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諦めずに継続することが知識と経験を蓄積し、、、自ずとリスクマネージメント力を高める。。。Vol.3

■プロ登山家・竹内洋岳
×BCGパートナー・植草徹也【後編】
登山は想像力を競うスポーツ
企業のリスクマネジメントも基本は同じ

前回に続く、日本人初の14座完全登頂に成功したプロ登山家、竹内洋岳氏とボストン コンサルティング グループ(BCG) パートナー&マネージング・ディレクター、植草徹也氏の対談最終回。

まとめとなる今回は「リスクマネジメント」をテーマに二人で話していただいた。高所登山におけるリスクマネジメントから私たちが学べることはいったい何だろうか?(構成 曲沼美恵)

ハイリスクの高所では常に
「成功確率」が判断の根拠に

植草 著書にあるエピソードに関連し、竹内さんに是非、お聞きしたいことがありました。2012年5月に14座のうちの最後、ダウラギリを登頂した際の話です。いざ「サミットプッシュ(登頂を目指して向かう)」しようという時、パートナー兼カメラマンの中島ケンロウさんの足が高所障害で止まってしまいますね。竹内さんはこの時、中島さんに対して「一人でC1まで下りろ」とアドバイスします。

 山岳部登山を経験した私には、これはちょっと意外でした。山を登る際にはふつう、「弱い者に合わせましょう」と教わりますので、ああいう場合、一人で下ろすというのは考えられなかったからです。

竹内 それは、私と中島さんの間にある約束事が関係しています。中島さんと私はガイドとクライアントという関係ではない。登りたければ自分で登るし、下りたければ自分で下りる。そういう自由な個人がお互いをパートナーとして一緒に登っている状態です。だからこそ成り立つ、というのが一点。

竹内 もう一点は、山の中で「弱い人に合わせる」ことは必ずしもリスクを回避することにはつながらない、という考え方によるものです。山というのはそこにいるだけでリスクがありますから、そのリスクに晒される時間はできるだけ短い方がいい。にもかかわらず、弱い人に合わせてゆっくり歩いたら、それだけリスクが増します。ならば、先に行ける人が行って、ルートを作ってあげる方がいい。

 あの時、中島さんにはすでに高所障害の兆候が見えていました。そこから先、無理して登れば彼は自分の力で下りることさえもできなくなってしまう。かといって、私が中島さんと一緒に下りてしまったら、誰も登頂ができないままで終わってしまいます。私たち二人の目標は「登頂すること」でしたから、その可能性を少しでも高められるかどうか、が判断の根拠になりました。

植草 確かに、あの時の様子を記録したテレビ映像を見ると、中島さんにはまだ余力があるように見えました。しかし、竹内さんはあれ以上行ったらもう一人では下りられなくなるだろう、と判断された訳ですね。

 話を伺っていて思うのは、「行ける者が先に行ってルートを確保する」方が、集団全体が生き延びるために最適な判断ではないか、ということです。そしてそれは、日本の今の組織運営に対する重要なアンチテーゼにもなっている気がします。日本的集団主義のなかにいると、どうしても突出したパフォーマンスを発揮しにくいですし、それを嫌う傾向がありますから。

竹内 もちろん、山の中というのは、そうしなければ生き延びられない厳しい環境だということが前提にあるかと思います。もしも、あそこで中島さんを無理に上らせて倒れてしまったら、二人とも命が危うくなる。だから、あの場にいればおのずと感覚も研ぎすまされてきますし、そう考えざるを得なくなるわけです。言うなれば、人が人を育てるのではなくて、山という環境が登山家を育てる。ですから、僕らのようなプロ登山家でも、後進を育成することには限界があると思っています。基本的には発掘することしかできない。ただ、良いことも悪いことも含めて後進に伝えて行くことは大事で、それは自分の重要な役割だろうとは思いますが。

リアルな想像がリスクを減らす
登山は基本的に想像力が勝負

植草 登山のリスクを少なくする上で、竹内さんが普段から心がけていらっしゃることはありますか? 

竹内 できるだけリアルに想像すること、でしょうか。登山は基本的に想像力の勝負なんです。誰も登ったことのない山を誰も経験したことのないルートで登るというのはそれ自体、想像力が必要ですよね。この山に登ったらどうなるだろうか、と想像しなければ山には登れないわけで、山に登るという行為そのものが、実は想像力を持つことからスタートしている。

植草 大航海時代に危険覚悟で冒険に漕ぎ出したのと同じですね。

竹内 私は以前、スキーをやっていたんですが、スキーの場合、スタートゲートに立った時に理想的なラインを思い描き、最後はゴールでガッツポーズするところまでシミュレーションしろ、と言われました。けれど、登山の場合はそれだけではなくて、「登れない場合にどうなるか」というマイナス面の想像をしておくことが、とても大事です。自分がそこで死んでしまうかもしれない、ということをいかにリアルに想像できるか。リアルに想像しさえすれば、死なないためにはどうしたらいいか、も具体的に見えてくる。だから、想像力が成否の鍵を握ると思いますね。

植草 登山をしているときに、それをどのタイミング、あるいは手順で想像するのですか?

竹内 あまり時間ごとに区分けして考えたりはしていないんです。ところどころぼんやりと考えながらも、時々、それを最初から順番につないでみたり、あべこべにつないでみたりして、最終的にすべてのことがつながって円になるかどうかをチェックする。

 なぜ円のイメージかと言うと、登山は「登頂」がゴールではないんです。頂上は「通過点」の一つでしかない。「折り返し地点」かどうかさえも、すべての行程を終えてみないとわからないものなんです。

竹内 BC(ベースキャンプ)から出て、そこに戻って来るまでのプロセスを年表のように一つの紙に書いたとしたら、頭の中でそれを持ち上げて輪っかにしてみる。その輪が大きいか、小さいか、は最後までわからない。それに、一つの輪が終わったら、すぐにまた、次の輪がスタートしている。下りてきた時はすでに「次はどこへ行こうか」と考えていますから、厳密に言うと、どこがスタート地点かどうかも曖昧で、すべてが連鎖的に続いているわけです。

植草 登れないかもしれないと想像した時に、死の恐怖は感じないんですか?

竹内 感じます。それがあるからこそ、避けるにはどうしたらいいか、と考えられる。たとえば、山を登っているとクレバス(氷河や雪渓に生じた深い割れ目)に遭遇しますね。見えれば避けるのは簡単ですが、その上に雪が降り積もっていたりすると、クレバスがどこにあるかを想像しながら進まないといけない。想像できたならば、ストックでつついてみるとか、ロープを出そうとか、プローブ(継ぎ手式のアルミパイプをつなぎ、2~3メートル下の感触を探るための道具)で雪のコンディショニングを見てみよう、とか、そこに落ちることをどうやって避けたらよいか、の具体的な手段も思いつきます。

 岩場を登る時も同じです。今ここで右手のアックス(ピッケル)が外れたならば、体がこう回転するだろうな、そしたら、どこの岩に当たって、どこを最初に打ちつけるだろうか、と想像する。そうすると、右手が抜けたらその時は左手をこう動かそう、とリアルな想像もできるわけです。

 先ほどお話したダウラギリのケースを例にとれば、本来ならば、中島さんが自分で「ここから先は登るよりも下りた方がいい」と想像して、自分から「下ります」と言わなくてはいけない。だから、私は時々、冗談で彼に言うんです。「あの時の想像競争ではオレが勝ったね」と。

「経験」は想像力を妨げることも
「積む」より「並べろ」が竹内流

植草 私が続けているトレイルランニングでも、同じようなことはあるかなと思いました。私自身もだんだんとリアルに想像できるようになってきたんですけれども、日帰りで30キロとか山の中を走りますから、「もし、途中でケガをしたらどうするか、動けなくなってしまったらどうしようか」は考えておかなくてはなりません。その場合、どのルートからエスケープするか、どこで泊まるか、を想像しながら装備を決める。そのためのルートもシミュレーションしてから、走るようにはしていますね。

竹内 山登りは、この想像する部分が一番おもしろいんですよ。登っている最中は息が切れるし、頂上の手前なんて、三歩進んだらもう「ハア、ハア」言います。ですから、そこだけを切り取ると、ちっとも楽しくない。次はどこに行こうか、誰と登ろうか、何を着ていこうか、と考えている時が一番楽しいし、そこからすでに登山は始まっているんです。

植草 想像の幅をもたせるために、経験というのはどれくらい役に立ちますか?というのも、竹内さんはご自身が書かれた本の中で、一見すると矛盾するようなこともおっしゃっている。経験はそれだけに頼ると危険だ、という一方で、リアリティのある想像は経験からしか生まれないということも主張されている。改めて、「経験」の意味について伺いたいのですが。

竹内 経験というのはとても怖いものでもあって、それを積むと、その分だけ分かっているからと想像しなくなっちゃう危険性もあるんです。けれど、山というのは一つとして同じ山はない。同じ山を登るのでも季節が変われば条件はまったく違いますし、時間によっても山は表情を変えることがあります。ですから、一度登ったからあとは大丈夫、ということは絶対にありません。経験したからここは良し、という部分は決してないんです。

 ですから私は、いつもゼロの状態から始めたい。できることならマイナスからスタートしたい、といつも思っています。いくら経験を積んだからと言っても、山を登る苦しみが消えるわけでもない。私が8000メートル級の山を14回登っていても、次に登るときはまたゼロからのスタート。そういう気持ちを保てるかどうか、で想像がどこまで豊かにできるか、は変わってくると思います。

 私がよく言うのは、経験は「積む」より「並べる」ということ。経験はあった方がいいのですが、積んではいけない。凍傷になったらどうなるかという知識を持つのと、実際にそれを経験して感じるのは違います。実は私自身、2007年に一度、雪崩に巻き込まれて死にかけたことがあります。

植草 最初にガッシャブルムⅡ峰に挑戦した時ですね。

竹内 救出された時は全身打撲で片肺が潰れ、背骨の一つが破裂骨折、肋骨も5本折れていました。一緒に雪崩に遭遇した仲間はそれで命を落としています。その時私は、激痛に耐えながら「絶対に生き延びてここに戻って来る」と誓ったんです。

竹内 それでリハビリをしまして、翌年、私は再び同じ山に挑戦しました。山に登って涙を流したのは、その時が初めてでした。

 背骨を折ったからこそ「二度と折りたくない」と思う。そういう経験はしなくて済むならその方がいいのですけれど、したからにはその痛みを忘れないようにすることが大事で、それが「並べる」ということだと思っています。

植草 壮絶な話ですね。考えてみたら、ビジネスは山登りとは違い、命まで取られることはありません。だから、本来、もっと挑戦すべきなのかもしれません。

 経験を積めば崩れることはあるけれども、並べればそれが敷き詰められて空白がなくなっていく。竹内さんのお話されたリスクマネジメントの極意はそんなイメージかと思います。お話を伺っていて、経験に支配されるのではなく、それをよりリスクに対する感度を高める方へとうまく活用していらっしゃるような気がしました。

 組織登山=大企業とすると、国際公募隊はベンチャー企業に近い。今はクラウドファウンディングなど資金集めの方法も多様化していますから、その気になればベンチャーでもかなりの資金を集めることができます。大企業としては、組織のなかにいかにしてリスクテイクできるチームを作れるか、が非常に大きな課題になってくるかと思います。

 そうした状況のなかで、竹内さんが経験された高所登山のお話はとても示唆に富むものでした。高所登山のようなハイリスクな状況は決して特殊ではなく、ビジネスの世界ではもはや、それが日常化した世界に生きています。私もこれからリスクテイクできる組織のあり方について、より一層、具体的に考えていきたい。今日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

【ヒマラヤ登山から学ぶ 勝ち抜くためのヒントBCG流 その3】

経験は「積む」より「並べる」。「わかっている」「知っている」と思い込んでしまうことで「落とし穴」が生まれる。経験を先入観につなげずに、将来オプションを、よりリアルに想像するための触媒として使うこと。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2013年10月25日 17:12