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そのとおり!!!Vol.26、、、ついでに後編。。。

為末:僕の場合は、誰かのためいいことをして感謝された時でしょうか。自分はこの人に感謝されている、と思えると満たされます。でも、競技で勝負する時は、ドライになって、時には嫌な人になって「あいつは何だ」と言われても割り切らなければならない。

 自分の中で何かしら分配する感じです。周りが敵だらけで、誰も自分を理解してくれないのはちょっと耐えられませんから、家族か誰か、自分なりに理解者を確保するようにしていました。

竹中:私はかつて政治の世界で大変批判されて、さすがに落ち込むことがありました。そのときに助けられたのが小泉純一郎さんの一言でした。「悪名は無名に勝る」。ああ、そうか、と(笑)。褒められたわけですね。

為末:悪名は無名に勝る、なるほど。僕は組織にいられなかった人間ですから、偉そうなことは言えないんですが、たとえば組織の中にいる方は、もう一つ、違う場所を意識して持っておくというのが重要な気がします。

自分で自分を変えるより、環境に変えてもらう方が確実

為末:会社員時代、プロ時代、アメリカにいた時代、僕は言うことも考えていたこともそれぞれ結構違っていました。

 「その場所にいながら、その場所ではないことを考える」、というのは、やっぱり難しいと思うんです。だから、距離を置く場所、会う人を変える、人に会う比率を変える、といった感じで、「今の状態から考えを変える」よりも、「自然と自分が変わっていくように周囲の環境を変えていく」ほうが、近道なんじゃないかな、と思います。

竹中:政府系銀行や役所など、私も組織のなかにわりと長くいたものですから、為末さんのおっしゃることはわかります。

 私はよく言うんです。出る杭は打たれる、出すぎる杭は打たれない、と。ただし、ですぎる杭は引っこ抜かれるケースもありますが(笑)。でもね、日本社会はわりとよくできていて、ちゃんと実績をあげていれば、出すぎる杭でも打たれないですよ。そういった許容度をこの社会はちゃんと持っていると私は思います。

 江戸がすでに100万人都市だった1790年頃、ニューヨークの人口は3万3000人程度でした。私たちは200年前からこの狭い地域に肩を寄せ合いながらみんなで暮らせるような社会を持っているんです。これは日本の誇るべきソシオキャピタルで、人を傷つけたりせずに配慮します、という社会なんですよ。

竹中:私が「いいな」と思うのは、資生堂名誉会長の福原義春さんの“ハイフニスト”という考え方。福原さんは「経営者−(であり)−写真家」という2つの領域を持っていらっしゃるんです。

為末:なるほど。2つが「−(ハイフン)」でつながって1人の中に入る。

竹中:2つの領域を持つことによって、1つが何かスランプのときはもう1つが助けてくれるし、バランスを取ることができる。そしてそれぞれの道を突き詰めていくと、結局、とても似てくると。つまり、どの道であっても、名人という人は必ず似ているんですよ。

 ですから、今風に言うとダブルベンチャーと言いましょうか、常に複数の場、顔を持っておくのはすごく重要だと思うんですね。

為末:場や相手によって伝え方を変えることも大切かもしれませんね。僕自身はノンポリで確固たる考えを持っているとは思いませんが、なんとなく媒介役が向いている気がします。

 抽象的なポイントをこの人に超越してほしいという思いがあったら、実はこういう考え方もあるんじゃないですかと、伝えたい相手に合わせて、話をちょっとだけ作ったり、大げさにわかりやすくして伝えるようにします。要点がわかってくれたらいい、と。

突き詰めているから優しく話せる

竹中:為末さんはお話がとてもお上手だと思います。でもそれは絶対に小手先のテクニックではないと思いますよ。

 これも小泉さんから学んだことですが、やっぱりね、腹に落ちているかどうかが肝です。腹に落ちていたらどんな表現もできるんですよ。本当に腹に落ちていたら、あとは相手の顔を見ながら話せばいいだけで、テクニックは後からついてくる。そこが最大のポイントだと思います。

 そして突き詰めて考えていると、プレーンな言葉、易しい言葉で話せるようになります。

為末:腹に落ちていないからか、妙に難しく話す方、いらっしゃいますよね(笑)。

竹中:自分の考えているプロセスをああでもないこうでもないなんて、そんな話は誰も聞きたくない(笑)。やたら話が長くて何を言っているかわからない人っているでしょう?

為末:僕、英語は得意じゃないですが、英語で言えないことは、僕自身がだいたいよくわかっていませんね。それと、子どもに教えられないのも、自分がわかっていない時。ですから、ふだん会わない相手と話すのは、自分自身が腹に落ちているかどうかを判断する、ひとつの手段になるかもしれません。

竹中:そのお話は私も大賛成です。英語で話せない、子どもに話して聞かせられないことは、きっと言葉で何かをごまかしている。日本語は曖昧にごまかすのが便利なように出来ている言語で、英語はボキャブラリーが少なく、ストレートな言語。言うべきことをごまかせないんです。

 それから、外の風に当たる、というのも大切です。私は言葉の言い訳におもねてばかりいる若者には、一カ月インドに行ってこいと言います。私たちはなんて恵まれているんだ、人間はなんて愛おしいんだということに気づき、彼らは本当に目が覚める。

 スラム街で子どもをあやすお母さんも、きれいな色の髪飾りで髪を結んでいる。少しでもきれいでありたいんですね。そうした光景を見ると、若者の物事に対する考え方が変わります。ことほどさように、いつもとまったく違う風に当たるというのは、大切だと思うんです。

為末:そうですね。自分を変えるインパクトはそう手軽に得られません。追い込まれないとなかなか……。僕はヨーロッパに一人で遠征に行った時、英語が話せなかったので、ずっとひとりぼっちでした。日本だったら競技場にいると結構スター扱いなのに、ほとんどないがしろ(笑)。そうした環境のなかで、何かパリン!とつまらないプライドのようなものが壊れた。良い経験になったと思っています。

 日常から離れるのは大事ですね。ただ、どうやって離れるかが難しい。

大学・留学という非日常が社会人には重要になる

竹中:大学のオンリーブ(on leave)やサバティカルのように、7年働いたら1年休めますといったことが出来ると、本当はとても豊かな社会になると思うんですけどね。自分の生活を見直せて、自分に欠けているものがわかりますから。普通の日本の会社は退社しないとそうした時間を作れなくて、ハードルが高すぎます。

為末:もっと留学が普通になるといいですよね。大学も小分けにして、3〜4回留学できるようになるといいのに。

竹中:為末さん、どこかで博士号をとられるといいんじゃないですか。アメリカの大学は25歳以上の人が4割ですよ。そして35歳以上が2割ぐらい。大学は18〜 22歳の若者が楽しく青春時代を過ごす場所ではなく、学びたい大人のいく場所なんです。それって職場のサバティカル制度と表裏一体だから可能なんですね。

 また、大学側にとっては、為末さんのような方は知的リソースになります。アメリカのハーバードなどは、大学に貢献できる人を求めます。自分はいかに他の学生と違うかということをアピールしないととってくれません。

竹中:三木谷浩史さん、新浪剛史さんは、ハーバードMBAのほぼ同期。堀ロバートさんや南場智子さんもそうですね。当時在籍していた会社から留学し、その後、起業している。戻ってきて、出る杭になって打たれたかもしれませんが、出すぎた杭になったらもう打たれなくなった(笑)。でも、会社としてはロスだと思います。

為末:「余計なことを覚えてきやがって」、みたいな部分があるんでしょうか(笑)。本当は「余計」かどうかわからないのに。

竹中:いや、余計なことって本当に重要です。

 有名なお話ですが、グーグルに「勤務時間の1割か2割は仕事と別のことを絶対にやりなさい」というルールがありました。そのリダンダンシー、遊びや余裕から「Google Earth」が生まれたと言われています。

「遊びでやっている人」には勝てない

為末:僕は『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ著)という遊びに関する本が好きなんですが、クリエイティビティは義務感やかっちりしたまじめな空気から、生まれてこない気がします。

 運動でも同じです。選手も「勝ちたい」と「勝たなきゃ」の間で微妙にずれる瞬間があって、「勝たなきゃ」になると急激に苦しくなる。モチベーションが削られてしまう。勝ちたいという、ちょっと遊んでいる感がある時期のほうが、やろうとすることの発想も幅広い。「勝たなきゃ」になるとリスクをとれなくなりますから、勝ちパターンにこだわってしまって、挑戦しづらくなります。

 プロの世界は、勝利をある程度義務感で押し付けられながら、どうやって遊ぶか、というところが難しいです。遊べない選手は小さく終わっちゃう。ですから、遊び感は、僕はとても重要だと思います。

竹中:これは我々経済学者がよく使う言い方ですが、ニーズとウォンツは違うんですよね。

 お腹が空いて早く食べたいから3分でできるラーメンを食べるのはニーズ。だけど、私たちにはウォンツがある。何か美味しいものを食べたいというウォンツは無限にあるから、何が美味しいかを知りたいというニーズに答えるグルメ雑誌が売れる。

 衣食住が満たされてくると、そういう意味で遊び心が重要になってくる。でもこうした我々が「遊び」と呼ぶものは、実はかなり高度な企画時間になるんです。

為末:イノベーションによってウォンツが発見されますよね。ああ、これが欲しかったんだ、とか。

竹中:そうそう。例えば、掃除機の……あれはなんでしたっけ。

為末:ルンバですか?

竹中:あ、ルンバだ。あんなもの誰も欲しいと思っていなかった。だけど、こんなものができるよと言ったら、それは面白いねということになって買ってもらえる。これがシュンペーターが言った「イノベーションは実はほとんど供給サイドから出る」ですね。

 イノベーションという言葉は「新結合」という意味です。結びつきですね。東京が魅力的な都市であるのは、いろいろな対話の結びつきができるからだと思います。たくさんの人がいて、たくさんの会社があって、多様な人がいるから、いろいろな結びつきができる。そうした出会いのある場所が大都市。イノベーションの可能性が満ちている場所です。

為末:そういえば、僕、アンパンってイノベーティブだと思います。あれはまさに結合ですよね(笑)。

竹中:その通りですよ。私はアメリカに住んでいて一番困ったのは、大好きなアンパンが食べられないことでした。パンはあるけれど餡がないから、アンパンがないの。

為末:アンパンのように、パンの中に甘いものを入れるみたいなことって、抽象的に捉えていないとできない。主婦が料理する時、これがないけどこれで代用できるわ、なんてやりますよね。これは結構高度な行動です。

日々の料理が上手な主婦は、抽象化能力が高い

為末:だって、頭の中で料理を抽象的にとらえていないとなかなか代用を思いつけませんから。選手だったら、足を怪我したりしていつもの練習ができなくなった時、代用の練習を探せる人と探せない人がいる。もちろん、代用の練習を探せる人のほうが強いです。このあたりのイメージ力も重要な気がします。

 抽象化してポイントをなんとなくおさえていると、このポイントでいくとこれに代えられるな、と発想できるようになりますよね。

竹中:イノベーションはそうした分析力が大事です。

為末:別の言い方をすると、アートっぽいとも言えるかもしれないですね。

竹中:クリエイトですから、そうですね。今回の私たちの対談は六本木アートカレッジで行ったわけですが、こうした場所に来たり、アートに触れたりするのは、お手軽な「遊び」になると思います。先日、会田誠さんの展覧会(「天才でごめんなさい」)が論議を呼びましたが、印象派がパリに出た時だって徹底的に叩かれたわけです。こんなのは邪道だと悪口を言われた。

 イノベーションというのは、きっと最初はそういうものなんでしょう。でも、「悪名は無名に勝る」ですよ(笑)

為末:なるほど、そこにつながりますか(笑)。

(構成:中沢明子)

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2013年05月09日 11:36