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人生観と死生観、、、それらは表裏一体。。。

■“死”を達観した人々が目指す心豊かな人生とは?
震災から1年、「エンディングブーム」が起きる背景

ここにきて、「エンディングブーム」とも言うべきトレンドが盛り上がりつつある。“死”に向かい合うドラマや映画が次々と放映される一方、いざというときに備えて自分の思いを書き残す「エンディングノート」に興味を示す人々が増え、全国で「書き方講座」まで開催されている。昨年3月に発生した東日本大震災で、「自分の死を自分で決めることはできない」ということを、人々は思い知った。今では、「死を意識することで、残りの人生をより有意義に過ごせるのでは」と、死を達観する人も少なくない。あれから1年、日本人の「死生観」はどう変わったのだろうか。(取材・文/プレスラボ・宮崎智之)

「生への執着」から「死の達観」へ
大震災を機に続く人々の心の変化

「自分はどんな死に方をすべきなのか」「自分の寿命が限られているとすれば、今やらなくてはいけないことは何か」

 現在、こうした話題について議論する人々が増えているという。その発端は、昨年3月11日に発生した東日本大震災である。

 高度経済成長期を経てバブル崩壊を経験した後も、経済成長を目指して耐え続けてきた日本社会。しかし、大震災に伴う津波で強固なインフラを完膚なきまでに破壊され、原発事故で経済成長の根幹を成すエネルギーの危機も露呈した。まさに、国家のあり方を根本から考え直す必要に迫られている。

 社会不安が広まるなか、この1年で日本人の「死生観」も大きく変わった。震災直後から見られたのは、主に「生への執着」とも言うべき密なコミュニケーションの広まりである。

 人々が「絆」の大切さを噛み締め、お互いを思い遣る気持ちを強めたことによって、被災地でボランティア熱が高まり、結婚して暖かい家庭を築きたいという若者が増えた。昨年11月、「世界一幸せな国」と言われるブータンの国王夫妻が来日した際には、経済成長に替わる幸せな生き方として、「心の豊かさ」が議論された。

 一方、震災から日が経ち、人々が自分自身を冷静に見つめられる環境をとり戻す過程で、並行的に盛り上がり始めたのが、冒頭で紹介した声に代表される「死の達観」だ。

 震災で人々が負った心の傷は、癒え切っていない。死者・行方不明者は約2万人にもおよび、肉親を亡くした遺族の苦しみは、計り知れないものがある。

 交通事故など突発的な例外はあるにしても、これまでは病気も含めて自身の寿命を受け入れることが「死」であると考える人が多かった。ところが、「人生は全く予想できない理由で突然終わりを迎えることもあり得る」という現実を、我々は大震災によって思い知らされたのだ。

 思えば我が国には、はるか昔から自然災害に向き合いながら生活を営んできた歴史がある。それが「無常観」という独特の感性を育む一因となっていた。

 戦後生まれの世代で、普段から「諸行無常」を感じながら生きている人は少ないだろうが、2011年はそんな日本人の中に眠っていた伝統的な感性が、半ば強制的に呼び起こされた年だと言うこともできる。

 あの日から、早くも1年が経とうとしている。なぜ今、死を達観する人々が増えているのか。この節目に、日本人の「死生観」の変化を探ってみたい。

“死”を問いかける事件や作品が話題に
平田容疑者が呼び起こした社会不安の記憶

 まず、世間を見渡すと、ここに来て「死」を考えさせられる作品や事件が注目されていることがわかる。がん宣告を受けた父親が亡くなるまでを娘がカメラで追ったドキュメンタリー映画『エンディングノート』(砂田麻美監督)が話題となり、葬儀屋を舞台にしたドラマ『最高の人生の終り方~エンディングプランナー~』(山下智久主演、TBS系)もスタートした。

 昨年末には、17年もの逃亡生活を送っていた元オウム心理教幹部の平田信容疑者が、突然出頭した事件も話題になった。「震災で罪のない人が亡くなったことを受け、考え方が変わった」という主旨の説明を、弁護士にしているという。

 一部では、元教祖の麻原彰晃死刑囚をはじめ、教団関係者の死刑執行を延期させるための出頭だという見方もあるため、断定はできないが、平田容疑者もまた、震災によって大きな心理的影響を受けた可能性は十分にある。

 地下鉄サリン事件が起きた1995年は、阪神淡路大震災が発生した年でもある。当時と同じ社会不安が蔓延する今、人々の記憶を呼び起こすかのようにオウム関係者が表舞台に出てきたことには、因縁めいたものさえ感じられないだろうか。

“ぬるい”死生観が吹き飛んだ!
突きつけられた「諸行無常」の現実

 では、足もとで人々の死生観はどのように変化しているのだろうか。ある団塊の世代の男性はこう語る。

「3.11はやはり衝撃的でしたよ。60年以上生きていて、それこそ色々なことがありましたが、一番と言えるくらい人生観が変わりました。自分の親父は戦争に行った世代なので、人間が自分の都合とは関係なく唐突に死ぬということを経験していたのだと思います。しかし、私より下の世代はおおむね同じ“ぬるい”死生観を持って、生きてきたのではないでしょうか。それ自体は悪いとは思いませんし、これからもそうであって欲しいと思いますが……」

 この男性は、震災後にエンディングノートを書くなど、特別な行動を起こしていない。しかし、震災関連のドキュメンタリーや雑誌をチェックし、「どのような判断が人々の生死を分けたのか」について詳しく調べている。

「もちろん、病気だって自分ではコントロールできない。でも、自然災害は突然やってくるんです。普段から、そういう大きな力によって命を失う可能性を意識することで、死へのリスクをある程度は軽減できることを、忘れてはいけません」(前出の男性)

 死を強制する出来事を「常に起こり得ること」と想定し、それに抗っていく。「死を身近に感じていなければ、よもやのときに対応できない」ということに、この男性は改めて気がついたのだ。平和を享受していた我々が、忘れがちな教訓である。

「それは戦争も同じで、起こらないと思ったことが起こってしまうのが、人生だと思った方がいい」(前出の男性)。大災害や歴史の流れに対して、人間が1人でできることは少ないが、心構えだけは持って日々を送っていくべきだと考えているのだ。

 一方、ある20代の女性は、震災後の4月に家族や友人、大切な人への手紙を書き、今も自宅の小物入れに保管しているという。

「震災を機に、『人間、いつ死ぬかなんて誰にもわからないんだな』ということを実感しました。周囲の人に、感謝の気持ちを伝えずに死ぬことだけは嫌だと思い、手紙だけは書いておくことにしたんです。と言っても、『すぐに死ぬかも』というリアリティを持っているわけではありません。でも、やっぱり万が一のことがあったら後悔しそうだし、もしものための準備のつもりです」

 実際に、女性のように考えている人は多い。「エンディングノート」の書き方を学ぶ講座が各地で開催され、人気を集めているのがその一例だ。

 エンディングノートとは、人生の終わりを迎えるに当たり、本人の希望やメッセージを親族や友人に伝えるために書き残すノート。「2011年ユーキャン新語・流行語大賞」の候補語にも選ばれている。いったい、どんなものなのだろうか。

「エンディングノート」は死に支度だけのもの?
ゴールを考えれば見えてくる人生の意義

 エンディングノートに関する講座を開催する行政書士の生島清身氏によると、遺言状との違いは法的拘束力がないこと。一方、形式に囚われず自由に書けるため、執筆者の個性が出しやすく、残された遺族や知人などに思いが伝わりやすいというメリットがあるという。そのため、決まったフォーマットはないが、一般的には以下のような内容を記すのが定番だ。

・自分のこれまでの歴史
・医療・介護への希望
・葬儀・お墓についての希望
・財産・相続に関すること
・大切な人へのメッセージ

「医療・介護への希望」については、「寝たきりになったときはどうするか」「延命措置はどうするか」「脳死の場合の対応」「余命宣告はしてもらったほうがいいのか」などを、予め記しておくことも含まれる。突然このような状況に陥った場合、決断する家族の負担を軽減させるためだ。

「葬儀」については、出席して欲しい人の連絡先リストのほか、なかには「連絡して欲しくない人のリスト」を作る人もいる。さらに重要なのが、「大切な人へのメッセージ」だ。形式張った遺言状では書けない自分の思いを周囲の人に伝えるため、十分に趣向を凝らしたいところである。

 エンディングノートの主たる目的は、「自分にもしものことがあったとき、家族や周囲の人が戸惑わないように、必要なことを書き留めていく」ということにある。つまり、「死に支度」というわけだ。しかし生島氏によると、目的はそれだけではないという。

「エンディングノートの目的の1つに、死を意識することによって『残りの人生をどう生きるか考える』というものがあります。一度、自分の人生を整理し、周囲との関係性や自分が大切にしてきたことを振り返ることで、日々の過ごし方について見つめ直すきっかけになるんです」

 つまり、「死を人生のゴールだとしたら、死後に焦点を当てて書くのではなく、残りの人生に焦点を当てて、どのようにゴールするかを考えるのがエンディングノート」(生島氏)なのだ。

「震災があって、『明日どうなっているのかわからない』という感覚を、皆さんが持たれたと思うんですね。『絆』という言葉が象徴するように、『今を大事に生きよう』『周囲にいる人を大切にしよう』と考える人が急速に増えてきたし、これからも増え続けるでしょう。人生を振り返り、残りの時間を有意義に過ごすためにも、エンディングノートは役立つんです」(生島氏)

結婚相談所でシニア会員が急増
死の達観にも通じる「結婚観」の変化

 冒頭で触れたように、震災以降は人々の結婚願望が高まり、「震災婚」という言葉まで生まれた。一見「生への執着」と見られるこの現象も、実は「死の達観」と表裏の関係にある。

 結婚相談所を展開する「ツヴァイ」によると、震災直後は自粛ムードが続いたが、昨年6~8月は対前年比120%と会員数が顕著に増加したという。特筆すべきは、シニア層会員(50歳以上)の伸びで、昨年上半期における入会者数は対前年比155.8%と急増している。

 高齢化や晩婚化、離婚の増加で母数自体が増えているため、一概に全ての人が死生観の変化によって結婚を求めているというわけではなかろう。しかし、シニア会員の増加は、「最後くらい添い遂げる人が欲しい」と考える人が増えている証だとも考えられる。当然、「残りの人生を愛する人と楽しく過ごしたい」と思うことも、広義の「死生観の変化」と捉えることもできる。

 逆に、だからこそ離婚を選ぶ夫婦もいる。日本初の「離婚式プランナー」として数々の離婚現場に立ち会ってきた寺井広樹さんは、こう語る。

「震災以降は、『絆』の大切さが再認識されたと同時に、『たった一度の人生を、この人と一緒にいてもいいのか』と考え直す方も多くなったと思います。『自分らしい生をまっとうしたい』と考えるようになったんですね。年配の方が離婚式に申し込むケースも、増えてきていますよ」

 また、「離婚は結婚の何十倍ものエネルギーを使うが、離婚式という『終わりの目標』を決めることで、それに向けて前向きに段取りを進められる」(寺井氏)という側面もあるようだ。

 これは、「死」についても同じことが言えるのではないか。映画『エンディングノート』の主人公も、葬儀やお墓のことなど、死ぬまでにやるべきことを明確にすると同時に、孫や旅行、食べたい料理に至るまで、「今を楽しむ」ことにも時間を費やした。「死という大仕事」を成し遂げるために、1つ1つの段取りを大切にこなしていく様からは、前向きさを感じるほどだ。

「隣り合わせの生と死」を意識してこそ
充実した人生を送れるのかもしれない

 東日本大震災が私たちの心に与えた影響は、測り知れないものがある。自分ではコントロールできない自然の大きな力によって、人生が終わってしまうはかなさを、我々は嫌というほど味わった。

 しかし、これまで紹介してきた人々の言葉からは、ある共通の教訓が読みとれる。
それは、「死の達観」が新しい生き方への提言につながっていることだ。

「無常観」に浸って悲観してばかりはいられない。「生と死は隣り合わせ」ということを意識してこそ、充実した「生」を送れることを、忘れてはいけないのだ。また、もともと自然災害が多い日本では、「諸行無常」を受け入れ、それでも前向きに生きてく術を、先人の知恵から学ぶことができるはずである。

「理想のエンディング」は人それぞれだが、いつ“それ”が訪れても悔いのないように、精一杯生きること――。月並みだが、私たちにできることはそれに尽きるのかもしれない。東日本大震災から1年が経とうとしている今、もう一度自分の死生観を見直すきっかけを持つことは、悪いことではないはずだ。

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Posted by nob : 2012年01月21日 18:00