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「心配性とはすでに想像力を敵に回してしまった人」/スタンダール

■他人を許すには、まずは自分を許すことが大事

今日の一言
不機嫌になった自分を許してあげなさい。他人を許すには、まずは自分を許すことが大事である。

 誰でも、風向きや胃の調子によって機嫌が悪くなるものだ。扉を蹴飛ばす人もいれば、扉に八つ当たりするように無意味な言葉を吐き散らす人もいる。心の広い人は、こうした出来事を忘れてしまう。そもそもそんなことは気にしないので、他人がやったことでも自分がやったことでも黙って受け入れ、完全に許してやる。

 ところが不機嫌を売りにして、これみよがしに不機嫌になっている人もめずらしくない。この人はそうやって不機嫌が性格になってしまい、あのときあいつは自分の機嫌を損ねた、と言ってはその人をきらいになったりする。ほんとうは不機嫌になった自分を許すことが必要なのに、それはめったに行われていない。

他人を許すには、まずは自分を許すことが大事である。それをせずに際限なく後悔していると、つい他人のあらを誇大に考えやすい。こうしていつまでも不機嫌はなおらず、「どうせ自分はこうなのさ」などと開き直ったりする。これは、自分がわかっていないことを口にする物言いである。

不眠の人はあらゆる物音に耳をそばだてている

 ときに匂いが鼻につくことがある。それでも、花束やオーデコロンが原因の不機嫌がずっと続くいうことはあるまい。ところが、ほんのかすかな匂いまで嗅ぎ付け嗅ぎ分けて、これが頭痛の原因だと言い張る人がいる。こういう人は、煙で咳が出たといった調子で、万事に文句を付ける。家の中にこの手の暴君がいることは、誰でも知っているだろう。

 不眠に悩む人は、どうしても眠れないと訴え、どんなかすかな音でも目が覚めてしまうと主張するけれども、これは、ほかならぬ当人があらゆる物音に耳をそばだて、家中の者を責め立てようとしていたからなのである。こういう人は、自分の不機嫌を監視しそこなってうっかり眠ってしまったことにまで腹を立てる。人間は、どうやらどんなことにも熱中できるらしい。実際私はこの目で見たのだが、トランプに負けることにさえ熱中する人がいる。

 どうも物忘れがひどいとか、言葉が出てこないと思い始めた人の場合、すぐに証拠が見つかって、善良な人の喜劇が悲劇になってしまうことがある。こんなふうに、本物の病気や年齢に伴う影響は、否定しようがない。

 だがその一方で、医者が昔から気づいていたように、病人には強固な思い込みから症状を探し、やすやすと見つけてしまう傾向がある。このように些細なことを増幅させる傾向が、ほとんどすべての情念と大方の病気、とりわけ精神の病気を生み出している。ヒステリー研究で名高い神経学者のシャルコなどは、女性の患者が訴えることを一切信じなくなったほどだ。こうして医者が耳を貸さなくなった結果、ある種の病気は完全に消滅したか、すくなくとも消滅しかかっている。

「心配性とはすでに想像力を敵に回してしまった人」

 ひところもてはやされたフロイトの学説が早くも評価されなくなったのも、心配性の人にはどんなこともたやすく信じさせられるからである。ちなみにあのスタンダールは、心配性とはすでに想像力を敵に回してしまった人だと言っている。

 フロイト学説の基盤となっている性の問題は、ここでは取り上げるまい。性というものは、人間がことさらに重んじ、一種野生の叙情で彩るから重要になるに過ぎない。これはみなよくわかっていることだろう。

 それに、この医者の思想が病人にとってけっしてよいものでないことは、誰もが知っている。ただし、病人がこの異質な思想をすぐさま見抜いて我がものにし、それでもってひどく立派な仮説をたちどころに立証してのけることは、あまり知られていない。かくして、ある種の記憶だけがそっくり抜け落ちるという驚くべき病気が登場するにいたった。思い込みも病気の一種であることは、忘れられてしまったようである。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2012年05月25日 11:44