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年の瀬に心の大掃除Vol.3/幸福とは、気付き、探し、創るもの。。。
■アランの幸福論「笑うからしあわせなのだ」【1】
鎌田實
医師・作家
アランは、パリの名門校などフランス各地の高校で、哲学の1教師として生涯を貫いた人物。本名はエミール・シャルチエ。1高校教師でありながら社会的な事件に対して積極的に発言し、政治活動や講演活動にも参加。新聞への寄稿も精力的に行い、連載した文章は膨大な数に及ぶ。
『幸福論』はそんなアランが、第1次世界大戦前後に執筆した文章のなかから、「幸福」をテーマとしたものを集めて編纂した書だ。プロポ(断章)と呼ばれる、短くて独立したコラム的な形式で書かれているのが特徴で、『幸福論』は93編のプロポから成っている。
形式の斬新さだけではなく、内容も難解で観念的な哲学書とは異なり、一見平易な言葉で書かれた思索の本となっている。日常生活の具体的な事柄を例に幸福になるための指針やヒントが語られていて、日本でも長年多くの読者に親しまれている。
獣医で熱心な読書家だった父親の血筋を引いたアランは、理系が得意な少年だったが、18歳で入学したパリの高等学校で哲学に目覚めたと他の著書のなかで記している。影響を受けたのは、ギリシャの哲学者プラトンやオランダの哲学者スピノザだという。83歳没。『 幸福論』の初版は1925年、アラン57歳の年に60編のプロポで出版。その後に加筆された。
美しいエッセーのような哲学書
アランとの出遇いは学生時代です。いろいろな哲学書にとびついてみたなかで、『幸福論』は「これが哲学書?」と思うくらい平易な言葉で綴られていて、美しいエッセーを読んでいるような感覚で読み進めることができました。
いまでも旅に出るときには文庫版を手にし、適当に開いたページを読み直したりしています。各章が短い文章で構成されていますし、どこから読み始めても、「なるほど」と、自分の最近の言動をふりむくきっかけになるような1行が含まれているからです。
あるとき、忙しさのなかでつい患者さんを強い言葉で叱ってしまったことがありました。糖尿病の患者さんで、食事やお酒について、何度同じ注意をしても守れなかったからです。
そんなときに列車のなかで開いたページで、「不機嫌という奴は、自分に自分の不機嫌を伝えるのだ」という言葉に出遇ったのです。自分のなかにあった不機嫌を患者さんにぶつけても、少しも心は晴れません。むしろ、ますます不機嫌さが増してしまったことを思い出しました。互いに嫌な気持ちだけが残りました。自分に自分の不機嫌を、さらに伝染させたわけです。
アランは「伝染」ということに重きを置いています。喜びも悲しみも上機嫌も不機嫌も伝染するというのです。
幸福にとって上機嫌でいることが大切だと説くアランは、「これこそみんなの心を豊かにする、まず贈る人の心を豊かにする(後略)」「贈り合うことによって増えて行く宝である」と言っています。そして、たとえばレストランのボーイに「ひとこと、親切なことばを、心からの感謝のことばを言ってごらん」と書いています。
ビジネス街で忙しく働く人なら、昼食にラーメンを食べたあと、レジで「ごちそうさま。美味しかった」と一声かけてみればいいのです。それは相手にかける言葉ですが、回り回って自分を幸せな気持ちにもしてくれるはずです。機嫌のいい所作が自分を幸福にしてくれるでしょう。
一方、「憐れみについて」という章には、こう書かれています。重病人を見舞ったときに、親切心や同情から心配する口調や表情を示すのは、「そのたびに(病人に)悲しみを少しずつそそぎかける」ことになると。それは悲しみを伝染させていることだというのです。
大切なのは、むしろ病室に元気さを持ち込むことだとアランは言います。
「生命の力こそ、彼に与えねばならないのだ」「病人は自分のせいで人のよろこびが消されはしないのを見れば、その時彼は立ち直り、元気になるのだ」と。
かりに病人が職場の上司なら、礼儀としてのお見舞いのあいさつをしたあとは、「新人のA君はあいかわらずドジですが、偶然大きな契約をとったんですよ」などと笑いを誘うような話題のほうがいいということ。
僕も病院でがんの末期患者さんたちを回診するときは、患者さんに1回は笑顔を出してもらえるよう心がけています。
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」――日常的な言葉が多いアランの文章のなかで、この言葉はやや哲学的な匂いがします。
この言葉に続いて、アランは次のように記しています。
「気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す」「ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」
感情や気分だけで生きていると、悲しみや嫌なことに遭遇したとき、不幸だという思いや怒りの感情に溺れてしまう。だから、感情に流されず、「いまは辛いけど明日は明るくなる」と、意志の力で楽観主義に立つ。幸福を得るには、それが大事だというのです。
これはアランの『幸福論』の重要なポイントです。
日本はいまとても厳しい状況にあります。経済が長期的に鬱々たる状態だったところに東日本大震災が起きました。
しかし、こんなときこそ、「いまは大変だが必ず良くなる」と意志の力で考えることが必要だと『幸福論』は教えてくれています。
「期待を抱くこと、それはつまり幸福であるということなのだ」という言葉も噛みしめたいものです。幸福とは何か。どうすれば手に入るのか。アランは次のように説明しているからです。
「幸福はあのショー・ウィンドーに飾られている品物のように、人がそれを選んで、お金を払って、持ち帰ることのできるようなものではない」と、アランは強調します。
赤い商品は店頭にあってもあなたの家にあっても「同じように赤いものである」のとは異なり、「幸福は、人がそれを自分の手の中に入れなければ幸福ではない」のであって、「自分の外に求めるかぎり、何ひとつ(最初から)幸福の姿をとっているものはない」というのです。
「君はすでに幸福(の種子)を持っている」のであって、期待つまり希望を抱いて進んでいくことが幸福(の開花)に繋がるのだと『幸福論』は教えてくれています。
僕が37年前に諏訪中央病院に赴任したとき、そこは累積赤字4億円で潰れる寸前でした。地元の患者さんも隣町の大病院に行ってしまうし医者も4人だけ。それを立て直すとき、われわれを動かしたのは希望でした。
医療の質では東京の大学病院に勝てないが、救急でも日曜でも絶対断らず全力で診る、患者さんに丁寧に優しく接する……そういう点では絶対負けないという医療なら、やれるはずじゃないか。そういうメッセージを出し、希望を語ることが、職員たちの心を揺さぶり、次第に変わることができました。
東京の病院がやれないようなことをやろうと、日本で初めてデイケアを始め、当時まだ在宅医療・訪問看護という制度がないのに訪問看護も始めました。薬を出すことではなく、生活指導に力点を置きました。その結果、不健康な人が多かった地域が、いまや日本有数の長寿で、しかも医療費がかからない地域に変貌したのです。
この変化のプロセスに、われわれはとても幸せを感じてきました。希望を持ち行動する。そのプロセスにこそ幸福があるのだと実感した例です。
アランは行動することの大切さについて『幸福論』のさまざまな個所で触れています。希望という強い思いも、それを行動に移さないと幸福に至りません。
「どっちにころんでもいいという見物人の態度を決め込んで、ただドアを開いて幸福が入れるようにしているだけでは、入ってくるのは悲しみである」と言っています。
さらに、「何もしない人間はなんだって好きになれないのだ」「音楽を自分で演奏するよりも聴く方が好きな者がいるだろうか」「だれだって強いられた仕事は好きではない」が、「好きでやっている仕事は楽しみであり、もっと正確に言えば、幸福である」「戦いが自分の意志で行なわれるならば、困難な勝利ほど楽しいものはない」とも記しています。
与えられるのを待っているのではなく、自分から積極的に行動すること、それが幸福への道だと語っているのです。
意志の力で希望を持ち、それを実現するために行動する。そのなかに幸福があるというのです。
※出典:『幸福論』(神谷幹夫訳、岩波文庫)
[PRESIDENT online]
Posted by nob : 2013年12月30日 19:56