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まったく同感、、、聞くだけではダメ、工夫して自らの言葉で話した分だけが英語力に、、、"Oh my god!"などとは私は死んでも言いません。。。
■英語は日本語で学べ! 留学なしで話せるようになった私の“現実的な”学習法
多田佳明
「英語脳」を目指すのは遠回り。
日本語で考えた方が英語はうまくなる!
留学なしで話せるようになった英語の達人が教える、日本で、日本語で生活する人のための“現実的な”学習法。英語で英語を理解する必要なし! 英会話スクールも必要なし! 「英語脳」なんてナンセンス! 『英語は日本語で学べ! 留学なしで話せるようになった私の“現実的な”学習法』の著者による新連載の始まりです。
「英語脳」なんて無理!
・英語は英語のまま理解しましょう。日本語に訳してはいけません。
・英語で考える「英語脳」を作りましょう。
「英語上達の近道!」などと称して、こうした言葉を聞いたことがあると思います。
つまり、
【「英語脳」派が正しいとする英語理解のステップ】
× 英語を聞いて ➡ 日本語に訳して ➡ 理解
○ 英語を聞いて ➡ 英語のまま理解
× 日本語で考えて ➡ 英訳して ➡ 話す
○ 英語で考えて ➡ 話す
というわけです。たしかに、日本語を介さなければプロセスが1つ減るわけですから、レスポンスが速くなって、英語でどんどんコミュニケーションができそうです。
でも、日本で、日本語を使って生活しているなかで英語をマスターしようという人が、英語脳の獲得にこだわると、かえって英語力アップの妨げになります。
なぜなら、英語で英語を理解し、英語で考えるということはたいへん高度なことで、何年も何年も英語を使い続けた末に、「いつかその境地にたどり着けたらいいな」というような、夢のレベルだからです。少なくとも、すき間時間に英語を聞き、週1回スクールに通い、毎日1時間、英語の勉強をするくらいで到達できる次元ではありません。
大きな目標を掲げて頑張るのはいいと思いますが、ほとんど到達不可能な目標を目指して苦労するのは、効率がよいとは言えません。
それよりも、まずは現実的なゴールを設定するほうが賢いと思いませんか?
そして、最初はたどたどしくても何年か英語を使ううちに、「そういえば最近少しレスポンスが速くなったな」と気が付いて、そこからさらに何年もたった後に「近頃、日本語をあまり意識しなくなったな」となれば儲けもの、というくらいのスタンスの方が気楽に取り組めるはずです。
「でも、夢くらい持ってもいいじゃないか」という声もあると思います。
もちろん、夢は持ってもいいと思います。でも、その夢が、あなたの英語力を伸ばすことを妨げているとしたらどうでしょう。
「英語で考えなきゃ」という思いが強いと、「日本語で考えちゃだめだ」「英語を日本語に訳したらだめだ」「日本語を英語訳してから話すのはだめだ」という風に、日本語を介することに否定的になりがちです。
根強い学校英語批判として、「英文和訳をさせるのがだめだ」なんていうこともよく耳にしますよね。
しかし、”日本語排斥”が、コミュニケーションを妨げたり英語力アップのチャンスをつぶしてしまうこともあるんです。次の例は、実際にわたしが耳にした、日本人のAさん、Bさんと、イギリス人との会話です。
イギリス人:Why do Japanese take off shoes before entering a house?
Aさん、Bさん:(あわわ、あわわ)
「日本人はどうして、家に入る前に靴を脱ぐの?」とイギリス人から聞かれて、ちょっとテンパってしまった、というシチュエーションです。
このとき、英語で考えようとするとどうなるでしょうか。
イギリス人:Why do Japanese take off shoes before entering a house?
Aさん:(あわわ、あわわ、英語で考えなきゃ…)Well, well...
イギリス人: ……。
Aさん: ……。
英語で考えることに固執するAさんはあせるだけで結局なにも考えられず、「Well, well...」と間だけが空いてしまいました。「Well」というのは、ちょっと考え込んで言いよどんだりするときに使う言葉です。日本語でいうと、「えーっと」みたいな感じです。
Aさんは、格好だけは英語で考えている風ですが、頭の中は真っ白です。
ためしに、「Well」と言いながら、英語で考えてみてください。なにか考えられますか?
Aさんは結局何も答えないので、質問をしたイギリス人は反応のしようがなく、そこで会話は途切れてしまいました。
一方、Bさんは、日本語で考えて、何とか答えようとしていました。
イギリス人:Why do Japanese take off shoes before entering a house?
Bさん:(あわわ、あわわ、えっと、靴を脱ぐのは……。日本は雨が多いから靴が濡れて、家が汚れるからかなあ。雨は「rain」で、濡れるは「wet」だから……)
イギリス人: ……。
Bさん:Because it rains a lot in Japan. Shoes... (日本では雨がたくさん降るからですよ。靴が……)
イギリス人: Ah, I got it. It makes sense to take off muddy and wet shoes.(ああ、わかった。泥で汚れたり濡れたりした靴を脱ぐのは、そりゃそうだね)
結局、この場合も、「あわわ、あわわ」と間は空きます。でも、Bさんはその間に“考えている”ので、単に間が空いてしまったわけではありません。Bさんは、不完全な文でありながらも自分の考えを言えたので、コミュニケーションが成立しています。
しかも、“muddy and wet shoes”という、このときは言えなかった表現を生で耳にすることができたので、思わぬ収穫もありました。
ネイティブっぽく話していても…
実は、AさんとBさんとでは、Aさんの方が英語が得意でした。Aさんは短期留学の経験があり、たとえば「You're kidding!(冗談でしょ!)」とか、「How can I say...?(……ってなんて言えばいいんだろう?)」などのいくつかの決まり文句だけはスラスラ言えました。
一方、Bさんは、英会話は苦手で、ましてや「No way! (まさか!)」などと、ネイティブにそれっぽく相槌を打ったりはできません。でも、いつも日本語で考えて、英語に訳してから話していたので、間はあきますが、それなりに文章になっていました。
わたしが知り合った時点では、Aさんの方が英語がうまかった(ように見えた)のですが、数年後には、Bさんの方がずっと上手になっていました。
Aさんはあいかわらず最初の挨拶だけはカッコよく決められるのですが、その後はまるで別人のように黙り込んでしまい、進歩がみられませんでした。一方、Bさんはある程度の長さの文章をしゃべれるようになっていましたし、しゃべるスピードも最初に会った時よりもずいぶんと速くなっていました。
ホントに英語で考えられる?
AさんとBさんとでは、話す内容も違っていました。AさんもBさんもなかなかの切れ者で、日本語ではいつも鋭い発言をする人たちでした。でも、Aさんは、英語になると、いくつかの決まり文句のほかは単語を言うだけです。
一方、Bさんの話は、いつも実のあるものでした。ゆっくりでテンポも悪いし、時に不完全な文章のこともありましたが、Bさん独自の意見や内容のあることを言うので、耳を傾けなければと思わせられました。
わたしたちは言葉を使って考えます。考える力というのは、言葉の制約を受けます。語彙力や運用力が十分な言葉でないと、しっかり考えることができません。
わたしたちにとって、最も語彙力が豊富で、かつ論理的な思考ができる言語は、日本語です。それを使わないということは、自ら思考上のハンデを背負いこむことになります。
たとえば仕事などで、ネイティブと英語で交渉しなければならないとき、わたしたちは“話す”という点において、すでにハンデを背負っています。おまけに「日本語で考える」という点も放棄してしまったら、ハンデはさらに大きいものになってしまいます。
Aさんは、「日本語」も「日本語で考える」ということも放棄してしまったので、いつまでたっても英語で自分の言いたいことを言えるようにはならなかったのです。
たしかに、日本語を介在させることで、会話に間が空きます。しかし、少し間が空いてゆっくりであったとしても、言いたいことを日本語で組み立てて、それを英語に置き換えて発信したほうが、まともなコミュニケーションが図れるに決まっています。
Bさんのように、日本語で考えて自分の意見をまとめあげ、それを英語に置き換えて言う経験を重ねれば、最初はたどたどしくてもやがてスムーズに話せるようになるのです。
つまり、英語を使うときに日本語の力を借りることは間違いではありません。
もし、みなさんが英語を使うときにまず日本語で考えてしまう癖があっても、つい日本語が出てしまっても、それは日本語で考えている証なので、誤りではないのです。
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2014年03月05日 09:44