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言い得て妙。。。Vol.2
■30〜40代、「友達ゼロ」は人としてダメか
諸富祥彦・明治大学文学部教授に聞く
鈴木 信行
東日本大震災後、改めて「人と人との絆」の重要性を痛感した日本人。様々な場所で「誰かと繋がること」の大切さが叫ばれ、SNSをはじめ“絆を確認するツール”も世代を超えて大流行している。だが、多くの人が友達作り・友達付き合いに励む一方で、ほとんど友人がいない“孤独者”が社会全体で増えつつあることはあまり知られていない。
友人の数に関する統計には様々なものがあるが、社会人の平均は10人前後。しかし、いずれの調査を見ても「友達はいない」という層が5〜6%は存在する。社会人30〜40代、それなりに充実した人生を送り、信頼できる同僚も守るべき人もいるが、「本当の友達」と呼べる相手は極めて少ないか、ゼロ——。そんな人も決して少なくないはずだ。「絆全盛」の今、友達が少ない人は人間としての価値も低いのか。当代きっての人気心理カウンセラーに話を聞いた。
(聞き手は鈴木信行)
友達が少ない、もしくはいない人は、ずばり人間として、何らかの“欠陥”があるのでしょうか。
諸富:「友達がいない」と言っても様々なケースがあります。自分の人生を充実させるため人間関係に過剰に時間を奪われるのが嫌で人脈を整理していたら、いつの間にか1人で過ごす時間が多くなった、という場合もあるでしょうし、友達が欲しくてしょうがない、飲み会に誘ってもらいたくてしょうがない、なのに周囲から嫌われて泣く泣く孤立しているという場合もある。今日のテーマはどちらでしょう。
前者です。今、話題のSNEP(孤立無業者)などではなく、会社に入って10年、20年、紆余曲折を得ながらそれなりに充実した日々を過ごしてきた。信頼できる同僚も、守るべき人もいる。ただし、若い頃ならまだしも、仕事に子育てと時間に追われる生活をしているうちに同窓会などからは足が遠のき、会社の人間とも休日まで交友する気にはなれず、ふと気が付けば「友達」と呼べる相手は極めて少ないか、ゼロ。例えば、そんなケースです。
諸富:ああ、でしたら問題ありません。
ですが、世間的には、「友達が少ないのは良くないこと」「友達がいない人間は変なやつ」という雰囲気が蔓延している気がしますが。
諸富:いやいや、僕に言わせれば、「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」こそ、よほど問題だと思いますよ。「1人の時間を過ごせる力」、言い換えれば「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエイティブに生きるための必須能力で、今からの時代、ますます大切になっていきます。その意味では、ビジネスパーソンに限らず、孤独を愛する人は、人生を充実させるうえで強烈なアドバンテージを持っていると言っていい。
でも現実に世間では、「交友関係が狭いのは悪しきこと」という空気が漂っていませんか。何かというと群れたがり、“孤独者”を許そうとはしない人も多い。職場でも、会社によっては「友達がいない人間は価値が低い」「同僚と昼食を取らない人はどこか問題がある」「単独行動が多いのはわがまま」と認定する価値観が色濃く残っています。
諸富:確かに。その結果として「ランチメイト症候群」みたいな現象も出てくる。
昼食を一緒に食べる相手のいない会社員、特に女性社員が、鬱やノイローゼにまでなってしまう現象のことですね。あれなど、本人や周囲が「友達がいないのは人間として問題である」と思い込んでいるからこそ起きるものでしょう。逆に、「友達は多ければ多いほどいい」とばかりに、部員全員で毎日ランチに行くことを事実上強制され、時間やおカネの浪費に頭を悩ませている会社員も存在します。
諸富:いけませんね。お昼休みぐらい「1人の時間」を作らないと、いいアイデアなんて浮かびません。本当に優れた発想というのは、1人で自分の内面と深く会話している時にこそ生まれるものなんですから。
日本人がここまで群れたがる本当の理由
日本人は「孤独は寂しい、良くない」と考え、群れたがる傾向が強い−−。そんな見解を持つ人も少なくないようです。仮にそうだとすれば、その理由はどこにあるのでしょう。
諸富:背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力があるのだと思います。この国では、多くの人が「友達集団や職場集団の構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。そう考える人にとっては「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」が最も安全な選択なんです。
なぜ日本社会には、そこまで強い同調圧力が存在するのですか。
諸富:最大の理由の1つは、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると私は考えています。あの時代、クラスの中はいくつかの“排他的集団”に分かれ、子供たちはいずれかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。そして、安定して集団に属するためには、とにかく「周りと同じであること」が要求される。「周りと違うと、どんな酷い目に遭うか」、この時期に多くの人は、無意識のうちに体に叩き込まれ青年期を迎えるんです。
それでしたら身に覚えがある人もいると思います。「同調圧力」は教師や親からも日常的に掛けられ、口では「個性を磨け」とか「オンリーワンを目指せ」と言いながら、本当に目立ってしまえば、確実に良からぬことが起きる。そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。スポーツエリートなど、集団から完全に突き抜けてしまう子は、別なんでしょうけど。
諸富:中には、年を取るにつれて、そうした同調圧力の強迫観念から開放される人もいます。しかし、染み付いた価値観を抱え、精神的に幼いまま大人になる人も多い。
なるほど。そうした人にとっては、“自分や周囲に同調しない者”は「おかしな人」であり「変な人」であり「異端」のままなんですね。彼ら彼女らにとっては、「友達が少ない人」はもちろん、「ランチを一緒に取らない人」も、「社員旅行や飲み会に消極的な人」も、みんな“集団に馴染めないかわいそうな人”になる。だからこそ、「友達の少ない人」を哀れむし、一方で、自分自身が孤独になることを恐れ、時にはノイローゼになりながらも「友達」の数を増やそうとする、と。
他人と群れれば、心を麻痺させ、楽になれる
諸富:加えて、今の社会では、たとえ表面的であっても幅広い人間関係を維持し日々に忙殺された方が、かえって楽に生きられる、という側面もあります。生きていれば、誰だって人生の節目ごとに様々な悩みが生じてくる。でも、飲み会やSNSなどで絶えず誰かとくっつき、スケジュールを埋め続けていれば、「自分の心を常に麻痺させること」が可能です。そうすれば、本来なら孤独に自分の心を深く見つめねば解決し得ない問題も先送りできる。「群れる」「つるむ」というのは、日々の不安を打ち消すうえでとても便利な道具なんです。「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」と根拠なき自信を持てるようにもなる。
でも先生、そんなことをしていては、人間としてなかなか成長できないのではないかと思うのですが。
諸富:もちろんできません。それどころか、周囲と過剰に同調しようとすることで精神的に追い詰められてしまう人もいます。
先生の著書『孤独であるためのレッスン』(NHK ブックス)に、まさにそんな状況に陥った女子中学生が出てきます。「周囲の友達に合わせるのがたいへんで、それでもグッと我慢して、自分を抑え、楽しくもない会話に楽しい振りをして、へらへら笑ってつきあってきた…これ以上我慢していると、自分でも自分のことがワケわかんなくなって、友だちのこと、刺してしまいそう」——。こんな深刻なケースが本当に増えているんですか。
諸富:増えています。特に、今の子供たちは、スマートフォンやSNSなどのネットの発達で一段と同調圧力に追い込まれている。有名になった「メールを3分以内に返信しなければアウト」をはじめ、所属する集団の“掟”にわずかでも背けば、たちまち仲間外れにされてしまう。いわゆる「友だち地獄」です。
社会人は、そこまでは酷い状況にはなってないですよね。
諸富:いやいや、根本的な状況はさほど変わらないのではないでしょうか。中学生に比べれば成熟していますから、殺意に向かう人はいないでしょうが、大人は、逆に自分を押し殺そうとする。会社員の間で“心の病”が流行しているのは、労働強化だけではないと思います。
「自分の気持ちが特に欲してもないのに無理やりに友達を作ろうとするのは、体に悪い」というわけですか。
諸富:それだけではありません。「群れること」の弊害はまだまだあります。自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からなくなることです。こういう人は人生の節目節目、特にレールから外れた時になかなか立ち直ることができません。そんな「自分を持たない人間」が、とりわけ定年を迎えると大変なことになります。
このまま高齢化社会が深刻化すれば、自分を見失った高齢者が溢れかねない、と。
諸富:一方で、 1人の時間をしっかり持っている人は、自分と向き合い、深い部分で自分が本当はどう生きたいのかよく考えていることが多いから、どんな時も、心のバランスを維持することが可能です。その意味では、冒頭で出てきた「いつの間にか孤独を選んでいた人たち」は、実は自分の心がそうなることを欲して、無意識のうちに人間関係を整理してきたとも考えられます。人生の重大な局面を向かえ、もっと自分を知りたい、この後どう生きていくべきか考えたい。そんな深層意識があって、1人の時間を確保することを自分で選んできたとも言えると思います。
表面的な友達は、自分を助けてくれない
なるほど。今の時代、孤独が苦にならない人はちょっとしたニュータイプとも言えちゃうわけですね。ただ、先生、孤独に生きようと思いながら躊躇している人の中には、「あまり他人と距離を置きすぎると、いざという時、誰も助けてくれなくなるのでは」と考える人もいます。
諸富:ああ、それなら心配は要りません。広く浅くの表面的な関係で結ばれた友達が、いざという時に、本当に本気であなたを助けてくれると思いますか。相手が苦しい時に自分の身を投げ出しても何とかしようとする。そうした深い人間関係は、「孤独を知ったもの同士」の間にこそ生まれる。人間は本来孤独であり、それぞれ自分の道を生きていくしかない。そうやって孤独を引き受けた者同士だから分かり合えるための努力をする。孤独を知った者同士だからこそ響き遭える、深い出会いがあるんです。
同調圧力を背景に半ば脅迫的につながっただけの関係の相手に、いざという時、親身の支援を期待するのは無理がある、というわけですか。お話を聞いているうちに、「友だちが少ない、いないこと」は人としてダメどころか、様々なメリットすらある気がしてきました。少なくとも「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」より、ずっと健全に思えます。「分かり合えない人」と形ばかりの関係を維持しようと神経をすり減らすより、健康にはいいし、自分を見失わなくても済む。孤独を知ることで、“真の友”との本当に深い出会いが待ち受けているかもしれない。
諸富:そうです。そうした深い出会いからは「この人だけは自分を見捨てない。どこかで自分を見守ってくれる」と思える人も、数は少ないかもしれませんがきっと見つかるはずです。人間関係に悩んでいる人ほど孤独力を身に付けたら、毎日が爽快になります。
分かりました。最後に先生、もう1つだけ。お話を聞いて「自分も孤独力を身に付けよう」と思う人もいるかもしれない。ただ、既に話に出てきた通り、今の日本は依然として会社も地域も「群れた方が楽なシステム」が幅を利かせており、急に上司や同僚からの飲み会やお酒の誘いなどを断ると、思わぬ負の影響が起きかねません。そうした“群れたがる人々”をあまり刺激せずに、「1人の時間」を確保していく上手い方法はないでしょうか。
8人以上の飲み会は不参加、カラオケは1人で
諸富:そうですね。一気ではなく、何かしらルールを設け少しずつ自分の時間を作ればいいのではないですか。例えば、僕の場合、8人以上の飲み会には原則として参加しません。深い話ができませんからね。4人が限界です。
だとすれば、上座に偉い人が鎮座して下々の者がずらりと並ぶ日本企業的な飲み会は、ほとんど深い話はできないことになりますね。
諸富:そう思います。あと、特に女性の方にお奨めなのが、1人で行ける行きつけのカウンタバーを見つけることです。孤独力を身に付ける格好のきっかけになります。さらに、カラオケは1人で行くのが一番です。5人や10人でカラオケに行くのは、人によっては強いストレスになります。
確かに10人もいれば、自分の番が回って来るまで手拍子しながら待つのが苦痛と感じる人もいるでしょうね。
諸富:だから、カラオケに行きたいなら、1人で行くのがベストだと思います。
1人ならば選曲も自由だし、“冒険”もできます。楽しく「孤独力」を磨けそうですね。
諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)
1963 年福岡県生まれ。1986年筑波大学人間学類卒業、1992年同大学院博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。世界を変えるため、時代の精神(ニヒリズム)と「格闘する思想家・心理療法家」(心理カウンセラー)。日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀。臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。著作 単著、編著多数。民放、NHK問わず、テレビ、ラジオ出演多数。ホームページはこちら
鈴木 信行
日経ビジネス副編集長 日経ビジネス、日本経済新聞産業部、日経エンタテインメント、日経ベンチャーを経て2011年1月から日経ビジネス副編集長。中小企業経営、製造業全般、事業承継、相続税制度、資産運用などが守備範囲。
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2013年11月22日 11:39