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土地でも仕事でもない、、、常に命、、、集団移住以外に途はない。。。
■希望の命 どう守る 飯舘村 迷う母と医師
東京電力福島第一原発の事故で放射性物質に汚染された地域では、新しい命をどう育むべきか、母親が、医師が迷いを深めている。汚染の影響は次世代にも影を落とす。 (酒井和人)
先月二十一日に生まれた佐藤莉衣奈(りいな)ちゃん。体重三一〇八グラム。ちょっと大きくて、よく泣き、よく眠る。
「本当は母乳をあげたいんだけど…」。ミネラルウオーターでつくったミルクを飲ませながら、母親の佳奈恵さん(29)がこぼす。
佳奈恵さんは生まれも育ちも福島県飯舘村。村は原発事故で計画的避難区域に指定され、住民の九割以上が避難した。佳奈恵さんも現在、隣接する川俣町の低線量地域のアパートで暮らす。
「遠くへ逃げようか」。身重の体を案じる夫と幾度も話しあった。しかし、故郷を捨てる決心がつかず、地元での出産を選んだ。
だが今、風が運ぶ放射性物質が怖くて、洗濯物を外に干せない。炊飯もミネラルウオーターで。自身の被ばくが不安で母乳を与えてやれない。「これで良かったのか」。失った日常の大きさに自問自答を繰り返す。
「子供は未来。子供のいない地域は滅びるしかない」。莉衣奈ちゃんを取り上げた原町中央産婦人科医院(福島県南相馬市)の高橋亨平院長(72)は言う。
医院は今や南相馬市で唯一の産科で、「ここで産みたい母親がいる限り」と診療を続ける。自ら放射線量計を手に、担当する妊婦や新米ママを訪ねる。少しでも線量が抑えられるよう赤ちゃんを寝かせる位置や、カーテンの据え付け方までアドバイスする。
ほとんどは問題ない低線量だが「こんなところで子育てなんて」と中傷を浴びる母親や、中には「体の不自由な子供が生まれないか」と中絶を選んだ妊婦もいる。
震災後、高橋さんが取り上げた十三の命。過去一万五千の中でもずっしりと重い。
福島県内で三~六月に生まれた赤ちゃんは四千八百七十三人。前年同期から二割近く減った。県は七月から子供や妊婦を優先し、全県民対象の内部被ばく検査を本格化。これまで三千人余の検査では「問題のあるケースはない」(地域医療課)という。
だが一九八六年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故では、事故の数年後から子供の甲状腺がんが増えたとの報告もある。県では数十年にわたって調査を続ける方針だ。
佳奈恵さんは今まで実家で作ったコメしか食べたことがないが、もうすぐ一年分の取り置きが切れる。出産前、子供に伝えたかった幾つかのこと。あぜ道の土の感触、空気のおいしさ、そして「世界一」のコメの味…。
わが子に語り掛けてしまう。
「ごめんね」
[東京新聞]
Posted by nob : 2011年09月11日 20:26