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また旅立つ君へVol.29/変われるのは自分だけ、、、自分が変われば世界も変わる。。。

■「嫌われる勇気」を持てば、幸せになれる〜対人関係に悩まない生き方〜
自己啓発の源流「アドラー」研究者の岸見一郎氏に聞く

山崎 良兵
日経ビジネス記者

 職場や学校で、誰もが直面する人間関係の悩み。「周囲の人に嫌われたくない」と考えて、自分の意見を押し殺して生きる人は少なくない。他人と自分を比較して劣等感にさいなまれて、自己嫌悪に陥る。自分の性格上の問題を、過去のトラウマに原因があるとして、不幸だと嘆く。

 そんな多くの人にとって気になる本が注目を集めている。哲学者の岸見一郎氏が、古賀史健氏と著した『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラーの教え」』だ。20万部を超えるベストセラーになっている。「人は変われる」「トラウマは存在しない」「人生は他者との競争ではない」「人の期待を満たすために生きてはいけない」「叱ってはいけない、ほめてもいけない」といったメッセージは刺激的だ。詳しい話を岸見氏に聞いた。
(聞き手は山崎 良兵)

なぜ本のタイトルを「嫌われる勇気」にしたのでしょうか。

岸見:私はカウンセラーとして、様々な人の悩みを聞く機会が多いのですが、嫌われることを恐れる人が多いように思います。

 職場では、上司の顔色をうかがったり、上司によく思われたいと考えたりして、気持ちを曲げて発言する人がいます。同僚などとの横のつながりでも、自分がどう思われるのかをいつも気にして、嫌われないようにする。なるべく目立たないようにしようとする人も少なくありません。

 普及が進む「フェイスブック」などのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でも、メッセージを書き込む際に、「いいね!」を押してほしいと思って、“受ける”メッセージを書いてしまう。押してもらえないと残念なので、迎合して、自分の真意でもないことを書く。インターネットやスマートフォンが普及して周囲とつながる機会が増える中、嫌われることを恐れる人が増えているように思います。

 だからこそ、嫌われる勇気というタイトルが一番響くのではないかと考えました。「哲人と青年の新しい心理学を巡る対話」といったタイトルも候補でしたが、それでは手に取ってみようとなかなか思ってもらえなさそうです。編集者とも相談して、なるべく多くの人が読んでみたいと思うようなタイトルを選びました。

嫌われる勇気があると、人生において、どのようなメリットがあるのでしょうか。周囲と軋轢が生じることは避けられないような気がします。

岸見:もちろん自分の主張を伝えることには責任があります。主張した時には、必ず反発する人がいて、摩擦が生じるのは当然です。それを理解する必要がある。

 例えば、ある若い女性が、好きな彼がいて「この人と結婚したい」と親に言ったとしましょう。例えば、この男性がフリーターで安定した収入がない場合、多くの親は反対することでしょう。この女性は、親の気持ちを傷つけたくない、悲しませたくないと、気持ちを抑えてしまって、結婚をあきらめるかもしれません。説得するには、「どうしても結婚したい」と自分の意見を言って、親が多少傷つくとしても、摩擦覚悟で議論して、同意を取り付けるしかありません。親が「あんな人と結婚するなら悔しくて死んでしまう」と言われても、ひるまないで、「残念ですが、短いお付き合いでした」と言い返せば、結婚できるかもしれない。

「摩擦を怖がってひるんで逃げる人が多い」

 それが怖くて、自分の意思を曲げて、結婚をあきらめた場合、どうなるのか。誰のための人生を生きているのか。自分の人生を生きているのかということになる。それでは意味がありません。

 嫌われる勇気を持っていないと、何のために生きているのか、分からなくなる。もめても、粘り強く説得して、最終的に折れることがない。そんな生き方を選んだ方が幸せを感じられるはずです。

 摩擦を怖がって、ひるんで、逃げる。世代を問わず、どんな層でも、そういう人が多い。人の気持ちに目を向けないくらいにならないと、決断できません。私はカウンセリングする中で、多くの人が「決定できない」と感じています。人を傷つけたくないと思っているからです。そういう場合、私は、一時的にでも、人の気持ちをあまり考えないような援助をします。多少の事ではびくともしない。人の気持ちよりも、自分がどうしたいのかをまず考えることで、人生が変わることが多いのです。

日本の社会は和を重んじます。嫌われる勇気がある人がたくさんいて、自分の意見をどんどん言うようになると、職場や学校の和が乱れて、大変なことになったりしませんか。

岸見:太平洋戦争の頃を思い出してください。「これはおかしい」と思っても、戦時中は異を唱えられませんでした。その結果、戦争を止められずに、多くの人が命を失い、悲惨な結末を迎えました。

 だから「おかしいことはおかしい」と言える人が増えた方がいい。みんながやさしくて人を傷つけない方向に行くと社会自体が大変なことになります。気が付いたら指摘するべきです。それはおかしいんじゃないかと言える社会の方がいい。

 相手が年長者でも上司でも親でも、自分自身の考えを言えるように多くの人になってほしい。抵抗があってもそれは仕方がない。自分の主張に伴う責任です。みんなが主張できない世の中は危険です。

相手に合わせず、自分の意見をはっきり言うと周囲からうとんじられたり、いじめられたりするかもしれません。とりわけ逃げ場が少ない学校のような閉鎖空間では苦しい思いをしそうです。

岸見:はっきり意見を言う子供が必ずしもいじめられるわけではありません。「何でこんなことをするんだ」と抵抗できる子供はいじめられにくい。むしろなすがままになってしまう子供はいじめのターゲットになりやすい。さらに意見がない子供は、いじめる側に回らなくても、摩擦を恐れて、いじめがあっても見て見ぬふりをして、いじめる側に同調するかもしれない。そう考えると、意見を言える方がきっといい。

「叱ってはいけないし、ほめてもいけない」

岸見さんとアルフレッド・アドラーの出会いはどういうものだったのでしょうか。アドラーは、ジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングと並ぶ心理学者として世界的に有名ですが、日本ではそこまで知られていません。なぜ関心を持つようになってのですか。

岸見:来日したアドラー研究者の講演会に参加したのがきっかけです。「今日この講演を聞いて、幸せになりたいと思う人はすぐに幸せになれる。自分の決心でなんとかなる。自分がどういう風に生きるのか。それを考えれば幸福になれる」といった趣旨のことを話していました。

 最初はうさんくさいなあと思い、反発も覚えたのですが、よく考えるとそうかなと思える部分が多かった。さらに子供の教育を通じて、アドラーの考え方を実践する場を得たこともあります。

 当時、私はギリシャ哲学が専門で、大学院の博士課程で学び、研究職を目指していました。でも大学院を卒業しても就職口はなく、非常勤の講師などをしていました。

 ちょうどその頃、子育てにかかわる機会がありました。妻は小学校の教師をしており、私の方が時間を自由に使える環境にあった。そこで幼い2人の子供たちの保育園への送り迎えを、私が担当することになりました。父親が育児に参加するのは一般的ではなかった時代です。周囲のお母さんからは「なぜお父さんが送り迎えをしているのか」といった好奇の目で見られましたが、子供とかかわる以上はきちんと子育てをしたいと思いました。今でいう「イクメン」ですね。

 子育ては大変で、子供はなかなか言うことを聞かないものです。そんな中で、アドラーの思想に触れた。その考え方は衝撃的でした。「大人と子供は対等だ」と言う。大人の方が知識も経験もあり、もちろん同じではありません。でも、対等な存在として認めなければならない。「叱っていけないし、ほめてもいけない」と言っている。

私にも子供が2人いますが、「ほめて育てた方がいい」という意見をよく聞きます。一方で、叱るべき時にきちんと叱らないと、子供はわがままになってしまいます。

岸見:私も最初は子供をほめていましたが、アドラーの考え方は全く違う。衝撃的ではまってしまいましたね。私と子供たちの関係は非常にいいのですが、「ほめて、叱る」という育て方ではここまで関係は良くならなかったでしょう。

 私は声を荒げるようなタイプではないのですが、子供にそういう態度だけで関わっていると好き勝手になったでしょう。叱るだけなら事態は悪くなって、もっと反発されたと思います。早い時期に子供との関係を対等にしたことで、非常に良くなりました。

 例えば、子供が泣いても大きな問題になりません。子供が泣くのは親の注目を得たいからです。そういうことに対して子供に注目を与え続けると、泣き続ける。かといって叱ると事態を悪くすることになる。一喝すると確かに言うことを聞くかもしれませんが、「怖いから」というだけで、副作用があまりにも大きく、関係が決定的に悪くなる。

 1歳の子供でも自分が置かれている状況の意味は意外に分かるものです。私の子供は、初めて保育園に行った日が、朝7時半から夜7時までの長時間保育でした。保育士さんは心配しましたが、私はこう言いました。「娘は私が帰ったらきっと泣くと思いますが、ずっとは泣きません。必ず30秒で泣き止みます」。担当した保育士さんは、時計で測ってみたそうですが、30秒ではなく15秒で泣き止んだそうです。

 これは偶然ではありません。泣いても保育士さんは時計を見ていて注目してくれない。娘がそのことを学ぶのにかかった時間が15秒だったのです。そうしたら保育士さんが抱っこしてくれた。普段からの親子の関係作りが良ければ、何も心配ありません。

「自分が大嫌いでも、置き換えることはできない」

でも、電車の中などで小さな子供が泣きやまない場合はどうしたらいいのでしょうか。周囲の人に迷惑がかかりますし、冷たい視線で見られて、さすがに叱らないといけないような気がします。

岸見:電車の中で子供が騒ぎ出したらできることは1つです。叱るのではなく、次の駅で降りる。駅のホームなら泣くことが許されます。もちろん日ごろから話し合っていい関係を築かないといけません。電車に乗るときは静かにしないといけないと、きちんと伝えておく。そのうえで騒いだ場合に、静かにしないといけないと、改めて伝える。忍耐力が求められます。

ほめずに叱らないならば、どのような言葉をかけたらいいのでしょうか。

岸見:大人でも子供でも嫌な感じがしない言葉は「ありがとう」です。相手の貢献に注目する言葉で、役に立ったという気持ちになります。そんな大人同士の言葉をかけたらいい。そういう風に思えることが、自己受容につながり、自分のことを好きになることにつながる。

 むやみに怒る上司はいやだというのと同じで、叱ることは人と人との関係を近づけはしない。叱ることで関係を悪くしておきながら、援助しようとするのは難しい。人は自分が嫌だと思う人の言うことは聞かないものです。この人はちゃんと自分のことを見てくれていると思えばこそ、話を聞いてくれるものです。

上から目線で叱るのではなく、あくまで対等な立場に立ち、相手が子供でも、貢献があれば、認めて感謝する。私も子供と接する際に実践すべきなのかもしれません。

岸見:カウンセリングに来る人は自分が大嫌いな場合が多い。でも自分はほかに置き換えられない存在です。自分という道具はずっと一生使い続けないといけない。その私が嫌いなら、人は幸せになれない。だから自分をなんとかして好きになってほしい。自分が役立たずでなくて、誰かの役に立てている。そう思える。

 親は子供にありがとうと声をかける。そう言われたら、子供は自分が役に立てると思えて、自分のことが好きになる。それでも、次回も同じ適切な行動をしてほしいと期待しないでほしい。下心で言うと逆効果です。貢献に注目する。もちろん、その親以外の人は「ありがとう」と言ってくれないかもしれません。でもそう言われることを期待して、適切な行動をする子供も困る。誰かが見ていたら、ほめてもらえるのでゴミを拾うが、誰も見ていないと拾わないといった考え方です。ほめられたいと思う人は、承認欲求が強く、承認されないと気が済まない。誰かが見ていなくても、自分が共同体に貢献したいという満足感を持てれば、そうはならない。

「人生は他者との競争ではない」

「人生は他者との競争ではない」とも主張されています。しかしビジネス社会では競争があります。競争心を持たないと人は成長できませんし、組織の活力も失われるような気がします。

岸見:競争は当たり前とされていますが、アドラー哲学では、それはノーマルな状態ではありません。アドラーは競争ではなく、協力を重視します。「競争に勝ち残ればいい」という考え方では、負ける人がたくさん出てくる。むしろ、そういう人の方が多いかもしれない。競争に負けた人は、心のバランスを失って、精神的な病気になる人も多い。しかし協力を学んでいる人は、必要ならば競争できますが、負けても精神のバランスを失うことはありません。競争に負けたと落ち込むとゼロサム競争の世界になり、組織や共同体のことを考えるとプラスになりません。

 人に承認されなくても、貢献感を持つことが大事です。例えば、家事の1つに洗濯があります。妻がする場合が多いのですが、夫や子供が手伝わず、なぜ自分だけがやらなければならないのかと腹が立つ人がいるかもしれません。でも自分だけが洗濯を上手にできて、家族の役に立っていると考えるようにしたらどうでしょうか。こうした貢献感があれば、ほかの人が承認してくれなくても、満足感が得られます。自分が幸せにならないと、ほかの人も幸せになれません。

 カウンセリングに来る方は、この世の終わりのような不幸そうな顔をしている場合が多い。子供が学校に行かなくなったという、引きこもりに悩むお母さんが相談に来た場合、私は子供の味方にならないといけないと話します。お母さんが不幸でもそのことで子供が学校に行くわけではありません。

 不幸そうな態度をしている親に非があります。近所の人が同情してくれることを期待しているからです。子供は学校に行っていないので不幸だという顔をして、世間の同情を得たい。「私はちゃんと育てたのに、あの子は学校に行かなくて困っている」といった顔をする。

 しかし世間に対して背を向けた方がいい。背を向けても親は子供の味方になるべきだ。子供が引きこもりでも幸せになっていいんだと思えるようになると、お母さんは元気に若々しく、美しくなります。近所の人は「あの家は子供が学校に行っていないのに、お母さんはどうなのかしら」といった風に後ろ指をさすかもしれませんが、そんなことは気にする必要はない。嫌われる勇気を持って、子供の味方をするなら、子供と仲良くなれます。

 「どっちにもいい顔をしたい」といった人の出方や顔色をうかがって態度を決定する態度ではダメです。

「カーネギーやコヴィ—の思想もアドラーに通ずる」

著名な経営者や自己啓発的な本の著者もアドラーの考え方を実践しているケースが多いと聞きました。

岸見:『人を動かす』で知られるデール・カーネギーは、アドラーを引用しています。『7つの習慣』を書いたスティーブン・コヴィーも思想的にはアドラーと近い。ただあえて引用していない人の方が多いように思います。アドラーの考え方は、聞いてしまったら当たり前だからです。理解が難しいこともありません。叱らない、ほめない、課題は自分に関するものと、他者に関するものに分けて考える。

 それを聞いたらほかの人にはあまり言いたくない。自分の手柄にしようと思って言わなかった人が多かったのでしょう。アドラーの思想は「共同採石場」のようなもので、みんなが自由に落ちている石を拾って持ち去った。米国にはずいぶん自己啓発の本はありますが、理論的な裏付けがない場合が多い。理屈を知らないで実践しているケースも多いように思います。

経営者の中には厳しく叱らないと社員は育たないと言う人もいます。

岸見:私は、頭ごなしに怒鳴りつけるのは有能な経営者ではないと思います。ある程度成功するかもしれないが、限界がある。若い人が、のびのび失敗を恐れず、新しい仕事に挑戦できる状況があるのかないのかは全然違う。失敗したら叱られると、自由にはふるまえません。叱って育てられた人は、盆栽のようにスケールが小さくなりがちです。

 教育では大きく育てることが大事です。社会とうまくやっていけないと思われているような人が、ちょっと指導すれば大きな花を咲かせる。短所や欠点があって、ゴツゴツとしたトゲやでっぱりがあるのが人間です。でっぱりをそいで何かを強制するような教育はよくない。

 実際には「これは困ったなあ」という人が最終的には伸びるケースが多い。上司の顔色を見て嫌われることを恐れ、上司が気に入ることしかしない社員は、自発性も創造性もなく、伸びない。本当に有能な経営者は、そういうことを分かっていて、社員が伸びる環境を整備しているはずです。

「勇気を持てば、人は確実に変われる」

「人は変われる」と岸見さんは著書で書いていますが、人間は40歳にもなるとなかなか変われないような気もします。

岸見:嫌われることを恐れる生き方は、不自由で不便なので、できたら変わりたい。でも「変われない」と思った方が、都合がいい。変わったら、次の瞬間に何が起きるのか分からないと思ってしまうからです。

 しかし考え方次第で人間は確実に変われます。例えば、好意を持っている人が歩いてきて、ほんの数秒後にすれ違う。自分の気持ちを告白したいと思っている人だけど、相手がふいに目をそらす。そういう事態が起きたときに、自分が嫌われていて避けられたと思う人もいることでしょう。

 でも全く違う考え方をしてもいい。風でコンタクトレンズにゴミが入ったのかもしれません。「嫌われた」と思うのは変わりたくない人です。もちろん若い人の方が柔軟性はあるので、変わろうという勇気を持って、決心したら短期間で変われるように思います。

 家族であっても他人を変えるのは難しい。だから自分が変わるしかない。他者を操作できるというのは誤解です。子供でも自由に操ることはできません。子供は自分の期待を満たすために存在するわけではありません。

 馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできません。変われるかどうかは本人の問題です。カウンセリングに来るだけで大きな前進ですが、多くの人は変わらないでいようと決心している。口で言っても本当は変わりたくない。

確かに嫌われる勇気を持つと、自分は幸せになれるかもしれませんが、周囲との関係はどのように変化するのでしょうか。

岸見:あなたのことを嫌う人は増えるかもしれません。でもそれは自分の課題ではなく、相手の課題です。「課題の分離」を分かっていない人が多い。他人が自分を嫌うかどうかは、私には決められません。自分が好意的に接しようとしても、相手は嫌うかもしれない。でも人に嫌われるかどうかを悩む必要はありません。通常、自分のことをあらゆる人が嫌うことはあり得ません。自分を支持してくれる人は必ずいるので、そういう人とかかわればいい。敵視する人はきっといますが、そんな人たちのために自分の人生をふいにする必要はありません。つまらないことに、日々悩む必要はないのです。

「神や仏を持ち出さない宗教」

岸見先生のお話を聞いているとアドラー心理学は宗教に似ているような印象を受けました。

岸見:神や仏を持ち出さない宗教と言えるかもしれません。神や仏を出すと受け付けない人がいます。でも神を信仰していると言っている人が、その教えを実践できているとは必ずしも言えません。だからアドラー心理学は神のない宗教と理解しています。

 最近の心理学では、あらゆることを脳の機能に還元するような傾向があります。例えば、人が誰かを好きなのは脳がそうさせている。人間には自由意志があって、何かを自分で決められることを否定している。しかし脳の仕組みで説明できることには限界があります。

 トラウマの話もそうです。心理学では様々なことを過去のトラウマのせいにするケースがあります。でもアドラー心理学を研究する立場からは「トラウマは存在しない」と考えます。人間が過去の経験や体験によって決まるなら、治療も教育も育児も関係なくなる。何でも過去の体験で決まっているというなら、治療のしようがない。

 私はカウンセリングで過去を聞きますが、あくまで理解のためで根掘り葉掘り聞くことはありません。過去を聞いても意味がない。それで、あなたはどうしたいのか。それが重要です。何か希望を持って帰ってほしいと思って話をする。大事なのは、過去ばかりを振り返ってあれこれ考えることではありません。今、この瞬間をあなたが、いかに生きるのかです。変われるのは自分だけであり、自分が変われば、世界も変わります。

岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989 年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などでカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。 2013年12月、『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え』を古賀史健氏との共著で上梓。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2014年04月15日 07:41