« 彼の真意がどこにあれども、、、脱原発への影響力に期待。。。Vol.10(1/2) | メイン | 継続は創造の源。。。 »

彼の真意がどこにあれども、、、脱原発への影響力に期待。。。Vol.10(2/2)

■唐突な小泉元首相の発言に隠された「秘密」
「小泉脱原発発言」と日本デフォルト(下)
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役

「上」のあらすじ~世界を縦横無尽に飛び回り、情報の収集と分析に余念がない筆者。先日は飛騨高山で、知人に紹介され、ある社長と3人で会食した。その社長は、飛騨高山で、あるフランスの貴婦人の個人旅行のコーディネートをしたのだが、後日その女性が大金融機関の頭取夫人と知って驚愕。なぜ、一人で飛騨を訪れたのか不思議がる社長に、筆者が「有力な仮説」を披露。社長は、再び驚くのだった。

今回のコラム(前半部分はこちら)は、ここからがいよいよ佳境である。前半部分をお読みになった読者は、「何を荒唐無稽な話を」と思われているに違いない。

小泉元首相は、なぜ“左翼”の十八番に触れ出したのか

だが、世界史が動くのはたいていの場合、一般大衆からすれば「荒唐無稽な話」からだ。すなわち最初は誰も信じないが、あるときから「さざ波」は明らかに「波」へと発展しいく。そしてついには「津波」となって、社会全体、歴史そのものを変えてしまうのである。

今、わが国で最も「荒唐無稽な話」といえば、小泉純一郎元総理大臣の動きである。何を思ったのか「脱原発」を叫び始め、一部のマスメディアが面白がってこれに反応した。

だが「脱原発」といえば、これまで伝統的な“左翼”の十八番であったテーマである。それを在任中は「構造改革」を掲げ、わが国の社会と経済システムを斬りまくり、「結局、外資のために改革を唱えているのではないか」と、時には売国奴呼ばわりされた小泉純一郎元総理大臣が、突然、取り上げ始めたのである。当初は「錯乱か」と思っていた野党勢力も、その「本気度」を確認し始めることで、むしろ逆に糾合し始めた。そして遂には「われも、われも」とコイズミ詣でをし始めたというわけなのだ。

「マスメディアの操作が実に巧みな、小泉マジックのひとつ」

そう片づけてしまうのは簡単だ。レッテル貼りなら誰でもできる。だが私には決してそうは思えない。その理由は3つある。

第1に、「脱原発」そのものを叫んだところで、小泉純一郎元総理大臣の個人的な利得になるのかは甚だ疑問だということである。小泉純一郎元総理大臣の現在の肩書は、「国際公共政策センター顧問」だ。わが国を代表する企業のお歴々たちが幹部リストに居並ぶこのセンターは、日本経済が抱える目下の課題である「環境・エネルギー」「構造改革」「日本の震災復興」などを研究していることで知られている。そして日本経済が抱える問題といえば、何といっても「原発再稼働」そして「安価な電力供給への復帰」なのである。

「小泉脱原発宣言」と経産省の政策は、矛盾しない

その限りにおいて、「脱原発」と叫ぶこと自体は細かな点をいっさい捨象して考えるならば、明らかにこうした「親元の意向」に相反している。確かに小泉純一郎元総理大臣の地位にまでなれば、「何を言っても大丈夫」かもしれないが、それでも政界の一歩先は闇、なのである。表向きは「政界は引退した」となっているとはいえ、メディア受けする発言を調子よく発してよいというものではまったくないことは、かつて「劇場政治」で知られた小泉純一郎元総理大臣が、最もよく知っているはずなのである。

ちなみにこの関連で、今回の「小泉脱原発発言」が(特に米系の)石油利権の影響を受けてのものではないかと疑う向きがいる。だがこの点についてもそう考えるのには難がある。

なぜならば「親元」であるこのセンターの掲げる大きな目標のひとつが、「低炭素社会の実現」だからである。低炭素社会となれば「石油利権」は最も肩身が狭い。ところがそうしたセンターの意向に相矛盾する形で、真正面から低炭素化に反対するため小泉純一郎元総理大臣が吠え始めたと考えるのは、あまりにも単純すぎ、説得力に欠けるのだ。

第2に、今回の「小泉脱原発宣言」によって、安倍晋三政権は「迷惑千万」といったコメントを表向き繰り返している。しかしその実、経済産業省が主導する形で現在追求しているエネルギー政策の基本方針とこの「宣言」は、その延長線上で互いに重なり合うのである。

端的に言うと、この基本方針は次の3つの要素から成り立っている。
●短期的には「比較的稼働年数の短い、“若い”原子力発電所の再稼働」
●中期的には「原発の廃炉技術を世界トップレヴェルにし、世界に輸出する」
●長期的には「再生可能エネルギーのための蓄電池開発を加速させ、世界トップになる」

ここで大切なのは、「小泉脱原発宣言」が「脱」原発であって、「反」原発ではないという点である。つまり民主党政権のように「すべての原発を即時に止める」のではなく、徐々に脱して最後は止めようというのである。

そして脱原発となれば、無用の長物となる廃炉をどうするのかが、大きな課題となってくる。しかもわが国は世界で最も困難な被災状況にある福島第一原子力発電所を抱えているのだ。廃炉技術をその処理を通じて磨き抜き、今後、続々と世界中で廃炉になる原子力発電所にこれを供与すれば、わが国にとっては一大産業となる。

そのためには「廃炉にしたならば、また新しい原発を造る」のではなく、「脱原発」と宣言したほうが世界中で廃炉技術をマーケティングする大義名分が立ちやすいというわけなのである――つまり「小泉脱原発宣言」は、この点でも練りに練られたものというべきなのである。

さらに、第3に「脱原発」と言うことによって、多くの一般国民の心をわしづかみにすることができるということも忘れられない。むろん、一部の論者からは、「アベノミクスでようやく立ち直りかけた日本経済を、また倒す気なのか」と(私の目からすれば明らかに見当違いの)批判を受けているが、これは小泉純一郎元総理大臣にとっては織り込み済みであるはずなのだ。そしてこう切って返すに違いない。

「誰が『反原発』、すなわち即時原発停止と言ったか。私は『脱原発』と言っただけだ」

私が注目しているのは、支持率の低下に悩む野党勢力は言うまでもなく、どういうわけか総理大臣経験者たちがこうなる前も含め、直接・間接的に動き始めてきた点である。一見するとこうした動きは、偶然の一致のように見えなくもない。また、党利党略によるもののように感じられなくもない。

この国の「本当の権力の中心」が求めている

だが、ここで私は、2006年9月に第3次改造内閣まで続いた政権の座を、小泉純一郎総理大臣(当時)がいよいよ返上した直後に、霞が関・永田町を超える「わが国の本当の権力の中心」に連なる人的ネットワークから流れてきた、こんなメッセージを思い出さざるをえないのだ。

「どこからともなく、『そろそろよろしいのではないですか』と、風の声が聞こえてきた。それを察した小泉純一郎は直ちに意を決した」

“唐突さ”という意味では、今回もまったく同じなのである。そして何よりもほかの総理大臣経験者たちも、不思議に動き始めている点が奇妙でならない。あのときに吹いた風と同じ“風”に、彼ら全員のほおがなでられ、それに黙って従っているように思えてならないのだ。

「わが国の本当の権力の中心」が、なぜ“そのこと”を求めているのか――考えられる理由はただひとつ。未曾有の国難を控え、「挙国一致」を達成するためである。それではいったいなぜ今、未曾有の国難なのか。どんな耐えがたい事態が、わが国を待ち受けているというのか。

「脱原発」は、デフォルトのために選ばれたテーマ

先般、上梓した拙著最新刊『それでも「日本バブル」は終わらない』(徳間書店)で分析を示したとおり、ここで言う“未曾有の国難”とは「わが国のデフォルト(国家債務不履行)」という、多くの国民にとって想定すらできない事態しかありえないと私は考えている。そのとき、わが国の政治に必要なのは、タレント議員やら、数合わせのための議員たちではない。

「デフォルトにしなければならないこと」

いかなる困難があろうとも、このことについて、きっちりと私たち国民に対して説明し、決然と行動するプロの政治家集団こそ必要なのである。そのとき、破産処理を施されるわが国の国家財政の引当金として用いられるのは、何を隠そう私たち一般国民の「預金」なのだ。ことカネ勘定となると首を縦に振らないのが、私たちの性である。そのため、「デフォルトせねばならぬものはならぬ」を貫くためには、まずもって別の国民的な問題で圧倒的な支持を得ておくのが得策なのである。そのために選ばれたテーマ、それが「脱原発」だというわけなのだ。

つまり「脱原発」宣言とは、わが国がこれから迎える「デフォルト処理」に向けた挙国一致体制のための重要な一手なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。そしてこのレベルの高度に政治的な判断は、「わが国の本当の権力の中心」の気持ちを忖度(そんたく)した経験を持ち、かつそれに沿った形で行動する術を肌感覚で知っている、わが国総理経験者しかできないというわけなのである。

世界を取り仕切る者たちは、そうした流れを、かたずをのんで見守っているはずだ。なぜならば仮にこうした動きを見せるわが国が、万が一にもうまくブレークスルーした場合、国家財政の重圧に苦しみ、極度のデフレへの転落をおそれる各国が、われ先に「ジャパン・モデル」に押し寄せることは目に見えているからだ。そのことはわが国で用いられている通貨=日本円の極端な“買い”という形になって現れ、それによる「円高」が「ほかに投資先がない状況」でわが国における歴史的なバブルを持続的なものにしていく――。

仮にそうであるとき、世界中の富裕層がわが国内に「安全な資金の置き場所(safe haven)」を求めても、まったく不思議ではない。そしてそれは彼らの財産を安全に保管するべく、物理的に外界から遮蔽されている必要があるのと同時に、「海の向こう側」とも陸路・空路で単純な形でつながっている必要もあるのである。しかもできればそこに年中寄り集うセレブリティたちが保養できる場所であることが望ましい。そうしたある意味で相矛盾した立地条件をクリアする場所は、いったいどこにあるのか……。

「そういえば、飛騨には『農道離着陸場』として造られた飛騨エアパークがありますよ。あそこならばセスナでやって来ることも可能なはず」

“荒唐無稽さ”に“荒唐無稽さ”を上塗りしたうえでの夢想と、切り捨てることなかれ。真のリーダーたちは「誰も気づかないところ」からすべてを始め、やがて世界史を動かしていくのである。はたして「小泉脱原発宣言」と「飛騨の夢」がつながるのか否か。未知への扉がひとつまた、そこにある。

原田武夫(はらだ・たけお)株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役(CEO)。
東京大学法学部在学中に外交官試験に合格、外務公務員Ⅰ種職員として入省。12年間奉職し、アジア大洋州局北東アジア課課長補佐(北朝鮮班長)を最後に自主退職。情報リテラシ―教育を多方面に向けて展開。自ら調査・分析レポートを執筆すると共に、国内大手企業などに対するグローバル人財研修事業を全国で展開。学生を対象に次世代人材の育成を目的とする「グローバル人財プレップ・スクール」を無償で開講。近著に『「日本バブル」の正体~なぜ世界のマネーは日本に向かうのか』(東洋経済新報社)、『インテリジェンスのプロが書く日本経済復活のシナリオ ――「金融立国」という選択肢』(中経出版)。9月に『それでも「日本バブル」は終わらない』(徳間書店)が刊行。

[東洋経済ONLINE]

ここから続き

Posted by nob : 2013年11月07日 06:31