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人は今日生きているように明日死に往くもの、、、生きるも死ぬも自らの生を救えるのは自分自身のみ。。。Vol.3

■結果的に幸せだった「がん宣告」それでも治療を選ばなかった人たち

 がんになったら治療を受ける。いまやこれは当たり前のことではなくなってきている。治療を拒否すれば、死は確実に近づいてくる。けれど、残りの命と引き換えにしてこそ得られるものもある。

静かに眠るような最期

「僕はもう死ぬよ」

 2011年2月、ドラマ『水戸黄門』『部長刑事』などで名脇役として活躍した俳優の入川保則氏(享年72)は、所属事務所社長の井内徳次氏にこう告げたという。

「がんで、もう半年も生きられないと言うのです。それまでは普通に舞台にも出演していましたから、青天の霹靂でした。今後どうしていくつもりか聞くと、治療は一切しないという。『僕はもういい。人生の幕が来たんだ。役者として死なせてほしい』と」

 じつは入川氏のがんは、前年の7月に見つかっていた。直腸がんでステージはⅢ。すぐに手術を受けて腫瘍だけは切除したが、それは一時的な処置に過ぎなかった。

「確実に転移するから抗がん剤治療をしたほうがいい」と医師から言われたが、すでに入っている仕事をキャンセルするわけにはいかない。年末までの仕事をこなし、年が明けた'11年2月。精密検査をした結果、がん細胞が全身に回っていることが発覚したのだった。

「余命は6ヵ月です。あなたに来年はありません」

 主治医からはそう告げられた。抗がん剤治療をすれば、命は多少長らえるかもしれない。けれど、それをやると副作用で動けなくなり、役者生命が断たれる。入川氏は治療を断り、役者として余命を使い切るという選択をしたのだった。

 当時は独身で一人暮らしの身だったが、3度の結婚と離婚を経験した入川氏には5人の子供と5人の孫がいる。家族は当初、治療することを強く望んでいた。長男の鈴木正則さんが言う。

「『現役が続けられなくなったら自分の寿命はそこまでだ』と常日頃から話していたので、治療はしないという父の選択に、最終的には家族も納得しました。

 父はがんを抱えたまま仕事を続けた末、'11年10月に入院しました。治療はせず、痛み止めの処置だけ行っていたんです。父を見ているうちに、似たような状況になったときには自分も同じ選択をするのではないかと思わされるようになっていました」

 最初に医師から告げられた"タイムリミット"は'11年8月だったが、それよりも4ヵ月近く長く生きた。生前、自分の葬式費用を前払いし、般若心経も自らテープに吹き込んで準備万端を調える「自主葬」を実践、親しい人々との「お別れ会」も済ませていた。

「健康だったときはそんなこと口にしなかったのですが、『子供たちがいてよかった』とか『ありがとう』などと感謝の気持ちを伝えてくれたことが今でも印象に残っています。

 看取ったのは12月24日。主治医の先生に『今は息をしていますが、呼吸器を外すと止まります。外してもいいですか?』とたずねられて、『いいです』と答えました。その後、父は息を引き取った。苦しみも痛みも訴えず、静かに眠るように亡くなりました」(前出・正則さん)

 がんが見つかったとき、たとえ1%でも治る可能性があるのなら、少しでも命が延びるのなら、できる限りの治療を受けたいと思うのが人情だろう。

 けれど中には入川氏のように「治療をしない」という選択をする人もいる。そうした人が、だんだん増えてきているという。日本尊厳死協会副理事長で埼玉社会保険病院名誉院長の鈴木裕也医師はこう話す。

「死期を延ばすだけの延命治療を拒否する患者さんは、年齢に関係なく増加しています。治る見込みがないのに抗がん剤治療などを続け、副作用を多発させて惨めで不幸な姿になっていく患者さんたちを目にしていることが大きい。

 いかに生き、いかに幕引きしたらよいのか、そのことを真剣に考える人が増えてきたのだと思います」

 福岡に住む胃がん患者・山口勝己さん(72歳)も、そうした一人だ。

 胃がんが発見されたのは3年半前。早期だが内視鏡で取れる程度ではなく、医師からは「胃の3分の2を切除する必要がある」と言われた。治療を強く勧められたが、山口さんは手術・放射線・抗がん剤の三大がん治療をすべて断った。がんになった家族が、治療の甲斐なく亡くなっていったのを目の当たりにしていたからだ。

100%死ぬわけではない

「9年前に実兄を大腸がん、8年前に義兄を食道がんで失ったときの治療を見てきたことが、私自身のがん治療は拒否しようと決めた大きな理由です。

 二人とも手術を受け、抗がん剤治療を行って退院したのですが、医師から『体力のあるうちにもう一度がんを叩いておきましょう』と言われ、2度目の抗がん剤治療をしたんです。その"念のため"の治療を始めて1ヵ月もしないうちに亡くなりました」(山口さん)

 実際、抗がん剤の副作用から死に至るケースは少なからずある。こうした経験から現代医療への不信感が増し、山口さんは、断食や玄米中心の食事療法など独自の道を選択した。医師から宣告された「何もしなければ3年持たない」という余命はすでに超えたが、いまも元気に暮らしている。

 がんの進行状況だけは定期的に病院でチェックしているが、発見当初の状態から進行しないまま、がんはおとなしく治まっているという。痛みなどの症状もまったく出ていない。

 がん治療を拒否した患者のすべてが、山口さんのような経過をたどるわけではないが、治療を受けなくても延命している患者が多数存在するのも事実だ。

 がん治療の難しさについて、「がん哲学外来」を開設し多くのがん患者との対話を続けている樋野興夫医師(順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授)はこう語る。

「がん治療の問題は、われわれ医師にとってはグレーゾーンの部分があるんです。治療の効果について70%くらいは医学的に証明されていることで説明できるけれど、説明できないこともある。例えばある抗がん剤が本当にその患者さんに効くかどうかは医者にもやってみなくてはわからないことがあります。統計学的にある程度効くとは言えるが、使う患者によって副作用も違うし、ある人は使っても再発するし、ある人はそれで治ってしまう。まさにケースバイケースなのです」

 グレーゾーンだからこそ、「この治療をすれば5年生存率は50%だが、やらなければ20%」といった曖昧な言い方になる。「手術をすれば100%助かるが、やらなければ0%」とは言えない。これががん治療の現実なのだ。

痛みはコントロールできる

 では、実際にがん治療を受けなかった場合、患者の身体はどのように変化していくのだろうか。

 進行のスピードは個人によって異なるが、がん細胞は無限に増殖を続けていく。だが、「基本的にがん自体に症状はない」という。前出の鈴木医師が解説する。

「がんはどこにできても、がんそのものから痛みや苦痛は出ません。痛みは、がんが大きくなって周辺の神経に触ったときに生じます。すい臓がんは痛みがきついことで知られていますが、これはすい臓の尻尾の部分が脊髄の太い神経に接しているため、がんが大きくなると脊髄の神経に食いこみ、激しい背中の痛みや腰痛が出るのです。

 前立腺がんは骨への転移があり、進行するとやはり背中に痛みが現れます。肺がんの場合はがんが気管を圧迫し、空気が通らなくなることで苦しくなる。末期の呼吸困難はこれです。消化器系のがんでは腸閉塞になって食べ物がつかえ、苦痛とともに食欲が衰えて全身衰弱していきます」

 骨への転移が進行すると、かなり脆くなりちょっとした衝撃で骨折してしまう。骨折を機に寝たきりとなり、衰弱が進むケースは多い。がんが転移して体中の臓器を蝕んでいくと、食べ物も口から受け入れられなくなってやせ衰える。結果、臓器不全となって死に至るのだ。

 一方、進行したがんが原因で起こる痛みは、モルヒネなどを使った緩和ケアで「85%程度までは抑えられる」(前出・鈴木医師)。つまり、治療を拒否して症状が進んだとしても、「健やかに生き、安らかに逝く」ことは可能なのだ。

 訪問看護師だった40代の加藤真弓さん(仮名)は、まさにその道を選んで逝った。

 彼女を襲ったのは、胃がんの中でもとくにたちの悪いスキルス性胃がん。胃の違和感に気づいて開腹手術をしたところ、お腹の中にがんが散らばった状態で発見された。もはや手術で取りきれる段階ではなく、がんを切除できないままお腹を閉じることになった。

 主治医は加藤さんに「延命措置があるのなら、やることが当然。治療しないのはあなたの罪悪だ」とまで言い、抗がん剤治療を強く勧めた。だが、加藤さんはそれをきっぱりと断った。

「がん治療で仕事ができなくなるくらいなら、何も治療せず仕事を全うしたい」—これがその理由だった。

居酒屋にも行ける

 加藤さんと親しく接してきた医師で、『こうして死ねたら悔いはない』などの著書もある石飛幸三氏が思い出を語る。

「加藤さんは、仕事で終末期の方と接する中で、がんも自分の一部なのだから、一心同体のものとして受け入れていくしかないと考えていたようです。抗がん剤などでがんを叩けば、あるいは延命できるかもしれない。でもそうしたら副作用で衰えて、人の役に立つことができなくなる。

 彼女にとっての"生きる意味"は看護を通して世の中の役に立つことだから、看護の仕事が続けられなくなったら、仮に延命しても、生き続ける意味がなくなってしまうと言うのです」

 宣告された余命は3~4ヵ月。けれども、加藤さんは2年以上生き、できる限りの間、訪問看護の仕事を続けた。

 石飛医師は、昨年加藤さんの誕生会に招かれ、そこでこんな光景を目にした。

「居酒屋で開かれた誕生会では、彼女は中心静脈栄養の管をつけていて、何も飲めず食べられない状態でした。でも友人たちに囲まれて快活に笑い、おしゃべりしており、その姿はとてもすがすがしいものでした。

 残念ながら彼女はそれが最後の誕生日となり、昨年のクリスマスイブに、看護師仲間と弟さんに囲まれて亡くなりました。生前に献体を申し込んでいて、お世話になった人への手紙も書き残していた。最期まで自分の生き方を貫き、本当に立派でした」

 加藤さんは、石飛医師にこう言ったという。「がんが完全に治って、元気にまた日常生活が送れるわけではない。もうあと僅かなのに自分の生き方を否定されるのはつらいんです。医者は終末期の患者に『絶対こうしなければならない』と押しつけないでほしい。これは、私の遺言です。先生、このことを世の中の医者に伝えてください」と。

 治療を拒否した結果、自分の意志で穏やかな最期を迎えられる患者がいる一方、わずかな可能性にかけて治療に執着し続けた結果、逆に苦しみながら死を迎える人もいる。

 進行性の肺がんと診断された会社役員の中村益三さん(仮名・享年65)が、そうだった。日の出ヶ丘病院のホスピス医・小野寺時夫医師がその様子を語る。

「最初に入院した病院で、もう手術は無理だし、このがんには抗がん剤も効かないので、治療はせず元気なうちにやりたいことをやるのが一番いいとアドバイスされたのですが、中村さんはインターネットで肺がんの名医を探し出し、そこで抗がん剤治療を始めたのです。効果が思わしくないということで抗がん剤を何度か変えて治療を続けました。

 体調はどんどん悪化し、4ヵ月後には脊椎骨転移で歩けなくなり、5ヵ月目に右手がしびれ、会話ができなくなって脳転移と判明。私のところに来られたときは意識も混濁しており、2週間ほどで亡くなりました。

 奥さんと約束していた南米旅行も果たせず、抗がん剤治療で苦しみ抜いた末に死を迎えたのです」

 もちろん、何とか助かりたいという一念から、最後まで治療に専念した中村さんの選択を否定することは誰にもできない。とことんまで治療にこだわること自体が、その人の生きがいになっていることもある。

 治療するか、しないか。それは個人個人の生き方、あるいは死に方をどう考えるかに委ねられる。前出の樋野医師は、治療を拒否してもよい最期を迎えられるかどうかを決めるのは、患者の「覚悟」だと語る。

「がん治療をしないと決めて幸せな最期を迎える人と、そうでない人の最大の違いは『覚悟』の有無です。

 覚悟をもってがんを受け入れた人は後悔しません。自分はもう決めたのだから、大丈夫だと言い切れる。そういう人は、たとえ寝たきりであっても、他人を感化します。家族のため、誰かのために何かができる。勇気を与えることができる。そのときその人は、自分の社会的な地位や役割などを超越して、自分の存在自体に役割があるのだという人間観の転換ができている。そういう人は、幸せな人生を遂げられるのです」

 自分が病を受け入れ、その生き様で他人に影響を与える。「人の役に立ちたい」と最期まで意思を貫いた前出の加藤さんは、まさにこれを体現していた。
家族も幸せになった

 最期の最期まで積極治療をして後悔するのは、患者よりその家族のほうが多いという。樋野医師が続ける。

「死ぬまで辛い治療を受けさせ、苦しめてしまったという後悔が家族に残るからです。そうならないためには、たとえ患者が選んだ方法が間違いだと思っても、家族はそれを認めてどんなことがあっても患者に寄り添うことです」

 それをかなえられた理想の形が、一昨年5月に食道がんで亡くなった作家・団鬼六氏(享年79)のケースかもしれない。長女の黒岩由起子さんが振り返る。

「医師からがんを宣告されたときは母と私も同席していたのですが、父は即座に『身体を切り刻んでまで生きたいと思わない』と手術を拒否しました。母が慌てて『ちょ、ちょっと。もう少しゆっくり考えようよ』と言ったのですが、父の意思は固かった。

 もちろん私たち家族は手術を勧めました。父に生きていて欲しいという気持ちは当然ですが、団鬼六を殺してはいけないという思いもありました。でも父には、団鬼六として生きるのならば、手術を受けてヘロヘロになってまで生きながらえるべきではないという信念があったんです」

 家族の願いもあり、放射線治療と抗がん剤治療を少しは受けたが、手術は最期まで拒絶し通した。胃ろうも拒み、死ぬまで口で食べることにこだわった。

 だがやがて肺に転移が見つかる。咳が止まらず、苦しいと訴えるようになった。

「もうあかんってことやろ」

 徐々に、身体だけでなく心も弱り、こんな言葉が口をついて出ることもあった。でも、治療を拒否した患者に対し、家族は励ますことしかできない。由起子さんは最期まで「団鬼六」として生きてもらうため、力を尽くした。

 団氏は家族の支えを受け、最期まで奔放に生き抜く。医師から止められても、好きな酒は飲み続け、仲間を呼んでパーティーを開き、家族で旅行にも出かけた。そして、亡くなる5日前まで原稿に筆を走らせていた。

「最期まで手術拒否を後悔するような言葉は一切口にしませんでした。けれど、もちろん本人は生きていたかったんです。

『ただ生きながらえるのは死ぬより嫌だ』『自分の生きたいように生きさせてくれ』と言い、『ただ長生きさせることが親孝行だとは思うな』とも言っていました。この言葉は、振り返ってみると何にも代えがたい救いの言葉になっているんです。

 手術を受けるにせよ、受けないにせよ、残された家族は必ずあとで『あの時ああすればよかった』と思うものです。父の言葉は、家族をそうした悔いから救ってくれました。

 親の命のことなんて、どうにも決められません。だけど病院に入れば、以後は病院のレールに乗せられてしまう。家族にとってはセオリー通りに事が進むから安心なんです。『こうやっていれば大丈夫』と思えますから。そう考えると、結局、こう生きたいと考えて、それを実行に移せるのは本人しかいない。団鬼六はそうやって生き、私たち家族を救ってくれました」

 がん治療を拒否する患者は、医師はもちろん、家族から見ても「わがまま」と見なされがちだ。けれども由起子さんは、こう言う。

「私も父はわがままだと思い、なんでそんなに死に急ぐのかと思いました。でも今は、父は家族のためを思って、自分の好きなように逝ってくれたのだと思えます。死んでしまうことは負けではない。父本人にとってみれば勝ちです。だって結局は死ぬんですから」

 自分自身の意思を貫き、生涯を終えた後も家族の心を支えられる—それこそが、最高に幸せな生き方と言えるのではないか。

[現代ビジネス]

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Posted by nob : 2014年01月26日 22:00