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電力改革決戦、春の陣/知恵と情報を結集し自らの頭で考えよう Vol.3

■「“韓国の使用済み核燃料を日本で再処理する”ことはあってはならない」
福島第一原発4号機建屋に入った唯一の国会議員、馬淵澄夫・元国交相との対話(下)
山岡 淳一郎

山岡:少し話の流れを整理します。原発は「トイレの無いマンション」と言われ続けてきました。ウラン燃料を燃やした後の使用済み核燃料の最終処分方法が確立されないまま建設され、いまも世界中で造られています。日本は、資源の有効活用をタテマエに、使用済み核燃料を再処理してMOX燃料をつくり、それを高速増殖炉、または一般の軽水炉で使う核燃料サイクル路線を推進してきました。しかし技術的にも経済的にも道理に合わない。

 1993年に7600億円の建設費で造られ始めた青森県六ヶ所村再処理工場は、20年ちかく経過しても欠陥、不具合続出で完成せず、建設費は、すでに約 2兆1,900億円以上に膨らんでいます。仮に竣工しても、40年間の操業で処理できるのは累積した使用済み核燃料の半分。その間、危険性が消えるまで 10万年かかるといわれる高レベル放射性廃棄物、低レベルの廃棄物も溜まり続ける。地震国日本では、放射性廃棄物を地下数百メートルに埋める地層処分は危険すぎて実現性に乏しい。まさに出口なし。フィクションです。

 そこで、馬淵さんたちは、いったん立ち止まって、核燃料サイクル路線を当面、中断し、どうするか考えよう、と。こう主張しておられるわけですね。

「受益と負担の原則でオープンな議論を始めなくては、裏工作とムラの論理で核燃料サイクルが動かされ、潜在的危険性は高まる一方」

馬淵:はい。そうです。もちろん青森県は国策によって再処理施設を建設し、使用済み核燃料の「最終処分場にはしない」という国との約束があればこそ、再処理にも応じてきたわけで、凍結すれば、国は特別の措置を講じて青森の産業再興を支えねばなりません。手厚いサポートは当然です。

山岡:で、中断した場合、悩ましいのは原発サイトの燃料プールに溜まり続けている使用済み核燃料です。六ヶ所村に送れなければ原発自体が雪隠詰になる。原発は稼動を停止するしかない。ただし停めても膨大な使用済み核燃料をすでに抱え込んでいます。原発を動かせば、もっと増え続けるわけですが、すでに全国で1万3500トンの使用済み核燃料がある。さらに、六ヶ所村に貯蔵管理している高レベル、低レベルの放射性廃棄物を青森県は、国や電力会社に「引き取ってくれ」と言うでしょう。再処理前提で溜めていた使用済み核燃料や放射性廃棄物が行き場を失くす。これを国全体でどうするか。そこから目を背けてはいかん、と。

馬淵:ええ、だから沖縄を除く、46都道府県が、それぞれの原子力発電への依存度に応じて、使用済み核燃料を責任保管するという「考え方」を議論の出発点にして、知恵を出し合おうというわけです。受益と負担の原則でオープンな議論を始めなければ、延々と裏工作とムラの論理で核燃料サイクルが動かされ、潜在的危険性は高まる一方です。

山岡:責任保管の概念は新しい。大都市圏からは、とんでもない、使用済み核燃料の保管施設など真っ平だ、危険物を分散せてセキュリティはどうするのか、と反発は出る。現実的には難しい。賛否両論あるでしょうが、私たちがトイレの無いマンションに住んでいる負担を共有する考え方から出発しなければ、解決の糸口は見えないのですね。

馬淵:自治体どうしの話合いで、引き受ける道も認めています。責任保管が重要なのは、最終処分の議論があまりに茫漠としているからです。安全になるのに10万年かかるところを1万年にしようとか、そのころ人類がいるかどうか、そんな話から始まる。研究するのは勝手ですが、そんな不確実な話を真に受けて、原子力政策を立てていいのですか。日本で、地層処分の答えなど出ません。ガラス固化技術は大切ですけれど、それでどれだけもちますか。

 だったら現実的に立ち止まって考え、責任保管に切り替える。われわれの第一次提言は、結論を記したのではなく、あくまでも問題提起です。いろんなご意見をお聞きしたい。

山岡:さて、再処理を中断するか否かでは、もうひとつ重要な問題があります。いわゆる「核オプション」としての再処理を手放していいのか、という議論です。日本の原子力利用は、1950年代の出発点から再軍備と密接に関わっていました。プルトニウム抽出が前提となる再処理は、潜在的な抑止力になるとの見方があります。

馬淵:「核セキュリティ」の問題は、極めて重要です。核オプションについて私見を打ち上げ花火のようにぶち上げ合う前に、政策決定を透明にする必要があります。この議論は国内だけでなく、国際関係と連動しているので、よくよく考えなければいけない。

 たとえば韓国。韓国は米韓の原子力協定の見直しに向けて、使用済み核燃料の再処理をやらせてほしい、と米国に求めています。韓国は1974年に締結された米韓原子力協定が2014年に満了を迎えます。2016年には国内の原発から出る使用済み燃料が飽和状態に達するとして、再処理の権限などの平和的核主権を求めています。韓国政府関係者は、一方的で依存的だった協定を同等で相互互恵的な方向に改定する、と力を込めている。

「『(韓国の)使用済み核燃料を日本で一緒に再処理をしたらいいじゃないか』という話になる可能性がある」

山岡:日本の「いつか来た道」を思いだします。拙著『原発と権力』でも書きましたが、70年代前半、東海再処理工場を動かす前の日米再処理交渉では、「核不拡散」を理由にアメリカはなかなか日本の再処理に首をタテにふらなかった。日本側は、さまざまなパイプを使って、再処理へと踏みだしました。

馬淵:いまアメリカは韓国の再処理を認める気はありません。隣に北朝鮮があるのですから、これで南が核オプションを握ったら、とんでもないことになりかねない。アメリカは、核兵器保有国以外で再処理を認めたのは日本だけだ、という前提に立っている。核をめぐる安全保障体制を崩すわけにはいかない。そこでアメリカは韓国にどう返答するかです。

山岡:口が裂けても、やっていいよ、とは言えない。

馬淵:「使用済み核燃料プールがいっぱいになるなら、日本で一緒に再処理をしたらいいじゃないか」という話になる可能性がある。

山岡:ああ、十分、考えられます。

馬淵:僕は、これはあってはならんと思う。あってはならんと思います。

山岡:なるほど。

馬淵:核の安全保障、核オプションという流れのなかで、原子力利用を国防、外交上の問題にしたら、いつの間にか核燃料サイクルがまた所与のものにされる怖れがあるからです。これは、プロセスとして非常に不透明なものになりかねない。なぜならば、安全保障上の課題であれば、国会においても、どこにおいても、一切国民に開示されることなく、決まってしまうわけですよ。これを非常に懸念しています。

「(原子力政策が)安全保障上の問題にされたとたん、秘密のベールに閉ざされます」

山岡:過去に核燃料サイクルを推進してきた政治家たちは、個別に核オプションには触れても、それと国策がどうつながっているのか、説明していない。私たちは知る手だてがなかった。核オプションが国会でまともに議論されたことは一度もないですね。

馬淵:安全保障上の問題にされたとたん、秘密のベールに閉ざされます。福島でこれだけの大惨事を引き起こしたのに原子力政策をブラックボックスに入れてはいけない。原子力協定は、日米、日韓、それぞれ結んでいます。日韓米の関係性をうまく使わねばならない。

山岡:こうも考えられませんか。アメリカは、再処理を求める韓国に「この際、日本にも再処理をやめるように言うから、そっちも諦めてくれ」と言うと……。

馬淵:それも可能性は大いにある。日米、日韓の2国間関係の枠組みでとらえれば、いずれの可能性もあるだけに、しかもそれがブラックボックスに入りかねないだけに、われわれとしても、よく研究し、ブラックボックスになっても論陣を張れるように、やっていかなければいかん、ということです。

 それがバックエンド問題勉強会の次の課題に含まれます。本当は、原子力政策大綱の見直しは、8月の「革新的エネルギー・環境戦略」発表ありきで、バタバタ進める議論ではないのです。

「東電国有化で真っ先に原発をどうするかが焦点になる」

山岡:前回の対談で、馬淵さんは核燃料サイクルの一点を突破して、エネルギーミックス、東電の国有化や発送電分離、原発再稼働などへ電力改革を展開したいと言われました。たとえば東電の国有化と原発の取り扱いは、今後、どう結びつくとお考えですか。

馬淵:国有化の先は、正直、まだ見えませんけどね。枝野経産大臣が孤軍奮闘しておられる印象を受けますが、東電に血税を投入する以上、国有化は当然です。議決権を三分の二以上政府が取得して、経営関与を強めるかどうかはわかりません。

 ただ、われわれの第一次提言でも東電処理で「公的管理の強化」と書きました。これまで国は「国策民営」で、民間に経営を任せて責任を持たなかった。東電は「民僚」ともいえる唯我独尊的な体質に陥って、今回の事故。東電をこのまま存続させられるはずがない。国有化といっても官僚が経営するわけではなく、りそな銀行やJALなどのように方法はさまざまです。

山岡:東電が国有化されたら、真っ先に原発をどうするかが、焦点になるのでは?

馬淵:そうです。安全を担保するために原発の国有化に進むでしょう。やり方はいろいろでしょうが、東電でいえば、まず福島第一原発と第二原発、新潟の柏崎刈羽、この三つを国有化して、それを機構に持たせるとか、そのスキームは多様ですが、東電の解体から始まると思います。

 原発を国有化しますと、発送電分離へと踏みこんでいける。そして東電管内において発送電分離、デマンドレスポンス(需要応答)による需要のコントロール、再生可能エネルギーの導入からスマートグリッドへの筋道ができて、管内の皆さんが実際に電力自由化を享受できるようになっていく。

山岡:東電管内で先行的なモデル事業ができる。

馬淵:発送電分離からスマート化への流れは、特区制度ではできない話ですからね。この原発事故を転機として、いまなら踏みこんでいけるんです。

山岡:と、すると東電の国有化は他の八電力にも間違いなく、影響を与える。ドミノ式に原発の国有化が進み、地域独占の九電力ピラミッド体制が崩れる、かもしれない。電力各社は、本音では莫大なコストがいる核燃料サイクルから手を引きたがっている、とも……。

馬淵:これはね、大改革なんです。

「電力の自由化への革命なんです。九電力体制を、大改革する必要がある。」

山岡:ただ国有化と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、官僚機構が天下り先にフル活用するのではないか、責任体制が曖昧で、経営環境が厳しいなかで迅速な判断が下させないのではないか、といった負の側面です。

馬淵:そこは、ね。山岡さん、誤解してもらったら困る。国が電力を統制する考え方とはまったく逆。電力自由化への大改革です。国策民営で、曖昧にしてきた原発の責任を、国がとるための国有化です。原発事故が起きて、民間企業に情報が集中するような仕組みじゃダメでしょ。国が責任を持つことは、原子力政策大綱で、きちんと書かなくちゃいけない。そして原子力の制御、放射能の除去、廃炉とか、本来の平和利用への技術的知見はどんどん高めていく。

 電力の自由化への革命なんです。かつてポツダム政令でなされた九電力体制を、大改革する必要がある。

山岡:戦後の電気事業再編は、「電力の鬼」といわれた松永安佐エ門がGHQの力を利用しつつ、ポツダム政令で電力国家管理体制を覆して達成されました。戦後復興を控えて、あの民営化は時代の必然だったと思います。しかし九電力体制は、いつしか地域独占で幕藩体制化してしまった。そこを、もう一度、自由の方へ、舵を切る。大改革ですね。

馬淵:自分は、そのための産業投資はどーんとやろうと、昨年八月の民主党代表選でも言いました。経済政策が抜け落ちているといわれる民主党のなかで、やるべきは、この環境エネルギー政策だ、デマンドレスポンスなんだ、と。供給側にばかり目がいくと、ハード一辺倒になってしまう。需要のコントロールを射程に入れれば、再生可能エネルギーを含めて、IT、生活支援サービスなど、産業のすそ野はどんどん深く、広くなっていく。

 僕自身、民間企業にいた立場から言うと、国が産業構造、あるいは市場にまで手をだすというのには反対なんです。ただしね、ことエネルギーは国家の基盤、安全保障上の課題もあるので、やっぱり国がかくあるべしという方向を示さざるを得ないと思っています。スマートグリッドへ、国が率先してやっていくべきです。九電力体制から、もう一度、民間というか国民のもとに電力体制を組み替えていく。

「財務省の言いなりじゃ先は拓けない」

山岡:東電の国有化は、財務省が嫌がっていますね。これだけ借金があるのに東電まで背負ったら、大変なことになる、と財務大臣も言っています。

馬淵:そう。カネがかかってしょうがない、と。でも財務省の言いなりじゃ先は拓けない。

山岡:東電は、発送電分離の圧力に対して、送電、火力、小売部門を社内分社化する案を、総合特別事業計画に盛り込むとも伝えられています、が……。

馬淵:社内分社化なんて目くらまし。一体で改革しないと実効性はないでしょう。発送電分離で注意しなくてはならないのは、電力の統合運用のメリットがなくなることへの対処です。これまで統合運用で、精緻化した電力供給構造が築かれて、平時に日本では停電がほとんど起きなくなった。世界中から日本のような電力供給は、とてもじゃないけどできないと言われています。そこは、しっかり検証をしなくてはいけない。発送電分離へ移行する過程で、大停電が起きないように準備しておかなくてはいけません。

山岡:原発の再稼働について、四大臣会議(総理、官房長官、経産大臣、原発大臣)は3月中にもゴーサインを出すのではないか、と言われています。

馬淵:安全基準の見直しが先だ、と僕はずっと言い続けてきた。いま津波への基準しか議論されていませんが、地震と津波、両方へのハードルの高い安全基準を暫定的にでも設けて、それに照らして大丈夫という確信が得られて、限定的に動かすことは考えられます。しかし、このまま地元の承認を得てというのは厳しい。

山岡:最後に第一次提言をまとめる過程で、最も苦労されたことは何だったですか。

「ぎりぎり、いまが事故を奇貨として転換できるかどうかの分かれ目です」

馬淵:それは、やっぱり青森への対応ですよ。青森選出の国会議員も勉強会に入っていました。再処理のところは、もっと緩い書き方ができないか、と議論は紛糾しました。しかし、そこを官僚の文章のようにどっちでもとれる書き方をしたら、意味がない。最後の最後で青森の議員は勉強会から抜けました。

 青森の地元に行けば、痛いほど思いはわかります。何も国に頼んで再処理施設をつくってもらったわけじゃない。苦渋の選択を強いられて、やってきたんだ。いまさら、何だと。議員も、地元を背負っているから無理ないです。でも、本質的な議論を避けていては、何も始まりません。ぎりぎり、いまが事故を奇貨として転換できるかどうかの分かれ目です。

山岡:ご多忙のところ、ありがとうございました。

馬淵:こちらこそ。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2012年04月06日 08:51