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諦めずに継続することが知識と経験を蓄積し、、、自ずとリスクマネージメント力を高める。。。Vol.2

■プロ登山家・竹内洋岳
×BCGパートナー・植草徹也【中編】
「リスクをとれるチーム」なら
肩書きとしてのリーダーはいらない

高所登山のようなハイリスクが日常化する現代のビジネス
それに対応した組織が求められている

植草 挑戦し続けることのできる組織とそうでない組織の違いを考える上で、竹内さんが参加された「国際公募隊」の話はとても興味深いと思いました。いわゆる組織登山との大きな違いはどこにある、と考えたら良いでしょうか?

竹内 組織登山はちょうど、会社が経営目標を立てて、そこに向かって進んで行くようなイメージを思い浮かべていただくといいのかもしれません。全員が頂上に向かえるわけではなく、組織として登頂を成し遂げることが大きな目標になります。そのために一人ひとりの役割分担が決まっていて、隊長の命令にしたがい、それを一つひとつ着実にこなしていくことが重要視される。ですから当然、その運営もトップダウン的でした。

 これに対し、国際公募隊はまったく違います。まず、私はお金を払ってそれに参加する、つまりは「クライアント」という立場になります。ナンガパルバットを登った時はドイツ人、スペイン人、オーストラリア人、リトアニア人……と、世界各国からクライアントが集まっていました。それを経験豊富なクライマーであるドイツ人がオーガナイズしていた。といっても、彼は山に登るための煩雑な手続きを代行し、進行役をしてくれるだけで、登山隊の隊長というわけではありません。

竹内 つまり、そこに肩書きとしてのリーダーはいない。役割分担も明確には決まってはいませんし、全員がすべてを一人でこなせないといけないわけです。組織登山と国際公募隊では、登り方も随分と違いました。

植草 どういうことですか? 

竹内 少し専門的になりますが、高所登山には大きく分けて「極地法」と「アルパインスタイル」があります。多くの組織登山はこのうち「極地法」で登ります。

「極地法」はもともと南極探検で実践された方法が元になっています。船をベースキャンプ(BC)とすると、岸につけた船から降ろした荷物を集約する場所がC1になる。そこから人力や犬ぞりで、次の中継地点まで荷物を運ぶ。南極探検では同じようにしてC3、C4と移動し、補給路を途切れさせずに極点に達していくわけです。これを垂直にしたのが高所登山の極地法で、荷物を運ぶためにキャンプとキャンプの間を往復することが、高所に体を慣らすことにもつながるわけです。

 一方の「アルパインスタイル」は一度も下を向くことなく、BCから頂上まで一往復で帰って来る。短時間かつ軽装備で登れるのが利点ですが、ルートに制約があります。長く緩やかな尾根を何日もかけて延々と登るのに、アルパインスタイルは向いていないのです。

植草 二つの違いはおもしろいですね。それらをビジネスに置き換えると、次のようなことが言えると思います。

 環境変化が穏やかで、小さな改善を続けて行けばそれなりにキャッチアップできる時代。しかも、大量の新人を一度に育成しないといけない場合などは、組織登山的なやり方が向いていた。ところが、現在は、高所登山のようなハイリスクに次々と挑戦していかなければ何も新しいものは生み出せず、企業としても生き延びられない、という時代を迎えています。そういう時にはむしろ、「国際公募隊」のような柔軟かつ小規模な組織が必要になってくる。

植草 BCGのプロジェクトでも、国境を越えて能力の高いエキスパートを集めてチームを組むということは多くなってきていますし、顧客からもそうしたチームを組成することへの期待というのも、昔に比べると随分と増えてきているな、と感じます。

命にかかわるリスクの前では
誰もがリーダーにならざるを得ない

植草 ところで、先ほど国際公募隊には肩書きとしてのリーダーがいない、とおっしゃった。これはどういうことか、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか。

竹内 たとえば、私がラルフ、ガリンダと一緒に登った時の場合で言いますと、それぞれが得意なことが違うわけです。ラルフは岩登りが得意で、ガリンダはアイスクライミングがすごく上手。私はどちらかと言えば悪所が得意。雪崩が起きそうだなとか、崩れそうだなというところに入って行くのが得意なんです。

 山の中は環境がどんどん変化しますし、進むほどに様々なリスクのある局面にも遭遇します。その時に、肩書きだけの固定的なリーダーがいても意味はなく、それぞれの局面に応じて、それを乗り越えるのが得意な人間がリーダーになればいいわけです。

 たとえば、岩場に遭遇したら「オレが行く」とラルフが先に出て行ったり、悪所なら「オレに任せろ」と私が出て行ったり……。肩書きだけのリーダーがいないチームとは、裏を返せば誰でもリーダーになれるチームということにもなりますし、また、そうしなければ登れません。

植草 組織で登山する場合、通常は固定ロープを張って、誰もが安全に行き来できるようにまずはルートを確保する。そのルートに沿って進めば基本的には誰もが登れるようになる、というのが組織登山のあり方ですね。3人で登った時、ロープはどうされたんですか?

竹内 一切、固定はしません。ロープをつなげて縦に難所を登って行くと、落ちる時も玉突きになってみんなで落ちちゃう。だから、そうならないよう、横並びになってそれぞれが勝手に登って行くんです。

植草 確保(パートナー同士をロープでつないで、一人が登る間は、もう一人が止まって、万が一の滑落に備えること)なしですか?

竹内 これ以上自分ではロープ無しで登れないと判断すれば、「ロープを出そう」とと申し出ることはあります。でも、出せばそれだけ時間をロスすることになります。ですから、そこでロープを出すかどうか、各自の判断次第です。

植草 組織登山だと隊長が判断するところを、すべて個人の判断にしたがって登って行くことになるわけですね。

竹内 そうです。それと、先頭が常に入れ替わって行くわけですから、まったくの未経験者がメンバーに入れるかと言えば、そこは難しい。だから、僕らのスタイルがすべていい訳ではなく、組織登山には組織登山の良さがある、とは思います。組織登山は、未経験者に経験を与える機会を作ることができるのです。また、最近は、登山の経験のないアジアの新興国が、国としてエベレスト登山を行うことが増えてきました。そういう国にとっては、組織登山が必要なのです。

「修羅場」では「国籍」は関係ない
「一人の人間」として信頼できるかどうか

植草 ところで、国際公募隊に参加するにはやはり「英語力」もかなり必要だったのでしょうか?

竹内 それが、そうでもありません。じつは、私、英語はそれほど得意じゃないんです。なのに、なぜ、国際公募隊の中でもコミュニケーションがとれたかと言えば、登山においては「頂上を目指す」という目標が明確で共有しやすいからだ、と思います。

竹内 伝えないといけないことはこちらも必死で伝えますし、相手もそれを一生懸命に聞く。それに、どんなスポーツでもそうだと思いますが、道具の持ち具合を見ればその人がどれくらいのレベルなのか、はおのずと見えてくる。ですから、私たちの場合、それほど言葉を交わさなくても「この人となら一緒に登れそうだ」「一緒に登ったらおもしろそうだ」というのはなんとなくわかります。

植草 それは具体的なモノを前にすると、技術者同士がお互いに意思疎通しやすくなるのに近いかもしれませんね。人種や国籍の違いよりも、そもそものチームのあり方や目的・目標の共有ができているか、ということの方がコミュニケーションにとっては大きな要素だったということでしょうか?

竹内 そうだと思います。私はラルフを「ドイツ人だ」と意識したことはなく「ラルフだ」と思ったことしかない。彼も同じで、私のことを「日本人だ」ではなく、常に「ヒロ」という一人の人間だ、と思っていたはずです。

 一緒に山を登る上では、「国籍」は書類上の問題でしかなく、大きな意味を持ちません。もちろん、文化の違いは実際にいろいろあるかとは思います。私がそれを感じたのは、彼らと最初にナンガパルバットを登った時のBCを見た時です。テントの中に大きなダイニングテーブルがあり、そこにきれいなテーブルクロスが掛かって、花瓶に花も生けてありました。週末になればダンスパーティは開かれるし、メンバーの誰かが誕生日だと聞けば、ケーキが焼かれて盛大にお祝いもする。そこは単なるBCではなく、山を楽しむ場所にもなっていました。

 日本の組織登山で登った時のBCは荷物を集積するという機能が最優先で、人間が生活するのは二の次でした。ときに食事は立ったまま食べ、食べ終えたらすぐに荷揚げ作業に戻る。非日常的な状況だから不自由さを我慢するのが日本のBCだとすれば、非日常的な空間を思いっきり楽しむのがラルフたちのBCだったのです。

「生き延びよう」とする能力は誰にでもある
それを引き出すのが「修羅場体験」

竹内 8000メートル級の山々を登っていてつくづく実感するのは、それが非常に厳しい環境だ、ということです。BCはとても快適ですから、ともすると、そこから出て行きたくなくなる。でも、なぜ、そのコンフォート・ゾーンを離れてより高みを目指すのかと言えば、そこでは自分も知らなかった潜在能力が発揮できるからなのではないでしょうか。

 空気の薄い高所で生き延びる力というのは決して特別な能力ではなく、本来、人間ならば誰でも持っているはずです。ただ、恵まれた環境にいる間はその能力を発揮しなくても済むから能力があることを忘れているだけだと思います。厳しい環境を避けたいと思うばかりではなくて、そこに入っていくことで自分の潜在能力を伸ばしたい、発揮したいというのは、人間の持っている本能のようなものだとも感じますね。 

植草 経営者育成ではよく「修羅場をくぐり抜けた経験が必要だ」と言います。竹内さんが経験されているのはまさに、この修羅場です。8000メートル級の山に登るために6000メートル、7000メートルのところで吐くような思いをしながら高所順応していくのは、経営者育成における修羅場体験と同じですね。

10月25日(金)公開予定の次回は、その修羅場体験を積むことで竹内さんご自身のリスクマネジメント能力がどのように培われてきたのか、について伺いたいと思います。

【ヒマラヤ登山から学ぶ 勝ち抜くためのヒントBCG流 その2】

プロは常に進化し続ける。成長するためには修羅場経験が必要である。修羅場を経験することで、潜在能力が引き出される。ただし、その潜在能力を発揮するためには、明確な将来の目標を設定して、何が何でもそれを達成しようとする覚悟も必要。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2013年10月19日 15:56