« 一億総自営業者社会の構築、、、国の政策は徹底したインフラと敗者復活のためのセイフティーネットづくりだけでよい。。。 | メイン | 誰にも自分自身でしか見つけられない居るべき場所がある。。。 »

言葉は人の数だけある、、、自らの言葉は習うものではなく創りあげていくもの、、、言葉は感じ方や考え方そして生き方の表明である。。。

(まず始めそして続ける、、、自己実現への唯一の途。。。Vol.2)


■試験は高得点、だけど英語がまったく通じない
ハーバード生活で感じたアウトプットの重要性

ハーバード大学へのきっかけは1枚の張り紙

 第1回ですでに書いたように、私がハーバード大学に入学したきっかけは、職員室に掲示された1枚の張り紙でした。

 大学受験を控えた高校3年生の秋、アメリカでの留学を支援する「グルー・バンクロフト基金(グルー基金)奨学生試験」の紹介をたまたま見つけたことからつながっていきました。

 アメリカの大学は、日本のように大学別の試験ではなく、高校時の成績、課外活動、先生の推薦状、自分についてのエッセイなどが合否を決める重要な要素になってきます。また、その他にも、共通試験であるSAT(大学進学適性試験)を受ける必要があり、留学生に対しては、英語力を見るTOEFLのスコアも要求されます。

 私はというと、SATの英語の成績(日本の国語に当たります)は悪かったものの、TOFLEの点数が良かったことや、渡米前に英会話学校で勉強していたこともあり、英語に関する心配はそれほどしていませんでした。

 ところが、実際にアメリカに到着すると、食事の注文すら満足にできず、自分の英語の不自由さを痛感します。何を聞かれているのかわからなくなってしまい、ファストフード店では立ち往生。苦い顔をされながら、「早く進め」というジェスチャーをされたことは1度ではありませんでした。

日常会話すらままならない大学生活

 実は、入学の1ヵ月前には、ロードアイランド州にあるブラウン大学のサマースクールで、外国人向けの英語のクラスを受講して、入学に備えることにしていました。

 1日の授業時間は4時間。外国人専用の授業だったため、文法の授業は高校の復習レベルです。

 また、クラスメイトもネイティブスピーカーではなかったため、私の英語を理解してあげようという気持ちがあり、なんとか通じます。先生たちも、はっきり、ゆっくりと話してくれるので、特に問題を感じていませんでした。

「きっと、大丈夫だろう」

 ところが、自分の考えが甘かったことに、すぐに気づくことになります。

 9月を迎えて、いざハーバード大学での授業が始まってみると、周囲が何を話しているかがわからない生活に戻されてしまいました。

 また、アメリカ東部の人はとくに早口ですが、私のルームメイトたちも東部出身だったため、授業だけではなく、日常生活の意思疎通すら困難です。

 また、これも第1回で書いた通り、「chocolate」が「チョコレート」とカタカナの発音で、「何を言っているんだろう?」という顔をされてしまいます。サマースクールの先生のように、気を使ってもらえることもありません。

 映画「ソーシャルネットワーク」を観たことはありますか?

 冒頭で、Facebookの創始者マーク・ザッカーバーグが、早口でガールフレンドにまくしたてる場面があります。当時の私の周りには、ザッカーバーグのように頭の回転も話すスピードも早い学生ばかり。

 頭の中で作文をしながら話しているので、どうしても会話のスピードに追いつくことができません。またスピーキング力に乏しく、「自分の英語は小学生レベルなんじゃないか」 と悩んだことをありました。

 「もっとゆっくり話してほしい」と頼んでも、すぐ元のスピードに戻されてしまいます。

 1対1の場面では、あまりに反応が遅いために、相手がイライラする様子が伝わってきます。数人での会話はもうお手上げ。一言も口を挟めません。

 こうした状態だったため、入学してから最初の数ヵ月は、クラスメイトとの会話は苦痛でしたが、話そうとする意識は持ち続けていました。

アウトプットしなければ絶対に上達しない

 なぜ、TOEFLの点数は良かったにもかかわらず、こうした事態に陥ってしまったのか。それは、試験の形式にありました。

 私が受験した当時のTOFLEは、今のようにスピーキングのテストがなく、すべて選択式です。そのため、会話力に乏しい私でも、点数を取ることができてしまったのです。

 最近、英語力を見るためにTOEICを用いる企業が増えていますが、通常のTOEICの試験には、スピーキングやライティングの試験がありません。そのため、日本人の弱点とも言える会話力を測ることができないでしょう。

 もし、ビジネスや留学で英語を必要とする人は、同じTOEICでも、「話す・書く」能力を直接測定する、TOEICスピーキングテスト/ライティングテスト(TOEIC SW)で実力を試験することが必要だと思います。

 アメリカに渡ってみて初めて、選択式試験の成績と実際の英語力はまったく異なるということを痛感しました。今から思えば、留学までにもっとアウトプットする練習をしておくべきだったと反省しています。

 外国語習得のハードルとコツの詳細は『自分の小さな「鳥カゴ」から飛び立ちなさい』(ダイヤモンド社)に記しましたが、ただ聞いているだけでは、外国語を習得することはできません。とにかくアウトプットが必要です。

 受験勉強をパスするための語学ではなく、使える外国語を身につけることは、あなた自身の可能性を広げることにもつながることでしょう。

■“Very interesting.”が「とても面白い」とは限らない
語学力よりも大切な、異文化を理解する気持ち

語学力以上に重要なコンテクストへの理解

 コミュニケーションというのは、決して言葉のみで成り立っているわけではありません。一見当たり前のように思えますが、異なるバックグラウンドを持つ外国人との意思疎通を図る際には、どうしても言語(外国語)ばかりに目が行ってしまいがちです。

「英語ができさえすれば(語学力さえあれば)、グローバルに通用する」と言えるほど、異文化コミュニケーションは単純なものではありません。とくに、非日本人とのコミュニケーションにおいては、言語のみならず、その人が持つ「コンテクスト」に注意することが必要なのです。

 ここで「コンテクスト」とは、文化人類学者のエドワード・T・ホール氏が提唱した概念を指します。大まかに言うと、「状況や背景(バックグラウンド)」という意味。さらに、そのなかでも大きく「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」の2種類に分けることができます。

 ハイコンテクストの文化圏においては、文化的背景、価値観などが広く共有されているため、いちいち言葉で説明しなくても、相手の意図を察し合うことでコミュニケーションが成立します。ハイコンテクスト文化に属する国の例としては、フランスなどのラテン系やアジア諸国などが挙げられ、「阿吽(あうん)の呼吸」「空気を読む」ことが求められる日本もその典型例です。

 それとは反対に、ローコンテクスト文化においては、きちんと言葉で説明しないと意思疎通ができません。つまり、聞き手に委ねたり、依存するのではなく、はっきりと自己主張をすることが必要なのです。「言わずとも察してくれる」ことはなく、「言わないとわかってくれない」のです。アメリカやドイツなどといった国は、ローコンテクスト文化に当たるとされています。

 これは、必ずしも言語で決まるわけではありません。

 たとえば、同じ英語圏でも、島国のイギリスは、アメリカとは違い必ずしもローコンテクスト文化に属してはいません。ハイコンテクスト文化の最たる例の日本と同じように、イギリスでも、額面通りには受け取れない婉曲的な表現が用いられることがあります。

“Very interesting.”が「とても面白い」とは限らない

 例を見てみましょう、。“You must come for dinner.”という表現があり、文字通り受け取ると、夕食に誘っているように思えます。

 しかし、これをイギリス人から言われたとすると、文脈によっては、「本当に招待しているのではなく、そう言っておくのが礼儀だから」というニュアンスが含まれていることがあります。日本でも「社交辞令」を言うことがありますが、それと同じです。

 ほかにも、“Very interesting.(とっても面白い)”が、状況によっては、「まったく馬鹿げている」という意味になったり、”Could we consider some other option?(ほかの選択も考えてみましょうか?)”が、「あなたの考えは気に入らない」となってしまうことがあります。また、“I was a bit disappointed that. (私は少しガッカリしてしまいましたが)”と言われたら、「とても迷惑だった」を示す場合があります。

 少し意外だと感じるかもしれませんが、「社交辞令」とは、日本だけではなくイギリスにもあるのです。「イギリス人は裏表がある」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、イギリス人は私たち日本人と同様、自分の文化的文脈に従っているのです。

 このような文化圏によって異なる「前提」を知らないでいると、いくら語学ができても意思疎通がうまくいかないときがあります。

 もし、ハイコンテクスト文化の人と、ローコンテクスト文化の人が、「自分たちの文化が世界基準だ」という思い込みを持ったまま、コミュニケーションを図ろうとしたらどうなるでしょうか?

 一方は、「相手はこちらの意図をわかってくれない」と不満を持ち、もう一方は、「何が言いたいのかわからない」と釈然としないことになります。最悪の場合、相手のことを誤解したまま物別れに終わってしまうでしょう。

 堪能な語学力だけでは異文化コミュニケーションはうまくいきません。文化の衝突を避けるためには、目に見えない差異を理解しようと努めることが重要なのです。

 日本人同士の意思疎通では、多くを言わずとも相手が理解しようとしてくれるため、とても気楽です。いちいち言葉で説明しなければならないことは、エネルギーを使う、大変骨の折れることではありますが、そうしないと認めてもらえない文化圏もあるのです。

 誤解してほしくないのですが、語学力が必要ないと言っているわけではありません。もちろん、堪能な外国語という「ツール」を持っていることは強みになります。

 しかし、より大切なことは、語学さえできるようになればコミュニケーションができるという考えを捨て、相手のコンテクストを理解することなのです。

[DIAMOND online]

ここから続き

Posted by nob : 2013年08月03日 15:01