« 「心配性とはすでに想像力を敵に回してしまった人」/スタンダール | メイン | 傑作は時代を超える。。。 »
受け容れること、、、幸せへの第一歩。。。
■いやな人間に出会ったら、まずはほほえみなさい
今日の一言
寒さに対抗する唯一の方法は、寒さに満足することである。
激怒を端的に表す動作と言えば、我と我が身をかきむしることである。これは自分で自分を痛めつけ、自分で自分に復讐する動作である。子供はまずこれをやってみる。そして不機嫌のしかけた罠に落ち込む。
泣いてはまた泣き、腹を立てては癇癪を起こし、絶対にご機嫌になんてなってやるもんかと思いながら、自分で自分を慰めて拗ねてみせる。好きな人をわざと苦しめて自分を二重に罰し、自分を懲らしめるために他人に悪さをする。
無知を知るのを恐れて、もう本は読まないとうそぶく。強情に強情を張り、咳をしては怒り、侮辱されたことをわざわざ思い出して自分から気持ちをささくれ立たせ、自分を傷つけ辱めるようなことを悲劇役者よろしく自分に言い散らす。
万事いちばん悪いことが真実なのだと考え、いやな人間を思い浮かべてはことさらそのまねをし、信じてもいないことを試して失敗した末に「どうせ失敗すると思っていたさ。俺の運なんてそんなものだ」なぞと呟く。
あちこちで仏頂面をし、他人にうんざりし、人のいやがることばかりしているくせに、嫌われると驚く。むきになって眠ろうとし、どんなうれしいことも疑ってかかり、何事もつまらなそうにして文句をつけ、不機嫌に不機嫌の上塗りをする。
そんな状態で自分を点検しては、「自分は臆病者だ」「何をやってもへまばかりする」「物忘れもひどい」「もう年だ」などと思い込む。そしておおげさにいやな顔を作って鏡をのぞき込む。
——不機嫌の罠に落ち込むと、こういうことになる。
よい希望は運命を変え本物の喜びをもたらす
だから私は、こんなことを言う人が大好きだ。「なんて寒さだ。健康にはこれがいちばんだ」。なぜって、これ以上の対処法はないからである。北風が吹いているときは、手をこすり合わせるのはいつもの倍もよいことになる。本能的な動作には知恵に劣らぬ価値があり、身体は喜んで反応する。寒さに対抗する唯一の方法は、寒さに満足することである。
喜びの達人スピノザなら「暖まったから満足しているのではない、満足しているから暖まるのだ」と言うことだろう。それに倣って、こう言おう。「成功したから満足しているのではない、満足しているから成功したのだ」と。
喜びを探したいなら、まず先に喜びを蓄えておくのがよい。受け取る前に感謝するのがよい。希望は希望を持つ理由を生み出し、よい前兆は本物を招くからである。となれば、あらゆるものがよい前兆、うれしい知らせでなければならない。
「カラスのお告げも、気持ち次第で幸運の前兆になる」とエピクテトスは言った。エピクテトスが言わんとしたのは、何事も喜びとせよ、ということだけでなく、よい希望は運命を変え本物の喜びをもたらす、ということである。だから、自分で自分がきらいになっているいやな人間に出会ったら、まずはほほえみなさい。眠りたいときは、眠れると信じなさい。誰にとっても、この世で最大の敵は自分自身である。
不機嫌な動作は端々まで被害妄想が詰まっている
先ほど私は、常軌を逸して不機嫌な人のことを書いた。だがあのように一種気の触れた状態は、誰にでもある過ちを誇大に示しているに過ぎない。不機嫌な動作は、たとえかすかなものであっても、端々まで被害妄想が詰まっている。この種の狂気は、神経のどこかに小さな病気が巣食っているせいなのかもしれない。あんなふうにしていたら、しまいには自分の墓穴を掘ることになるだろう。
とは言え彼らからも学べることはある。あの気の毒な人たちは、誰もがする勘違いを拡大鏡でも通したように誇大に示しているからだ。あの人たちは、自分で問いを発して自分で答え、一人芝居を演じている。あの呪文のようなセリフから読み取れることは必ずある。ただしそれは、一人ひとりが理解しなければいけない。
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2012年05月25日 11:54