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まずはすべて一切の薬を絶つことから。。。Vol.5/まずは感じそして思い悩める力は希有な才能の一つ。。。

あれっ?最近調子いいかもっ??、…くらいの感じで快復していきますから大丈夫です、、、経験者語る。。。

心も身体も、これまでの長期間にわたる小さな悪習慣の蓄積が染み付いて、癖のようになっているでしょうから、それなりに少し時間がかかるかもしれません。

薬の副作用が身体から抜けた後のこと、結局はストレスを溜めない自分自身づくりや環境整備という根本の原因を解消することが一番肝心です。

今回を絶好の機会と捉えて、自分自身と真っ直ぐに向き合い、何も持たない何もしないあるがままの自らを丸ごとそのまま受け容れるところ、まさにオールクリアゼロから始めていきましょう。


以下参考までにnikkeiBPnetの記事より、

うつ病は軽症のうちに治す! その治療法は?
和田秀樹(わだ・ひでき)
精神科医

悩みを建設的なものにする「悩み方の作法」

答えが出ないことで悩み続けるのはメンタルヘルスに悪い

 姜尚中氏の『悩む力』という本が売れているようだが、その本の中では、徹底的に悩めというようなことが書いてある。

 哲学者になりたい人はそれでもいいかもしれないが、我々、精神科医は、そんなことは勧めない。

 答えが出ないことで悩み続けたり、悩むことで余計に悩みが深くなるようでは、メンタルヘルスに悪い。

 ただ、悩むなと言っているわけではない。少なくとも、最近になってアメリカでも注目されるようになった森田療法の考え方ではそうではない。

 もう少し悩み方を変えることで、悩みを建設的なものにする、適応的なものにするというのが、精神科医からのアドバイスなのだ。

 実際、今の時代は、昔のような終身雇用の時代と違って、企業も悠長に待ってくれないし、前回に生活保護の利用術を書いたが、悩みに悩んだ挙句、仕事が遅いとされたり、仕事ができないという話になってクビにでもなったら、生活保護だって門前払いが増えているらしいから大変だ。

変えられないことを悩み続けるのは神経症的

 では、どういう悩みが神経症的なのだろう?

 一つは、変えられないことを悩むということである。

 変えられないことを悩むと、それが変わらないために、余計に焦ってしまったり、気持ちがそこにいってしまう。すると悩みが余計に深くなるという悪循環を呈してしまう。

 たとえば、顔が赤いことを悩む人がいるとする。顔が赤いことを、「赤くなくなれ」と思ったところで、自力では変えることはできない。

 さらに、悩んでいる分、顔が赤いことが気になるし、実際に毛細血管が開いたりして余計に顔が赤くなることもある。歯が痛いことを気にすると、余計に歯が痛くなるというのは、誰しもが経験することだろう。

 ある感覚に注意がいくと、余計に神経が鋭敏になってその感覚がひどくなり、そのためにさらに注意がそちらに行ってしまうことを、前述の森田療法という心の治療法では、「注意と感覚の悪循環」や「とらわれ」と呼び、この悪循環をみつけ、それを断つように仕向けることを重要視している。

 変えられないことを悩むと、悩んでも解決しないからよけいに悩むことになる。悩めば悩むほど具合が悪くなるのである。こういう悩み方を見つけたら、精神科の医者としては放っておくわけにはいかないのだ。

一つのことを悩む、確率の低いことを悩む

 もう一つは、人間というのは一つのことに悩みだすと、ほかのことに悩めない。頭隠して尻隠さずということが往々にして起こる。

 テレビのワイドショーを見ていても、ある時期は原発ばかりに不安がいき、次にいじめばかりになるが、人間というのは同時に二つ三つのことに目を配って悩むという器用なことはなかなかできないことを如実に示しているようだ。

 ダイエットを気にしている人は、それによってしわが深くなったことを意外に悩まない。我々が神経症の人を見ていても、痛感するのは、あることには思い切り悩んで思いつめているのに、大事なことへの気配りがすっかり欠けていることが多いことだ。

 原発の問題を悩むのは悪いことではないが、いつの間にか二酸化炭素(CO2)の排出が増えることで起こるとされる地球温暖化の問題がどこかに吹っ飛んでしまったし(昔は、それにばかり悩んでいた感があるが)、次の地震の心配をする割には、オール電化がどこかに吹っ飛んでしまって、火事の心配をしなくていいのかというようなことが起こっている。

 もう一つの神経症的な悩みというのは、確率の低いことを悩むことだ。

 落ちるのが怖くて飛行機に乗れないという人がいると、病的な怖がりと思う人もいるし、自分もなんとなく納得できる人もいるだろう。

 しかし、実際には、普通に道を歩いていて交通事故で死ぬ確率のほうがはるかに高い。人間というものは、一度、怖いと思うと確率的な判断ができないようだ。だから、確率が低いものに必要以上に悩んで、日常生活が不便になることが往々にしてある。

何のために悩んでいるのか?

 では、どうすれば、この手の悩みが建設的な悩みになるのだろうか?

 一つには、何のために悩むのかを問い直すことだ。

 顔が赤いことを悩む人に、「なんで赤いのが困るの?」と聞くと、「人に嫌われたくないから」というような返事をすることが多い。

 そういう際に、「そうやって人を避けているほうがかえって嫌われることが多いよ」とか、「顔が赤いことは治せないけど、どうすれば嫌われないかは一緒に考えられるよ」と誘うこともある。

 あいさつの仕方を変えてみるとか、「尊敬する人の前だと顔が赤くなるんです」というエクスキューズを入れるなど、顔が赤くても人に好かれる方法はいくらでもある。

 こういう人の多くは、顔が赤いのが治れば、すぐに人に好かれるような勘違いをしている。しかし、顔が赤くなくても好かれていない人はいくらでもいる。

 やせればもてると思って、ダイエット依存になっている人も同じような傾向があるから要注意だ。やせても、話し方やファッションその他を変えないともてるようにならないが、この手の人はやせ方が足りないせいだと思い、余計にダイエットに走ってしまう。

 するとやせ過ぎで元よりもてなくなってしまうのだ。ダイエットをしなくても、どうやったらもてるかを考えるほうが建設的だろう。実際、やせていても、もてない人はいくらでもいるのだから。

 あとは、変えられることと変えられないことを峻別することだ。顔が赤いのは変えられないが、人との接し方は変えられる。

 変えられることを悩んでいる限りは、あれこれ変えているうちに、いつかは目的(たとえば人に好かれること)に達することができる。話し方を変えてみる、ファッションを変えてみる、どんな話し方にしよう、どんなファッションにしようと悩み過ぎるより、あれこれと変えてみるうちに、いちばんもてるパターンがみつかるというわけである。

確率の判断、悩みの損切りが大切

 もう一つ、我々が勧めるのは、やはり確率の判断である。

 飛行機が落ちて死ぬ確率というのは、宝くじに2回続けて当たるのと同じくらいの確率だそうだ。意外にも計算してみると、確率の高いこと、低いことがわかる。発がん物質などの心配をする人も多いが、1万人に一人くらいのレベルでがんになるものだって、そんな風に言われるし、タバコのようにパーセントのレベルのものもある。

 どれ以上の確率ならやめよう、どれ以下の確率なら割り切ろうという判断だって大切だろう。

 もう一つ、言っておきたいのは、悩みの損切りの考え方だ。

 今のような世知辛い世の中では、何日、何週間も悩んでいると、それこそ淘汰の対象となりかねない。ベストの仕事をしようと悩んでいたら、仕事が遅いとみなされて、リストラにあったなどというのでは目もあてられない。

 何日以上悩んだら、悩むのはやめて、暫定的な答えを出して、動こうと決めておかないと、結局、答えがでないで終わってしまう。歩きながら考えるというが、やってみれば、意外にうまくいくとか、やっぱりダメだとかがわかる。それに応じて、また方針を変えていくというほうが多くの場合現実的だ。

その場その場で悩みを暫定的にでも解決していく

 ということで『悩み方の作法』はそれなりに、自分が精神科医として、患者さんにアドバイスをする際に心がけていることをまとめた自信作なのだが、早速、アマゾンの書評欄で「下手な悩み方で悪かったな!」と酷評され、その方にナチの強制収容所で悩み苦しんだV.E.フランクルの本を勧められ、「深みや説得力が全く違いますから」と書かれてしまった。

 私も古典的な哲学書で悩みを解決しようとするのを否定しないし、この人については、私の著書で解決できなかったのは私の力不足だろう。ただ、深みや説得力があっても、この書評を読ませていただく限り、悩みが解決したと思えないし、だから、「下手な悩み方で悪かったな」という話になるのだろう。

 人生は悩みの連続であるが、その場その場で悩みを暫定的にでも解決していかないと、サバイバルは困難な時代だ。読書量にしても多いだけでは、現実のメリットは小さい。

 私の本を読んでもらわなくてもいいから、なんのために悩むのかはぜひ再考してほしい。

ここから続き

Posted by nob : 2013年09月14日 13:23