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競争社会の果てにあるものは、、、まずはそこから考えてほしい。。。
日本顔負け。アメリカの「超学歴社会」
アメリカは学歴による「階級社会」の国
山田 順 :ジャーナリスト
アメリカは学歴による「階級社会」の国
安倍政権は、成長戦略のひとつとして「教育改革」を掲げ、「海外でも働けるグローバル人材の育成」のために留学生の数を現在の6万人から倍の12万人にするとアピールしている。そのために今後は、奨学金を大幅に充実させていくという。
そこで、今回から2回に分けて、娘をアメリカに留学させた親として、また、この「東洋経済オンライン」のメインテーマが「グローバルエリート」なので、日本ではあまり知られていないアメリカの高等教育(大学・大学院)の本質について書いてみたい。
というのは、単に「英語力をアップさせたい」、あるいは海外で「自分探しをしてみたい」などという考えで、安易に留学するケースが目立つからだ。最近では、就活のための「箔付け」として留学する学生も増えている。しかし、そういう意識からのアメリカ留学は、たいていは実を結ばない。なぜなら、アメリカ社会というのは、日本以上の「超学歴社会」であり、学歴による「階級社会」だからだ。
かつて日本が豊かだった時代は、娘をアメリカに留学させているというと、まるで遊びに行かせているように思われた。特に女子学生の場合、「留学」というより「遊学」のイメージが強かった。実際、日本の受験勉強に失敗した富裕層の子供たちが、アメリカの大学に留学するケースがしばしば見られた。また、留学とは呼べない「語学留学」は、一般の留学とは比べられないほど多かった。
そのせいか、「アメリカの大学は、入るのはやさしんですよね」とよく言われた。しかし、それは4000校以上も大学があるアメリカでの下位校の話にすぎない。
全米各地にあるコミュニティカレッジとか、誰でも入れる私立大学、レベルの低い州立大学とかの話で、アメリカのトップクラスの大学は「入るのも出るのも難しい」うえ、入ったら入ったで、レジャーランドの日本の大学とは大違いで、本当に猛烈に勉強しなければならない。
学歴は階級を勝ち取る手段
では、なぜ、アメリカは日本以上の「超学歴社会」なのだろうか?
まずは歴史的に考察してみたい。19世紀、新世界アメリカを旅したフランスの政治家トクヴィルは、著書『アメリカにおけるデモクラシー』の中でこう書いている。
「民主主義国家ほど市民が取るに足らない存在である国はない」
この言葉が意味するとろころは、誰もがひとかどの人物になるためには最大限の努力をする必要があるが、裏を返せば、誰一人として重要でないということだ。
これが、アメリカ社会の本質だ。王も貴族もいない市民だけの国だから、全員が社会の階段を上るゲームに参加する。それがアメリカという国なのである。こういった社会では「機会均等」(ゲームに参加する権利)が確保されれば、際限のない競争が続き、その結果、自分が所属する社会階層が決まることになっている。
つまり、アメリカは競争による階級社会の国で、その階級は初めから存在するものではなく、勝ち取るものなのである。この階級を勝ち取る手段として、能力と努力の結果得られる「学歴」が大きな決め手になる。
ただ、学歴と言っても、それは日本人が言う学歴――つまり、どの大学を出たかということとは大きく違っている。現在のアメリカでは、ただ大学を出ただけでは評価されず、どの大学やどの大学院で何の学位を取ったかが重要になる。この点でも、アメリカのほうが日本よりいっそう熾烈な「学歴社会」と言えるだろう。
このことを知らずに留学すると、世界中から集まった学生との競争に付いていけず、落ちこぼれになって帰国することになる。
はるかに充実した奨学金制度
先日、朝日新聞に「アベノミクスによる円安で、海外留学をする学生たちが悲鳴を上げている」という記事が載った。円安で留学費用が高騰して留学できなくなった学生や、生活費が高騰して困っている留学生が多いというのだ。
確かに、アメリカの名門一流大学はほとんどが私立だから、授業料はべらぼうに高い。しかも、大学は基本的に寮生活だから、その費用も含めると、年間で最低でも4万~5万ドル(400万~500万円)はかかる。これでは、とてもではないが、日本の一般的な家庭の子供はアメリカの名門一流大学には行けないことになる。
ところが、アメリカは日本よりはるかに奨学金制度が充実している。国や州をはじめとして、大学独自のものから企業、機関、個人にいたるまで、それこそ何千種類もの奨学金があり、これをうまく利用すれば、学業成績などの条件をクリアすれば留学は可能だ。
ハーバードなどの名門一流大学は、学業成績さえよければ、申請すればほとんどの学生に奨学金を出す。留学生でも申請できる奨学金が数多くある。私の友人の一人は、ほぼ無一文で大学の寮に住み、学費もタダで卒業している。
私の従姉の息子もブラウン大学で奨学金をもらっていた。それでも生活が苦しければ、大学側がアルバイトの面倒もみてくれ、たとえTA(ティーチング・アシスタント)をやらせてもらえば、ギャラが出るので、勉強しながら生活できるようになっている。
学業が優秀でなくてももらえる奨学金もある。州立大学なら、州民なら誰でももらえる奨学金がある。もちろん、これを留学生は利用できないが、卒業後に月極めで返すローン返済型なら、留学生でも申請できる。安倍政権がつくる奨学金制度がどのようなものになるかはわからないが、まずは目指す大学の奨学金制度を十分に調べるべきだ。
アメリカの伝統的「エリート・コース」
それでは、アメリカの学歴社会はどのような構造になっているのか、説明してみたい。アメリカの大学といえば、一般の日本人がまず思い浮かべるのがハーバード大学であり、ハーバードを筆頭とするアイビー・リーグの名門大学だ。ここがアメリカの高等教育ピラミッドの頂点であるのは間違いない。しかし、歴史的に見ると、アイビー各校は留学生など受け入れていなかったのである。まして、私たちのような東洋に住むイエローは論外だった。
なぜなら、アイビー各校はいわゆるWASP(ワスプ:ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の師弟の高等教育機関として作られたからだ。したがって、いくら成績がよくてもWASP以外は入学を拒否された。第2次大戦以前は、アメリカ人でも、ユダヤ系はもとよりカトリック系の後発移民のイタリア系、スペイン系、ポルトガル系、それにポーランドなどの東欧系、ケネディ家を出したアイリッシュ系などの子供たちはほとんど入れなかった。
しかも、アイビーリーグに入るためには、いわゆるプレップスクールの卒業生でなければならなかった。これらの学校はみな私立の全寮制学校であり、ニューイングランド各地に点在している。つまり、プレップからアイビーへの進学が、アメリカの旧世代の「エリートコース」だった。
アメリカを代表する名門プレップとして有名なのが、ヴァンダービルド家、モーガン家、メロン家などの師弟が通ったセント・ポールズ、フランクリン・ルーズベルトが卒業したグロトン、ブッシュ親子が卒業したフィリプス・アンドーヴァ、それにエクセターやチョート・ローズマリーなどだ。ケネディ大統領は 1930年のチョート(当時はローズマリーと合併していない)の卒業生だが、ようやくこの頃から、プレップもアイビーもWASP以外の子供を受け入れるようになった。
つまり、この頃までのアメリカは、現在のような実力による学歴社会ではなく、人種、家柄による階級社会と学歴社会が並立していた。この伝統は今でも残っていて、東部の名門一流大学に留学するなら、こうした伝統の中に放り込まれることを意識すべきだ。
私の娘もその友人たちも、当たり前だが、このようなWASPの子弟のインナーサークルからは相手にされなかった。同じ学生として友人にはなれるが、それ以上の関係は難しい。現在は多少は違っているだろうが、この壁が厳然と存在することを意識するのとしないのでは、留学生活は大きく変わってくると思う。
第2次大戦後の新設大学設立ラッシュ
では、なぜアメリカの学歴社会は変わったのか?
それは、第2次大戦以後、中流以下の人々の強い上昇志向が、教育の民主化、自由化を推し進めたからである。つまり、「大学卒」というタイトルを人々が争って求めるようになり、新設大学が次々と作られたからだ。その多くは州立大学や公立大学で、これらの大学はあらゆる階層の人々を受け入れ、さらに、女性が大量に大学に進学するようになった。
こうなると、アイビーなどの名門大学も、すべての階層に門戸を開き、高等教育競争(優秀な学生の獲得)に勝ち残る必要があった。
ハーバードの例で言えば、1952年の入学者はその10%がプレップの卒業生だったが、1960年には入学者は、全米各地のパブリックスクール(公立高校)の卒業生に分散するようになった。それとともに、入学の基準になるSATスコアも上昇した。
こうして、アメリカは現在のような実力による学歴社会に大きく変わったのである。その結果、全世界から留学生が集まるようになった。私たち日本人も受け入れられるようになったわけだ。
ただし、大学数が飛躍的に増えたために、高等教育のインフレ化が進んだ。
フィスクが暴露した高等教育のインフレ
この高等教育のインフレ化を暴露したのが、今でもアメリカの大学進学のバイブルとして有名な『ザ・フィスク・ガイド』(The Fiske Guide to Colleges)だ。私も娘がハイスクールに入ったときから、この本を徹底的に読んだ。そうして、アメリカの大学のランキングを知った。
たとえば、公立大学でもUCバークレーはアイビークラスの一流名門大学であること。校名に州立がつく州立大学のほとんどは、レベルが低いこと。さらに、その校名に「北」Northとか「南」Southとかの方角がつけば、もっとレベルが落ちることなどだ。
『ザ・フィスク・ガイド』は、1982年、当時『ニューヨーク・タイムズ』紙の教育担当記者だったエドワード・B・フィスクが、取材・調査によって初めて全米の大学を格付けした本である。フィスクが採用した方式は、ホテルやレストランに使われていたミシュラン方式の「五つ星から一つ星まで」の格付け法だった。つまり、彼は、それまで誰もが漠然と感じていたことを数値化してしまったのである。
このとき、フィスクが「五つ星」をつけた主な大学は、アマースト、ウィリアムズなどのリベラルアーツの一流校、ハーバード、プリンストンなどのアイビー・リーグの一流校、それにスタンフォード、シカゴなどだった。そして、「四つ星」にはボードウイン、ヴァンダービルトなどが入った。ところが、「三つ星」をつける段になって、フィスクはあることに気がついた。それは、学問・教育レベルから見て「三つ星」をつけられない大学が過半数に達しているということだった。
学歴で大きな差がつく初任給
フィスクは、信念を持ったジャーナリストだった。だから、彼は自分の調査結果に基づき、「二つ星」「一つ星」大学を実名で公表した。すると、「二つ星」「一つ星」がついた大学、たとえばタスキーギ大学、テンプル大学、オハイオ・ウェスレヤン大学などから、猛烈な抗議が来た。しかし、こうした抗議にひるまず、『ザ・フィスク・ガイド』は今でも刊行されている。
1960年代の初め、アメリカの大学進学率は約10%だった。それが、半世紀後の今は50%を軽く超えている。しかし、フィスクの格付けから見ると、今でも本当の進学率は10%と考えられる。
なぜなら、50-10=40で40%の学生は、じつは大学とは呼べないフィスクの「三つ星」以下の大学に行っているからだ。これが、高等教育のインフレ化現象である。
だから、グローバルエリートを目指すなら、少なくとも「三ツ星」以上の大学を目指すべきだ。当のアメリカでも「二つ星」以下の大学の卒業生は、就職やその後のビジネスキャリアでは大きなハンデがある。同じ「大学卒」でも、学位を取った大学や大学院によって、収入が大きく変わってくるからだ。
たとえば、4年制大学卒の平均初任給は、NACE(National Association of Colleges and Employer:全米大学経営者協会)の資料によると、一流大学卒と最下位大学では約2倍の開きがある。これが、人気の大学院卒業資格であるMBAになると、ハーバードやMIT(マサチューセッツ工科大学)などの超一流大学MBAと州立大学MBAではもっと差が開く。
ただし、アメリカで学歴が通用するのは、入社時のみだ。その後は「成果主義」だから、名門一流大卒だろうと成果を上げなければ、州立大卒に追い越されてしまう可能性がある。こうして、アメリカ社会では競争はずっと続く。
ところが日本では、どんな大学を出ようと初任給に差はない。これは、高等教育のレベルの違いを無意味化する悪しき平等主義と言えるだろう。
□以下続き
学歴は「社会階層」を上がる手段
今回もアメリカ留学を目指す若者のために、アメリカの学歴社会の話を書かせてもらう。
前回は、アメリカが日本以上の「超学歴社会」であり、学歴によって属する社会階層が決まる「階級社会」の国だということを説明した。
だから、単に「英語力をアップさせたい」、あるいは海外で「自分探しをしてみたい」などという考えで、安易に留学すると失敗する。
これは、娘がインターナショナル・スクール在学中に、教師からも、先輩父兄からも言われたことである。
「西海岸に行くならあまり意識しなくてもいいでしょうが、東海岸、とくにニューイングランドに行くなら、考えておいたほうがいいでしょうね。プレップから来ているWASP(ワスプ)の生徒と留学生ではまったく違いますから」
かつて、ハーバードなどのアイビー各校は、WASPの子弟の高等教育機関だった。だから、それ以外の階層の若者は入れなかった。しかし、いまではあらゆる人種、階層の若者に門戸を開き、学歴獲得は完全な実力争いになった。その結果、世界中から留学生が集まるようになり、最近では中韓の学生が異常に増えている。
彼らは、社会階層の階段を上がるために、寸暇を惜しんで勉強している。そんな中に、階層意識が薄い日本人がポンと飛び込んだら、どうなるだろうか?
MBAばかりが留学ではない
とはいえ、大学・大学院は、将来の社会階層を決める、つまり「おカネを多く稼げる階層」になるためにだけに行くのではない。純粋に学問・研究のために行く学生も多い。今はMBA全盛時代だが、その修得だけを目指すのは、アメリカ留学の目的としては考えものだろう。
ハーバードの大学院GSS(グラデュエートスクール・オブ・アーツ・アンド・サイエンシズ:graduate school of arts and sciences)のある学生から、こんな話を聞いたことがある。
「入学したときに担当教授から、君たちは将来お金持ちになることはありえないが、それでもいいのか?と、まず言われました。で、イエスと答えると、なら一緒に頑張ろうと握手です。そうして、おカネではプライドは買えない、プライドは高く持てと言われました」
GSSの学生たちは、ビジネス・スクール(HBS)の連中を「カネのために勉強に来ている奴ら」とバカにするという。HBSは、メインキャンパスからチャールズ川を挟んだ向こう側のボストン市オールストンハーバードにある。だから、GSSの学生たちはHBSの学生を、「アクロス・ザ・ブリッジ」 “across the bridge”(川向こうのやつら)と呼んだりするともいう。
日本ではMBAがもてはやされすぎだ。アメリカではエンジニアリング・スクールの人気も高い。エンジニアリング・スクールの出身者として有名なのは、GEの元会長ジャック・ウェルチ氏だが、『フォーチュン500』に登場する企業のCEOを見ると、ビジネス専攻の出身者より、エンジニアリング専攻出身者のほうが多い。
これは、アップルやグーグルなどのIT企業の全盛時代という時代性を顕著に現している。
『ニューヨーク・タイムズ』の「結婚欄」
アメリカの現在の学歴社会の実相を知るために、『ニューヨーク・タイムズ』紙の日曜版にある「結婚欄」を見ることをお勧めする。ここには、毎週、数百組の応募カップルの中から20~30組ほどが選ばれて、経歴・写真入りで掲載されている。
この欄は、ひと昔前は、WASPの息子・娘のウエディングしか載っていなかった。彼らは決まって資産家の息子・娘たちであり、花婿はアイビーを花嫁はセブンシスターズを出ていた。しかも、その家系まで紹介されていた。
しかし、今では、あらゆる肌の色の花婿・花嫁が登場し、そのプロフィールも多彩だ。ただし、必ず紹介されているのは、次の4項目である。
1. どこの大学で修士号あるいは博士号(PhD)を取ったか
2. 大学院、大学の専攻(メジャー)は何か
3. 現在の職業
4. 両親の職業
この4項目を見れば、アメリカの現在の階級社会が歴然とする。今や昔のように、家柄や出自、富の多寡を競っているのではない。華麗な学歴と職業を競っている。
とはいえ、ここに登場する花婿・花嫁の卒業校は、昔とほぼ変わらない。みな名門一流大学・大学院の卒業生である。しかもほとんどの花婿・花嫁は、「サマ・カム・ラウディ summa cum laude」(最優秀卒業生に与えられる名誉。日本で言えば「総代」)か「マグナ・カム・ラウディ magna cum laude」(第2位の成績で卒業する生徒に与えられる名誉)であり、また、「ファイ・ベータ・カッパPhi Beta Kappa」のメンバーである。
ファイ・ベータ・カッパというのは、1776年に創立された成績優秀な大学生の友愛会であり、このメンバーになることは大学生にとっての最大の栄誉だ。
これが、アメリカの大学で勉学に励む学生たちのひとつのゴールである。このようにして形成される学歴・階級社会は、日本人にはなじめないが、留学するなら知っておくべきことだ。
『ニューヨーク・タイムズ』紙では、世論調査で階級意識を聞いている。「どの階級に属していると思うか」という質問に対する米国民の回答は、上流(アッパー)1%、中流上位(アッパーミドル)15%、中流(ミドル)42%、労働階級(ワーキング)35%、下流(ローワー)7%となっている。
日米の教育の根本的な違いとは?
日本では、教育レベル(学歴)が社会階層を決めるという考え方が嫌われている。しかし、現実問題として、「いい学校にいくのはいい大学に入り、いい大学に入るのはいい会社に行くため」という価値観は、今日まで続いている。
ただ、一時期「ゆとり教育」に舵を切り、悪しき平等主義から子供の競争を否定するようになった。たとえば「運動会で優劣がつく競技をやめてしまう」とか、「通知表に数字による段階評価をつけない」などの極端なことも行われてきた。
あるとき、娘が通っていたインターでアメリカ人の親と話していて、「何のために子供を学校に行かせるのか?」という話になったとき、その親はこう答えた。
「自分の子の能力がどれくらいか教えてもらうため。大勢の中でどれくらいの順位か知りたい。それがわからないと、将来を決められないから」
つまり、学校に行かせるのは順位をつけてもらうためだったというのだ。
しかし、日本の親は、自分の子供が他の子供と比べられることを極端に嫌う。だから、学校ではみな同じように扱えと要求する。これで、ゆとり教育が進んでしまったのである。
日米どちらの親が、子供の将来のことを本当に考えているだろうか?
インターに限らずアメリカの学校では、レポートカード(日本の通知表に当たる)にGPA(4.00点を最高とする数値評価)が記入される。そうして、GPA3.00点以上の成績を取った生徒は、名前と点数が学内のボードに掲示される。また、成績が1番手の生徒には「ファーストオーナー」、2番手の生徒には「セカンドオーナー」の称号が与えられる。
一流大学では、「セカンドオーナー」以上を平均して取っていないと、入学を認められない。だから、この「オーナー」をもらいたいがため、子供たちは勉強する。
アメリカと日本の教育の違いについて、いろいろな見方・意見がある。しかし、もっとも端的に言えば、「日本の学校は勉強させない。アメリカの学校は勉強させる」(もちろん、一部の日本の学校は違う)。これだけだろう。
留学するなら「自分探し」はやめるべき
最後に、留学するなら、日本でひところ流行った「自分探し」という考え方をやめるべきだと書いておきたい。日本人は階級意識が希薄だから、こういう考え方になるが、アメリカに限らず、社会階層が明確な国では「自分探し」には意味がない。
なぜなら、探すべき自分は、すでに決まっているからだ。
このグローバル時代、まず「人種」「民族」、そして「生まれた国」「育った地域」「家族」「家庭環境」「親の収入と職業」、さらに「学校の成績」「得意科目」などで、あなたが誰かはすぐにわかる。ネット検索で得られる位置情報(GPS)は、「地球上のどこにいるか」だが、位置情報というのは地理的なヨコの情報だけではい。タテもある。
タテというのは、「人類社会」のこと。地球上に約70億人いる人類がつくる社会階層の中で、「あなたがどこにいるか」ということだ。ネット社会では、こんなことは即座にわかる。したがって、学歴で決まる階級社会というのは、実力によってこのタテの位置(社会階層)をどう移動するかという問題だ。
この連載のテーマは、日本人としてのアイデンティティの確立にあるが、実は、それは位置情報としてはすでに決まっているのである。したがって、「自分探し」というのは、内面(こころ、意識)だけの話になる。これは一生かかってやることで、留学でやることではない。
SMAPの大ヒット曲に、『世界に一つだけの花』(作曲・詞 槇原敬之)がある。その歌詞「キミはこの世界でたった1つの存在。人間は誰しもみな特別な存在」は、自分探しをする若者にはバイブルのようなものだと思う。どんなつらいときでも、「オンリーワン(この世界に咲くたった一つの花)」と、慰めてくれるからだ。
しかし、こういう考え方は留学には向かない。「オンリーワン」を否定した『ドラゴン桜』(作・三田紀房、講談社)の教師・桜木建二の言葉のほうが留学には向く。
「ナンバーワンにならなくていい、オンリーワンになれだあ? ふざけるな! オンリーワンていうのは、その分野のエキスパート、ナンバーワンのことだろうが」
留学するなら、ぜひ、こうあってほしい。
[東洋経済ONLINE]
Posted by nob : 2013年06月20日 10:55