はいらない」との一文があったが、北山やスタッフらが「最後の別れを」と望んで営んだ。せめて故人の遺志をくもうと、祭壇はなく読経もなし。会場に音楽も流されなかった。参列者は棺のそばに白いカーネーションを献花した。

 棺の近くには、自殺したホテルで見つかった遺書がパネルに張られて置かれた。参列した男性(72)によると、「これまでに作ってきた音楽というものが本当に必要だったのか」「生きていたくない」などと直筆で書かれていた。音楽制作で行き詰まったことが自殺の原因の一つとされており、関係者は「この遺書はすべての人に対するメッセージ。親しい人には伝えるべきだろうと思って展示させていただいた」と説明した。

 棺には愛用の眼鏡とお気に入りだったグレーのスーツが納められた。遺書の傍らには「最近、プロのカメラマンに撮ってもらった」(関係者)という遺影。出棺時には約5年間、事実上の夫婦関係にあった女性(34)がしっかりと抱えていた。密葬は約50分に及び、その後、都内でだびに付された。

[スポニチ]


■加藤和彦さん密葬…遺産は内縁の妻に

 17日に長野県・軽井沢町で首をつり死亡した音楽家・加藤和彦さん(62)の密葬が19日、都内の斎場で営まれ、「ザ・フォーク・クルセダーズ」でともに活動した精神科医・北山修氏(63)や高橋幸宏(57)、坂崎幸之助(55)ら親しい友人のみ約100人が涙で別れを惜しんだ。

 参列者によると、葬儀は、ひつぎの隣に台を置き、遺書のコピーと遺影を配置しただけの「本当に質素な式」。加藤さんの楽曲が流されることもなく、参列者たちは白いカーネーションを献花し、静かに故人に最後の別れを告げた。手書きの遺書には、きれいな字で「本当に世の中は音楽を必要としているのだろうか?」とつづられており、「“死にたい”というより“生きていたくない”という感じだった」(参列者)という。式の最後には北山氏が「加藤君の音楽に対する厳しい面が自分にむいてしまったのかもしれない…」とあいさつ。歌舞伎俳優・市川猿之助(69)がメッセージ入り色紙をひつぎに納めた。出棺時に遺影を持ったのは、3年ほど前から加藤さんの事実上の妻だった一般の女性(34)。関係者によると、加藤さんの遺産は女性が相続する方向という。

[デイリースポーツオンライン]

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Posted by nob : 2009年10月20日 23:42