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何も難しいことではない、、、自らの頭で考え、決めて、すべての言動に責任を持つ、ただそれだけのこと。。。

■選挙後の今こそ考えたい
日本の“顔”を世界に示し責任的欲求を満たす3つの論点

外国人から見た日本人像は70年前止まり?

 2012年12月17日、衆議院選挙投開票日の翌日――。

 今こそ想い、考えることを綴りたい。

 昭和59年生まれの私はポストバブル世代として生き続けることを運命づけられている。“ポストバブル世代”とは、「生まれ育った国で、元気になるようなニュース、外国の人たちに伝えたいと思えるニュース、未来に希望を見出せるようなニュースを聞いたことが、感じたことが、見出したことがほとんどない世代」だと私は定義している。

 同世代の皆さんはそういうニュースを聞いたことがあるだろうか? 私は高校卒業まで一切なかった。

「日本はそんなにダメな国家なのか?」と甚だ疑問に感じていた。

「自分が生まれ育った故郷って、実際、外の世界から見てどうなの?」という好奇心に駆られて、18歳で日本を飛び出し、中国に赴いた。北京という、おそらく現在世界で最も注目されている、発展途上でダイナミックに変化する都市で、約9年間祖国を眺め、思索を巡らせてきた。

 2005年4月。北京で起こった反日デモの現場で、いま何が起きているのかをこの目に焼き付けようと、取材した。

 デモ隊は「小泉靖国参拝反対!」、「釣魚島は中国の領土だ!」、「日本は歴史を改ざんするな!」、「日本常任理事国入り反対!」などの横断幕・スローガンを掲げる一方で、日本のデジタルカメラで楽しそうに写真を撮っていた。

 この取材をきっかけに、自称“反日屋”の自宅にお邪魔する機会を得た。驚いたことに、家具はすべて日本製だった。

 北京大学国際関係学院で受講していた必修科目「国際組織」の授業内容が、「日本は国連常任理事国に入るべきか?」に変更されたことがあった。周りに座っているのは中国の将来を左右するかもしれないスーパーエリートたちだ。反対する学生がほとんどだったが、皆理性を失わず「歴史に真摯に向き合わずしてアジア諸国の賛同は得られない」と主張していた。

 なかには日本の常任理事国入りに賛成する者もいた。一人のクラスメートが提起した理由は「日本が国連で影響力を拡大することはアジアの復興にとってプラスになる。今の中国には、一国でアジアをリードしていく力も余裕もない」というものだった。

 街角にある本屋に足を運んでみると、日本関連の書籍がフィクション・ノンフィクションにかかわらず、目立つように並んでいた。複数の書店で店員に日本関連の書籍の売れ行きについて聞いてみると、「最近、よく売れるんですよ」と口を揃えていた。

 興味深かったのが、どの書店に行っても『菊と刀』(ルース・ベネディクト著)が目につく位置に並べられていたことだ。第二次世界大戦中、日本人の思考回路や行動規範を分析するために執筆・出版された書物は、「菊の優美と刀の殺伐」に象徴される日本文化の核心を突いたとして、多くの読者に語り継がれてきた。

 私の知る限り、中国人が今に至っても「日本を知るための最良のテキスト」としているのが、この約70年前に出版された、アメリカ人によって書かれた『菊と刀』である。

だったら、お前が書け!

 あなたは“この状況”をどう受け止めるだろうか?

 私は、日本人として重く受け止めるべきだと考える。日本は何処にあり、日本人とは何者なのか――。

 この最も歴史的で、原始的なテーマに向き合うことに、私たち日本人は疎くなってはいけない。

 故サミュエル・ハンチントン氏(国際政治学者、『文明の衝突』著者)は著書『Who Are We?』(Simon & Schuster Press, 2004)のなかで、アメリカアイデンティティーへの挑戦(The Challenges to America's National Identity)を世に問うた。

 自己批判力。自己定義力。自己発信力。

 アメリカには、この3つ力が備わっていると感じている。人種のるつぼである移民大国アメリカだからこそ持つ、最大のアドバンテージだと私は考える。そして、この3つの力は、我が祖国日本が持つ最大のディスアドバンテージでもある。

「日本人」と『菊と刀』にまつわる私なりの体験談を、日本の有識者たちに話してみると、一貫して一致した答えが返ってくる。

「日本のことを全然知らないアメリカの人類学者が書いた本が、海外ではそんなに流行っているのか。時代遅れも甚だしい。いい迷惑だ」

 こうしたご意見を聞きながら、これまでは「そうですよね」という表情で相槌を打ってきた。私なりに空気を呼んで、自分を抑えながら、先輩方の面子を重んじてきたつもりだ。

 しかし、ここでは本音を伝えたい。

「じゃあ、なぜあなたが書かないのですか? そんなに言うなら、あなたがより客観的に日本人を説明する本をプロデュースすればいいじゃないですか?」

「だったら、お前がやれ!(DOY)」風に言うと、DOK(だったらお前が書け!)だ。

 そして、こう付け加えたい。

「そういう努力もしないで、頭ごなしに他者を批判して、説得力がありますか? 日本人が誤解されることの、少なくとも半分の責任は、相手に理解できるような発信をせず、ただ文句を垂れるだけの、過去を軽視し、現実を傍観し、そして未来をも突き放そうとする私たち自身にあるのですよ」

 中国では最近、「日本人は常にどこかに“世界の中心”を必要とする辺境の民」だと主張する内田樹さんの『日本辺境論』(新潮新書、2009年)が、名著『菊と刀』に次ぐ、日本人を描いた書として、読者たちに親しまれているようだ。

 私が2012年上半期に教鞭を取った上海復旦大学の書店にもずらりと並んでいた。学生たちは興味深そうに手に取っていた。

 この現状をどう認識し、納得するかは、私たちひとり一人の問題である。そういう中国・中国人とどう付き合っていくかということもまた、私たちひとり一人が今後ますます向き合わなければならない課題であろう。

世界は日本の“顔”を求めている

『菊と刀』を生んだ超大国アメリカに来て3か月半が経った。1970〜80年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた日本の存在感は影を潜めている。メディアや書物からある程度は覚悟していたジャパンパッシングは、私の予想をはるかに超えていた。

 現在私の身の回りで起きている現象だけから見ても、以下の3点が浮き彫りになってくる。

(1)一般市民だけでなく、ハーバード大学学生の多くが日本の現役首相の名前を知らない
(2)とにかく日本が会話の話題に出てこない
(3)日本語を学び、日本を研究しようとする学生が極めて少ない。

 一方、お隣の中国を取り巻く世情は真逆である。

(1)胡錦濤や習近平という名前を知らないハーバード大学生は極めて少なく、一般市民の多くも知っている
(2)中国は常に会話の話題になっている
(3)皆、中国語を勉強することが将来につながると信じている。中国研究、中国ビジネスをやりたいという学生も多い。

 話が前後してしまい恐縮だが、アメリカと比べて、中国では経済的、歴史的、地理的に近いジャパンがパッシングされているわけではないと約10年の滞在経験から感じてきた。

 家電製品から漫画・アニメ・小説まで幅広く受け入れられているし、日本の政治・経済に対する関心も依然高いと感じている。もちろん、この“関心の高さ”は昨今における日中関係の摩擦が中国人のナショナリズムを刺激しているからという側面と表裏一体であることは否めないのだが。

 ハーバード大学のある教授の当代日本観は、世界を代表する“発信の拠点”であるボストン知識界の総意を彷彿させる。

「日本は不安定で、国家として何をしたいのかが見えてこない。でも日本は重要だ。東アジアにおいて、国際問題で影響力を発揮すべきだ。いずれにせよ、日本人は礼儀正しく、尊敬できる」

 このコメントが間接的に反映しているのは、同教授の当代中国観であろう。

「中国の国家戦略は明確で、拡張主義を取っている。彼らが国際社会でルールを守り、責任ある行動をとるよう、最大の隣国である同盟国日本には力を発揮するだけではなく、模範的な存在感を示してほしい」

 アメリカ、中国を含め、いまほど世界が日本の“顔”を求めている時代はない。中国の先行きが誇大視・不安視される状況下で、いまほど日本の戦略的価値が問われている時代もない。

 私はそう確信する。

日本再生の鍵になるVAP

 以前、本連載で「世界のVIP(Very Important Person)になるためには、まずはVAPだ」と書いた。(「だったら、お前がやれ!」第10回)

 Vision(未来展望)、Action(行動規範)、Position(立ち位置)の3つを、業界や年齢を超えて、官民一体となって、内外に示していくことでしか、日本・日本人は世界のVIPにはなれない、という意味である。

 そんな日本・日本人は、いま外交の前の段階である内交に忙しくしている。
以前、人生の先輩である女性が教えてくれた。

「嘉一くん、忙しいっていうのは、心が亡くなるということ。だから、人間あんまり忙しくしちゃいけないのよ」

 若いうちにそれなりに世界各地を歩いて回る機会に恵まれた私は、心の底から言える。

 日本人ほど忙しくしている国民は世界中でどこにもいない。これまでも、いまも、そしておそらく、これからも。

 そして、忙しさがこれほど成果、或いは結果と言われる産物につながっていない国民も、世界中でどこにもいないと思っている。これからも。ーこういう局面。アが続くのだろうか?

 仮にそうだとしたら、なぜなのか、何が原因なのか――。

 皆さんは考えたことあるだろうか?

 私なりに考えてみたが、現段階では「VAPが明確でなく、コンセンサスが得られていないから」という答えにしか行き着かなかった。そんな自分が情けないし、歯がゆい。

 数年前、北京から一時帰国したある早朝、東京新橋駅の構内を歩きながら、あることに気づいた。

 みんな同じ方向を向いている。みんな同じ速度に歩いている。みんな同じ表情で生きている。聞こえてくるのは、足音だけ。

 背筋を冷気が突き抜けたのを感じながら、脳裏をよぎった。

 日本人はみんな同じように見える。みんなで“この社会”を守るべく、必死に繕い、ふるまっている。でも、考えていることはバラバラで、目標もバラバラ。心は亡くなっているかのよう。

 良くも悪くも中国人は違う。

 路上で喧嘩ばかりしている。北京の地下鉄では、乗客同士のもめ事は日常茶飯事だ。ぶつかり合い、罵り合う。秩序も何もあったものではない。足音は聞こえてこない。うるさすぎるから。

 同質化している日本人と違って、中国人はそれぞれがバラバラに見える。でも実は、皆同じことを考え、目標も共有している。

 今日よりも明日、まずは自分の幸福をガムシャラに追求すること――。唯一、それだけが一緒だ。

 バブル期を過ごされた日本の諸先輩方にこの話をすれば、「日本にもそういう時期があったよ」と指摘するだろう。

ポストバブル世代の私は思う。“そういう時期”が過ぎてしまった世界に生きる日本人だからこそ、いま、答えも出口もない迷宮に嵌っている。

“失われた20年”と国内外で揶揄されるが、私は失われてなんかいないと思う。この20年、日本人は世界中のどの国民よりも努力し、勤勉に働いてきた。

 私は日本人よりも世界で尊敬される国民を知らない。

 そのことに誇りを持つべきだし、努力を忙しさで終わらせず、“顔”の創造につなげるべく、知恵と想像力を培い、今こそ全面的に押し出していくべきではないか。

 日本は敗戦国として立ち直り、前代未聞のスピードで世界第二の経済大国に登りつめた。“Japanese Miracle(日本の奇跡)”とまで言われた。失われた20年は、そのリバウンドだと自覚することが、日本再生への前提条件だと私は考える。

 ポストバブル世代として、自戒の念を込めて伝えたい。時間をかけて、じっくりVAPを定めて、実践していけばいいじゃないか。

 先代たちは、いま私たちが充分な時間をかけて議論していいだけの生産力を蓄積してくれたのだから。

 あの輝かしい日本をもう一度。あの日本って、どの日本? それを探求していくことが、私たちの責務であり、先代たちへの恩返しではないか。

 探求するために鍵になるのがVAP。

 これが私の現段階における答えだ。

責任的欲求を満たす3つの論点

 2009年度、前回の衆議院選挙は、「日本版政党政治の在り方」を模索するためのアジェンダであった。結果、政権が交代した。

 2012年度、今回の衆議院選挙は、「日本版価値観という生き方」を模索するためのプロセス、即ち、日本人自身が、どういう社会を求め、どういう生活を欲し、どういう世界を築いていくかというテーマに対して、答えを探していく過程であると思う。

「これしかない」と選択肢を限定して、それが正しいか否かを問うのではない。日本人自身が、長期的に、どういう生き方を望むのかという価値観そのものが問われた、国民に主観的思考を求めた選挙だったのだ。

 私たちが望む生き方を、目一杯議論すること。それこそが有権者に突きつけられた問いである。

 原発、増税、TPP……。

 原発とどう付き合いながら、エネルギー供給を確保していくのか。日本人の心の中にある「原子力」という概念は、他国民には分からない。日本人は、それだけ特別な経験をしてきた国民だ。だからこそ、私たちには世界の平和と繁栄に資する役割が求められる。その役割を果たせる能力を私たちが持っているのであれば、正しく行使する責務がある。消費税率だけでなく、企業形態と産業構造にも直接影響を及ぼす法人税にも着手しながら、どう財政基盤や経済成長を確保していくのか。

 国境が低くなるグローバリゼーション時代に、日本はどこまで国を、心を開くのか。どう他者と付き合い、新時代のライフスタイルを構築するのか。

 日本人にとっての責任的欲求を満たすためには、以下の3点が必要だと考える。

(1)国家戦略(National Strategy)……国家として何を求めるか
(2)国民世論(Public Opinion)……国民が何を求めるか
(3)国際貢献(International Contribution)……国際社会で何を求めるか

 これら3つのファクターを念頭に置きつつ、“顔”を創造すべく国民一人一人が汗をかいていくこと。からっと晴れたボストンの冬空を見上げながら、足音しかしない新橋駅構内を想像しながら、そんな時代の幕開けを予感している。

 成せば、成る。

 だったら、お前がやれ!!

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Posted by nob : 2012年12月17日 09:05