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カネ(=悪縁)はいずれ尽きる。。。
■暴力団に「借り」を作った
島田紳助の本当の代償
溝口 敦 (みぞぐち・あつし) ノンフィクション作家、ジャーナリスト
島田紳助氏は10数年前、テレビでの発言を右翼に咎められ、テレビ局に街宣車を集中される攻撃を受けた。耳をふさいで知らぬ振りはできない。大音量の糾弾は現に局の業務を妨げている。営業妨害として警察に取締りを要請すれば、右翼の神経をさらに逆なでするようで、怖い。
紳助氏はこのとき、芸能界から引退しようかとまで思い悩んだという。たまたま元ボクシング世界チャンピオン、渡辺二郎氏(07年に恐喝未遂で起訴、上告中)が山口組系の有力組織である山健組系(当時)極心連合会の橋本弘文会長を紹介し、橋本会長が右翼と交渉して攻撃は止んだ。これにより紳助氏は橋本会長に深く感謝し、以後、心服するようになった――。
相場1000万円以上の礼金が
無料だった理由
紳助氏と橋本会長を結んだきっかけは右翼の攻撃だったようだが、現在、右翼の大半は暴力団系である。暴力団が右翼を別働隊として使うことはもちろん可能だし、現に暴力団がこうした「分身の術」を使ってターゲットとする企業や個人を困惑させ、その後自ら登場して騒ぎを丸く納め、礼金を取るマッチポンプも行われている。
右翼に街宣活動から手を引かせるにはカネがかかる。右翼としても隊員や街宣車を動員し、人件費やビラ代など経費を掛けている。両者の間に立つ調停者は右翼にしかるべきカネを払って攻撃を止めてもらう。右翼がタダで矛を収めることはまずあり得ない。調停してくれるよう依頼する者は右翼の街宣中止代と、調停者への礼金を合わせて支払わなければならない。相場は1000万円以上と見られる。
紳助氏の記者会見によれば、調停に当たった橋本会長は紳助氏にカネを要求せず、二人の間にいっさいカネの支払いはなかったという。通常はあり得ないことだが、無料の例は必ずしも皆無ではない。調停者の暴力団が依頼者の将来を見込み、貸し借り関係の「貸し」に回りたいときだ。紳助氏の場合はこれだったかもしれないが、彼は橋本会長に大きな「借り」ができた。
「俺のケツ持ちを誰と思ってるんや」
暴力団の用語に「ケツ持ち」がある。特定の人間がトラブルに見舞われれば、組員が前面に出て対処するといったニュアンスであり、よくいえば「後見人」とでもなろうか。
紳助氏は頭に血が上って凄むとき、「俺のケツ持ちを誰と思ってるんや。極心連合会の橋本会長やぞ」と怒鳴り、恫喝した。事情を知らない者は、彼のバックは山口組系の極心連合会か、と一瞬怯む。つまり紳助氏は橋本会長から借りができたことを気に病まず、むしろ継続的に庇護者になってくれたと受け取った節がある。
総じて紳助氏は切れやすく、04年10月には大阪・大淀南の朝日放送社内で吉本興業の女性社員を殴打し、加療1週間を要する頭部外傷や頸椎捻挫、左上肢と背部の打撲傷害を負わせた。女性社員はその後長くPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、ついに退職するハメに陥った。紳助氏を民事裁判で訴えもした。
紳助氏は単に暴力団幹部の庇護を受けているだけでなく、彼自身が暴力的で、一般人と何度もトラブルを起こしている。生来、暴力的な性向を持っているのかもしれない。
橋本会長は山口組の出世階段を順調に上っていった。76年に山健組に加盟したのだが、89年山健組の渡辺芳則組長が山口組の五代目組長に上ると、次の山健組組長の座は桑田兼吉に譲られた。橋本会長は桑田組長の下でナンバー2である若頭に抜擢され、桑田組長が拳銃の共同所持で裁判を抱えるころには組長代行に上っていた。
渡辺五代目組長の地位が司忍若頭(現山口組六代目組長)により脅かされ始めた05年4月には山健組から山口組の直系組長に引き上げられ、しかも同年6月には若頭補佐に任じられた。橋本会長は押しも押されもしない山口組の大幹部にのし上がったのだ。
山口組は日本の暴力団組員の半数を占めるほど多数派であり、その若頭補佐といえば、組内で五指に入る。紳助氏の「ケツ持ち」はあれよあれよという間に出世を遂げ、紳助氏はこうも強力な後ろ盾なら「向かうところ敵なし」と思ったにちがいない。
芸能人としての生活か、交際の継続か
元ボクサーの渡辺二郎氏は極心連合会で相談役の肩書きを持っているとされる。彼との間のメールが今回問題にされた。
大阪府警は07年6月、渡辺氏を詐欺恐喝容疑で逮捕した際、渡辺氏の携帯電話を押収した。おそらく05年に携帯電話を買い換えたのだろう。押収した携帯には05年6月から07年6月までの間、紳助氏と交わしたメール106通が保存されていた。これが証拠となり、紳助氏が渡辺二郎氏を介して、いかに橋本会長に心酔し、深く交際していたか、如実に示すことになった。
他方、橋本会長も05年6月競売入札妨害容疑で大阪府警に逮捕され、06年3月にも詐欺未遂容疑で逮捕された。会長宅の家宅捜索も併行され、橋本会長とのツーショット写真や紳助氏直筆の礼状なども押収されたようだ。橋本会長が逮捕された際、紳助氏は「会長心配です! ほんま警察むかつきますね!」などとのメールを渡辺氏に送っている。
メールについては大阪府警捜査四課が解析、調査し、報告書にまとめている。検察側がこの報告書を裁判所に提出したため、府警ルートか弁護士ルートでメールが流出したと推測されている。
吉本興業もメールを入手し、その重大性に気づいた。メールを突きつけられれば、紳助氏と橋本会長との交際を否定できない。それで紳助氏に事情聴取したわけだが、紳助氏は橋本会長との交際を否定せず、それが問題になるなら、芸能界を引退すると言い切ったと推測される。
吉本興業にすれば、できるなら紳助氏に交際を否定してもらいたかったはずだが、紳助氏は情報はウソだと否定しなかった。せめて「今後は橋本会長との交際を断つ」ぐらいは言ってほしかっただろうが、それも紳助氏は拒否した。これにより紳助氏を謹慎処分にしてほとぼりの冷めるのを待ち、芸能界に復帰させるルートは断たれた。
引退後の行く末は・・・
紳助氏は極心連合会・橋本会長と絶交するとは約束できなかった。10数年前の街宣車騒ぎのとき、丸く納めてくれたのが橋本会長である。紳助氏は「大恩ある橋本会長に手のひら返しはできない」と判断したのだろうが、もう一つ恐怖心も働いたはずだ。
絶交を宣言すれば、橋本会長が間違いなく怒る。今まで庇護してくれた人間が紳助氏の態度の急変に「汚い野郎だ」と、敵に変わりかねない。このことがなにより紳助氏には恐ろしかったはずだ。
つまり紳助氏は芸能人としての生活を取るか、橋本会長との交際の継続を取るか、2つに1つの岐路に立たされた。結果として選んだのが芸能界引退であり、一般人として心置きなく橋本会長と交際を続ける道である。
幸か不幸か紳助氏には40億とも伝えられる資産があり、飲食店の経営など事業家としても成功している。紳助氏が結果として交際の継続を望んだ以上、橋本会長は手厚く紳助氏を遇するにちがいない。渡部二郎氏と同じく極心連合会の相談役に据えるかもしれないし、客分として迎えるかもしれない。
極心連合会は山口組の直系組の中でも有力組だが、今はどの組も経済的に詰まっている。紳助氏はすでに芸能人ではなく、極心連合会に理解を示す事業家でしかない。極心連合会が紳助氏からカネを融通してもらうことを遠慮する理由はない。まして紳助氏には大きな貸しがあるのだ。
紳助氏が強調するように橋本会長が善意の人であっても、暴力団経済は、食える者は食うという弱肉強食の論理で動いている。紳助氏がカネを握るかぎり暴力団社会で大事にされるだろうが、カネがなくなれば価値はゼロである。紳助氏は暴力団社会にかなり親近感を持っているらしいが、悲しいかな、彼直属の暴力要員を持たない。暴力団の内側に入ったからには理不尽な要求をはねのけられるのは暴力しかなく、その意味で彼は非力である。大阪府警に助けを求めても、「むかつく」といわれた府警が紳助氏に味方するはずもないのだ。
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Posted by nob : 2013年03月16日 12:17