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過去に学び同じ過ちを繰り返さない、、、本来なら最も基本的な誰にでもできること。。。
■チェルノブイリからフクシマへ「同じ道たどらないで」
事故発生から満25年を26日に迎える旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発。廃炉のために運転を全面停止するスイッチを操作した職員は、「チェルノブイリは長いこと忘れられていた。フクシマは絶対に同じような道をたどって欲しくない」と訴える。
セルゲイ・バシトーボイさん(40)。現在は広報担当者として、チェルノブイリ原発でなお働く。くしくも、チェルノブイリの1号炉を始動させたのが、やはり原発職員だった父のアレクセイさん(67)だ。
息子のバシトーボイさんは原発の町プリピャチで育った。事故当日は、インフルエンザで学校を休み、自室で寝ていて、窓越しに原発の上空に煙が上がるのを見た。父は当時、4号炉で燃料棒の交換作業などの担当だったが、この日は休み。別の同僚が被曝(ひばく)して亡くなった。
父の影響で原発で働くことを決心したバシトーボイさんは、ロシアの大学で物理学を学んだ。ふるさとへの思いは強く、ほかの就職先を蹴ってチェルノブイリ原発を選んだ。
2000年12月15日。事故後も唯一稼働していた3号炉の制御室で、多くの同僚職員が見守る中、バシトーボイさんが停止スイッチをひねった。同原発で「最後の火」が消えた。始動させた父と、停止させた息子。親子とも、たまたま当番が回ってきて果たした役割だった。
現場の人間として、老朽化した原発がどれほど危険かは理解していた。でも、自分を含めた5千人以上の職員の雇用が失われていくことがつらかった。「勤務は交代制。同じ顔ぶれと長い時間働いていて、みんな家族のようだった」
バシトーボイさんは、福島第一原発について、こう気遣う。「一番大変なのは、今、事故の拡大を食い止めようと現場でもがいている末端の作業員たち。彼らは本当に英雄だ。フクシマでは絶対に、チェルノブイリのような人命や健康、精神的な苦痛などの犠牲を出して欲しくない」(キエフ=関根和弘)
[朝日新聞]
■チェルノブイリ原発事故:発生25年 放射線障害、孫の代まで
◇3キロから避難、苦しむ一族 因果関係調査なし
旧ソ連・ウクライナで86年に起きたチェルノブイリ原発事故は、発生から25年となる今も深い傷痕を残している。当時の周辺住民は今なお健康被害に苦しみ、事故との関連が認められず切り捨てられる例も多い。被ばくとの因果関係がきちんと解明されていないためだ。大気中に放出された放射性物質のレベルは大きく違うとはいえ、福島第1原発事故でも周辺住民への長期にわたる健康調査と配慮が求められる。【キエフで田中洋之】
「(当時のソ連)政府は深刻な問題は起きないといっていた。それなのに……」
ウクライナの首都キエフ北東部のデスニャンスキー地区にある自宅アパートで、ナジェージュダさん(56)は孫のイリヤ君(3)を抱きしめた。次女オリガさん(32)の三男イリヤ君は心臓弁膜症とダウン症に苦しむ。オリガさんは「こちらの話すことは理解しているのですが、言葉が出ないのです」と顔を曇らせた。
25年前。ナジェージュダさんは、原発職員だった夫と娘2人と一緒に原発から約3キロ離れたプリピャチに住んでいた。原発労働者の町として建設され、当時の人口は約5万人。当時としては最先端の設備がそろい、自然も豊かで住みやすかったという。住民の平均年齢は26歳と若く、活気にあふれていた。
事故は4月26日午前1時20分ごろ起きた。「深刻な事故とは知らされず屋内退避の指示もなかった。その日は土曜日で暖かく、子供たちは日中、外で遊んでいた」。住民に避難命令が出たのは翌27日。「(健康被害を抑える)ヨウ素剤も支給されなかった」とナジェージュダさんは振り返る。
半年後に今のアパートに入ったが、しばらくして家族に健康被害が認められるようになった。別のアパートに暮らす長女レーシャさん(35)は6年前、甲状腺に異常が見つかり、手術で甲状腺を全摘出した。レーシャさんの3人の子供も病気がち。ナジェージュダさんとオリガさんも頭痛などの体調不良に悩まされてきた。
オリガさんの長男(14)は妊娠6カ月の早産で、次男(10)もぜんそくを患う。イリヤ君は病気のため幼稚園から入園を拒否された。オリガさんは「小学校にはちゃんと通えるといいのですが」と話す。
イリヤ君は病気と原発事故の関連が認定され、月に166フリブナ(約1700円)の手当を国から支給される。だが、ほかの5人の孫たちは事故と健康障害の関連が認定されず、プリピャチ出身者の子供向けの手当、月16フリブナ(約160円)しか受け取れない。被災者の医療支援を行っているウクライナの民間組織「チェルノブイリの医師たち」のニャーグ代表は「放射線と病気の因果関係の解明につながる統計や調査は、費用がかかることもあり行われていない」とウクライナ政府の対応を批判する。
ナジェージュダさんが住む地区には約2万人のプリピャチ出身者がまとまって暮らす。元住民でつくる自助組織「ゼムリャキ(同郷人たち)」は互いのきずなをつなぎとめる文化活動を続ける一方、先天的な障害をもって生まれる子供たちを救済するプログラムをつくった。だが事故から25年が経過し、スポンサー探しは難しくなっているという。ゼムリャキ代表のクラシツカヤさん(55)は「次世代の子供たちに健康被害は広がっている。チェルノブイリの悲劇は決して終わっていないのです」と話した。
◇放出続く福島 毎日154テラベクレル
国際評価でレベル7という最悪の原発事故が、四半世紀を経て東京電力福島第1原発でも発生した。
「予断を許さないという点で、チェルノブイリより深刻だ」と笠井篤・元日本原子力研究所室長は指摘する。
チェルノブイリ原発事故で放出された放射性物質は520万テラベクレル(テラは1兆倍)と推定されている。爆発で一気に放出された分、発生から約10日間でほぼ止まった。これに対し、福島第1原発事故では37万~63万テラベクレルとチェルノブイリ原発事故の約1割で、経済産業省原子力安全・保安院は「大半は原子炉内に閉じ込められている」としている。しかし、内閣府原子力安全委員会によると、事故から約1カ月後の今月5日時点で1日当たり154テラベクレルが放出されている。今も本来の冷却システムが復旧しておらず、余震による影響や水素爆発が懸念され、新たな大量放出も起こりかねない。
事故処理にも違いがある。チェルノブイリ原発はコンクリートで建屋を覆う「石棺」で放射性物質の拡散を防いだが、福島第1原発は1、3号機で格納容器全体を水で満たす「水棺」の検討が進む。東電は、原子炉の安全な状態である「冷温停止状態」まで最短6~9カ月かかるとしているが、見通しは立っていない。
福島第1原発では、がん発症率が0・5%増えるとされる100ミリシーベルトを上回る放射線を浴びた作業員は23日現在、30人に上る。被害の実態はまだ把握できないが、松本義久・東京工業大准教授(放射線生物学)は「チェルノブイリ原発事故では各国の研究機関が綿密な健康調査をした。日本政府は、住民や作業員の心身両面の健康状態を追跡する態勢を早急に確立すべきだ」と訴える。【中西拓司】
[毎日新聞]
Posted by nob : 2011年04月25日 14:46