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年の瀬に心の大掃除Vol.4/心と身体は常に繋がり合っている。。。
■アランの幸福論「笑うからしあわせなのだ」【2】
鎌田實
医師・作家
アランの『幸福論』の特徴として、心身の関係性に着目している点があります。日常的な行動やしぐさ、体操や姿勢のなかに幸福への鍵が潜んでいるという指摘は新鮮です。
「気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。(中略)そうではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。なぜなら、われわれの中で、運動を伝える筋肉だけがわれわれの自由になる唯一の部分であるから」で、「ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段」であり、「こんな実に簡単な運動によってたちまち内臓の血液循環が変わることを知るがよい」と記しています。
自分は不幸だという焦燥や不安、苦悩や怒りといった情念にとらわれている人は、まず理屈であれこれ考えるのをやめたほうがいい。その代わりに、体操をしたり、他人に微笑みかけたりするなど簡単な行動を意識的に起こすことが大切だというのです。
宗教が要求しているしぐさ、「ひざまずいたり、からだをかがめたり、また楽な姿勢にもどったり」にも、実は、「(肉体が)諸器官を解放し、生命の機能をいちだんと高める」効果があるのだろうという指摘も興味深いものです。
「『頭を垂れよ』という言葉は、(中略)まず黙って、目を休めて、柔和な心で生きることを求めているのである」とも言っています。
これに関連してアランは、われわれ現代人が忘れがちだが大切で実行可能な、幸福へのヒントに触れています。
「訪問や儀式やお祝いがいつも好まれるのである。それは幸福を演じてみるチャンスなのだ。この種の喜劇はまちがいなくわれわれを悲劇から解放する」。他人の家を訪問したり逆に自宅に来客があれば、必然的に礼儀正しく丁寧に温かい気持ちで行動することになります。それが不機嫌や苦悩を忘れさせてくれます。儀式で折り目正しいしぐさを演じれば、気分も自然とおごそかになり、お祝い事を行えば気持ちも浮き立ちます。
「優しさや親切やよろこびのしぐさを演じるならば、憂鬱な気分も胃の痛みもかなりのところ直ってしまうものだ」と語るアランは、「お辞儀をしたりほほ笑んだりするしぐさは、まったく反対の動き、つまり激怒、不信、憂鬱を不可能にしてしまうという利点がある」と分析しているのです。
僕は東日本大震災の被災地を何度か訪ねつつ、『幸福論』を読み直すなかで、いま次のように感じています。
津波で家が流され家族を失った被災地の方々にとっては、地元の祭りだ、季節の行事だ、誕生祝いだ、互いに訪問し合ってお喋りを、などと言われても、「それどころじゃない」「絶望のどん底なんだ」という気持ちでしょう。でも、そんなときだからこそ、アランの言うように儀式やお祝い、訪問が意味を持ってくるのではないかと思うのです。
たとえば東北6大祭りの1つとされる相馬の野馬追(福島県浜通りの祭り)も、昨年、実施か否かでだいぶ議論がありましたが、結局、規模を縮小して例年どおり行われ大きな拍手に包まれました。
まさにアランの言うように、それは幸福を演じるチャンスであり、われわれを悲劇から解放するのです。『幸福論』を読んだ僕がいつも自分に言い聞かせている言葉があります。
それは、「しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ」という一節です。
家が貧乏で、医学部に行く授業料も生活費も全部自分で稼げと父親に宣告された僕は、学生時代、「どうやって生きていこうか」と思案しながらも、アランから学んで「笑わなくなったらおしまいだ」と考え、いつもニコニコしていました。それは現在も同じ。患者さんには笑顔のドクターと言われています。
人は自分が辛い状況にあると、次のように思い込みがちです。「あいつは、いいよな。幸せだから笑っていられる。俺は笑ってなんかいられるか」と。しかし、逆だとアランの言葉は語っています。「(自分のなかにある)よろこびを目覚めさせるためには、何かを開始することが必要なのである」と。「もしある専制君主がぼくを投獄(中略)したならば、ぼくは毎日ひとりで笑うことを健康法とするであろう」とも言っています。
アランの言うように、幸福になるには、まず微笑んでみることです。
この言葉を医者の立場から言えば、副交感神経の時間を持てということになるでしょう。ストレス社会で大半の時間を交感神経が刺激された状態で過ごしているわれわれですが、笑うと副交感神経が刺激されて血液循環がよくなり、ナチュラルキラー細胞も増えて免疫力が上がるのです。
笑えば“幸せホルモン”と呼ばれるセロトニンが出てくることも最近の研究で解明されています。しかも、本当の幸福感からの笑いではなく、表面的な笑いマネでもいいのです。笑うという行為そのものがセロトニンを分泌することがわかってきたのです。
末期がんの患者さんでも、笑って暮らしている人のなかには驚くほど余命が延びたり、たとえそうではなくても、最後までその人らしく活き活きと人生を貫く人が多いのはたしかです。
力いっぱい戦うまで負けたと言うな
最後に、アランが『幸福論』で語っているとても大切なことを紹介しておきましょう。それは、「幸福にならねばならない」ということです。つまりアランは、幸福になるのは人として誓わねばならない義務だと強調しているのです。
儒教的な道徳がしみ込んでいる日本では、他人を助けることが徳のあり方だと考えがちですが、アランは、まず「自分の幸福を欲しなければならない」「幸福は徳である」と言います。そして、「(あなたが)幸福になることはまた、他人に対する義務でもあるのだ」とも書いています。「人に幸福を与えるためには自分自身のうちに幸福をもっていなければならない」と言うのです。あなたが幸せになれば、周りも幸せにすることができるというのです。とても素敵で大切な考え方だと思いませんか。
「幸福になるのは、いつだってむずかしいこと」ではあるが、「しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない」と、アランは結んでいます。
僕はアランに出遇ったことで、自分が随分変わった気がします。ふりかえってみると、アランが道を示してくれたというふうに思えるのです。
ふと開いたページに気に入った言葉を見つけ、それに線を引いたり自分なりの書き込みをしていけば、ちょっとした自分流の「生き方」本にすることができる。そういう読み方ができるのも、『幸福論』の魅力だと思っています。
※出典:『幸福論』(神谷幹夫訳、岩波文庫)
[PRESIDENT online]
Posted by nob : 2013年12月30日 20:05