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直感と想像力、私達に致命的に欠落しているもの、、、虚飾に惑わされず真実を見据え、他人事を我が事に置き換えて想像する力が、私達自身と世界を救う。。。
■「脱原発」訴え切実 「古里を返せ」涙ながらに
「もう、原発はいらない」-。東京電力福島第一原発事故の被害に苦しみ続ける県民が、政府にエネルギー政策の大転換を迫った。福島市の福島テルサで開かれた意見聴取会。発言者の浪江町の住民は涙ながらに、仮設住宅での不自由な避難生活を訴えた。福島市の女性は母親の立場から、次代に付けを残さない核廃棄物の適切な処理を細野豪志環境相に求めた。4時間に及んだ意見発表は聴衆の共感を呼び、「福島復興」の祈りが会場を包んだ。
「あの海、あの山、あの人…」「できることなら元に戻してほしい」。浪江町から桑折町の仮設住宅に避難する農業松田孝司さん(60)は壇上から涙ながらに訴えた。
「そうだー」。会場に詰め掛けた聴講者から次々と賛同の声が飛ぶ中、松田さんは「古里を失った悔しさが分かるか。再稼働の問題は、国民投票で問うべきだ」と声を震わせながら続けた。
福島市飯坂町の会社員穴沢明子さん(54)は「核廃棄物のドキュメンタリー映画を見たことがありますか」と細野豪志環境相らに問い掛けた。大きくうなずく細野環境相に「放射能は見えなく、においもない。原発はなくすべき」と語気を強めた。
「おいしい相馬の魚も食べられなくなった。原発はいらない。先の世代にごみを残していいのか」。相馬市の団体職員杉岡伸也さん(36)が問い掛けると、会場から大きな拍手が湧き起こった。
持ち時間は1人に最大5分の予定だったが、原子力政策への考えを訴えようと時間をオーバーする発言者が相次いだ。早急な廃炉や、総発電量に占める原発依存度「0%」を求める意見がほとんどで、訴えのたびに「その通り」「原発なくせ」などの怒号にも似た声が会場に広がった。
一部の発言者からは「原発稼働がゼロなら、代替エネルギーは確保できない。再稼働は各社1基のみで期間限定が条件」とする意見や、「発電と送電を分離し、消費者がエネルギーを選択する仕組みとすべき」との考え方も出された。
[福島民報]
■わらうこと それが平和
《長崎から福島から(1)》
◎長崎市生まれ→小1で郡山市へ 田中 海雄君(9)
■街思い 絞り出した作文
ぼくは福島の人たちは、今、平和な時間をすごしていないと思います。
東日本大震災から半年後の2011年9月11日、島根県雲南市。福島県郡山市に住む小学4年、田中海雄君(9)が作文の朗読を始めた。題は「福島でいっぱいわらいたい」。
この日は、島根で生まれ長崎で被爆者救護に尽くした医師、永井隆博士にちなみ、平和をテーマにした作文に贈られる第21回永井隆平和賞の贈呈式。小学生低学年の部で最優秀賞に選ばれたのが田中君だった。
長崎市麴屋町で生まれた。市立諏訪小の1年生だった09年、父の潤也さん(41)の転勤で福島に引っ越した。
「原爆について質問されたらちゃんと答えるのよ。長崎の代表だと思われるからね」。転校前、母の恵美さん(46)に言われた。
祖母の常子さん(75)は爆心地から7キロ南の自宅近くで被爆した。
「太陽がこわれた」と、よく当時の話を聞かせてくれた。福島に移っても、8月9日は家族で平和祈念式典に参列した。
今でもおじいちゃんおばあちゃんがすんでいる長崎はぼくのたから物だけど福島も同じくらい大切な所です。
びっくりするくらい雪が降る冬、しだれ桜がとってもきれいな春……。福島の全部の季節が好きになったころ、原発事故が起きた。
「長崎に帰らないの?」と友達のお母さんたちに不思議がられたが、1年4カ月ここにいる。「どんなことがあってもみんなで一緒に生活する」と家族で決めた。長崎だって原爆が落とされた後も、虫や花が元気に生きていたと聞いた。
まだがまんしなくてはいけないことはあるけれどぼくは、いっぱいわらってすごしたいと思います。みんなでわらってすごすことが一番平和だと思うからです。
母は作文にどきっとしたという。福島の子として、長崎の子として「全身で受け止め、心から絞り出したもの」と言っていた。
今年の8月9日は、母と姉の美海さん(13)と、福島県の会津地方で過ごす。ある土産物店の壁に、長崎原爆の投下直後、米軍カメラマンが撮った福島県郡山市写真「焼き場の少年」が掛けてある。
弟の遺体を背負い、口を真一文字にして直立する男の子。店主が展覧会で出会い「全国の観光客に見てほしい」と掲げたその写真を見に行く。
「原発もいやだけど原爆もよくないと思う。けんかが大きくなって、たくさんの人が死んで、みんなわらわなくなるのが戦争でしょ」。人生で初めて、福島から長崎を思う一日になる。 (花房吾早子)
◇
東京電力福島第一原発事故の後、長崎と福島の間で揺れ動く人たちがいる。平和とは、戦争とは。被爆67年、東日本大震災から2年目の夏、彼らの姿から考えたい。
[朝日新聞]
■めぐみさんの思い出並ぶ 横田夫妻、日本橋で展示
北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの思い出の品や父・滋さんが撮影した家族の写真を展示する展覧会が一日、東京・中央区の日本橋高島屋で始まった。拉致被害者五人の帰国から十月で十年。家族だけの宝としてきた衣類などを初めて公開し、拉致問題が進展するよう願いを込めた。(小林由比)
滋さんと妻早紀江さんが暮らす川崎市のマンションの住民らでつくる「あさがおの会」の主催。写真撮影が趣味だった滋さんが、めぐみさんと家族を撮影した写真約八十点を展示した。三歳になるころ公園で元気に遊ぶ姿や、カメラに向かってひょうきんな表情を見せる小学生時代など、健やかに育っていたころの写真が並ぶ。
今回初めて、めぐみさんが小学生の時に友人から誕生日プレゼントにもらったオルゴールや早紀江さんが縫った浴衣、習っていたバレエの衣装なども出した。早紀江さんは「本当の物を見てもらうことで、こんな状態でいなくなってしまったということを実感してもらいたい」と話す。
この日は、横田夫妻が、めぐみさんの拉致を最初に報じた元朝日放送のジャーナリスト石高健次さんと拉致問題の現状について語った。石高さんは「現時点で拉致に関して水面下も含め、両国のやりとりは全くない。国の責任者である首相が一年で代わっていることも拉致問題の解決を阻んでいる」と指摘。滋さんは「この問題は政府間の交渉でしか解決できない。いろんなパイプで交渉を再開してほしい」と訴えた。
写真展を見た相模原市の主婦国本康子さん(65)は「両親の愛情の中で育っていたかわいい子がなぜこんな目に遭わなくてはならないのか。国には何としても助け出してほしいし、支援したい」と話していた。
十三日まで。無料。開場は午前十時から午後八時
[東京新聞]
■復興予算15兆円のうち約6兆円が使われず1兆円を役人ネコババ
1年半前、大震災と津波の惨劇を目の当たりにした国民は、「東北を必ず復興させる」と誓い合った。政府は震災復興のため、昨年度は3次にわたって約15兆円もの復興補正予算を組み、今年度分と合わせて総額19兆円(当面5年分)の震災復興予算を東北に集中的に投下することを決めた。
その財源をまかなうために来年1月から25年間にわたる所得税引き上げと10年間の住民税引き上げ(2014年6月実施)という、異例の長期間の臨時増税が実施される。「復興財源の足しにする」ために子ども手当制度の廃止(減額)、高速道路無料化実験の廃止、国家公務員の人件費削減などが決まったことは記憶に新しい。それでも、国民は「欲しがりません復興までは」と負担増に堪える覚悟をした。
ところが、現実には復興予算の多くが被災地には届いていない。国の予算は制約ばかりで被災地が本当に必要としている事業には、使えない仕組みになっているからだ。地元自治体は津波で水没した地域の地盤かさ上げや流された公共施設の建て替え、小中学校の耐震工事、避難所までの道路整備などの予算を要求したが、「施設の耐震化などは別の予算がある。復興と関係の薄い事業に配分したら納税者の理解が得られない」(復興庁幹部)と審査を厳しくして、大半は却下された。
苦労して予算をもらうことができても、復興にはつながらない。震災被害が大きかった気仙沼市や南三陸町などがある宮城6区選出の小野寺五典・衆院議員(自民党)が語る。
「被災地の自治体は壊滅状態だから税収もない。そこで復興に自由に使えるという触れ込みの復興交付金が創設されたが、使途が40事業に限定され、土地のかさ上げすらできない。気仙沼では水産庁の復興事業で漁港周辺の地盤を高くしたが、そこに以前あった商店を建てるのはダメだといわれた。これでは町の復興には使えません」
その結果、昨年度の復興予算約15兆円のうち、4割に相当する約6兆円が使われずに余った。自治体への復興交付金も8割以上が残り、前述の被災者向け復興住宅の整備予算に至っては1116億円のうちわずか4億円しか使われていない。総額19兆円を注ぎ込む復興は、絵に描いた餅だった。
大新聞・テレビはそうした復興予算の使い残しの原因は自治体の職員不足や縦割り行政の弊害だと報じているが、真実を見ていない。霞が関の役人は、わざと復興のカネを被災地の自治体には使えないように制限している。
その証拠に、余った復興予算のうち「不用額」とされた約1兆円は、今年度から新設された「東日本大震災復興特別会計(復興特会)」に繰り入れられ、各省庁に分配される。この復興特会の使途を見ると、復興とは名ばかりで、国民・被災者が知らないところで役人の掴みガネとなっていた。不用とされたカネが、シロアリ官僚の餌に化けたのだ。では、役人のネコババの実態を見ていこう。
シロアリ官僚たちがまず目をつけたのが、官僚利権の王道である「ハコ物建設」だった。 復興特会には「全国防災対策費」という名目がある。「東日本大震災を教訓として、全国的に緊急に実施する必要性が高く、即効性のある防災、減災等のための施策」に該当すれば、被災地でなくても復興予算が受けられる仕組みだ。役人たちは狡猾にこれを利用した。
国交省は、復興特会から36億円を使って政府の官庁舎を改修する計画を立てた。そのうち12億円は、内閣府が入る霞が関の合同庁舎4号館の大規模改修に使われる。
「昭和47年に建てられた施設で耐震不足なので、免震構造に変えます。他に秋田合同庁舎、和歌山県の田辺合同庁舎の修理、他に名古屋や釧路など全国の港湾合同庁舎の津波対策に使います」(官庁営繕部管理課・予算担当企画専門官)
一見、もっともな理屈だが、騙されてはいけない。国の施設の建て替えが進む一方で、肝心の被災地の整備には、予算が付いていないのである。石巻市役所は1階部分が水没し、5・6階の吊天井が壊れるなどの被害が出たが、「市庁舎改修工事」の費用はわずか2900万円。市の管財課担当者が、使い道を明かした。
「これは改修予算ではなく、加湿器と駐車場でのLED電灯の設置予算です。市庁舎を改修する予算は現段階ではありません。復興交付金には市庁舎の改修予算はメニューに入っていないので、付けられないのです。自治体が自腹で改修なんかしたら倒産してしまいますから、国に予算を出してもらう仕組みを検討中です」
実は同じ石巻市にある国交省の港湾合同庁舎には、今年4億円の改修費用が計上されている。国の出先機関と自治体で、これほどに差がつけられる理由がどこにあるのか。復興予算を決定した安住淳・財務大臣は石巻市出身である。昨年7月、安住氏はテレビ番組でこんな発言をしている。
「被災地の人は『助けてけろ』というが、こっちだって助けてもらいたい。国会議員が悪いなんて感情的だ。被災地の人のストレスが私のところにきて、それが総理に伝わってしまう」
その1年後、彼が決めた予算は、まさに被災地を助けず、こっち(中央の官僚たち)を助ける政策だった。
その財務省の外局、国税庁のやり口も酷い。東京の荒川税務署など、被災地以外の税務署3施設の改修工事に5億円を計上。荒川が選ばれた理由は、「今回の地震でどこか崩れたとか、老朽化が著しいというわけではなく、耐震化工事に着手しやすい税務署だということ」(国税庁会計課)だそうで、ここでも被災地が後回しにされた。被災した大船渡税務署職員の嘆きを聞こう。
「税務署の建物は津波で浸水したため、現在は法務庁舎の敷地に仮事務所を設けています。プレハブ造りの簡素なものなので、空調の効きが悪く、場所もかつてに比べ手狭ですが、もとあった建物が整備されてから移転となるので、移転はしばらく先になりそうです」
■福場ひとみ(ジャーナリスト)と本誌取材班
[週刊ポスト]
Posted by nob : 2012年08月02日 23:57