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幸せな人は、、、いつでもどこにいても幸せ。。。

■忙しくしているからこそ、幸福でいられる
【40】賭け
アラン 、 村井 章子

今日の一言
忙しくしているからこそ、幸福でいられるのである。落胆して不幸なときでさえ野心家が幸福になるのは、不幸を退治する方法を追い求めるからだ。

 「一人で暮らしていて、欲望であれ不安であれ金の力で万事解決する人は気の毒だと思う」と誰かが言っていた。「年をとったり、ちょっとでも病気になったりしてごらん。どうしても、自分のことばかり考えすぎてしまう。妻や子供がいたら、始終心配事はあるだろうし、いつまでたっても借金から解放されないかもしれないが、見かけよりずっとしあわせなものだ。何と言っても、胃の調子のことなんて、考える暇もないからね」。こうしたわけで、多少の借金はあった方がいいのだし、借金があってもあまり苦にしないことである。

 平凡でもおだやかで波風のない人生がよい、と人はよく忠告する。だが、そういう平凡な人生を送るためにはたくさんの知恵が必要なのだ、という忠告は十分になされていない。富や名誉を軽蔑することなど、簡単である。だが、富や名誉を追い求めないと決めたうえで、退屈せずにいることはむずかしい。

 野心家は、めったに得られない幸福を見つけようと絶えず何かを追いかけている。だが野心家は、こうして忙しくしているからこそ、幸福でいられるのである。落胆して不幸なときでさえ、やっぱり彼は、その不幸によって幸福になる。と言うのも、不幸を退治する方法を追い求めるからだ。こうして追い求めることが、不幸をほんとうに退治する。このように、外から迫ってくる明らかな必要性は、頭の中でひねり出した歪んだ必要性よりはるかに価値がある。

根っからの賭事師は運任せの賭けに夢中になる

 賭けへの熱中には、冒険熱からよけいな飾りを剥ぎ取ってむき出しにした姿を見ることができる。賭けにのめり込む人は安全など考えもしないが、だからこそ賭けはおもしろいのだろう。そこで根っからの賭事師は、注意や慎重さや腕前に左右される賭けはあまり好まず、ルーレットのようにひたすら運を待ち危険を冒すだけの賭けに夢中になる。ある意味で、彼らは破滅を望んでいるのである。賭事師は、賭けるたびに自分に言って聞かせる——「今度こそ身の破滅だ。ま、身から出た錆だがな」。

 これは、ひどく危険な冒険旅行に出かけるようなものだ。ただちがうのは、自分の考え一つで無事に家に戻れるという点である。誰に強制されるわけでもなく、ただしたいときに危険を冒すということもまた、運任せの賭けの魅力である。この魅力に賭事師は取り憑かれる。

戦争には賭博に通じる要素がある

 戦争には、おそらく賭博に通じる要素がある。仕事も心配事もいちばん少ない連中が最も好戦的であることからもわかるように、戦争を引き起こすのは倦怠なのだ。このことをわきまえていれば、勇壮な演説にいたずらに惑わされずに済むだろう。

 金持ちで暇のある人間がこんなことを言うと、ひどくもっともらしく聞こえる。「私にとって生きることはたやすい。その私がこれほど危険を冒し、全身全霊を挙げて恐るべき危険に挑むのは、抗しがたい理由があり、避けがたい必然があるからなのだ」云々。とんでもない。この男は退屈しているだけである。朝から晩まで働いていたら、こんなに退屈はしないはずだ。

 こうしたわけで、富が不公平に分配されると、何よりもまず、裕福なたくさんの人間を退屈させるという不都合が起きる。するとこの連中は、恐怖や怒りをこしらえ出してはそれに夢中になる。この贅沢な感情は、貧しい人々にとってはひどい重荷でしかない。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2012年06月23日 21:49