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許容すること、、、それは最強の剣。。。
■姜尚中「一生、折れない心の作り方」
姜 尚中 かん・さんじゅん
東京大学大学院情報学環教授
1950 年、熊本市生まれ。熊本県立済々黌高等学校卒。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。国際基督教大学准教授を経て、現在は、東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学と政治思想史。悩みを手放さず、真の強さをつかむ生き方を提唱した『悩む力』(集英社新書)は、80万部を突破。『在日』『愛国の作法』など著書多数。
日本人に不足する、投影=プロジェクトという営み
<われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか>
ゴッホと並び称される19世紀末の天才画家、ポール・ゴーギャンの畢生の作品のタイトルが、現代に生きる日本人の心理にぴたりと重なることに、私は驚きを禁じえません。
2011年8月、私は、東日本大震災がもたらした悲劇に、まだ日本中が打ちひしがれているさなか、『あなたは誰? 私はここにいる』(集英社新書)というタイトルの絵画評論を上梓しました。いま、日本人は非常に苦しい状況に置かれています。世界経済はあたかも株価のように乱高下を繰り返し、しかもそれは1年、2年周期の景気循環による変動ではなく、どうやら世界の構造的な変化に根ざすものであるらしい。
国内に目を向ければ、長期的なデフレから脱却する道筋はまったく見えず、退職金、年金といったサラリーマンのライフスタイルを規定してきた制度が明らかな綻びを見せている。まさに、「われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」が、まるで見えない状況にあるのです。
このきわめて不安定な、不安感に満ちた時代に、あえて「あなたは誰」なのかを問い、「私はここにいる」という確乎としたメッセージを届けたい。それが、このタイトルに込めた私の願いでした。
私が、絵画との鮮烈な出会いを体験したのは、20代の終わりのことでした。当時の私は、大学院は出たものの国籍問題で就職先が見つからず、日本から逃れるようにドイツへ留学していました。鬱々とした不安な日々を送っていた私は、ふらりと入ったアルテ・ピナコテーク(ドイツの国立美術館)の1室で、1 枚の自画像と運命的な出会いをしたのです。
それは、500年前に生きた画家、アルブレヒト・デューラーの描いた「自画像」でした。自画像のデューラーは私に向かって、
「あなたは誰?」
と問いかけ、
「私はここにいる」と語りかけてきました。
この絵は500年の間、私の来訪を待っていたのだ。そう確信できるほどの、眩暈を覚えるような邂逅でした。
北方ルネサンスの巨匠、デューラーの生きた時代は、ルネサンスという言葉の持つ明るいイメージとは裏腹に、戦乱、殺戮、疫病、飢餓が繰り返された陰惨な時代でした。
そんな時代をあるがままに受け入れ、迷うことなく絵画に生涯を捧げる。「自画像」からは、そんな決然たる意志と矜持が伝わってくるのでした。
そして私は、この自画像と出会ったおかげでモラトリアムに終止符を打つことができた。私も自分の置かれた状況をあるがままに受け入れ、それを超え出るための1歩を決然として踏み出そうと……。
いささか唐突に聞こえるかもしれませんが、いまの日本人にとって、「自分だけの1枚の絵」に出会うことは、とても大切なことだと思います。なぜなら絵画は、強烈な思い込みを許容してくれる芸術だからです。絵画には、自分の想像力や主観を丸ごと投影することができます。
投影とは、プロジェクトです。普通、プロジェクトというとき、われわれは複数の人間がある目的を達成するためにチームを組んで行動することを想定します。しかし、プロジェクト本来の意味は投影、すなわち自分の主観を世界に向けて投げかける行為のことを指すのです。
実は、現代の日本人に最も不足しているのが、この投影=プロジェクトという営みなのです。
周囲から単なる思い込みだと馬鹿にされようと、愚かな行為だと冷笑されようと、なりふり構わず主観的な思い込みで突っ走るパワーが、現代の日本人には決定的に不足している。
こうしたパワーは、決して複数人によるプロジェクトでは発揮されません。ヒューマンリレーションを気にかけざるをえない状況では、思い込みのパワーは出ない。たったひとりの、主観的な思い込み。蛮勇とでも呼ぶべき思い込みこそ、新しい時代を開く力なのです。そして絵画には、そんな思い込みを完全に解放してくれる力があるのです。
絵画にはまた、精神をリフレッシュさせる力があります。リフレッシュといっても、心理カウンセラーやセラピストが行うような、生やさしいものではない。自我が溶け出し、最後には消失してしまうようなリフレッシュです。
私は、マーク・ロスコやパウル・クレーの抽象画に出会ったとき、まさに自我が溶け出していくのを体験しました。それは、自我と世界の関係を引き裂かれるような感覚でしたが、決して恐ろしいものではなく、エクスタシーに似た快感を伴う体験でした。そして、自我が溶け去った後に、何か新しいものが自分の中に芽生えてくるのを感じるのでした。
すべてを受け入れて、決然として立て!
熊田千佳慕という画家がいました。少年時代から『ファーブル昆虫記』を愛読していた彼は、60歳を過ぎてから『ファーブル昆虫記』の世界を絵画化する仕事に没頭しました。
「恋のセレナーデ」という、交尾寸前の雌雄のコオロギを描いた絵があります。一見、ただの虫の絵です。しかし、この絵とじっと対峙していると、宇宙にこの雌と雄しかいないのだという気がしてくる。このコオロギたちは、いま、ここで無心に生き、そして命を燦然と輝かせている。そのことが、直感的に把握できるのです。
アメリカの高名な臨床心理学者、L・ザルズマンは、フラジャイルな存在である人間が絶えず変化していく環境に適応しようともがくことから不安が生じると喝破しました。明日を案じるから、人間は不安になるのです。
では、不安から逃れるにはどうすればいいのでしょうか。ザルズマンは“here and now”「いま、ここを生きよ」と言いました。私に言わせれば、それは千佳慕の描くコオロギです。彼らは、いま、ここを無心に生きている。
すべてを受け入れて、決然として立て。そして、いま、ここを生きよ。
デューラーの自画像が、千佳慕の描く昆虫たちが、こう私に語りかけてきます。いずれの絵も、決して明るい絵ではありません。しかし、本当の希望は明るさの中からではなく、闇の中から、苦悩の底から生まれてくるのです。
多くの画家が、不幸に満ちた悲惨な人生の中から傑作を生み出したように、日本という国の真価は、この、先の見えない闇の中からこそ輝き始めるのだと私は信じています。
[PRESIDENT online]
Posted by nob : 2013年08月14日 13:02