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本当にこんな社会に皆満足しているの!?(驚)Vol.4/これが昨今の日本が向かう先。。。Vol.3

■真のリベラルを探して
90年の人生で、今の日本がいちばんひどい
湯浅誠×瀬戸内寂聴 リベラル対談(前編)

90年の人生で、今の日本がいちばんひどい

 今の日本は、保守化、右派の影響力が高まっている。その背景には、韓国、中国への感情悪化だけでなく、リベラル、左派の魅力のなさ、ストーリーのなさがある。今の日本のリベラルに、欠けているものは何か、どうすれば国民の心をつかむことができるのか。社会活動家として最前線で戦ってきた湯浅誠氏が、論客との対談を通じて、「真のリベラル」の姿を探る。

 第1回の論客は、小説家の瀬戸内寂聴さん。

社会活動家の湯浅誠さんと小説家の瀬戸内寂聴さんが、原発問題や戦争について語り合った
若い人にリベラルな考え方をどう伝えるかが課題

──今日は、次世代のリベラルについて伺いたいと思います。まず先の東京都知事選を、おふたりはどのようにご覧になりましたか。

湯浅:若い人たち、特に20代の4分の1が、田母神俊雄さんに投票しました。若者の投票率は低いので20代全体の6%にすぎない。とはいえ、リベラルな考え方のほうが世の中を良くして発展させていくことを、若い人たちにどういうふうに伝えていくかは大きな課題だ、とあらためて思いました。

──瀬戸内寂聴さんは、脱原発を訴える細川護煕元首相を支持し、応援演説もされました。

瀬戸内:20代の若い人たちは選挙に行っていませんよ。行かなくてもいいと思っているから。選挙権を持っていることの意味がわかっていないの。何であんなところに行かなきゃいけないのって、そういう感じですよ。

自分のことしか考えていなくて、自分以外のものはどうでもいいのね。今の若い人は、自分と世界というものを考えなきゃいけない。世界の中の自分というものを考えるべきだと思いますね。

湯浅:一方で、若い人は仕事もけっこう大変だし、生活に追われていて、「政治に目を向けよう」と言っても、国会や法律が遠く感じてしまうところもあるようです。

瀬戸内:でも、なぜ若い人が貧乏なのかをよく考えないと。給料が安いのは自分が悪いわけではなくて、社会の成り立ちが悪いからでしょう。自分の責任ではなくて、給料をくれるほうが悪いのです。そうやって、どこに原因があるかまで考えないんじゃないかしら。生活に余裕がないのはわかりますけど、お風呂やトイレに入っているときはひとりなんだから、そのときに考えたらいいと思うの。余裕がないというのは言い訳のような気がします。

湯浅:確かに、お風呂やトイレに入る時間は誰にでもありますね。

瀬戸内:脱原発だって、まるで自分には関係のないような顔をしていますけど、あなたの住んでいる地域の近くの原発がひとつ爆発したら、それまでの穏やかな生活や幸せと思っている生活は吹っ飛ぶんですよ。その怖さをもうちょっと知るべきね。

そして、やっぱり今の福島を見に行くこと。実際にボランティアで行っている人に、私はたくさん会いましたけど、彼らは誰に教えられたわけでもなく行っています。現実を見たら、じっとしてはいられない。そういう衝動が湧いてくるのが若さですから、私はやっぱり若い人に希望を託さないといけないと思います。もう年寄りはいいの。

湯浅:では、先ほどの厳しい言葉は、若い人たちに対する期待の裏返しなのですね。

瀬戸内:若い人にはまだ望みがあると思います。そう思いませんか。

湯浅:私はまだ若輩者ですから、「若い人に期待する」という言い方をなかなかできないのですが。

瀬戸内:でも、あなたも若い人に入るのですよ。91歳の私から見たらね。

「90年間、生きてきて、今の日本がいちばんひどい」

──瀬戸内さんは、「90年間、生きてきて、今の日本がいちばんひどい」とおっしゃっていました。

瀬戸内:ええ。私の経験によると、今の日本がいちばんひどいです。だって、自分さえよければいい、隣りの人が困っていても知らん顔、自分の家さえよければいいと思っているでしょう。昔の日本人はそうじゃなかったのよ。貧乏で長屋に住んでいても、お隣に醤油やお米がなかったら分けてあげたものです。今は隣りの人が何をしているかも、知らないじゃないですか。そして、みんな暗い顔をしている。

戦争中は実はそんなに暗くなかったのです。国や政府の言うままに感化されて頭がイカれていたから、出征する人に「行ってらっしゃい」なんて万歳して、負けているのに「勝った勝った」って提灯行列したりして、にぎやかだったの。家族が戦争に取られて悲しくて泣いたなんて伝わっていますけど、私が知るかぎり、そんな人は見たことがない。誇らしげな顔をしていましたよ。むしろ家族に男の子がいなくて誰も戦争に行かない家の人が、肩身の狭い思いをしていた。だから今、みんなが思っているのとはちょっと違うのね。

湯浅:息子を見送ったお母さんも陰では泣いていたのではないかと、寂聴さんの御本で書かれていましたが、そういう面もあったのではないですか。

瀬戸内:それはあったけど、泣いているのを人に見られるのはみっともないと思っていた。やっぱりお国のため東洋平和のために、うちの息子は戦争に行ったと思っていましたから。息子の無事を祈りたいし、別れるのは嫌だけれども、メソメソするのは恥ずかしいという気持ちがあった。そういう教育を受けていたの。

湯浅:寂聴さんご自身も、戦争が終わるまではそういうふうに思われていた?

瀬戸内:そうなの。バカでしょう。

中国兵に殺されると思っていた

湯浅:お母様とおじいさまが亡くなられていますよね。

瀬戸内:ふたりは防空壕の中で焼け死にました。でも、ピンとこなかった。私は当時、夫の赴任先の北京にいて、それを見ていないですから。

湯浅:亡くなられたことは、敗戦後にお知りになった?

瀬戸内:いいえ、敗戦後1年経って、日本に帰ってくるまで知りませんでした。手紙なんてもう出せなくなっていましたし。戦争が終ったときも、どうしていいかわからなかった。亭主は向こうで徴集されて行ってしまって、生まれたばかりの子どもを抱えてうろうろしていた時期ですからね。

それで、働かないといけないと思ったのですが、なかなか勤め先がなくて、やっと運送屋の電話番として雇われて勤めに出たら、その日に終戦を迎えたのです。ラジオから昭和天皇のお声が聞こえるけど、ザアザア、キイキイ聞こえるだけで何を言っているかわからない。私は戦争に負けたのではなくて、ソ連が入ってきたと思ったの。それで関東軍司令官が「みんな逃げなさい」と言っていると思った。そうしたら、運送屋の主人がわあっと泣き出して「日本が負けた」と。

私はそれを聞いたとたんに飛び出して、急いで家に逃げ帰りました。門を閉めて、子どもと一緒にじっと潜んでいた。それは怖かったですよ。

湯浅:御本には、もし中国兵に囲まれたら、お子さんを殺して自殺しようと思っていた、と書かれています。

瀬戸内:もう殺されると思いましたね。なぜかというと、私たち一家は中国人と仲良くしていたけど、周りの日本人は中国人をいじめていましたから。戦争に負けたら、きっと殺されると思った。私の命はどうでもいいけど、子どもをどうやって守ろうかと、震えながら家の中にいました。

ある朝、そっと門を開けて、外の様子がどうなっているか見たら、路地の壁に真っ赤な紙がいっぱい張ってあって、「仇に報いるに恩を持ってす」(恨みを恩で報いよ)と漢文で書いてあったの。ああ、こういう国と戦争をしたら、それは負けるわとそのとき、思いました。へなへなと力が抜けて、もし中国兵がやって来たら仕方がないと覚悟しましたね。

戦争をしたがっているのは戦争の怖さを知らない人たち

湯浅:最近、日本がおとなしくしていると、中国にどんどん付け込まれて、やられてしまうのではないか、やられる前にもうちょっと頑張らなきゃいけない、やられないように集団的自衛権の行使を容認する、という理屈が見受けられます。それについてはどう思われますか。

瀬戸内:ちょっと言いにくいのですが、私の時代は日本人が中国人と韓国人をいじめているんですよ。日本にいる中国人と韓国人は自分の国では食べていけない人も多かった。日本人は彼らを侮蔑し、仕事なんて与えなかった。仕事といったらクズ拾いとか、道路に座って手品を見せるぐらいしかない。それでも彼らは中国や韓国にいるよりは生きられたのも事実なの。私たちは、彼らの国の本当に貧しい人たちしか見ていなかったのですよ。

ところが、中国や韓国で本当に教養のある人やおカネのある家は、日本人なんかかなわないくらいのレベルなのです。そういうことを私たちは知らないし、学校でも教えてくれなかった。だから、私は戦争に負けた後で、人の言うことを鵜呑みにしたらダメだ、自分が経験して、手で触って、温かさも滑らかさも自分で感じたものしか信じないと誓いました。それが自分にとって、戦後の最も大きな革命でした。

湯浅:当時、中国人や韓国人をいじめていた日本人が、そのポジションに今度は自分たちがなるのが、怖いのではないですかね。「中国や韓国に負けるな」と叫んでいる人たちは、自分たちが仕返しされるのを恐れている。

瀬戸内:でも、戦前・戦中に日本人が彼らをいじめた経験のある人や、それを見ていた人たちは、もうほとんど死んでいるじゃないですか。今、そんなことを言っている人たちは、戦後の世代でしょう。

湯浅:そうですね。もっと若い人たちです。

瀬戸内:今、戦争をしたがっているのは、何も知らない人たちですよ。知らないから平気で憲法改正や特定秘密保護法とか、戦争をしたがっているようなことを言うのだと思いますね。

湯浅:安倍晋三さんを含めて若いですよね。

瀬戸内:戦争を経験した人が、まもなくみんな死にます。戦争の怖さを知らない人が、戦争のできる国にしようとしていて、本当に戦争するかもしれない。いざとなったらアメリカが助けてくれるなんて思っていたら、とんでもないですよ。中国と戦争してアメリカが加わったら、日本の半分はアメリカの何々州になって、残る半分は中国の何々省になります。日本はないです。そういうことがありうることを、今の若い人は考えてもいないですね。

湯浅:日米で中国を封じ込める、といった意見もありますが。

瀬戸内:アメリカは自分の国が危なくなったら、日本なんかどうでもいいですよ。

湯浅:私もそう思います。

瀬戸内:中国と仲良くなるか、あるいは中国と本気で戦うか。日本のために戦うなんてない。

湯浅:むしろアメリカが考えているのは、北朝鮮という非常に不安定要素がある中で、日本と中国と韓国がもうちょっと協調してくれよ、と。何かあったときにこんなに足並みが乱れているのでは、また自分たちが出ていかないといけなくなるじゃないか、といったことですよね。

自分のことしか考えないのは、教育が悪いから

瀬戸内:そう。自分の国のことしか考えていない。どこの国もそうです。世界の平和なんてことは考えない。自分の国さえよければいい。政治家は自分の属している政党や地域さえよければいい。世界と自分というふうなことは誰も考えていません。

自分のことしか考えないのは、教育が悪いんですね。小さい子どもにちゃんと教えないといけない。そういう考え方は幸せではなくて、隣りも向かいも裏の人もみんなが幸せでなければならないと。子どもは無邪気だから教えたら信じます。小さい頃からいい先生がひとりでもいて一生懸命教えれば、その子はそれをずっと覚えています。

湯浅:私も小学5、6年生のときに、学校の先生が教科書を使わない人だったのですが、当時、教わったことは、後でこういうことなのかとわかりました。10年以上経ってからでしたね。

瀬戸内:だから教育は大切。その教育もまた、政府が差し出がましいことをしようとしているでしょう。教育は教育の世界で独立させておかなきゃダメですよ。

湯浅:日本人は多様性の扱い方が慣れていないですよね。慣れていないから、きつく縛るか、全部放任するか、どっちかしかない。バラバラになると急いで締めて、締めすぎるとひどいじゃないかといってまた緩めて。これを繰り返している気がします。

多様性を多様性のまま尊重しながら、そこからいかに全体の力を引き出すか。一人ひとりの力を引き出して全体を高めるか、そういうノウハウとして蓄積されていない。

瀬戸内:いじめの問題にしたって、いじめがあったときに先生は知らん顔するでしょう。自分のクラスにいじめがあったら自分の評価が下がるから、子どもが訴えてもそれを取り上げない。身を挺しても子どもを守ってあげるようでなければ、教育者じゃないですよ。

湯浅:先生も追いつめられているのかもしれませんね。

瀬戸内:それこそ生活に追われて、自分の家庭を守るのに精いっぱいでは、生徒のことまで一生懸命になれません。先生はやっぱり給料をたくさんあげないとダメです。

湯浅:教師だけでなく、政治家や裁判官もそうかもしれませんが、独立して自分の意見を言うためには、それなりに生活基盤がしっかりしていないと難しい。「頑張れ」という世間の要求は高まっていますが、生活基盤はだんだん弱まっています。

瀬戸内:「頑張れ」「頑張れ」とよく言うけど、私は「頑張れ」という言葉が嫌い。被災者の方々を見ていると、「頑張れ」と言ったって頑張りようがないですよ。

湯浅:やっぱり頑張れる条件を作ることが大事だと私は思います。

瀬戸内:でも日本人全体が自分さえよければいい、という考え方になっていますから、なかなか難しいですね。

※「若者が得たセックスの自由は大事にしていい」に続く


■若者が得たセックスの自由は大事にしていい
湯浅誠×瀬戸内寂聴 リベラル対談(後編)

「貞操」は死語と語る瀬戸内寂聴さん
戦後、いちばん変わったことはセックスに対する開放

──次世代のリベラルとは何かを引き続き、伺います。

瀬戸内:リベラルというと、戦後、いちばん変わったことはセックスに対する開放ね。私たちの世代から見たら、非常に自由になりました。特に女の子なんか、セックスの自由は本当にすごいですよ。

でも、私はこれをいいことだと思っているの。今から約100年前に、平塚らいてうが日本で初めての女流文芸誌『青鞜(せいとう)』を作った(1911年創刊)。その『青鞜』に「貞操」がどうこうと書いてあると、世の中の人はビックリ仰天して大騒ぎしたんです。だけど、今は中学生でも貞操の観念なんてない。処女と結婚しようなんて思ったら幼稚園を探さないといけない、そんな時代ですよ。

湯浅:そこまではいかないと思いますけどね(笑)。

瀬戸内:当時、うら若い嫁入り前の娘が平気でそういう話をして、みんな卒倒したの。そんなことは私たちの時代には考えられなかった。まあ、私の場合はちょっと変わっていましたけどね。

今、「貞操」という言葉自体、死語でしょう。28歳のキャリアウーマンに言ったら、「それ何ですか」と聞かれましたよ。それで「身を守れ」なんて言ったら笑いますよね。「あなた、それじゃ、お嫁にいけませんよ」と言ったって聞かないし、「お嫁になんかいかなくてもいい」って言われちゃう。だから、やりたいだけやらしておけばいいんですよ。必ず問題にぶつかるから、そのぶつかったときに本気で考えれば道が開けてくると思いますね。

湯浅:行くところまで行ったほうがいい、と。

瀬戸内:だけど、今の子は政治には本当に無知なのね。今日、誰と寝るかなんてことしか考えていない。それでも、私はセックスに対する開放を元に戻せとは思わない。元に戻すとロクなことないですよ。ひどい目に遭うのは自分たちなんですから、それを味わったほうがいいと思うんですよね。

湯浅:女性に関していうと、セックスだけじゃなくて、女性の参政権も70年前にさかのぼればなかったわけですし、働くことにもかなり抵抗があったと思います。そういう意味では、寂聴さんが生きてこられた90年というスパンで考えると、社会がずいぶんよくなった面もあると思うのですが。

瀬戸内:よくなった面もあります。ただ、これからよくなっていくことは、あまりイメージできないです。悪くなっていると思う。それでも、やっぱり若者には期待しています。しょうがないバカもいっぱいいますけど、まだ若者は純粋なところがありますからね。ある日、誰かの本を読んで突然、目覚めて、これじゃいけないと思う人が何人か出てくるかもしれない。その子がしっかりしていれば、世の中を変えることができます。われわれ年寄りが何を言ってもダメなの。

湯浅:そんなことないですよ。みんながそう思っていたら、寂聴さんの本や言葉を、こんなにたくさんの人が読まないですから。

瀬戸内:私の本はそれほど売れていないです。まあまあっていうぐらい。つまらない本はどんどん売れていますけどね(笑)。

自分の枠を飛び越えれば、変われる

──今の若者は自分のことしか考えていない、と瀬戸内さんは何度もおっしゃっていますが、そういう若者の姿勢を変えるには、やはり本や人との出会いがきっかけになるのでしょうか。

瀬戸内:人間の考えることや知恵には、限度があります。だって自分の親を選んで生まれてきましたか。そうじゃないですよね。向かいのお父さんのほうがずっと背が高いし、隣のお母さんのほうがずっと優しいとかあるでしょう。人間は生まれさせられているのです。人間の知恵以外の何かがある。それが神であり仏であり、それを信じるか信じないかは、その人の選択によりますね。

私は神も仏も、全然、信じていなかった。うちは仏壇屋だったから、なおのこと信じていなかったの。だけど、やっぱり努力して小説を書いていても限度があってね、これは自分を変えなきゃいけない、というときが来たのです。それからいろいろ考えてカトリックの洗礼を受けかけたけれども、ちょっと待てよと思い直して、結局、仏教を選んだ。仏教は深遠ですから、とても全部を理解することはできないし、たぶんこのまま死ぬと思うけど、仏教を選んだことは後悔していません。

湯浅:出家されたのは51歳のときでしたか。

瀬戸内:そう。

湯浅:私は枠を飛び越えたりするのが、大事じゃないかなと思っています。仕事もきつくなってきているし、給料もそんなに上がらないという状況で、どうしても守りに入らざるをえない。将来のことも不安、子どもの教育費もかかる、家のローンもある、そういう不安を挙げ始めるときりがない。一方で、社会的に大きな事件や災害が起こったら、自分も何かできないかと考えたり、あるいは会社の中だけの付き合いではない関係を持とうと思ったり。飛び越えたいとか枠を広げたい、世界を広げたいという欲求を、みんなが持っていると思うのです。

そうして自分の世界が広がれば、社会的なものが自然に視野に入ってきます。だから若者に「社会的なことを考えろ」と言うよりは、自分の枠を飛び越えてみる、それこそ寂聴さんが51歳でされたように、あえて全然、別の世界に飛び込んでみると、結果的に変わるのではないでしょうか。

瀬戸内:人間はいくつにもなっても変わることができます。行き詰ったときは思い切って飛び越えることね。それが革命です。

──湯浅さんが変わったきっかけ、ターニングポイントはどこにありますか。

湯浅:自分では自然に生きてきているつもりなので、ターニングポイントは正直、よくわからないのですが、子どもの頃までさかのぼると、やっぱり兄貴が身体障害者だったというのはあるかなと思います。

私が小学生ぐらいのときから兄貴は車いすで、私はよく兄貴が乗った車いすを押して歩いたのです。1970年代、今から40年前は車いすで外を歩いている人は珍しく、けっこうジロジロ見られました。

あのジロジロ見られるというのは嫌なものでね。子どもだったから言い返すこともできない。変に引け目を感じちゃうし、このヤロウっていう怒りもあるし、悲しい気持ちも悔しい気持ちもある。すごく複雑な思いをさせられるんですよ。何でこんな目に遭わなきゃいけないんだっていう不条理を感じる。

また、兄貴がとても引っ込み思案だったので、人に見られるのを嫌がって、とにかく人のいないところを歩きたがるのです。これもまた、わかるような気もするし、もっと堂々としろよっていう感じもあるし、とても複雑な気持ちを引き起こすのですが、今、考えたら、やっぱりああいう経験があったのはよかったと思います。

瀬戸内:貴重な体験ですよ。

湯浅:小学生の私がひとりで町を歩いていたって、普通は誰もジロジロ見ませんからね。ジロジロ見られるって、こういうことなんだとわかったので、今は兄貴に感謝しています。

瀬戸内:人間って想像力がないとダメなんですね。想像力は限度がありますから、自分が経験しないことはわからないですよ。貧乏も経験しないとわからない。体の丈夫な人は体の弱い人の悲しみがわからない。失恋したことのない人は失恋した人の苦しみがわからない。だから、お金持ちの家に生まれて、健康優良児、そんな人は友達にしないほうがいいと私は思いますね。

湯浅:(笑)でも寂聴さん、経験していないことも想像しようとする努力は大事じゃないですか。

瀬戸内:だけど、だいたいそういう人は想像力がないですよ。やっぱり苦しむから想像力が育まれるのでね。なぜ自分はこんな苦しい目に遭うのかとか、なぜジロジロ見られるのかとか、経験しないとわからない。だからいろんな苦しみを味わった人、それから体の弱い人のほうが優しいです。友達はそんな人がいい。兼好法師(吉田兼好)もそう言っています。

実際に経験して、多様な人たちと交わる

──東日本大震災が起きたときに、「絆」という言葉が日本中で叫ばれましたが、東北に行っていない人には「絆」は上滑りしていたようです。

瀬戸内:実際に東北に行って自分の目で見るべきです。見ないとわからないもの。

湯浅:確かに行ってみると、特に最初の頃はニオイもしてね。焼けたような腐ったような、そういうのが混ざり合った独特のニオイ。テレビではニオイまでは伝わらない。ああいうニオイは忘れられないですね。やっぱり経験したことのインパクトは大きい。

瀬戸内:想像力は生まれたときにみんな同じようにもらっているのですが、それを育てるか育てないかで、だんだん変わってきます。じゃあ、どうやって育てるかといったら、本を読むことね。あと映画を見たりして追体験すること。

湯浅:異なる人たちとの交わりも大切ですよね。私はやっぱり兄貴が通っていた養護学校、今は特別支援学校と呼びますけど、そこへときどき兄貴を迎えに行きました。クラス全員で最後に「蛍の光」を歌って終わるのですが、歌っている間に奇声を上げている子もいれば、走り回っている子もいれば、よだれを流している子もいてね。なんか人間っていろいろなんだなと、子ども心に思ったのは今でも覚えています。

そういう障害のある人と接点がなければ、なかなか想像できなかった。だって、自分の通っている学校には、自分と同じような健常者の子ばっかりですからね。そういう子と自分の親しか知らなかったら、人間はいろいろだなんて想像できなかったと思う。

だから、学校のクラスの子どもだけじゃない、親だけじゃない、地域の人や障害のある人、外国籍の人、そういう多様な人たちと接する機会を大人たちが作るのは、想像力があってイノベーティブな子ども、将来の大人を育てるうえで、とても重要だと思います。

瀬戸内:本当にそうですよ。東北へボランティアで日曜ごとに通っている若者と話したけれど、みんないい人でしたよ。

──最後に、これからの日本を担っていく若い人たちに向けて、何かメッセージをいただけますか。

瀬戸内:やっぱり勉強しろっていうことね。あまりに勉強しなさすぎるんじゃない。それと本を読めってこと。私の若い頃なんかね、デートをすると、男の子は必ずポケットに読みもしない岩波文庫の哲学書を持っていたものですよ。

湯浅:見栄で(笑)。

瀬戸内:そう。だけど、それを見たら女の子は、「この男の子はステキ」と思うの。だから、せめて見栄でもいいから哲学書ぐらい持ってください。本当に今の若い子は本を読まないですね。

湯浅:岩波文庫は読まないけど、持っているのがカッコいい、本を読むのがカッコいいという空気があった、と。

瀬戸内:それをまた女の子がカッコいいと思う。それが今はないです。ただし、今の若い人たちが得た自由は大事にしていいと思うの。セックスなんか誰としたってかまわないんだから。自分がすることに責任を持てばいい。

──(笑)湯浅さんは何かメッセージはありますか。

湯浅:今、とてもいいヒントをいただきました。勉強したり、社会のことを考えたりすることが、男性として、女性として魅力的だという世の中の雰囲気を作っていくことが大事ですね。投票に行くほうがカッコいいとか、国会でどんな法律が審議されているか知っているほうがカッコいいとか。そうなると、みんなそうしたくなる。

震災直後は、がれき除去のボランティアに行くことが、ちょっとカッコいいことだったのではないですかね。それをもっと広げて、今は被災地の対人支援が重要になってきていますけど、おじいちゃん、おばあちゃんとじっくり付き合う中で、元気になっていくのを見届けることはカッコいいとか、社会について意見を言えることはカッコいいとか、そういうムードを若い人たちに作ってほしい。そう言うと他人事みたいだから、私も一緒に作っていきたいです。

瀬戸内:青春は恋と革命だ! 若い人は恋をしないとダメよ。恋をしたら自分をもっとよくしようという気持ちになるでしょう。

湯浅:相手に好かれたいですからね。

瀬戸内:革命というのは、何も国を変えるような大きなことだけじゃなく、自分の日々の生活でもできます。何かを変える、新しいことをやる。若い人は恋をして、いろいろな革命を起こしていってほしいですね。

(司会:伊藤崇浩、構成:上田真緒、撮影:尾形文繁)

瀬戸内寂聴 小説家
1922年、徳島生まれ。本名・瀬戸内晴美。東京女子大学卒。26歳で小説家を志す。63年、『夏の終わり』で第2回女流文学賞受賞。73年に得度し、法名・寂聴となる。92年、『花に問え』で第28回谷崎潤一郎賞、96年、『白道』で第46回芸術選奨文部大臣賞。98年、『源氏物語』の現代語訳を完成させる。2001年、『場所』で第54回野間文芸賞。06年、文化勲章受章、イタリア国際ノニーノ賞受賞。現在は執筆活動のかたわら、名誉住職を務める天台寺(岩手県二戸市)のほか、四国「ナルトサンガ」(徳島県鳴門市)、京都・寂庵(嵯峨野)などで定期的に法話を行っている。

湯浅 誠 社会活動家
1969年、東京都生まれ。東京大学法学部卒。2009年から足掛け3年間、内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、朝日新聞紙面審議委員、日本弁護士連合会市民会議委員、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」レギュラーコメンテーター。2014年度から法政大学教授。講演内容は貧困問題にとどまらず、地域活性化や男女共同参画、人権問題などにわたる。著書に、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞した『反貧困』のほか、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』など多数。


[いずれも東洋経済ONLINE]

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Posted by nob : 2014年03月25日 13:33