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■「北の刑務所で850人の遺体処理した」
脱北者イ・スボクさんの証言

 「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか。私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸々と太ったネズミを見たことがあるだろうか。私はそれを毎日見掛けていた」

 脱北者のイ・スボクさん(55)=写真=は、北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。イさんは「教化所では遺体を50-60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄はほかにない」と当時の残酷な光景を思い起こした。

 イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚し、スパイとして拷問を受け、教化所に連れていかれた。イさんは「密輸犯」として、1999年6月から2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8 月に脱北し、韓国に渡った。

 イさんは1年6カ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理したと証言した。当時、全巨里教化所には最大約1200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3メートル四方で、床はセメントだった。収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま、重労働をさせられていた。

 「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日、麻袋やビニール袋に入った遺体1-2体が運ばれてきた」

 遺体は保管所に積み上げておいて、1カ月に1回ほど、火葬場にトラックで運んで処理されていた。イさんは「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」と説明した。

 イさんは21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を国家人権委員会北韓人権侵害センターに届け出た。22日で設置から100日目を迎えた同センターには、23件(申し立て人数計718人)の届け出が寄せられた。

 イさんは「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30センチにも達するネズミもいて、丸々太っていた。積み上げられた遺体は、ネズミやうじ虫に食べられて軽くなるほどだ」と語った。

 教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では、常に武装した軍人が警備に当たっており、一般の収容者は中をのぞき見ることができなかった。

 教化所では死は日常の出来事だったという。イさんは「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」と語った。

 収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。イさんは「教化所の収容者はどうせ反動分子だと思われていたたため、収容者が死ぬことを気に掛ける人はいなかった」と話した。

李錫雨(イ・ソクウ)記者

[朝鮮日報日本語版]

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Posted by nob : 2011年06月26日 02:30