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新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」もの、探しているうちは、結局は誰かの後追いに、、、自らの人生を創り上げるクリエイティビティー。。。

■これからのキーワードは「競争しない」!?
まだ見ぬオーシャンをさがせ!
東大教授が教える、一生不毛な努力をせずにすむ考え方

あなたには1円玉がどんな形に見えますか?医用ロボットで世界をリードし続ける教授が教える、「人と違う思考と発想」をするためのはじめのステップとは!ビジネスにも人生にも効く、ムダに終わらない頭の使い方のヒントが凝縮の連載第二回!

ささいな違いにしのぎを削っても誰にも見向きされない!

 講演会に招待されたり、メディアの方から取材を受けたりすると、次のような質問をぶつけられることがあります。

「なぜ日本からグーグルやフェイスブックのような企業が生まれないのでしょうか?」
「モノづくりが元気をなくした理由は、どこにあると思われますか?」
「日本の製造業が復活する道はあるのでしょうか?」

 たしかに不思議な話です。日本の技術力はいまだ世界トップクラスの実力を誇っていますし、世界のどこに行っても「メイド・イン・ジャパン」への信頼は揺るぎないものがあります。にもかかわらず、モノが売れない。業績が伸びない。雇用が守れない。おかげで優秀な日本人技術者たちが海外のライバル企業に流出していく。近年では研究者レベルでさえ、海外への流出が深刻化しているほどです。

 わたしは工学の人間ですから、経済のむずかしい話はわかりません。ただし、工学の世界に身を置いてきたからこそ、わかることもあります。

 たとえば新しく発売されたA社のテレビには、こんなボタンが追加されている。B社のテレビを買うと、これだけ鮮明な映像になる。C社のテレビだと、大迫力のサラウンドスピーカーが搭載されている。

 ここにどれだけの差があり、「よしっ、これを買おう!」と思わせるだけの魅力があるのでしょうか?消費者にとって、その差はかなり見極めづらく、どのテレビを選ぼうとほとんど変わらないのが実情です。これは近年のビジネス界で「コモディティ化」と呼ばれる現象で、いまの日本、そして先進諸国は、超成熟社会に突入していて、家電からクルマまであらゆるモノが飽和状態を迎えています。テレビにしても冷蔵庫にしても、「そこそこの値段で、そこそこの機能がついたモノ」を持っていれば、ほとんど不自由しない。いまさらメーカーが「ほら、新しいでしょう?」と新機能をプラスしたところで、大半の人からは喜ばれないわけです。

一生「不毛な争い」をせずにすむ人の考え方

 じつはこれ、われわれ研究者が直面している悩みとまったく同じなんですね。

 既存の研究分野には、山のような先行事例があって、世界中に優秀な人材(ライバル)がひしめき合っている。そこで新しいことをやろうとすると、どうしても専門家以外には理解のできないような枝葉末節の改善・改良になり、世の中に与えるインパクトは小さくなる。けれども、なにかしらの成果を出していかないと研究者としての立場も危うくなり、研究費も出なくなる。
 ……考えれば考えるほど、日本のメーカーが陥っている状況と同じです。

 さて、幸いにしてわたしはこうした悩みと無縁のまま、研究生活を送っています。
 天才的な研究者だったから?
 まさか! 
 そうだとしたら嬉しいけど、残念ながら違います。わたしは天才でもなんでもありません。

それでは、なぜなのでしょうか?自分ごとながら、私なりに次のように考えています。

これからのキーワードは「誰とも競争しない」

 わたしがやったこと、それはただ「誰とも競争しなかった」なのです。

 大勢の人が注目する分野には目もくれず、誰ひとり見向きもしないような場所で、伸び伸びと研究してきた。あえてカッコつけた言い方をするなら、新しい「モノ」をつくるのではなく、新しい「ジャンル」をつくってきた。
 そんな自負を持っています。

 おそらく、人もモノもサービスもすべてが飽和状態を迎えた日本において、これからのみなさんに求められるのは、この「新しいジャンルをつくる」という発想だと思います。

 むずかしい話をするつもりはありません。まずは、なぜ「ジャンル」をつくるのか、そして「ジャンル」をつくるとはどういうことか、簡単にお話ししていきましょう。

子どもにとっての「野球と探偵団ごっこ」

1953年(昭和28年)生まれのわれわれ世代にとって、王貞治さんと長嶋茂雄さんは国民的なヒーローでした。いわゆるON世代の人間です。放課後の子どもたちは、近所の空き地に集まっては野球に明け暮れていました。

 ところが、自分の子ども時代をどれだけ遡ってみても、野球で遊んだ記憶がありません。運動や外遊びが苦手だったわけでもなく、友達がいなかったわけでもなく、毎日外で遊んでいたにもかかわらず、です。代わりに熱中していたのは、雑木林に秘密基地をつくって遊ぶ、探偵団ごっこでした。

 私は、どうして野球をしなかったのでしょうか?

 わがままでへそ曲がりな自分からはじまる

 理由は簡単で、「みんな」が野球をしていたからなんですね。友達も、上級生も、みんながみんな野球をしている。そこにあとから自分が入っていっても、うまい人に教えてもらわなきゃいけないし、上級生には勝てっこない。どんなにがんばっても二番手、三番手として教えを請う立場に立たされる。それがわかっていたから、野球を避けていたのです。

 競争するのも嫌だし、みんなと同じことをやらされるのも嫌だった。野球が嫌いだったのではなく、そこで他人と比べられたり、競争を強いられるのが嫌だった。いま思うと、ものすごくわがままで、へそ曲がりな子どもだったんですね。

 一方、秘密基地で遊ぶことについては、上級生も下級生も関係ありません。誰かとなにかを競うでもなく、ルールがあるわけでもなく、自分の好きなようにアイデアを巡らせ、かたちにすることができます。
 大人になってからも同じように生きてきました。

「みんな」がやっているものには手を出さない。
「みんな」がやっていないからこそ、そこに可能性を見出し、チャレンジする。

 わたしがいま、医用ロボットや生体医用マイクロ・ナノマシンといった風変わりな研究に取り組んでいる背景には、間違いなく「みんな」がやっていなかったから、という単純な理由が隠されています。

「野球でもカーリングでもない新しい競技」こそ、
これから生き延びる唯一の道!

 ビジネスの世界では、ライバル同士が血で血を洗うような闘いをくり広げる市場のことを「レッド・オーシャン」と呼び、競争相手のいない新しい市場のことを「ブルー・オーシャン」と呼ぶのだそうです。そこから「ブルー・オーシャンを探せ!」という議論になるわけですが、わたしの感覚からするとこれ、ちょっと違和感のある話なんですね。

 だってそうでしょう。ブルー・オーシャン、つまり新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」ものなのです。探しているうちは、結局は誰かの後追いになってしまいます。

 スポーツでたとえるなら、野球という超レッド・オーシャンから逃れて、カーリングというブルー・オーシャンを探し当てる。「カーリングだったら競技者人口も少ないし、自分もオリンピックに出場できるかもしれない」という発想です。

 しかし、カーリングにはカーリングで十分な歴史があり、先輩やライバルは大勢いて、激しい競争が存在しています。規模が変わっただけで、構造的には野球やサッカーをやるのと変わりません。

 わたしの考えるブルー・オーシャンとは、「マイナーな競技に参加すること」ではありません。自らの手で「まったく新しい競技をつくること」です。

 ルールをつくるのも自分なら、ユニフォームをつくるのも自分。そして「こんな競技をつくったよ!」とみんなに教えてあげる。
 ここには、根本的な発想の転換が求められます。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2013年07月30日 18:29