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■消えない原爆の影―2次被曝者の警告

【千葉県柏市】福島第1原子力発電所の炉心溶融事故がもたらす健康への影響については、まだわからないことだらけだ。だが、日本はこれによく似た状況を過去にも経験している。第2次世界大戦で広島と長崎を破壊した原子爆弾による原爆症の認定に関しては、いまだに議論が続いているのだ。

 21日、大阪地方裁判所で原爆症集団認定訴訟の判決があり、原爆により被曝したが、原爆投下時に広島・長崎市市内にいなかったいわゆる2次被曝者5人のうち4人が原爆症と認定された。近年まで、2次被曝の危険性はほとんどないとして、国は原爆投下時に近くにいた人々だけを原爆症と認定してきた。

 こうした議論は現在進行中の福島の問題にも大きく影を落としている。というのも、福島原発事故の潜在的被害者の多くは、汚染されたものを食べたり、塵を吸い込んだりといった2次被曝しかしていないからである。

 79歳の朝比奈隆さんが最近、メガホンを持って柏市内の駅に行った理由の1つもそこにある。柏市は福島第1原発から200キロメートル以上も離れているが、局地的に放射線量が高い「ホットスポット」が見つかっていることから警戒意識が高い。

 冷たい雨のなか、通勤客が急ぎ足で通り過ぎる。それでも朝比奈さんは、通りすがりの母親に子供たちを雨から守るようにと警告し、少しでも耳を傾けてくれる人には被曝量の記録を付けておくことを勧めたりした。「放射線の影響はすぐに起こるわけではない。油断しないで」と朝比奈さんは言う。

 それは朝比奈さん自身が、広島の原爆症認定を勝ち取るための法廷闘争から学んだ教訓だった。1945年8月の原爆投下時、朝比奈さんは爆心地の近くにいなかった。だが、その2日後にそこに行ったことで、いわゆる「入市被曝者」になってしまった。膀胱ガンにかかり、それを克服した朝比奈さんは2008年にようやく被曝者と認定された。

 朝比奈さんはインタビューでこう述べている。「この裁判は、福島の人たちにとって、良い教科書になると思う。政府は長い間、内部被曝について真実を隠し続けてきたのだから」。

 その一方で、福島の原発事故が住民の健康に与えた影響は懸念されていたほど深刻ではないかもしれないというデータも出始めている。青森県にある弘前大学の研究員・技師らが、3月15日から6月20日までに被災した住人5000人を対象に避難所で行った調査では、被曝量が比較的高い人が10人見つかったが、その人たちでさえ除染を必要とするレベルには達していなかった。

 ただ、低レベルの放射線が健康に与える長期的な影響については科学的データがほとんどない。実際、この福島の原発事故が、科学的データの欠如を補う数少ない機会の1つとして世界で注目されているのだ。

 第2次世界大戦中の原爆投下から数十年間、国は原爆症の認定基準をあいまいにし続け、内部被曝やその他の被曝の状況が認定の材料になるかについても明言を避けてきた。にもかかわらず、厚生労働省の担当官によると、08年に原爆症の認定基準が緩和される以前は、入市被爆者が補償を受けるということはまずなかったという。

 日本の原爆被爆者に関する膨大な研究は、放射線が人間に与える影響の科学的理解の基礎となっており、今日の世界的な原子力安全基準の根拠にもなっている。

 しかし、被爆者の研究は爆心地から至近距離で直接被曝した人に主眼が置かれてきた。原爆投下時に数キロメートル離れたところにいた人や爆心地に後から行った人、汚染された食料、雨、雪などで長期間にわたって被曝した人に焦点が当てられることはほとんどなかった。

2次被曝に注目した広島の原爆に関する研究は少ない

 内部被曝に対する理解は、1986年に旧ソビエト連邦(現ウクライナ共和国)のチェルノブイリで起きた原発事故によって深まった。現地の子供たちのあいだで甲状腺がんが急増し、その原因は汚染された牛乳を飲んだことだとわかった。しかし、そのチェルノブイリのデータでさえ、25年分――放射線が及ぼし得るすべての影響を研究するには不十分な期間――しかなく、情報量も十分でなく一貫性に欠けると日本や米国の専門家は述べている。

 低レベル放射線や内部被曝の研究が不足していることが、政府の原爆の被害者や原発の近隣住人の健康リスクに対する軽視につながっているという批判の声も上がっている。

 広島の原爆の被害者でもある沢田昭二名古屋大学名誉教授は「政府は常に被曝の影響を過小評価してきた」と言う。沢田教授は、原爆の健康への影響に関して、もっと詳しく調査すべきだと主張してきた。

 もちろん、2つの原爆と福島原発の事故とのあいだには大きな違いがある。原爆による死者の推定人数は15万人から25 万人とされている。広島にある放射線影響研究所(放影研)によると、爆心地から半径2.5キロメートル以内にいた人は、平均200ミリシーベルトの放射線 を浴びたという。

 それに対して、福島県によると、原発事故の影響が大きかった3つの町の住人の97%は5ミリシーベルト以下の被曝 しかしていないという。福島第1原発を所有する東京電力の広報担当者は、会社が把握している限りにおいて、地元住民や発電所の作業員に被曝によって体調不良を起こした人はいないと述べた。また東電としては、政府が国民を守るための適切な措置を講じてきたと信じているという。

 しかし福島原発は、広島と長崎に投下された原爆よりも多くの放射線を放出した。これは原発内に存在していた放射性物質の量が格段に多かったためである。

 東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦氏は、福島の子供たちを内部被曝から守るために十分な措置を講じていな いとして日本政府を批判した。同氏は7月の衆議院厚生労働委員会で 「今回の福島原発の問題は、チェルノブイリと同様、原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したということがまず考える前提になる」と発言した。

 日本政府によると、福島原発が放出したセシウム137の量は広島の原爆の168倍だという。専門家たちはその量がチェ ルノブイリの約半分だったとみている。3月の事故の最中に吹いていた風がそのほとんどを海に運んでくれたものの、半減期が30年のセシウム137は、長期間にわたって主な健康への脅威となる可能性が高い。

 政府は、いくつかの過失によって人々が被曝した可能性を認めている。原発業界を管轄する枝野幸男経済産業相は、10月の東日本大震災復興特別委員会で次のように謝罪した。同相は、「特に近隣地域において被曝された皆さんには大変申し訳ないことだというふうに思ってい る」、「(被曝された)皆さんの健康チェックについては(中略)国の責任でしっかりと継続的に行っていく」と述べた。

 政府は、低レベル放射線のリスクに過敏すぎる人もいると示唆し、その基準の正当性を主張している。細野豪志原発事故担当相は、「追加放射線量で1ミリとか2ミリという違いが、どういう影響を及ぼすか。日常生活の中でいうならば、(中略)どういった影響があるのかというの を見極めた上で、生活していただくという可能性も含めて検討していく必要がある」と述べている。

 米国が広島と長崎に原爆を投下した2年後の1947年、占領軍が原爆被害者の調査を開始した。この調査は日米共同出資の研究機関、放射線影響研究所(RERF)によって今日も続けられている。

 数十年かけて12万人の被曝者の追跡調査が行われた。被曝者が受けた放射線量は爆心地からの距離に基づいて計算されたが、例えば建物などで遮蔽(しゃへい)されていたかどうかで調整された。

 その調査では長い間に吸収された放射性降下物の影響が考慮されておらず、ほとんどの場合「内部被曝については評価に組 み入れていない」と放影研の寺本隆信常務理事は言う。「被爆者の細かい行動記録がないので、コーホート(一定の属性を持つ集団)全体について(内部被爆) を推定する作業ができていない」というのが実情だ。

 政府はこうした調査結果に基づき数十年間にわたり放射線に起因する症状があったのは40万人の被曝者の約1%だけと結論づけ、そうした人々だけに補償を支払ってきた。放射線の影響がなかったとみなされた99%のなかには、爆心地から数キロメートルの距離に住んでいた数万人 や、メガホンを持って啓蒙活動をしている朝比奈さんのような入市被曝者がいた。

 1960年代に補償を請求し始めた低レベル被曝をしたという人々は、低レベルの被曝は研究されていないので、健康への影響を証明する決定的な証拠はないという政府の理不尽な言い訳に直面した。こうした人々の多くは、抜け毛、出血、そして数年後にがん、白内障、心臓障害な ど、爆心地の近くで直接被曝した人と似通った病気や症状があると訴えていた。

 こうした人々が原爆症認定を求め訴訟を起こしたため、低レベル放射線のリスクに関する――科学的な部分と法的な部分が混在する――異例の議論が数十年に渡って繰り広げられてきた。今日、福島原発事故の潜在的な危険を評価する上で中心となる疑問に答える上で参考になるのが、こうした訴訟のために集められたデータなのである。

 訴訟は遅々として進まなかった。ところが2000年、最高裁は右半身不随を爆心地から2.5キロメートルの場所での被曝のためだとする長崎県出身の女性の訴えを支持する判決を下した。最高裁はまた、国は低レベルの放射線を、より遠くで浴びた被曝者に対しても補償を検討すべ きだという決定も下した。

 この判決が突破口となった。2006年以来、全国で300人の被曝者が30の集団訴訟で勝訴している。

 裁判官は多くの訴訟で入市被曝者も補償を受けるべきだという判断を下した。こうした人々は爆心地近くで直接被曝したわけではなく、後に放射性降下物で被曝しているので、これは内部被曝が健康被害をもたらし得ることを認めた事実上初の公式見解となった。

 08年、日本政府は原爆症の補償を受けられる条件を緩和し、爆心地から半径3.5キロメール以内(それまでは1~2キ ロメートル以内だった)にいて特定の疾病にかかった人たちを原爆症と認定するようになった。加えて、原爆投下から100時間以内に爆心地付近に行った入市被曝者も原爆症の認定を受けられるようになった。

 こうした一連の訴訟がほぼ終息するなか、今度は福島原発事故に関する議論が高まってきた。秋に福島で収穫されたコメ から放射線が検知されたことで人々の警戒心が高まった。政府は近々、原発から20キロメートル圏内の警戒区域から避難している住民の帰宅についての計画を発表するとみられている。

 事故以来、重要な決定をするとき、日本政府はカナダに拠点を置く国際的学術組織、国際放射線防護委員会(ICRP)のガイドラインに依拠してきた。そのICRPは広島・長崎の被爆者の研究を基礎としている。

 多くの専門家によると、がん患者が目立って増加するのは、短期間に100ミリシーベルト以上の被曝をした場合のみだと いう。ICRPは原発事故後の人々の被曝量を「年間1~20ミリシーベルトの範囲のできるだけ低い値」に制限する方針を提案している。原発事故の状況が少 しずつ明らかになっていくさなかに下された、推定年間被曝量が20ミリシーベルトを超える地域から住民を避難させるという日本政府の決定は、このようにして決められたガイドラインに基づいていた。

 ICRPのガイドラインは、低レベルの被曝の直接調査に基づくものではなく、原爆の被爆者のはるかに高い被曝レベルから推定されたものである。日本にはがんが原因で死ぬ人が毎年1000人中300人の割合でいる。放射線医学総合研究所によると、仮に日本人が100 ミリシーベルトの被曝をした場合、被曝者は被曝していない人々よりも早くがんを発症するという傾向もあって、年間にがんで死ぬ人の割合は1000人中 305人に上昇することが推定されるという。

 ところが、それは単なる当て推量だと主張する医療関係者もいる。高レベルの放射線が細胞を殺すだけなのに対して、内部 被曝では低レベルの放射線が細胞を損傷し、結局はそれががんになるので、原爆による一瞬の被曝よりも、長期間の低レベル被曝の方が実際には有害かもしれない、という説もある。また、データがほとんどないだけに、低レベル被曝については、十分に注意するのが必要だろうという専門家もいる。

 大分県立看護科学大学教授でICRPの委員でもある甲斐倫明氏は、ICRPのガイドラインについて「科学者の一般的な 見方」を反映したものだと話す。「線量が極めて低くなるとリスクは不確かになる。その不確かさをどう判断するかだ。サイエンスというより倫理の問題。線量がゼロに戻るまで住民を戻さないのか、それとも生活を優先させるために戻すのかという問いだ」と同氏は指摘する。

 RERFで20年以上も被曝者の調査をした米国人のデール・プレストン氏によると、調査結果は、低レベルの被曝でもがんのリスクが増大するが、そのリスクは被曝量に比例するということを示しているという。「低レベルの被曝に予想以上のリスクが伴うという証拠は、どの分析からも出ていない」と同氏は述べた。

 広島と長崎の被爆者の原爆症認定をめぐって法廷で争ってきた数人の専門家や弁護士が、今は福島原発事故の議論に参加している。

 原爆投下当時、広島の病院で医師をしていた肥田舜太郎氏は、6000人以上の被曝者の治療に当たり、06年に判決が出 た大阪での原爆症認定を求める集団訴訟では専門家として証人台に立った。同氏はそこで入市被曝者の症状を詳細に説明し、夫を捜すために原爆投下の1週間後に広島に入り、そのあとすぐに出血で亡くなった若い女性の話をした。

 現在94歳のこの肥田氏に改めて注目が集まっている。福島の事故後、最近出版された内部被曝に関する同氏の著書を読ん だという50人以上から電話をもらった。そのほとんどは不安に駆られた母親たちだった。ある女性は母乳からセシウムが検出されたことであわてふためいていた。自分の子供の鼻血や口内炎を放射線のせいではないかと心配している母親もいた。

 肥田氏はそうした人々にこう助言したという。「放射能は一度体に入ったらもどすことはできないし、薬もない。これからはあなた自身の生き方の問題です」

 広島の原爆で被曝した朝比奈さんは駅にメガホンを持って行く理由について、若い頃の自分がそうしたように、人々が被曝の問題に目を背けてしまうことを懸念したからだと語った。旧制中学に通う13歳の少年だった朝比奈さんは、原爆投下の2日後に、クラスメイトの遺体を捜すために爆心地に近づいたという。そこで見つかったのはボタンやベルトだけだった。

 しばらくすると、朝比奈さんに抜け毛や歯茎の出血を含む急性放射線症の症状が表れた。だが最悪の状態が過ぎると、健康問題が長く続いていたにもかかわらず、朝比奈さんはそれを忘れようとしたという。最終的にがんに侵されるまでは。

朝比奈さんは言う。「日本人は極めてシビアなことがあると、きちんと考えることをやめてしまう。極限まで突き詰めて考えるということをしていかなくてはいけない」

[THE WALL STREET JOURNAL]

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Posted by nob : 2011年12月29日 18:22