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親愛なる心の友たちへのたより
幸いにも、ここまで堕ちてそして流されて、もう今更ながら人目を気にする必要もないのだから、自分自身の基準で、自分自身のために生きていこうと腹をくくればいいだけのことだよ。
自分自身のためなら、目標も、無理な努力も、成果も要らない…、楽しいことだけを、やりたい時にやりたいだけやればいい…。
他人の表に出たポジティブな局面ばかりに目を奪われ(私たち自身がそうであるように、また誰もがその裏には幾倍ものネガティブな局面を隠しているもの)、根拠のない劣等感や嫉妬心を抱いたりして、自らの現状の在り様を許容納得できなかったり、何とでもこれから創っていける未来に希望を持てなかったりするのも、他人や世間の基準に惑わされ囚われてしまっているだけのこと…。
自分自身のメリットを探して伸ばそうとすることが、自らの基準で自らのために生きるということ…、不安も悩みも苛立ちも、ブレる自分自身が心の中でつくりあげただけのもの…。
自分のために生きることなんて、出来てしまえば、驚くほど簡単で、憑き物が落ちたような爽快感を味わえる。
自分自身のために生きるためには、まずは自らの在り様をあるがままに善しとして許容することから…、受け容れることと諦めることは、一見似て対極的に非なるものだから混同しないように…、諦めるという否定からは、また更なる否定を生み出すだけだけれど、前向きに一旦受け容れるという肯定からは、最低限でも現状維持、前向きに何か働きかけをしていけば、それだけ好転やさらなる成長も望めるし、徐々に自分自身と周囲の状況を快適にしていける。
最後に、期待は自分自身だけに…、他者をあてにしなければ失望させられることもない。
何らの見返りも求めず、自分が気持ちよくいられるだけの範囲で他者に期待をかけるのはいいけれど、打てど響かない鐘のような他者に失望や怒りを感じるようなことは、もはや期待を通り越した依存というもの。
与えられることを求めず、与えることに喜びを見い出せた分だけ、人は初めて充実感や幸福感を感じてとれるのだから。
Posted by nob : 2013年09月01日 14:35