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諦めずに継続することが知識と経験を蓄積し、、、自ずとリスクマネージメント力を高める。。。

■プロ登山家・竹内洋岳×
BCGパートナー・植草徹也(前編)
ハイリスクな時ほど少人数で登れ!
登山界に学ぶ組織論のセオリー

エベレストなど標高8000メートルを超える山は世界で14座ある。竹内洋岳氏は2012 年、日本人として初めてその14座を完全登頂したプロ登山家だ。対する植草徹也氏はボストン コンサルティング グループ(BCG)のパートナー&マネージング・ディレクターで、BCGの医薬、医療機器、医療機関を専門とするチームの日本リーダーである。

専門分野のまったく異なる二人が「登山とビジネス」について語り合った。そこで見えてきたハイリスク時代を乗り切るためのヒントとは?

日本人に残された課題「14座サミッター」
途中でやめない覚悟のプロ宣言

植草 ボストン コンサルティング グループはその名の通り、1963年にボストンで創業しまして、日本のオフィス設立が1966年。日本に開設して47年になります。そのなかで私は医療機関や医療機器、医薬品などを担当していますが、高校時代は山岳部に所属していたこともあり、夏はトレイルランニング、冬は雪山へと、国内だけですが登山は続けています。ですから今日は竹内さんにお会いできるのを、とても楽しみにしていました。改めて、日本人初の14座完全登頂、おめでとうございます。

竹内 ありがとうございます。最近、街の中でも「こんにちわー」って声をかけてくださる方が増えまして。知ってる人だったかなと思うと、「テレビ見ました。直接会っておめでとうって言いたかったんです」って言ってくださったり……。本当、みなさんに喜んでいただけて嬉しいです。

植草 御著書『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』(NHK出版新書)も読ませていただいて、ビジネスの参考になる話が多いなと感じておりました。そこでまず伺いたいのは、「プロ登山家」という職業名です。あえて「プロ」を付けたそうですが、このあたりの思いから、まずは伺ってもよろしいでしょうか。

竹内 はい。実は、プロ登山家を名乗り始めたのは2006年からです。それまで石井スポーツの社員として店頭に立ちながら、休暇をもらって山に登っていたのですが、体のコンディションを維持するのが難しく、このまま両方を続けていくことは無理だろう、と感じました。ちょうどその頃からぼちぼちスポンサーも付き始めていましたので、思いきって「辞めさせてください」と会社にお願いしたところ、「山に専念できるよう雇用契約を変えてあげよう」と言っていただいた。いわばこの時から「登山家」として「山に登ること」が私の仕事になったのです。

 その時に、「登山家」になるというのはどういうことなのだろう、と真剣に考えました。趣味ではなく職業にする。それはいったいどういう違いがあるのか、と思ったんですね。そこで、あれこれ調べていたら「作家」「政治家」「芸術家」「評論家」「建築家」……など「家」のつく職業はどうも「資格がいらない」という共通点があることにも気がつきました。ということは、自称でいいということですし、辞めようと思えばいつでも辞められる。

 私はその時、 記者会見をして「日本人で初めての14座サミッターになってみせます」と宣言するつもりでした。それまで、何人かの先輩たちが14座登頂に挑みながらも命を落としていましたし、彼らが命がけでやってきたことを受け継ごうというのですから、途中で辞めない覚悟がいる。その覚悟をどう表現したらいいかと考えた時に、「プロ」という言葉が浮かんだんです。それで、ただの「登山家」ではなく「プロ登山家」を名乗ろう、と思いました。

植草 言われてみれば、弁護士や建築士など「士」が付く職業には資格がいりますが、「家」になるといらなくなる。資格がなくてもできてしまうという点ではコンサルタントも同じです。その気になれば、誰でも経営コンサルタントを名乗れてしまうんです。

 それと、「先輩の意思を引き継いでやる」という考え方はおもしろいですね。我々はそれをアプレンティスシップ(Apprenticeship)と呼んでいるんですが、日本語で言うと「徒弟制度」に近いイメージかもしれません。先人からコンサルティングの技を引き継いで、それを自分なりに進化させながら、継承発展させていく、という考え方です。プロフェッショナルの世界には共通の要素なのかもしれませんね。

竹内 考えてみたら、登山という行為そのものが先人から受け継いだ財産だと思います。もしかしたら、最初は獲物を獲得するために山に登ったのかもしれないし、純粋な好奇心で登ろうと思い立ったのかもしれない。いずれにせよ、登山がスポーツになったのは産業革命以後のこと。より遠くへ、より難しいところへとチャレンジしていくという探検的要素が強い登山(アルピニズム)は、産業革命で余裕ができたイギリスの貴族階級の間で生まれた、と言われています。

 日本ではそれがいつしか「組織登山」という形になり、普及し、発展してきました。

新人面接も飛び込み営業もあった
日本の組織登山とは?

植草 その「組織登山」について、もう少し詳しく伺いたいと思います。というのも、竹内さんの御著書を読ませていただくと、登山界で組織登山が廃(すた)れていく背景と、かつては元気だった日本企業が近年調子が悪くなってしまっていることの原因の間に共通性があるように思えるからです。そこは非常に興味深いし、これからの組織運営を考えて行く上でも示唆を含んでいるのではないか、と感じるからです。

竹内 そうですね、私が8000メートル峰を登り始めたのが1990年代。その頃からちょうど、日本の組織登山は大きな転換点にさしかかっていました。当時は世界的にもそうだったと思いますが、特に日本では大学の山岳部であったり、会社の登山サークルであったりと、既存の組織をベースにした登山隊が多く編成されていました。ですから、その頃の登山というのはある意味、とても「会社っぽい」。隊長を社長とすれば、その下に部長・課長がいて、私たち下っ端は平社員、というような感じだったんです。

植草 おもしろいですね。

竹内 会社に入る時はみなさん、筆記や面接などの採用試験を受けますね。私が大学の山岳部にいた頃はまさにそれと同じような感じで面接があり、ようやくメンバーの中に入れてもらえた。新入社員と同じですから、下っ端は”飛び込み営業”みたいなこともさせられるんです。

植草 飛び込み営業ですか?

竹内 先輩から電話帳を渡されて、「これでめぼしい会社に依頼して寄付をもらって来い」と(笑)。それで、まずは電話をかけますね。「これこれこういうわけで山登りに行くのですが、御社の製品をご寄付いただけないでしょうか?」と。なかには興味を持ってくださる会社もありますが、多くは門前払いです。で、うまく契約がとれたら、「よしよし、お前は良くやった」と隊長にほめてもらえる。

植草 まさしく飛び込み営業ですね。

竹内 だから、当時はそれで随分、社会勉強もさせてもらいました。ある企業さんに電話したら、「じゃあ、一度お話をしましょう」と言ってくださった担当者の方がいた。私たちが会いに行くと、「ああいう電話のかけ方はないですよ」とか「こういう書類は社内では通用しないから、書類を書き直してきなさい」と、細かく指導してくださった。今にして思えば、それってすごくありがたいことですよね。

「しょうがないな。じゃあ、うちの商品を一箱あげよう」と、その場で寄付してくださった担当者の方もいますが、今だったらおそらく難しいでしょう。担当者の方もいちいち学生に会っている余裕はないでしょうし、一存で決められることでもなくなっているような気がします。ですから、時代の変化に応じて、そういう組織登山が難しくなっていったのは必然だったと思います。日本の企業文化が変わる時に、登山のあり方も時代に応じた形へと変えて行くべきでした。

組織登山が廃れると同時に、
ヒマラヤに登る日本人も減った

竹内 実は、みなさんもよくご存知のエベレストは今や観光地です。多い年には三桁の人が登頂する。頂上に立てなかった人もカウントすれば数千人、ベースキャンプ(BC)までトレッキングする人まで含めたら、もう一桁増えるかもしれません。

 日本が最も景気の良い時にはネパールにトレッキングに訪れる外国人の一位は日本人だったんです。それが組織登山が廃れていくのに比例して、ヒマラヤなどの海外登山に挑戦する日本人の数もどんどんと減っていってしまった。

植草 たしかに、そうですね。日本の山々は四季折々の変化が美しく、夏には夏の、冬には冬の楽しみ方がある。これに比べて海外の山はどうも厳しいばかりで、正直なところ、私自身も「どうして、わざわざお金をかけてまで、あれに登りたがる人がいるんだろう」と思っていた部分はあります。

竹内 海外の山を登ると「お金と時間がかかって大変」というイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、実はそうでもないんです。たとえば、ネパールのカトマンズなどは、飛行機に乗ってしまえばトータルで15時間くらい。ヨーロッパに行く時間の半分ですみます。

 もちろん、お金をかけようと思えばいくらでもかけられます。最近話題になった三浦雄一郎さんのように、たくさんの企業から寄付を募って1億円くらいかけて登るケースもある一方で、かけないで登ろうと思えば、数百万円くらいでもヒマラヤ登山は可能です。私が国際公募隊で出会ったラルフ・ドゥイモビッツと後にその妻となるガリンダ・カールセンブラウナーと3人で登った時は、山にもよりますが、一人200万円以上はかけないようにしよう、と決めていました。シェルパも使わず、酸素ボンベも持たない方法ならば、それくらい安く登れるのです。

植草 それもすごく意外でした。ヒマラヤ登山って案外、身近にあるのだなと感じた次第です。

竹内 そうなんですよ。自分に合う登り方を選択すればいいだけなんです。陸上競技にもマラソンから100メートル走までいろいろあるように、登山にも酸素・シェルパを使って登る場合とそれらを使わないで登る場合がある、と思っていただくとわかりやすいかもしれません。どちらが優れているかではなく、二つはまったく違う競技なのです。

 そんななか、僕らがなぜ酸素ボンベを持たず、シェルパも使わずに登りたかったかと言えば、あまりお金と時間をかけたくなかったからです。一回あたりの費用を抑えれば、それだけたくさんの回数を登ることができます。回数登れるとわかっていれば、状況が悪い場合は無理に登ろうとしないで「また、来年来よう」という判断ができるようにもなる。

植草 なるほど。リスクマネジメントという点でも、お金をかけずに登ることはとても大事なわけですね。

一回あたりの挑戦資金をどれだけ抑えられるか
そのための組織作りが鍵を握る

植草 1億円も使って登りに行ってしまうと、途中で引き返しにくい。「せっかくここまで来たのだから無理しても登ろう」と思いたくなる。同じようなことはビジネスでもありますね。

 それで思い出すのは、医薬品開発を見ていて思う一つの大きな流れです。今、医薬品業界では大企業からなかなか新薬が出ずに、新薬が出るのはたいていベンチャー企業から、ということになっています。今のお話を伺って、なるほどそういうことか、とピンと来た部分がありました。成功確率が同じであれば、回数をこなせる方が断然、有利になる。1億円の資金を集めたとしても、従来の組織登山なら一度しか登れない。でも、費用を抑えた竹内さんたちのスタイルならば、同じ金額を使って何度でも登れる。

 つまり、一回あたりの創薬研究にお金をかけずに、何度も実験したり、挑戦したりできるからこそベンチャーの方が有利なのか、と目から鱗が落ちる思いがしました。

竹内 まさにその通りかもしれません。私たちは一回で登れなければまた挑戦するだけのこと。それを繰り返すことによって、どんどんと対処方法を学んでいくことができるわけです。経験を得ることで、リスクに対処するための手段も同時に発見することができる。

植草 一回登ったら終わりではなくて、一回あたりの費用を抑えることで何度も登り続けるための仕組みと組織作りが非常に重要になってくるということですね。では次回はその仕組みと組織について、より具体的に伺っていくことにしましょう。 

【ヒマラヤ登山から学ぶ 勝ち抜くためのヒントBCG流 その1】

ビジネスを取り巻く環境はハイリスクが常態化している。それを乗り越えるには、リスクテイクできる少数精鋭のチーム編成が必要である。一回あたりの成功確率が同じであれば、より安く、速く、回数がこなせる小規模チームの方が、成功にたどり着く可能性が高くなる。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2013年10月19日 15:38