« 解は盾、、、 | メイン | 前提の欠落、、、やると決めてまず始めなければ何も実現しない。。。 »

自らの納得の上にしか幸せはない、、、第三者や組織や社会といった客体的価値評価基準からは納得は生まれない。。。

■上司に理解されない! 40代の切なすぎる“最後の決断”
「出世したがる社員」だけを認める会社のアンフェア
河合 薫

 「会社を背負っていこうっていう気概を持った社員というのがいない。震災以降、一層そういった傾向が強まっている気がしてならないんです」

 先日、ある中小企業のトップの方とお話しした時に聞いた言葉である。

 「会社を背負う」……。何とも重たい言葉だ。

・出世したがらない。
・言われたことしかやらない。
・「会社のために」というロイヤルティーが感じられない。

 こういった話は、震災前からトップや中間管理職が部下たちの言動を嘆く際に、たびたび耳にしてきた。その時のターゲットといえば、20代の若手社員が圧倒的に多かった。

 ところが、「震災以降……」とこぼすこのトップによれば、「年齢に関係なく、と言いますか、40代の社員も含めて、会社(会社の仕事)を収入の手段としか考えない社員が増えている」というのである。

 仕事が収入のための手段であっても、何らおかしなことではない。だが、社員にはレイバー(労働力)として目の前の仕事をこなすのではなく、ビジネスをしてほしい。そう願ってやまないのがトップたちだ。

 「労働」ではなく、創意工夫を凝らしてより付加価値をもたらすビジネスをしてほしい。給料はそのために払っているんだ、と。

 当然、40代の社員たちはそんなことくらい理解していると思っていた。その40代までが「労働に徹しよう」と言うのか? そんな一抹の不安を震災以降に感じることが増えたそうだ。

震災で以前とは異なる風景が見え始めた

 東日本大震災は、それまで見えなかった景色と向き合う大きなきっかけとなった。仕事、家族、会社、自分の働き方、会社との付き合い方、会社における自分の居場所……。

 自分が会社をクビにならなくとも、会社そのものが跡形もなくなってしまうことがある。どんなに働きたくても、どんなに雇い続けたくても、それができない状況に突然陥ることがある。そばにいて当たり前だった家族が、一瞬にしていなくなることがある。

 以前は考えたこともなかったこんな現実を目の当たりにしたのだ。

 会社のためよりも地域のため。仕事だけでなくボランティア。仕事よりも家族。それまでの価値観が変わったことを自覚した人もいれば、何だかモヤモヤした思いを抱き続けている人もいる。それくらい「3・11」はショッキングな出来事だったのである。

 そんな社員たちの微妙な価値観の変化に気づいたトップの嗅覚は、優れている、と捉えることもできるだろう。いやいや、ひょっとするとこの方自身が、将来に対する漠然とした不安に駆られ、社員たちの言動に過敏になっているだけなのかもしれない。

 いずれにしても、私には正直、冒頭のトップの方の言っていることがよく理解できない。そもそも「会社を背負う」とはどういうことなのか?

・「収入以上の仕事をしろ!」ということなのか?
・「もっと経営者目線で働け!」ということか?
・「会社のために誠心誠意を尽くせ!」と、今さら滅私奉公を求めているのだろうか?

 会社の将来を危惧するトップの方の気持ちも、分からないわけではない。でも、「会社を背負う」とか、「会社のために」とかって、その言葉自体が思考停止ワード(関連記事:部下も、上司も、み~んな“思考停止症候群”?!のような気がして、根本的な問題がよく分からないのだ。

 そこで、今回は、「会社との関係」について、考えてみようと思う。

 「何でもっとがむしゃらになれないのか。草食化ってやつなんでしょうか? 管理職試験を受けたがらない傾向は数年前からありまして。このままじゃ、やばいぞと、管理職手当も増やしましたし、試験の回数も増やしました」

 「で、受験者は増えたんですか?」

 「少しはね。上司が引っ張り上げるような努力もしたんで、以前に比べれば意欲の高い若手も出てきました。でもね、やはりそういうタイプは圧倒的に少ない。しかも問題は40代のミドルクラスです。震災以降、明らかにモチベーションが低下している」

 「何か具体的な出来事があったんですか? 仕事をやらなくなったとか、休みがちになったとか?」

 「いやいや、さすがにそういうのはありません。でも、明らかに会社との距離を広げだした。この間も『数年後には転職しようかと思っている』と面と向かって上司に切り出した社員がいまして。放射能のことも心配だし、故郷に住む母親の近くに帰りたいとも言ったとか。ずっと働く気がないと豪語するほど、ヤル気がないのかと。何ともむなしい気持ちになりましてね」

 「御社は、終身雇用を守っているんですか?」

 「何もなければ、普通は定年まで居られますけど……」

 以上が、冒頭の経営トップの方との会話の続きである。

 繰り返すが、トップの方の不安が分からないわけではない。でも、何か話をしていて違和感を覚えてしまったのだ。

 「管理職試験を受けないことは、会社のために働いていないということなのか?」

 「数年後には転職します、と断言することは、ヤル気のない証拠なのか?」

 どうにも納得できなかったのである。

 だって、管理職になりたがらないのには、別に明白な理由がある。簡単だ。下は上を見て、物事を判断している。ただ、それだけのこと。自ら勝手にヤル気をなくしているわけではない。

 「管理職になっても何もいいことがなさそうだなぁ」と見えれば、管理職試験を受けようとは思わない。駆けずり回って、時間外だろうと何だろうとひたすら働く。そんないかにも大変そうな上司の姿を見れば、どんなに手当が増えようとも、それがその大変さに見合ったものでなければ、試験を受ける人が増えることはない。

 「管理職のくせに、何やってんだ? たいして仕事もしていないくせに、会社にしがみついて、カッコ悪いなぁ」と思うような上司がいれば、「ああいうふうにはなりたくない」と思うだろう。部下たちからは、「あんな奴いらない」と陰口をたたかれる上司たちを見ていたら、誰がヒエラルキーの階段を上りたいと思うだろうか。

出世している=仕事ができる、ではない

 それに出世している上司が、必ずしも仕事ができる人、とは限らないということに、部下たちは早くから気づいている。かなり敏感に、会社員の不条理を早い段階で見抜いているのだ。

 私も全日本空輸にCA(客室乗務員)として入社して2年目に、そのことに気がついた。「お客さんにとって良いCAが会社から評価されているわけではない」ということが、下から上を見上げると、実によく分かったからだ。

 評価されて昇進していった人たちは、上司たちとの付き合いを大切にし、飲み会に付き合い、ゴルフに付き合い、上司たちの“仲間”のようにふるまっている人たちだった。組合の仕事をし、休日出勤をし、フライトの後も会社にいつまでも残って、地上勤務の男性上司たちとウダウダと話をしている人たちだった。

 中には、ソムリエの資格を取ったり、チーズの学校に通ったりして、勉強熱心な人もいたけれど、その人たちのお客さんへのサービスが「すごい!」とか、お客さんに対して「優しい」とか、温かみのあるサービスをしていたかというと、疑問である。

 強いて言えば、ファーストクラスのお客さまには、かなり入念なサービスをしているように見えた。そう。ファーストクラスのお客さま“だけ”には、完璧だったように、ペーペーの私には見えた。

 逆に、会社からはあまり評価されず出世とは無縁と見られていた先輩の方が、どのクラスのお客様たちにも、温かいサービスをしていたし、学ぶことが多かった。

 エコノミークラスは座席が狭いので、長いフライトではお客さんも足を伸ばしたくなる。そこで、機内をお客さんがウォーキングできるようにと、ギャレイのカーテンを開けて、ドアサイドに、セルフで飲み物が取れる簡易バーを作る。そういったちょっとした心遣いを教えてもらったこともあった。

 そうなのだ。下から上を見ると、『平等』か否か、『フェア』かどうか、が実によく見える。そして、長く働けば働くほど、平等かどうか、フェアかどうかが自分の問題になってくる。だから、40歳を過ぎれば自分が会社のどの辺りで終わるかは、だいたい分かるのである。

下から見上げると、会社の“真実”が分かる

 どんなにトップがけしかけようとも、下から見上げれば、それが「嘘」であることくらい分かる。会社は必ずしも公平じゃない。正論を言うことはあっても、誠実とは限らない。上が使いやすい人が上がる。自分は、ここで終わる。それは、早く見切りをつけた人ほど分かるのだ。

・最後の最後で役員になれずに、関連会社に放出された人――。
 この男性は年老いた母親に、「あれ? あんたこんなローマ字の多い会社だったっけ? 財閥系に入れたって、父さんが喜んでいたと思ったんだけど」と言われたことがきっかけで、自信喪失しメンタル不全に陥った。

・入社した時から、ひたすら会社が大好きで「会社のため」と働き、それなりの業績も上げてきたのに、48歳の時の上司に「使いづらい」と嫌われ、子会社に転籍になった人――。
 彼女は周りには、「子会社の方が小回りが利いて楽しいよ」と言っているらしいが、それまで1回も欠かすことなく参加していた同期会に、転籍以降は一度も出席していない。

 こんな景色が見えれば、「自分がどうなるか?」くらいは相当に図々しいか、おめでたい人じゃない限り分かるだろう。分かるからこそ、「転職を考えています」などと言うのではないか。「お荷物になる前に、退散します。ご迷惑はお掛け致しません」と。自分の覚悟を告げた。ただ、それだけのことなんじゃないだろうか。

 そりゃあ、「管理職試験を受けない」という選択も、「出世に興味がない」という価値観も、「数年後には退職します」と宣言するのも、トップからすれば面白い発言ではないかもしれない。

 でも、だからと言って、「やる気がない」とか、「会社を背負う気がない」とかと、同義ではない。

 管理職になりたがらなくても、仕事が好きで、会社が好きで、働いている人はたくさんいる。現場が好きで、お客さんが好きで、自分たちの扱っている商品が好きで、自分のためじゃなく、「また、あなたの会社を選びますね」とお客さんから言ってもらえるような働き方をしている人ってたくさんいる。

 「誠実に仕事をこなそう」「ミスがないようにしよう」と一生懸命どんな小さなことにも手を抜かないで、「会社のために」働いている人だって、たくさんいることだろう。 

 そう、彼らは会社を背負っている。会社のために働いている。自分のためだけに働いているわけじゃない。

 何も、「はい! 私は管理職になりたいです!」と豪語する人だけが、頑張っているわけじゃないのだ。

 40代の社員だって同じだ。確かに「数年後には辞めます」なんてことは、わざわざ言わなくたっていいことではある。

 でも、転職を見据えながらも、「そこまで自分のできることを必死にやろう」と思ったからこそ、あえて断言したと捉えることもできるのではないか。 好意的に受け取りすぎだろうか? いいや、40を過ぎれば転職すると公言することが、どれだけリスクがあることか。それくらい分かるはずだ。

 だいたい転職をしてしまう人よりも、会社に残り続ける人の方が、会社のために働いているとは限らない。何もしないでしがみついているくらいだったら、「自分にはこれ以上会社に貢献できる能力はない。だったら、若手に席を譲ろう」と決意した人の方が、はるかに会社のことを考えているのではないか。

パフォーマンスの高い人ほど、自分のために働いている

 しかも、よ~く考えてみてほしいのだ。会社だって、「出世したがる人」だけを求めているわけではないはずだ。出世することも昇給することもなくても、毎日毎日、ほかの人があまりやりたがらない地味な仕事を続ける社員も必要としているはずである。

 会社は、一部のパフォーマンスの高い社員だけが支えているわけじゃない。出世したり昇給したりすることがなくとも、地味な仕事でも、ほかの人がやりたがらないような仕事でも、腹の底から真面目にやり続ける社員こそが、組織の土台を作っている。彼らこそが、「会社のため」に、「会社を背負って」働いているのではないだろうか。

 言い過ぎかもしれないけれど、むしろ、パフォーマンスの高い人の方が自分のために働いているんじゃないかと思ったりもする。「会社のため」ではなく、「自分のキャリア」のために。会社を背負うのではなく、自分のキャリアを積み重ねるために。

 自分たちはどういった人たちを評価してきたのか? 公平に扱ってきたのか? 誠実に評価したのか?

 企業のトップたちはこうしたことを自問して、反省すべきではないか。会社にとって必要なのは、出世したがる社員だけではないということを。パフォーマンスが高い社員だけを求めているわけじゃないということも。

 そして、もし、「このままじゃ会社が……」と危機感を抱くのであれば、パフォーマンスを高める社員と同時に、土台を作っている社員たちの価値を認めるべきだ。「あなた方が必要なんです」と。

 東京電力という大企業を支えていたのは、どんな働き方をしていた人たちか。東京の大企業が使う電気の供給を支えていたのは、どこの人たちか。日本株式会社の土台を作っていたのは、誰なのか? これらの問いを考えれば、答えは明らかなはずである。

 このことに早く気づかないと、彼らは本当に、ヤル気を失い、手を抜くようになるだろう。

 「会社は出世したがる社員しか、人間扱いしないんだ」――。そう感じた途端、誰だって腐る。自分の仕事、自分の存在、すべてに意味を見いだせなくなることだろう。

 意味のないことに精を出す人はいない。自分の存在意味を見いだせない人が、会社を背負おうとは当然思わない。出世したがらないから、意味を失うのではない。出世したがらない人たちを認めない上司が、彼らの意味を失わせているのだ。

[日経ビジネス]

ここから続き

Posted by nob : 2011年06月05日 08:42