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依存従属からの脱却がカネで換算できない価値の創造に繋がる。。。

■<3・11から3年>新旧東海村長に聞く(上) 命守る脱原発 今こそ

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からまもなく三年。日本原子力発電(原電)は東海村にある東海第二原発の再稼働申請の準備を進めている。原発は事故の教訓を生かし、十分な安全性を確保できたのか。エネルギー問題をどう考えるべきか。日本の商業用原子炉発祥の地である東海村。昨年九月まで村長を務めた村上達也さん(71)、現職の山田修村長(52)と、新旧トップのインタビューを二回に分けて紹介する。 (林容史)

 村長在任中から、原発が立地する自治体では異例の「脱原発」を訴えてきた村上さん。昨年末、現職のころから「見てみたい」と思っていた福島県南相馬市の約二千世帯が入る仮設住宅を訪れた。長方形の住宅が並ぶ区画は、まるで強制収容所に見えた。「津波や原発事故で人がいない光景も悲惨だが、これだけ人がいるのに一番、無残だ」と思った。

■非人間的

 「若者は出て行き、お年寄りしか残っていない。住民と話をすると、だれも精神安定剤と睡眠薬が手放せないという。こうして(住民は)消耗していってしまうのだろう。日本の中で、極めて非人間的なことがなされている」と憤る。

 村長を退任後、自然を守り、有機農業に力を入れている地域などから呼ばれて講演に出向いている。そこで訴えるのは脱原発と地方の復権。「成長、発展のみを望んでいる限り、地方は生きていけない。これまで中央に依存してきて地方は貧しくなった。原発に依存した地域づくりから脱却し、カネで換算できない価値を見いだしていかなければいけない」と主張する。

 二月の都知事選では候補者の応援演説で脱原発を訴えた。多くの有権者が集まり、演説に耳を傾けたのに結果は敗北だった。「生活にきゅうきゅうとして目先の利益しか考えられない」と人々の意識に危機感を覚える。

 政府は「エネルギー基本計画」で原発を「重要なベースロード電源」と位置付けようとしている。さらに規制を厳しくした新基準で「安全神話」を復活させ、なし崩し的に原発を再稼働させようとしているように映る。「まさに原発事故前の状況。原発に群がる勢力の利権を維持しようとしている。規制委が再稼働の道具にされている」と懸念する。

 福島第一原発事故後、国民の間に脱原発の機運が広がったが、事故から三年、各地で抗議行動は縮小しているように感じる。

■危うい風潮

 「原発は、もうやめよう、減らしていこうと思っていても、経済のことを言われると、仕方ないかとなってしまう」との風潮を恐れる。

 「経済成長で本当に生活は豊かになるのか。脱原発は命を守り、環境を守るということ。地方から発言していい。国の専管事項だなんて言っていたら、日本中どこにでも原発ができてしまう」

<むらかみ・たつや> 1943年、東海村生まれ。一橋大社会学部を卒業後、常陽銀行に入行。97年、東海村長選に初当選。99年、核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で、被ばくした作業員が死亡する国内初の臨界事故が発生。自身の判断で住民の避難を実行した。これを契機に、原子力政策に疑問を抱き、東京電力福島第一原発事故に直面し脱原発を主張した。2012年4月には、全国の現職や元職の首長らに呼び掛け「脱原発をめざす首長会議」を設立、世話人になった。30キロ圏に98万人が居住する日本原子力発電東海第二原発を「異常な立地の原発」と断言し、地元首長の立場で廃炉を訴え続けた。昨年9月、4期の任期を終え、村長を退任した。


■<3・11から3年>新旧東海村長に聞く(下) 原発再稼働に懐疑的

 脱原発を主張する村上達也さん(71)を継いで昨年九月、村長に就任した山田修村長(52)。村内に立地する日本原子力発電(原電)東海第二原発の再稼働問題について、強い発言力を持つ立場にあるが、これまで「広く村民の意見を聞きたい」と明確な態度表明は避けてきた。村民とのタウンミーティング、原電との原子力安全協定の見直し交渉を重ね、その考えに変化はあったか。 (林容史)

 「防潮堤など安全対策に一、二年かかる。運転開始から三十五年が過ぎ、(原則四十年までと定めた法律上)二年しか動かせない原発を再稼働するのか」

■延命も拒否

 原電が準備を進める東海第二原発の再稼働申請について尋ねると、山田村長の回答は明らかに懐疑的だった。原発の延命措置にも「それは違う」と拒否する構えをみせる。

 原電の敦賀原発(福井県)は1号機が運転開始から四十年を超し、2号機は原子力規制委員会が直下の活断層を指摘する。いずれも再稼働が困難となれば、原電にとって東海第二原発の再稼働こそが、会社の存続を左右する最後のとりでとなる。

 「廃炉費用を含め、誰が巨額な負債の面倒を見るのか。そこを提示してあげないと話は先に進まない」。山田村長は、最後は国による対応を主張する。

 原電は昨年六月、原発の新規制基準に合わせ、防潮堤造成やフィルター付きベント設備の工事を開始した。

 新規制基準に基づく審査で安全性が確認されたとしても「プラント的な安全性をクリアしただけ。どのような安全対策を講じても想定外は起こる。村民が無事、避難できるかが課題」と指摘。安全審査は再稼働につながるものではなく、別の問題であると明確に区別する。

 肝心の村民の避難計画作りは「難しい」。避難先、方法、ルート、ヨウ素剤の配布、被ばく検査など山積する課題に、県の広域避難計画作りも暗礁に乗り上げている。県は、PAZ(原発五キロ圏)の村民が逃げられるよう周辺の住民は自宅待機にするというが、「パニック状態で、そんなことはあり得ない」と言い切る。「事業者が安全審査でお墨付きをもらっても、地元が避難計画を作れなければ国はどうするつもりなのか」と疑義をただす。

■話し合う場

 昨年、タウンミーティングで原発について村民に聞いたが、「近くに生活がかかっている人もいて、はっきり意見を言わない」。しかし「東京電力福島第一原発事故を見てしまうと、『なくていいのであれば、ない方がいいね』というのが本音では」とも感じたという。住民投票で存廃を問う方法も「(商業原発発祥の地の)東海はシンボリックな場所だけに、全国から人が集まってくる。“脱”にしろ“推進”にしろ外部からの圧力は村民にとって、ものすごいストレス」と否定的だ。それよりも、住民同士、話せる場所を設けたいという。

 東海村と周辺自治体が希望する安全協定の見直しを前提に、原電と覚書を取り交わすことになったが「再稼働という同じ土俵に乗ってしまう」と批判する声が村内にはある。「再稼働前提と受け止められると困る。再稼働の議論以前に、新たなルールを作ることで一つ足かせにする。そこで切る。次のステップは別」と説明する。

 <やまだ・おさむ> 1961年生まれ、水戸市出身。高崎経済大卒業後、86年から県職員。財政課主計員、産学連携推進室長補佐、地域計画課長補佐などを務めた。2010年に出向し副村長。就任1年目に東日本大震災が発生、被災者対応と復旧に当たった。村上達也前村長の後継指名を受け、13年9月の村長選で初当選。東海村在住。村長就任後、原発事故などの災害に備え、夜間は村を離れない。


[いずれも東京新聞]

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Posted by nob : 2014年03月04日 10:53