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本来の企業としてのあるべき姿、、、素晴らしい。。。

■自主管理を徹底する世界最大のトマト加工業者
マネジャーをつくらない会社
First, Let's Fire All the Managers
2012年3月12日 ゲイリー・ハメル

ゲイリー・ハメル
Gary Hamel
ロンドン・ビジネス・スクール客員教授。また、マネジメント・イノベーション・エクスチェンジ(ウェブ上でマネジメント・イノベーションを研究する組織)のディレクターを兼ねる。6冊目となる著書What Matters Now: How to Win in a World of Relentless Change, Ferocious Competition, and Unstoppable Innovation, Jossey-Bass, 2012. が2月に刊行された。

マネジメントとは組織で最も非効率な活動かもしれない。部下の仕事を監督する時間は膨大であるうえ、コストがかかり、意思決定や対応も鈍重になる。取引コストの点から、組織ではなく市場の調整力を評価する経済学者もいるが、市場は複雑な活動を処理するのは不得手である。

では、マネジャーがいなくても、調整が可能で統制を保ちながら、自由と融通性を享受できたらどうだろうか。マネジメントがマネジャー抜きで実践できれば、素晴らしいことだろう。

こんな夢のようなマネジメントを実践しているのが、世界最大のトマト加工業者のモーニング・スターである。同社で実践されている自主管理の方法と、その長所と短所を解説しつつ、この新しいマネジメント・モデルの未来を探る。

マネジャーの存在に価値はあるのか

 マネジメントは、組織で最も非効率な活動ではないだろうか。

 チーム・リーダー、部門長、バイス・プレジデントが部下たちの仕事の監督に費やす無数の時間について、考えてみてほしい。マネジャーの大半は懸命に仕事をしており、当人たちに問題があるわけではない。マネジャーの多い組織は鈍重でコストがかさむため、非効率を招く。

 幾重もの管理階層は、どんな組織にとっても重荷である。この重荷はいくつもの形を取る。

 第1に、マネジャーは間接費を押し上げる。組織の拡大とともに、マネジャーにかかるコストは絶対額が増えるばかりか、コスト全体に占める比率も高まっていく。小さな組織であればマネジャー1人で平社員10人を管理できるかもしれない。この1対10という割合を保とうとするなら、平社員10万人の組織ではマネジャーの数は1万1111人になるだろう。マネジャーを管理監督するために1111人が余計に必要なのだ。

 しかも、経理、人材開発、経営計画といったマネジメント関連の業務に数百人の社員が配置されるはずである。組織が複雑さに耐えかねて潰れてしまわないよう、支えるための仕事である。仮にマネジャーの報酬が、最下層の社員の平均3倍だとするなら、支払い給与総額の33%がマネジャーに振り向けられている計算になる。どう考えても高コストである。

 第2に、階層型マネジメントの下では、一般に、重大な判断を誤る危険が大きい。事の重大性が増すにつれて、判断権者に意見できる立場の人は少なくなっていく。どの階層においても、慢心、近視眼、無邪気などのせいで判断の誤りが起きるおそれはあるが、判断権者があらゆる面で圧倒的な権力を持っている場合には、その危険はこれ以上ないほど大きくなる。だれかに絶対君主のような権力を与えると、遅かれ早かれとんでもなく悲惨な事態が起きるだろう。

 これと関連して、最も権力の大きな人は現場の実情にだれよりも疎いという問題もある。トップによる判断を現場で実行しようにも、にっちもさっちもいかない例は多い。

 第3に、管理階層が多いと何人もの上司に承認を得なくてはならないため、迅速な対応ができなくなる。マネジャーは権限の行使に熱心なあまり、すみやかに判断を下すどころか往々にしてあえて時間をかける始末だ。偏りが生じるという問題もある。

 階層組織の下では、新しいアイデアを潰したり変えたりする裁量が、ともすれば1人に集中するため、その人物の偏った利害や関心によって判断が歪められる。

 最後に、組織の上層部に権限が集中することの弊害がある。といっても、何もかも牛耳らないと気が済まない人物が時折いる、といった話ではない。ピラミッド型の組織は底辺に近い層に権限が行き渡らないようにできており、それが問題なのである。

 たとえば、たいていの人は、消費者としての立場では自分の一存で2万ドル以上の新車を買えても、社費で500ドルの執務用の椅子を購入する権限は持たないだろう。各人の権限を狭めると、夢を持ち、想像力を膨らませ、組織に貢献しようというインセンティブを削ぐことになる。

階層制vs.市場

 市場がかねてより経済の専門家から「トップダウン型の管理をほとんど行わずに人間の活動を調整する力がある」と称えられてきたのは、驚くに値しない。ただし市場にも限界はある。

 ロナルド・コース(注1)やオリバー・ウィリアムソン(注2)といった経済学者が指摘しているように、各経済主体のニーズが単純で一定していて、具体的に表現しやすい場合には、市場はうまく機能するが、経済主体間のやり取りが複雑だと市場の機能は低下する。一例として、多くの加工処理を行う大規模な製造現場の多種多様な活動において、市場で緻密な調整が行われるとは考えにくい。

 だからこそ企業とマネジャーが必要なのである。マネジャーは市場にはできない仕事をする。何千という異なる努力を束ねて1つの製品やサービスへと結実させるのだ。これは、経営史学者のアルフレッド・D・チャンドラー・ジュニアが「見える手(ビジブル・ハンド)」と呼んだ役割である。ただし、この「見える手」には、非効率でえてして不器用だという欠点もある。

 管理監督を担う上層部なしに優れた調整ができるなら、さぞかし素晴らしいではないか。隙のない階層制と同じような統制を保ちながら、開放的な市場並みの自由と融通性を享受できたら、夢のようではないか。マネジャーがいなくともマネジメントを実践できたら──。

 オープン・ソース型のソフトウエア開発プロジェクトの様子をうかがうと、こうした特性を備えた夢のような組織を垣間見た気分になるかもしれない。プログラマーは何百人にも上るのに、マネジャーはいたとしてもごくわずかである。

 もっとも、オープン・ソース型のプロジェクトでは、みずから志願した人々がインターフェースが明確に決まった状況でモジュール化された作業をこなすうえに、技術面のブレークスルーは期待されていない。調整は臨機応変に行われる。

 これを、ボーイングがまったく新しい機種を開発する際の難題と比べてみよう。ボーイングの新機種開発では、最先端の設計・製造に伴う何千という課題に取り組むために、多数の専門家が力を合わせなければならない。ボーイングが悟ったように、開発工程をぶつ切りにして外注しても煩雑な調整は少しも楽にならない。市場の力に委ねたのでは〈ボーイング787〉(通称ドリームライナー)は開発できないのだ。

 では、トレードオフの罠に陥るしかないのだろうか。弊害を伴わない形で調整と管理を実現する方法はないのか。悲観的な見方がされるかもしれない。なぜなら、権限の分散が徹底していてなおかつ全体の統制が一糸乱れぬ会社など、大多数の人はお目にかかったことがないのだから。

【注】

1)
Ronald H. Coase。イギリス生まれのアメリカの経済学者で、1991年にノーベル経済学賞を受賞した。外部性の分析や取引費用の概念についての業績が認められたものである。

2)
Oliver Eaton Williamson。2009年にエリノア・オストロムとともにノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者。取引費用の経済学の権威。

型破りなマネジメント手法

 人間はだれしも慣れ親しんだものにとらわれている。初代〈iフォーン〉、J. K. ローリング(ハリー・ポッター・シリーズの作者)が描いた魔法使いの世界、レディー・ガガの生肉ドレスなど、目にしたり触ったりしない限り想像できないものは多い。組織についても同じである。

 以下のような組織を思い描くのは難しいのだ。

●上司なる者がいっさいいない。
●同僚との相談を通して各自の責務を決める。
●全員に支出権限がある。
●仕事に必要な道具をだれもが自分で手に入れなくてはならない。
●地位に伴う肩書きも昇進もない。
●同僚の判断に基づいて報酬額を算定する。

「ありえない」と思うかもしれないが、そんなことはない。これらは、とある資本集約的な大企業の特徴なのである。この企業では、各地に散在する工場に1時間当たり数百トンの原材料が運び込まれ、厳格な基準に沿って何十もの加工処理が行われている。フルタイム従業員400人の力で7億ドル超の売上げを稼ぎ出している。ちなみに、この型破りな企業はグローバル市場に君臨している。

 皆さんはおそらく信じられない思いだろう。私もそうだった。だから、この企業、ザ・モーニング・スター・カンパニーの評判を耳にした時は、1も2もなくカリフォルニア州サンホアキンバレーの工場を訪問させてもらうことにした。

 ピザ、ケチャップのたっぷりかかったハンバーガー、トマト・ソース・スパゲッティなどを食べたことがある人なら、モーニング・スターの製品を消費した経験があるはずだ。カリフォルニア州サクラメント近くのウッドランドに本社を置くモーニング・スターは、世界最大のトマト加工業者であり、アメリカの年間加工量の25~30%を扱っている。

 1970年に当時カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のMBAコースに在席していたクリス・ルーファー(現社長)により、トマト輸送を手がけるために創業されたのが発端である。現在では3つの大工場でトマトを加工処理している。

 顧客が指定するレシピは合計で数百種類に上り、おのおの細かい点で異なる。大口向け製品のほかに缶入りトマトを製造して、スーパーマーケットやレストランなどに納めている。くわえて、年間200万トンを超えるトマトを運ぶ輸送業、トマト栽培といった事業も傘下に置いている。

 ルーファーによると、モーニング・スターはこの20年というもの、取引量、年商、利益とも2桁増を続けてきたという。かたや業界全体は平均年率 1%の成長に留まっている。非公開企業であるため財務業績を開示していないが、成長資金をほぼすべて自力で賄っているといわれており、そうだとすると収益性はきわめて高いことになる。独自のベンチマーキング・データを基に、世界一効率のよいトマト加工業者を自任している。

 モーニング・スターはよい意味での「逸脱した企業」(positive deviance)だといえる。事実、これほど素晴らしい変わり種に出会った経験はほとんどない。

 従業員(モーニング・スターの社内用語では「同僚」)の裁量の大きさは唖然とするほどだが、にもかかわらず彼ら彼女らは、あたかも綿密な振り付けに合わせて踊るダンス・グループのように、結束して仕事に当たっている。モーニング・スターの独自のマネジメント・モデルを支える原則や慣行を掘り下げると、マネジャー層を抱えることによる弊害を避けるか、せめて軽減する方法を学ぶことができる。

モーニング・スターのマネジメント・モデルを解剖する

 組織ビジョンに示されたモーニング・スターの目標には、「全員が自主管理の達人になり、だれからの指示も受けずに同僚、お客様、サプライヤー、業界関係者とのコミュニケーションや調整を図る会社になること」という一節がある。

「だれからの指示も受けずに」という箇所に引っかかりを感じなかっただろうか。指示の出し手、受け手とも不在の会社を、いったいどう舵取りするというのか。以下にモーニング・スターの手法を紹介する。

使命(ミッション)を上司の代わりにする

 同社は「トマト関連の製品やサービスを提供して、品質や対応の面でお客様の期待に確実にお応えする」という目標を掲げており、従業員は皆、この実現にどう貢献するかを自分のミッション・ステートメントに記す義務を負っている。たとえばロスバノス工場で働くロドニー・リガートが選んだ自分の使命は、「効率がよく環境に優しい方法でトマト・ジュースをつくる」である。

 各自がミッション・ステートメントを持つことが、モーニング・スターのマネジメント・モデルの土台である。

「みんなが自分の使命の達成に責任を持つのです。そのために必要な訓練を積んだり、経営資源や協力を手に入れたりするのも、各自の責任ですよ」とルーファーは説明する。

 工場のベテラン技術者、ポール・グリーン・シニアが「私は自分の使命と誓いを糧に、仕事をしています。マネジャーに尻を叩かれるわけではありません」と言い添えた。

従業員同士で合意を形成させる

 各従業員は毎年、自分が仕事上きわめて大きな影響を及ぼす同僚たちと相談しながら、合意書(CLOU(クルー): Colleague Letter of Understanding)を作成する。CLOUとは要するに、各自のミッションを達成するための業務計画である。

 これを作成するために、10人以上の同僚と、おのおの20~60分ほど話し合う。できあがったCLOUでは最大で30もの活動分野に言及し、それらに関連する成果尺度を残らず説明する。CLOUをすべて合わせると、そこにはフルタイム従業員同士のおよそ3000にも上る業務上の関係性が示されている。

 CLOUの中身は、本人の能力や関心に応じて年ごとに変化していく。ベテラン従業員は経験を積むにつれてより複雑な業務を担い、初歩的な業務を社歴の浅い同僚に引き継ぐのだ。

 CLOUを作成する理由としてルーファーは、従業員同士が自主的な合意を基に仕事をすると、うまく足並みがそろう点を挙げている。

「CLOUを土台にして仕事の体制ができるのです。報告書を見せる、容器をトラックに積む、特定のやり方で機械を操作する、という約束を同僚と交わすわけですね。言わば自発的な取り決めが命令の役目を果たすため、自在な対応がしやすくなります。上から押しつける場合よりも、業務上の関係性を改めやすいでしょう」

 印象深いのは、ルーファーが自由を協調の敵ではなく味方と見なしている点である。モーニング・スターでは、従業員同士がクモの巣状の多面的な関わりを持ちつつ、そのなかで各自が独立請負業者に近い仕事のやり方を取っている。

 ある従業員は「当社では、上司は存在しません。自分以外の全員が上司のようなものですよ」と語ってくれた。

 23の事業部も毎年、CLOUのような手順により、互いの交渉を通して取引条件を決めている。事業部ごとに損益を管理しているから、折衝では激しい火花が散ることもある。一例として栽培事業部と加工工場の間では、トマトの取引量や価格、納入スケジュールをめぐって丁々発止のやり取りがあるだろう。

 背後にあるのは、CLOUの場合と同じく「上から『こうするように』と命じるよりも、おのおのが自主的に取り決めたほうが、同じ目的に向けて一丸になったり、現実に根差した仕事をしたりしやすい」という発想である。

全員に本当の意味で権限を与える

 たいていの企業では、権限委譲は掛け声だけでほとんど実現していない。しかし、モーニング・スターは例外である。事業開発のスペシャリスト、ニック・キャッスルは、以前の勤務先との好対照について語ってくれた。

「前の会社では私の上にバイス・プレジデント(VP)がいて、その上にさらにシニアVP、エグゼクティブVPがいました。ところがモーニング・スターでは、1人ひとりが会社を動かさなくてはなりません。だれかに命令するわけにはいきませんから、必要なことはすべて自分でやらなくては」

 仕事に使うツールや機器を手配するのもその1つである。モーニング・スターには、購買部門もなければ支出を承認する上級幹部もおらず、だれもが発注権限を持つ。保全技術者は、必要なら8000ドルの溶接機を自分で注文する。請求書が届いたら、注文の品を受け取ったことを確認したうえで、支払い処理のために経理部に回す。各自に購入権限があるからといって、全体の統制が取れていないわけではない。類似の製品をまとめ買いしている者、あるいは同じメーカーと取引している者が複数いる場合は、定期的に会合を持ち、購買力を最大限に活かそうとしている。

 このような仕組みを取り入れた理由をルーファーが説明してくれた。

「ある日小切手にサインをしていて、『責任は私が取る』という言葉を思い出しました。この言葉は間違っています。目の前の書類には、注文通りの納品があり、請求額は正しいと書かれていました。小切手も用意されていました。この状況では、サインしないという選択肢はありません。ですから、肝心なのはだれが支出を承認するかではなく、発注者、つまり、だれがその品を必要とするかですよね。私が注文書を吟味するのはふさわしくないし、購入者がマネジャーの承認を得なくてはいけないのもおかしな話でしょう」

 時として案件が込み合って現金が不足すると、購入を延期する。それでもやはり、資金の割り当てよりも調達こそが財務部門の役割である。

 自主管理は人材採用にも及んでいる。「仕事が多すぎる」「新しい役割をこなすために人材が必要だ」と感じたら、自分たちの責任で採用活動に乗り出すのである。モーニング・スターは、最前線の従業員に会社の小切手帳を渡して率先して人材探しをするよう期待する、稀有な企業である。もっともルーファーに言わせれば、これが良識あるやり方なのだ。

「適切な機械がないから、あるいは有能な同僚がいないから仕事がうまくいかない、という思いをだれにも抱いてほしくないのです」

 私がモーニング・スターを訪れていた間、「権限委譲」という言葉はだれの口からも出なかった。なぜなら権限委譲という概念は、上に立つ人が適宜、部下たちに権限を譲り渡すという前提に立っているからである。自主管理の原則を拠り所とする組織では、権限は上から与えられるのではなく、各自が最初から持っているものなのだ。

従業員を枠にはめない

 モーニング・スターでは会社側が従業員の役割を決めるわけではないから、技能を伸ばしたり、経験を積んだりした従業員には、より大きな責務を引き受ける機会がある。研修・育成責任者のポール・グリーン・ジュニアは、こう述べている。

「みんな自分の得意な仕事をすべきでしょう。ですから、特定の業務を押しつけようとはしません。結果として、従業員たちの役割の幅広さと複雑さでは、他のどんな会社をも凌ぎますよ」

 全員があらゆる分野の改善提案を出してよいとされている。他社の従業員は、変革はトップダウンで進められるものだと考えがちだが、モーニング・スターでは、変革は自分たちの責任で起こすものだと心得ている。引き続きグリーンの言葉を紹介しよう。

「『自分の技能を活かせば付加価値を生める』と思うなら、何にでも関わってかまわないと、私どもでは考えています。このため、自分の担当とは別の分野で変革を起こす例も少なくありません。自然発生的なイノベーションも多いですし、変革のアイデアは意外なところからもたらされます」

昇進するためではなく、影響を及ぼすための競争を奨励する

 モーニング・スターでは、階層や地位を示す肩書きがないのだから、昇進の階段も存在しない。

 だからといって、全員が対等というわけではない。どの専門領域においても、周囲よりも高い評価を受ける人はおり、その評価は給与水準に反映される。社内の競争はあるが、焦点はだれが日の当たるポストに就くかではなく、だれが最も大きく貢献するかに置かれている。

 この競争で優位に立つには、新しい技能を身につけたり、同僚の役に立つために新しい方法を見つけたりしなくてはならない。

「うちの会社では昇進はありません」と語るのは、ITスペシャリストのロン・カウアである。「立派な肩書きを得るよりも大きな責任を担ったほうが、箔づけになるのです」

 ルーファーは、ゴルフの世界になぞらえながら、モーニング・スターでの栄誉とは何かを説明してくれた。

「現役時代のジャック・ニクラウスは、肩書きや地位を求めてプレーしていたわけではありませんよね。彼は、優れたプレーをすればみんなが望むもの、つまり達成感を得られるとわかっていたはずです。偉業を成し遂げれば希望通りの人生を送るだけの収入が得られることも、知っていたでしょう。頂点に近づくとは、肩書きではなく実力や評判の問題なのです」

自由が成功をもたらす

 モーニング・スターの風変わりだが効果的なマネジメント・モデルの核心には、「自由」というシンプルな概念がある。

 ルーファーは「自由にしてよいなら、人々は『これを好きになりなさい』と説得された対象ではなく、本当に好きなことに引かれるでしょう。すると成果が上がるから、さらに熱を入れますよね」と述べている。従業員たちも同じような意見を持っており、ある人は「命令に沿って動くのでは機械と変わらないでしょう」と言っていた。

 ここにジレンマがある。大規模な事業を舵取りするうえでは時として、人材に機械のように動き、信頼性、正確性、勤勉さを発揮してもらう必要があるのだ。監督者やマネジャーは一般に、ノルマを設け、それを大きく下回る者がいないか目を光らせ、該当者を叱咤する。

 では、監督者もマネジャーもいない場合はどうするのだろう。モーニング・スターでは、従業員同士が約束を交わして優れた協調性を発揮するだろうが、規律ははたしてどうだろうか。統括者のいない組織では、どうすれば手綱を締めることができるのか。

 責任を伴わない自由は無秩序につながる。ところが、モーニング・スターの巨大で複雑な工場のなかを歩くと、無秩序とは逆の状況が目に入ってくる。従業員たちは、あれほどの自由を与えられながら高い成果を上げている。いったいなぜだろう。

明確な目標とガラス張りのデータ

 冬のリゾート地を訪れると、何百人ものスキー客がだれの助けも借りずに急傾斜を直滑降しているだろう。しかし、目の不自由な人が滑り降りるには、だれかから大声で指示を受ける必要がある。自主管理を実践するには情報が欠かせないのだ。モーニング・スターは、自分の仕事ぶりを把握して賢明な判断を下すのに必要な情報すべてを、従業員に与えようとしている。

 CLOUには必ず、里程標が細かく記される。それを拠り所にすれば、同僚のニーズにどれだけ応えているかを各自が確かめられる。くわえて、事業部ごとの詳しい収支が月に2回、全従業員に公表される。「同僚が責任を果たしているかどうか互いに注意を払おう」という意識が植えつけられているため、支出が予想外に跳ね上がったら見過ごされるはずがない。これだけ透明性が高いと、愚行や怠慢はすぐに見つかる。

 モーニング・スターの事業は垂直・水平両方向に統合されているから、全社についての情報がない限り、自分の判断が他の分野にどう影響するかを見極められない。ルーファーは、全社についての同一情報を全員に伝えないことには、総合的な視点での発想は期待できないと心得ている。だからこそ、情報の囲い込みなど起きないし、「(彼または彼女に)なぜ知らせる必要があるのか」といった疑問も持ち上がらないのだ。

計算と協議

 従業員は自分の裁量で社費を支出してかまわないが、ROIやNPV(正味現在価値)を計算するなどして、事業上の妥当性を示さなくてはならない。同僚と協議することも期待されている。

 一例として、300万ドルの投資を考えているなら、行動を起こす前に意見を交わす相手は30人にも上るかもしれない。事業部の給与枠を増やしたい場合も、やはり同僚たちを説得して回らなくてはならない。

 モーニング・スターの従業員は大きな裁量を持っているが、独断を下すことはまずない。他方、アイデアを握り潰す権限を持つ人もいない。ベテラン従業員は、物事を決めつけたり断固たる措置を取ったりするよりも、むしろコーチ役を果たす。大胆な発想をする若手は、何人かのベテラン従業員に助言を求めるよう背中を押される。先輩からはたいてい、「このモデルを使って君のアイデアを分析してはどうか。検討して準備が整ったら、また相談に来てくれ」といった手短な指導があるだろう。

対立の解消と適正手続き

 裁量の濫用、恒常的な成果不振、同僚との喧嘩などには、どのような対処がなされるのだろうか。モーニング・スターには、対立を収拾する役回りのマネジャーはおらず、だれも「こうしろ」と強制する権限を持たない。商取引の当事者間で衝突が起きると、調停や裁判で決着をつける場合が多いが、モーニング・スターでもこれと似たような仕組みを用いている。

 仮に別の事業部のだれかが私について、「CLOUに記した約束を果たしていない」と考えたとしよう。まずは差しで相手の主張を聞くことになるだろう。こちらの対応としては釈明する、改善を誓う、反論するなどが考えられる。2人だけで解決できなければ、双方が信頼する社内のだれかに仲裁を頼み、その人におのおのの主張を伝えるだろう。

 仲裁者が相手の意見に同調し、私は提案された解決策をはねつけたとする。ことここに及ぶと、収拾を助けるために従業員六人による委員会が設けられ、仲裁者の提案にお墨付きを与えるか、別の解決策を示すだろう。それでも私が納得しないようなら、社長が当事者を集めて双方の言い分を聞き、有無を言わせず判断を下す。ただし、ルーファーの元に問題が持ち込まれる例はきわめて稀である。

 だれかの業績がパッとせず懸念が深刻な場合、解決を模索した末に解雇に至る場合も考えられる。ただしモーニング・スターでは、上司の気まぐれのせいで部下が割を食うことはありえない。この仕組みの長所をルーファーはこう説明する。

「委員会が開かれれば、公正で理にかなった手順が踏まれることがみんなに伝わりますよね。イザという時にも頼みの綱があるのだと、だれもが知るわけです。当社では、上司の部下いじめは起きないようになっています。だれしも大切な人生があるのですから」

同僚による評価と異議の申し立て

 モーニング・スターの遺伝子には責任感が刻み込まれている。入社時には全員が自主管理の基礎についてのセミナーを受講し、自由や裁量と責任は表裏一体だと学ぶ。相談はいくらしてもよいが、最後は自分の責任で判断しなくてはいけない、という教えである。苦渋の決断を避ける道はないのである。

 年末には全従業員が、CLOU上でつながりのある同僚からフィードバックを受ける。1月にはすべての事業部が前年の業績の妥当性を説明することになっている。1つの事業部について議論するだけで丸1日近くかかりかねないため、全事業部を網羅するには何週間も要する。各事業部のプレゼンテーションは、言わば株主向けの報告のようなものである。経営資源を適正に使っていることを説明し、至らない点については認め、改善プランを示さなくてはならない。

 事業部は業績によるランク付けの対象となるから、最下位あたりを低迷する事業部はあれこれ問い質されるだろう。ルーファーが言う。「投資が回収できていなければ、それ相応の冷笑を浴びるでしょう。今後の投資に際しても、同僚の協力を取りつけるのはきっと難しくなりますよね」。ある従業員も「周りから『浅薄だ』と思われるようなことをしたら、仲間を失いかねません」と語っていた。

 毎年2月には戦略会議があり、これもまた社内評価の機会となる。全従業員を前に各事業部が20分をかけて年間の事業計画を説明する。聞き手たちは「これは有望そうだ」と思う戦略に仮想通貨を投じる。このバーチャル投資で十分な資金が集まらないと、社内からの厳しい視線を覚悟しなくてはならない。

互選制の報酬委員会

 モーニング・スターでは、製造業らしからぬ方法で報酬を決めており、むしろプロフェッショナル・サービス企業に近い。各従業員は年末になると、 CLOUで掲げた目標やROI目標などの指標に照らしながら、業績の自己評価を作成する。次いで互選によって地域ごとに報酬委員を決める。毎年、全社で合計八つほどの委員会が設置される。委員会は従業員の自己評価を吟味して、そこから漏れた成果をも掘り起こす。そして、これらの情報を慎重に検討したうえで、付加価値に見合うよう留意しながら1人ひとりの報酬額を決める。

自主管理の長所

 モーニング・スターには他社での勤務経験を持つ従業員も少なくない。彼らに自主管理の長所を尋ねると、身を乗り出すようにしてとうとうと語ってくれる。具体的に挙がるのは、以下の諸点である。
マネジャーをつくらない会社の長所
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主体性が強まる

 モーニング・スターでは簡単な方法で従業員の主体性を引き出している。つまり、役割を幅広く定め、各自に行動の権限を与え、仲間に力添えしたら忘れずにほめ称えるのだ。

 ある工場技術者に「皆さんがだれからも言われなくても同僚に手を差し伸べるのは、なぜですか」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。「ここでは評判を糧に組織が動いています。別の部門に対して有益なアドバイスをすれば、評判が上がりますよね」

専門性が深まる

 自主管理を実践すると技能向上への意欲が生まれる。モーニング・スターでは、高い専門性を備えた人もマネジャーや上級スタッフになるのではなく、現場の業務に携わる。

 一例として、工場の包装ラインで無菌容器に中身を詰める作業に従事するのは、微生物学への造詣が深い人々である。品質エキスパートのスコット・マーノックによれば、「この会社ではだれもが自分の仕事の出来栄えに責任を負っています」ということだ。「自負のほどは半端ではありません。それに、失敗しても尻拭いしてくれる上司はいないですから」

融通が利く

 モーニング・スターのマネジメント・モデルの下では、迅速性と融通性が発揮されやすい。ルーファーが例えを用いながら説明してくれた。

「雲ができたり消えたりするのは、大気の状態、温度、湿度に応じて水分子が凝結と蒸発を繰り返すからですよね。組織も同じはずです。外からどんな力が加わるかによって、体制を整えたり、壊したりする必要があるのです。みんなに行動の自由を与えておけば、どんな力が働いているかを察知して、その時々の実情にいちばん合った行動を取るでしょう」

 ポール・グリーン・ジュニアによると、同僚たちは使命をよりよく果たす方法を模索するなかで、互いに力を合わせて毎年何百もの変革を起こそうと立ち上がるという。

協調性が高まる

 階層を取り払うと、組織の弊害をかなりの程度まで除去できる。昇進競争があると各人の成果志向は強まるが、限られた昇進枠を争うせいで社内政治が横行して敵対意識がはびこる。他方、完全に水平(フラット)な組織では、上司へのゴマすりも同僚同士の追い落としもない。

「フォーチュン500」企業2社での勤務経験を持つポール・ターペルクは、昇進のない会社の美点をこう語る。「中傷の類は少ないですよ。昇進という狭き門をめぐってしのぎを削るわけではないですから。最高の成果を上げたり、同僚を助けたりすることに全力を注げばよいわけです」

よりよい判断ができる

 大多数の組織では、重要な判断は事業分析の訓練を積んだ幹部が担うのが通例である。彼らは豊富なデータと洗練された分析力を持っているが、文脈、つまり現場の実情については理解していない。このような理由から、上層部に受けのよい判断は往々にして、現場の従業員にしてみれば見当違いもはなはだしいのだ。

 モーニング・スターでは、上層部が判断を下すのではなく、現場の人々に専門性を備えさせている。たとえば、従業員のおよそ半数はサプライヤーとの交渉法についての研修を終えている。財務分析の研修を受けた人も多い。自分で考えて実行するのだから、タイミングを逃さずに賢明な判断を下せるはずである。

忠誠心が厚くなる

 モーニング・スターから競合他社への転職はほとんどないが、逆の事例はたびたび起きている。そのうえ、臨時雇いまでもが献身的に仕事をする。各加工工場はトマトの収穫期に合わせて毎夏、合計800人を超える季節労働者を雇う。翌年の継続率は9割に達し、会社では彼らに自主管理の原則についての研修を施している。外部の研究者が先頃これら臨時雇いの権限や当事者意識を調べたところ、他社の上級幹部並みの高水準だったという。

 なお、マネジャー職を設けないやり方はコスト面でも有利である。浮いたコストの一部はフルタイム従業員に配分され、彼らは他社の同等職よりも10~15%高い報酬を得ている。マネジャーを抱える負担を避けることで、事業成長への投資を増やせるという利点も生まれる。

マネジャー職の撤廃は若干の不都合を伴う

 モーニング・スターは、マネジャーを抱えないことでコストや弊害を軽減しているが、逆に不都合もある。
マネジャーをつくらない会社の短所
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 第1に、だれもがこの流儀に適するわけではない。これは能力ではなく適応の問題である。階層の多い組織で何年も働いていた人は、なかなか適応できない場合が多い。

 ルーファーの見たところ、新たに入社した人が自主管理の下で十分に実力を発揮するまでには、平均で1年以上を要するという。

 こうした事情から採用には余計に時間がかかり、手順も込み入ったものになる。会社の規模が小さかった当時は、ルーファーがすべての応募者に半日をかけて面接していた。しかも、たいていは相手の自宅にまで足を運んでいた。会話のほとんどは、モーニング・スターの哲学と応募者の期待内容が一致するかどうかに主眼を置いていた。

 最近では、応募者にまず2時間をかけて自主管理の説明を施したうえ、10~12人ほどの従業員が面接する。ここまでしても、適性を見抜けるとは限らない。ポール・グリーン・ジュニアによると、社会人経験の長い人物を採用した場合、およそ半数は思うままに振る舞えない状況への適応に苦しみ、2年以内に退社するという。

 第2に、互いの目配りによってみんなに責任を果たさせる仕組みも、難しさをはらんでいる。トラブルメーカーや成果を上げない従業員がいる場合、階層型の組織では上司が対処に当たる。

 しかしモーニング・スターでは、方針や規範を破った者を問い質して、品質、効率、チームワークを守るのは全員の責任とされている。もし従業員たちがこの責任を果たさず、必要な時に厳しい態度を取るのを怠ったなら、自主管理はたちどころに、全員で申し合わせたようにほどほどの成果で妥協する仕組みに成り下がってしまう。

 この危険については社内研修で正面から取り上げ、「みんなが勇気を奮い起さない限り、同僚が互いを律するやり方は成り立たない」と強調している。

 第3として、成長が妨げられるという不都合もある。モーニング・スターは業界平均を上回るペースで成長を続けているが、ルーファーや従業員たちは社風が希薄になるのを恐れている。他社の買収に消極的なのも、この点を心配しているからだ。事業拡大の道を探ってはきたが、これまでのところ、マネジメント上の強みを犠牲にしてまでさらなる高成長を目指すのは避けている。

 各自の進歩を見極めるのも難しい。たいていの企業には昇進の階段があり、それが目安となる。ところがモーニング・スターには階層がないため、同業他社の人との比較で自分たちの進歩を測るのが難しいおそれがある。会社での地位をアピールできないことは、転職を目指す際には不利に働きかねない。

マネジャーとマネジメントの実践

 私がルーファーに「御社はマネジャーを置かずにマネジメントを実践する術を見つけたのですね」と言うと、即座に訂正された。

「当社では言わば全員がマネジャーなのです。石を投げればマネジャーに当たりますね。マネジメントには経営計画、業務の段取り、指示、人材の手配、管理・監督が含まれ、全従業員にこれらすべてを期待しています。だれもが自分の使命をマネジメントするわけですよ。同僚との取り決めや、仕事をこなすのに必要な経営資源についてもしかり。同僚に責任を果たさせるという意味でも、全員がマネジャー役を担っています」

 それでも、ルーファーはこちらの言葉の意図を読み取ってくれた。この数十年というもの、マネジメント業務については「マネジャーという正式な肩書を持った人々に、上役という立場でこなしてもらうのが最も効果的だ」とされてきた。ところが、モーニング・スターの長年にわたる試みからは、全員にマネジメント業務を担わせるのが可能であるばかりか、収益性もよいことがうかがわれる。適切な情報、インセンティブ、ツール、責任が与えられれば、たいていは自分たちでマネジメントを実践できるのである。

 市場と階層制にはそれぞれ長所があり、二者択一の必要はない。モーニング・スターは独立請負業者の緩やかな集合体でもなければ、人々の能力ややる気を損なう官僚組織でもない。市場と階層制、両方の特徴をそれとなく合わせ持っているのだ。

 一方、モーニング・スターを、「当事者間のつながりが濃い市場」としてとらえることができる。各人には、市場取引に似た取り決めを同僚と交わす裁量が与えられている。これでは利害が対立しやすく仕事の進め方が込み入ってしまうのではないか、と思われるかもしれない。しかし、いくつかの要因によってそのおそれは和らいでいる。

 第1に、交渉や取り決めに加わる全員が、同じ判断基準に従っている。本物の市場では、消費者は売り手の利益など気にかけない。他方モーニング・スターの従業員は、会社が傾いたら素晴らしい勤務先を失うことを承知している。

 第2に、同僚を踏み台にしたり、約束を守らなかったりしたら、その報いを受けるのは自分だと、みんなが理解している。このため、業務上の取り決めよりも関係性を重視する姿勢が培われる。

 最後に、従業員のほとんどは長年トマト関連の事業に携わっているから、だれが何をすべきかをよくわかっている。新年度になっても、あらゆる取り決めの細部を逐一改める必要はない。これら共通の目標、長期の関係性、事業知識によって人々が結びついていなかったなら、モーニング・スターの仕組みははるかに低い成果しか上げられないはずである。

 モーニング・スターは、「自然発生した活力ある階層の集まり」でもある。形の上では階層は存在しないが、非公式の階層はいくつもあるのだ。どの問題についても、専門性や「周りの力になろう」という意欲に応じて、発言力の大きさには開きが出る。これは地位ではなく影響力に基づく階層であり、ボトムアップでできあがる。

 この会社では、専門性を示し、同僚に力を貸し、付加価値を生み出すと、権限を増やしていくことができる。これらを実践しなくなったら、影響力が衰え、給料も減るだろう。

 大多数の企業では、階層は自然発生するわけでもなければ活力も持たない。リーダーはおのずと頭角を現すのではなく、上からの指名によって決まる。腹立たしいことに、重要な任務はえてして、最も有能な人物ではなく、政治的な嗅覚がだれよりも発達した人物に与えられる。

 それだけではない。権力はポストに伴うものであるため、有能な人物に権力が集まるとは限らないのだ。1度マネジャーになってしまえば、解雇されない限り権力を失うことはまずない。それまでは、成果が上がらない状態が続いてもおとがめなしである。

 モーニング・スターでは、「全員がすべての問題について対等に発言権を持つべきだろう」という発想は皆無だが、同時に、「上司である以上、その人だけが決定権を握るべきだ」と考える人もいない。

*  *  *

 マネジメントの将来がどうなるかはまだわからないが、モーニング・スターの人々による幕開けは刺激に満ちている。ただし疑問も残る。

 同社の自主管理手法は、従業員数1万人や10万人の企業でも成り立つのか。文化の異なる国や地域にも適用できるのか。低コストを武器にした海外の競争相手が出現するといった、深刻な脅威に対処できるのか。ルーファーや従業員たちはこれらの課題を考えると夜も眠れないと言い、自主管理が未完成であることを潔く認める。

「理念としては90%くらい完成していると思います。ですが、実務面ではわずか70%でしょう」(ルーファー)

 私は、モーニング・スターの手法はあらゆる規模の企業で使えるだろうと考えている。大企業のほとんどはチーム、部門、職能の集合体であり、それらすべてが同等の自律性を持つわけではない。企業規模がどれほど大きくても、たいていの事業ユニットにとって社内取引の相手は少数に限られるはずだ。年商7 億ドルのモーニング・スターは、けっして小粒ではないが巨大企業でもない。

 モーニング・スターがもっとはるかに大きな企業の1事業部だと仮定しよう。この場合、「他の事業部が同じ経営哲学を掲げる」という条件が満たされる限りは、「自主管理手法を全社的に運用するのは不可能だ」などと考える理由はない。巨大グローバル企業の各事業部を代表する人々同士が話し合いをして、モーニング・スターの事業部間で毎年交わされるのと同じような合意に至るのは、想像を絶するほどのことではない。

 実のところ本当の問題は、自主管理が規模の大きな企業で通用するか否かではなく、伝統的な階層組織に導入できるかどうかである。これについても私は肯定的な見方をしているが、適応には時間、労力、熱意を要するだろう(囲み「自主管理への道のり」を参照)。

 どんな不確実性があろうとも、はっきりしている点が2つある。

 1つには、少し想像力を働かせれば、自由vs. 統制のような、長く組織を悩ませてきた、克服できそうもないトレードオフを克服できる。

 2つ目として、マネジメント権限がごく一部の過大評価された人々に集中するのではなく、全員の責任とされる組織を思い描くのは、もはや現実離れした空想ではない。

コラム 自主管理への道のり

 あなたの組織はおそらく自主管理の原則を柱に据えてはいないだろう。十中八九は、官僚的な仕組みになっているはずである。複雑な決まり、幾重もの階層、多数のマネジメント・プロセスなどを設けて、全体の足並みと予測可能性を確保しようというのである。

 マックス・ウェーバーがおよそ100年前に指摘したように、管理こそが官僚制の哲学的な拠り所である。官僚的な組織におけるマネジャーは、決まりや基準の遵守、予算目標の達成などを部下に徹底させる監視役である。

 官僚制と自主管理は、全体主義と民主主義のように、対立するイデオロギーに根差している。自主管理型の組織を築くには、官僚制の弊害を取り除くだけではなく、官僚制そのものと決別しなくてはならない。

 アメリカの建国者たちは、君主制の行きすぎを和らげようとしたのではなく、それに代わる仕組みを取り入れようとした。これと同じように、自主管理を採用するなら強い覚悟で臨まなくてはいけない。さもないと、さらなる徹底を目指すべき時にそれができずに中途半端で妥協してしまうだろう。

 とはいっても、古くからの仕組みを壊すことが容易に許容されるわけではない。自主管理はマネジメント不在とは違う、極端なまでに分権化を推し進めるからといって無秩序を生むわけではない、と示す必要があるだろう。

 まず、従業員に自分の使命を書き出すよう求めよう。1人ひとりに「同僚のためにどんな価値を生み出したいか。彼らのために解決したい問題とは何か」と問いかけよう。どんな活動をするかよりも、どういった便益を生み出すかに焦点を当てるよう、はっぱをかけることだ。

 全員が短いミッション・ステートメントを書き上げたら、彼らを少人数のグループに分けて互いに批評させよう。この過程のおかげで、決められたルールに従う姿勢から、同僚同士の話し合いを通して責任を果たす姿勢への移行を始めるのである。

 次いで、従業員の自主性を広げるささやかな方法を探そう。みんなに「あなたの使命実現を妨げている手続きは何ですか」と問いかけるとよい。最も煩わしい手続きを特定できたら、それらを部分的に取りやめて、どうなるか様子を見てみよう。管理を緩めることは可能なのだから、自主管理の導入を真剣に考えているなら、段階を追って緩めていけばよい。

 さらに、チームごとにP/Lを持たせよう。裁量を賢く使うには、1人ひとりが自分の判断の影響を数字でつかむことができなくてはいけない。自主管理への道は情報によって開かれる。

 仕上げに、管理する側とされる側との分け隔てをなくす方法を見つけなくてはいけない。

 あなたがマネジャーなら、手始めに自分がチームにどんな責任を負っているかを列挙するとよい。そして部下全員に、そのリストに注記をしてもらおう。リーダーが統率相手に対してより大きな説明責任を持つことが、全員が互いへの責任を果たす仕組みをつくるうえで欠かせないのである。

 伝統的企業にとって、自主管理への道は長く険しいだろう。しかし、この分野の双璧を成すモーニング・スターとW. L. ゴア(注3)(〈ゴアテックス〉のメーカー、同社もマネジャーを置いていない)の実績は、努力するだけの価値があることを示している。いずれは、高い成果を上げ、しかも人間味にあふれた組織ができあがるだろう。

【注】

3)
W. L. Gore & Associates, Inc. デラウェア州ニューアークに本社のある、〈ゴアテックス〉で知られるメーカー。同社は、アソシエートと呼ばれる従業員の主体性や判断を重視し、従業員同士のコミュニケーションや信頼関係を基礎に、チームとして協働することで事業の成功を実現しようとする。

有賀裕子/訳
(HBR 2011年12月号より、DHBR 2012年4月号より)
First, Let's Fire All the Managers
(C) 2011 Harvard Business School Publishing Corporation.

[DIAMOND/ハーバード・ビジネス・レビュー]

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Posted by nob : 2012年03月21日 19:56