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自分が変われば世界は変わる、、、依存従属心が諸悪を生み出す根源。。。
■日本ではなぜ、「孝」より「忠」が上なのか?
「天職」志向のヨーロッパ人と「組織」志向の日本人
以前、リクルートの転職情報誌に『ベルーフ』という名の雑誌があったのをご存知でしょうか?
ベルーフとはドイツ語で「Beruf」と書き、「神から与えられた使命」を意味しています。すなわち、これが「天職」。この考え方の元になったのがプロテスタントの価値観で、よく働きよく貯蓄する彼らのおかげで資本主義が発達したと言われています。
天職志向の下では、1つの職業をコツコツと辛抱強く、長く続ける生き方が好まれます。ヨーロッパで職種別の組合が発達したのも、元を正せばこの天職を求める考え方に行き着く。
同じように1つの道を究めることが好きな日本人ですが、私たちの職業観・労働観はヨーロッパのそれとは微妙に異なっています。
では、具体的に何がどう違うのでしょうか?
武士の中途採用禁止がきっかけ?
日本人の労働観のルーツは戦国時代に
キリスト教におけるプロテスタンティズムはもともと、それまでのカソリック的価値観に対抗するものとして登場しました。カソリックは教会が非常に強い権力と権威を持っています。これに対してカルヴァン率いるプロテスタントたちは反発し、「天国に行きたければ、天から与えられた仕事を一生懸命にこなせば良い」と言った。そして、余ったお金は教会に寄付するのではなく貯蓄せよ、と説いたのです。
政治学者で社会学者のマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘したことですが、資本主義はこの貯蓄奨励によって発達しました。みなが一生懸命に働いて貯金をしたために、余剰資金が設備投資へと回るようになった。これによって産業革命が起こりやすくなった、とも言われています。
製造業が発展するには、毎日、地味な作業をコツコツと続ける人が大勢いなくてはなりません。「一生懸命に働けば天国に行けるのだ」というプロテスタントの考え方は、この製造業の発達にも大いに貢献しました。功利主義ではなく、価値合理的、つまり「働くことはいいことだ」と信じて疑わない人々を大量に生んだという点でも、プロテスタンティズムはものづくりの発達に非常に重要な役割を果たした、と言えると思います。
翻って、日本の場合はどうか。歴史を遡れば、私たちが持っている労働観というのは戦国時代に端を発しています。
戦国武将の織田信長は、宗教を政治の敵であるとして徹底的に弾圧しました。次に出て来た豊臣秀吉は「検地・刀狩り」をして、農本主義を徹底することで中央集権体制を確立し、社会を安定させようとしました。
私たちの労働観を形成する元になったという意味で、秀吉はもう1つ、非常に重要な刑を制定しました。「奉公構(ほうこうかまい)」というものです。
奉公構は当時、切腹に次ぐ重刑でした。この重刑が示すのは、ほかの大名に一度でも仕えたことのある武士は、別の大名に仕えてはならないという規範。つまりは、武士の中途採用禁止令です。
武士というのはそれまで、自由に奉公先を変えることもできましたが、これによって武士は転職できなくなり、嫌でも、生涯一人の主に仕えるしかなくなってしまったのです。
江戸時代に「孝」と「忠」が逆転
明治の国民皆兵でみんな“サムライ”に
江戸時代に入ると、武士の世界では仏教に代わって儒教が重んじられるようになります。歴史の教科書にも出てくる有名な「寛政の改革」では、蘭学を否定し、朱子学を幕府公認の学問として定めました。学問吟味といい、家柄だけではなく、実力も大事だということで、旗本や御家人層を対象に漢学の筆記試験なども実施しています。就職活動で面接ばかりではなく、筆記試験で実力を測ろうとするのも、このあたりに起源があるのかも知れません。
じつはこの時、武士たちに儒教精神を徹底させるとともに非常に重要な“刷り込み”が行われました。社会を安定させるために、幕府は「孝」と「忠」を意識的に逆転させたのです。
どういうことか、詳しく説明しましょう。日本ではよく、儒教が重んじる5つの価値観を「仁」「義」「礼」「忠」「孝」の順番で唱えます。しかし、中国でも韓国でも、じつは「忠」より「孝」の方が上なのです。
「孝」とはつまり親孝行の孝ですから、家へのコミットメントを指す。「忠」というのは「殿」つまり、エンプロイヤー(雇い主)に対するコミットメントです。日本では、この2つの価値観の優先順位が逆転したことで、親よりもお殿様に仕えることが重要視されるようになりました。
明治に入ると、この刷り込みが庶民にまで普及していきます。きっかけはテクノロジーの発達と国民皆兵です。
テクノロジーの発達によって、それまでプロ同士の戦いだった戦争に大きな変化が起こりました。最新の銃や鉄砲を持つ素人が古い武器しか扱えないプロに勝ってしまったのです。これをきっかけに、戦争は国を挙げた総力戦へと変わっていきました。そして、国民がみな、兵士として駆り出されるようになったのです。
このことにより、武士だけに刷り込まれていた忠義の精神が庶民の間にも広まっていきます。その影響か、日本人は今でもなぜか「サムライ」が大好きです。考えてみたら、これはとてもおかしなことです。サムライは支配階級であり特権階級ですから、本来、その特権階級が持っていた価値観を支配される側の庶民が称賛して共有するなんていうのは、どうかしています。
むろん、日本人がそのような価値観を称賛するに至った理由はほかにもあるでしょう。その1つが、戦後の財閥解体です。
GHQが指導した財閥解体により、それまでの資本家が一掃されました。これにより、日本ではサラリーマン社長が登場した。サラリーマン社長は言わば使用人のトップです。したがって、日本では「会社はオーナーの所有物ではなく、私たち社員のものだ」という特有の会社家族観が形成されることになりました。「お殿様」に対する忠誠心が、「会社」という目に見えない組織への忠誠心へとすり替えられて行った訳です。
ほんの少し前まで、日本では1つの会社に勤めたらそこに一生勤め続けるのが良し、とされていました。ですから、組織の危機はそこで働く人々の危機にも直結する。組織に何か問題が起きてもそれを公表して改善しようとするのではなく、隠蔽して組織を守ろうという方向に力が働きがちなのも、そのせいなのです。
働き方を見直すヒントは
「沖縄」にあり
という訳で、ここまで、ヨーロッパと日本を比較しながらその労働観がいかにして形成されてきたのか、を書いてきました。
じつは、ヨーロッパでも「もはやプロテスタンティズム的な勤労観で働いていたのでは、社会の変化に対応できない」という声があがり、様々な働き方の見直しがされています。
ヨーロッパ内において、日本とよく似た状況にあった国がドイツでした。ドイツではこれまで、一部のエリートを除いて高校時点で職業を決定し、生涯、その職業に就き続けるという職人教育を徹底してきた訳ですが、その結果、IT革命に大きく出遅れてしまった。カルヴァン主義以来の伝統である「天職」志向が足かせとなり、キャリアの柔軟性が失われてしまっていたのです。
IT革命以降、逆に存在感を増しているのが日本とヨーロッパの間に位置する中間地域です。文化人類学者の梅棹忠夫さんが『文明の生態史観』で書いていますが、ヨーロッパと日本というのはユーラシア大陸の両端、つまりは辺境です。
この2つのエリアは辺境であったがために、異民族の支配や横暴な専制君主の支配をこれまであまり受けずに済みました(細かく言えばいろいろとあったのですが、ここでは相対的に見てそうだった、とのみ理解して下さい)。その結果、安定した労働観の刷り込みが可能になり製造業を発達させることができた。反対に、何度も異民族の支配に脅かされていた地域では、製造業が思うように発達せず、貿易や金融を中心に国づくりをするしかありませんでしたから、もともとアントレプレナーシップが非常に強い。
変化に対してどんどん柔軟に対応していきますし、身軽で冒険心もある。19世紀の産業革命以来と言われる革命に直面して、その違いが今、あらわになってきている訳です。
では、日本人はこれからどうすればいいのか、ということになりますが、時代の流れを逆行させることはできませんから、意識の方を変えていくしかない。ヨーロッパがこれまでの「天職」志向に基づく働き方を見直し始めたように、私たちもそろそろ「組織」に忠誠を誓う働き方を絶対視するのではなく、「忠」より「孝」を大事にする生き方を含めて大きくシフトしていかなければならないでしょう。
その時に1つの参考になるのが、沖縄の人たちの生き方です。沖縄はもともと「琉球王国」ですから、内地とは異なる文化を持っています。戦国時代は中国との貿易も盛んでしたし、1972年までアメリカ軍に占領されていた歴史的経緯もあり、内地と比べて「忠」より「孝」を重んじるアジア的な文化が色濃く残っています。幸か不幸か、輸出型製造業もほとんどありません。
私は最近、仕事でよく沖縄を訪れますが、沖縄の結婚式で最前列に座るのは新郎新婦の両親です。勤務先の偉い人はもっと後ろか末席。つまり、前から血の濃い順番に並ぶのが習わし。これは、台湾や中国でも同じです。
内地の会社が沖縄に進出するとたいてい、「沖縄の人たちは使いにくい」とこぼします。やれ、地域でお祭りがあるとか、ご先祖様の行事があるというと必ず休むというのです。しかし、「忠」より「孝」を重んじる価値観からすれば、これはむしろ、当然のこと。「組織」に忠誠を誓い、家族やコミュニティの中で過ごす時間を軽んじてきた、これまでの私たちの生き方の方が特殊だった、と見るべきです。
ですから、沖縄で成功できない企業がアジアで成功できる訳はない。もっと言えば、世界で勝つなんていうことは、とうてい無理な話です。自分たちの中にある「内なるアジア」を目覚めさせることが、これからの時代を生き抜く重要なヒントになると思います。
(文・構成/曲沼美恵)
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2013年12月18日 09:02