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両親の期待からの脱却、、、それが自立の第一歩。。。
■親の価値観の押し付けが、子供の人生を潰す
太った豚より、やせたソクラテス
ミセス・パンプキン :グローバルマザー
当サイトの連載「グローバルエリートは見た!」の著者である、ムーギー・キム氏の母。海外各国に住む子供を訪ねて、北米、香港、フランス、日本を移動しながら生活。一般的な家庭ながら、子供を国際弁護士、国際金融マン、海外著名大学教員、公認会計士に育て上げた。立命館大学卒業
グローバル化が進む中、親たちは、子供を世界で通用するエリートに育てるため、日々、努力を重ねている。しかし、若手マザーの中には、子育ての仕方がわからず、周りの助言にも恵まれないケースも多い。そこで、一般的な家庭ながら、子供を国際弁護士、国際金融マン、海外著名大学教員、公認会計士に育て上げた著者が、読者の皆様からの子育て相談に回答する。
今回は、子供の将来の経済的な安定を第一に願う親と、それに反発を感じる子供という、どこにでもある価値観の衝突について考えたいと思います。
【東京工業大学大学院 Kさんの寄稿文】
私の両親は「安定した生活を送ることこそ幸せにつながる」と考えていると感じます。父は大学卒業以来、公務員として働き、母は専業主婦で裕福とは言えないものの、しっかり子どもたちを養い、安定した生活を実現してくれました。
もちろん私もそのことには感謝していますが、両親は息子である私にも自分たちと同じような人生を歩んでほしいと考えているらしく、そのためには名の通った大企業で働く必要があり、そのような企業で働くには有名大学に進学する必要があると考え、私を私立の中高一貫校に進学させるなど、教育にも非常に熱心でした。
このような考えの両親の前で、以前、「就職先の経営規模にはこだわらず、自分のやりたいことを手掛けている企業に就職する」と話したところ、たいへん反発を受けました。
親として確固たる考えの下に子育てを行うことはすばらしいことですが、それが子供に自分の価値観を押し付けることにつながるのはよくないと思います。たとえ子供が自分の価値観とまったく違うものを持っていたとしても、頭ごなしに反対するのではなく、なぜ、そのように考えるのかと聞く耳を持ってほしいのです。子供の人生は子供のものであり、決して親のものではないということを肝に銘じて、子育てをしてほしいと思います。
<ミセス・パンプキンからのコメント>
「太った豚より、やせたソクラテスに」が意味するもの
今から半世紀ほど前、東大の総長が卒業式で「太った豚になるよりは、やせたソクラテスになれ」という言葉を卒業生に贈り、たいへん話題になったことがありました。もともとは西洋の哲学者の言葉らしいですが、「金銭的に豊かな生活を求めて、やりたいことや信念を捨てて安穏とぜいたくに生きるよりは、生活に困窮しても、信念を貫いて生きるほうが人間らしい生き方だ」という意味だそうです。
高校生だった私の周辺でもいろんな形で話題になりましたので、今なら流行語大賞になったこと間違いありません。今ほど大学進学率は高くなく、信念を捨てても、太った豚になるには、今よりずっと難しかった時代に、巷に流行した言葉となりました。
「鶏口となるも牛後になるなかれ」という中国の故事も思い浮かびました。「大きな組織の中の末端で使い走りのような仕事をするよりは、小さな組織のトップのほうが、やりがいのある仕事ができる」という意味だと思います。
このような言葉に接したときには感動した私ですが、正直なところ、子供たちにはできるだけ大きな会社、有名な会社に入ってほしいと願っていました。信念を貫くにも、意味ある社会貢献も、趣味に凝るのも、まず、経済的な保証あればこそだと信じて疑いませんでした。経済的な困窮で信念が挫折するどころか、家庭まで壊れたり、人生が破滅していく事例には事欠かない時代に育ったものですから。
ここで言う大きな会社、有名な会社と申しますのは、安定企業、給料もいい企業を指します。親子で共有できるプライドという問題も、なかったといえばウソになります。まさに今回のご両親と同じ、「幸せはまず、経済的な安定から」という価値観です。
そしてそのような価値観の下、子供たちを中高一貫校に誘導したのも同じですが、その先が少し違います。私は(給料をくださる)会社ならどこでもいいと思っていました。何よりも大企業には望んで入れるものではありませんし、優秀で努力を怠らなかった学生がゴマンといる中、あとは縁と運だと割り切りました。それ以上に子供にプレッシャーを与えることは、誰の利にもならないことを知っていましたから。
もしフォードが家業の農業を継いでいたら
親の反対を押し切って自分の信念を貫き成功した有名人はザラにいますが、私は決まって2人の人を思い出します。
ひとりはヘンリー・フォードです。父親は農場を継いでほしかったそうですが、近所の人の時計まで分解して組み立て、修理ができることで評判だったヘンリー・フォードは農場経営を嫌い、町の見習い機械工として出発しました。親の言いなりになっていたなら、自動車の生みの親がカール・ベンツなら、育ての親がヘンリー・フォードといわれるほどに自動車の大衆化に成功し、大富豪となった彼は、この世に存在しなかったことになります。
進路を自分で選ばせることで、子供に責任感が生じる
もうひとりは私がその大ファンでもある、エレキギタリストの寺内タケシさんです。彼がエレキを弾き始めた頃は、エレキを弾いたり聴いたりするだけで不良呼ばわりされた時代でした。私の高校では、ビートルズを聴くだけで不良扱いを受けた時代です。エレキに夢中で、実業家の父親から9回も勘当された話は有名です。頼むから勉強してくれと懇願されても、この道一筋に精進したと話されていました。
「弾かないギターは鳴らない」が座右の銘だという彼の、映画『ひまわり』のテーマ曲を初めて聴いたときは、本当にうっとりと聴き入り、そして涙が出るほど感動しました。これがあの不良扱いされていた音楽? 一方的な価値観の押し付けで、長く彼の音楽を聴かなかったことを後悔しました。
小説家やミュージシャン、俳優やタレントで、親の同意や援助が得られず苦節何十年で世に出た人を私たちはたくさん知っています。逆に親の言いなりになったり、家庭の事情で不本意な人生を歩んだ人の話もよく聞きます。前者の場合、長い目でみれば必ずしも親不幸とは限らず、たとえ大成しなくとも、後者ほど不平不満を聞かないのは、少なくとも本人が自ら選んだ道だったということで、責任が取れているからではないでしょうか。
職業の選択に親が介入すると、大抵失敗に終わる
私の知人に、名門の工業専門大学を出てNTTに勤めた後、親の反対を押して小さな農家を継いだ人がいます。「“鶏口となるも牛後になるなかれ”を実践している感覚で、生きている実感がしている」と収入の激減も何のその、その選択に今も後悔はしていないそうです。
「文学でメシは食えない」と親に猛反対されても自分の信念を貫いた友人は、大企業に勤めた人の多くが定年退職後、第2の人生の過ごし方に逡巡している中、ライフワークとなる研究会活動をいくつも持ち、とても充実した人生を送っています。
親世代とは異なり、大企業といえどもリストラは当たり前になり、安泰ではなくなりました。I T産業などでは、想像もできなかった職種が創造され、生き生きと活躍する若者のニュースにもこと欠かない時代です。親の旧態依然とした価値観を子供に押し付けるのは、どの角度から考えても分が悪そうです。
[東洋経済ONLINE]
Posted by nob : 2013年08月27日 10:08