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また旅立つ君へVol.42/やりたい人はやれば、やめたい人はやめれば、その時々の納得の基準を自他どちらに求めるかだけの差、、、自らの内なる心の声に従えばいいだけのこと。。。Vol.3

■夢は9割叶わない。

弘兼憲史

“仕事を選ぶ新人は、絶対成功しない”
「やりたくない仕事」が持つ大きな意味

上司から仕事を振られて、「こんな仕事やりたくないな」「やる気が出ないよ」と思ったことはありませんか?誰だって嫌な仕事はあるものです。しかし、こうした「やりたくない仕事」との向き合い方次第で、あなたの人生は大きく変わってきます。

新人のうちは、
「仕事」を選んではいけない。

 新人のうちは「とにかく何でもやる」という意識が大切です。

 経験や実績がないうちから「これはやるけど、これはやりたくありません」「この仕事に社会的な意味はあるのでしょうか」などと言ってしまうと、上司には嫌われ、会社からも見放されてしまいます。

 社会に出れば、やりたいこともあれば、やりたくないこともあります。「正しい」と思うこともあれば、「これは間違っている」と感じることもあるでしょう。

 でも、新人のうちから「何でもやる」というスタンスを持っていれば、必ず人生の幅は広がっていきます。

 例えば漫画の世界で、名もない新人漫画家が「これはやります」「これはやりたくありません」なんて言っていたら、まったく仕事はなくなります。僕も駆け出しのころは、頼まれた仕事は全部引き受け、片っ端からやっていました。だから忙しいときには、1日18時間以上働いていましたし、徹夜をすることもしょっちゅうでした。

 そもそも、新人とはそういうものだと僕は思っています。

「新人は、相手の言うことを聞くもの」。
その理由とは?

 そして、新人のうちは「とにかく、相手の言うことを聞く」というのも大事なスタンスです。

 僕の経験から言っても、出会う編集者のすべてが優秀で、漫画のセンスに溢れ、的確なアドバイスをするわけではありません。

 正直に言えば、「えっ、そんなふうに描くの?」「こんな修正をしたら、まったく面白くなくなるよ」という指示を出す編集者もいました。それでも、若いころはとにかく編集者の言うことを聞いて、目の前の第一読者(編集者)を喜ばせることに意識を集中しました。

 理由は、大きく分けて2つあります。
 1つ目は、そもそも実績のない新人漫画家が何を言ったところで、聞く耳など持ってくれるはずがないということです。ペーペーが偉そうな意見を言っても「代わりはいくらでもいるからな」と言われて終わりです。

 仮に僕の言うことが正しかったとしても、結果としてチャンスを失い、その後の可能性を潰してしまうとしたら、これは本末転倒です。

「偉そうなことを言う前に、
俺を喜ばせてみろよ」

 そしてもう1つの理由は、「どんな仕事でも、目の前の人を喜ばせることができなければ、その先はない」と常々思っているからです。

 目の前の第一読者である編集者を喜ばせられないのに、その先の何万、何十万の人を喜ばせられるわけがない。長年漫画家をやっていれば例外があることも重々理解していますが、特に若い人は、そう思っておいたほうがいいでしょう。

 僕が編集者の立場なら「そんな偉そうなことを言う前に、まずは俺を喜ばせてみろよ」と言いたくなりますし、その思いはきっとみんな同じはず。だから、僕は新人のころ、編集者のどんな要望にも応えようと必死でやってきました。

 当時の作品を今になって読み返してみたとき、「ああ、やっぱり編集者の言う通りにしたのは失敗だったなぁ……」と作品的には思うこともありますが、自分がキャリアを積み重ねていく上では決して間違った選択ではなかったと思います。新人のころはそれが当たり前なのです。

 これは何も漫画の世界だけの話ではなく、一般企業でも同じではないでしょうか。

「まず上司を喜ばせる」。
すべてはそこから

 上司が理不尽なことを言って、自分としては納得できないケースも当然あります。

 しかし、何の経験もない新人が「それは理不尽です」「そのやり方は間違ってます」なんて言っても、聞いてもらえるはずがありません。「正しい」とか「間違っている」という以前に、残念ながら、新人にはそんな発言権がないのです。

 だからこそ、まずは上司の言うことを聞き、上司を喜ばせるしかない。すべてはここからスタートです。

 上司を喜ばせることができれば、その次の機会には「○○さん、この点について、ちょっと提案があるんですけど」と発言する機会が得られるかもしれません。また、上司の信頼を得ていれば、向こうのほうから「君はどう思う?」と聞いてくれるようになるかもしれません。このように、新人はちょっとずつ自分の立場を構築し、発言力をつけていくしかないのです。

 目の前の上司、あるいは第一読者を喜ばせられないうちから「これをやりたい、これはやりたくない」「これは正しい、これは間違っている」などの主張をするのは、あきらかに順番が違います。

 上司が言うことを聞いてくれないと思うなら、何よりもまず、その上司を喜ばせること。そこからしか突破口は開けないと、僕は思います。


■夢は9割叶わない。

弘兼憲史

“会社に入ったら、3年は辞めないほうがいい理由”
自分の「強み」と「弱み」を知ることの大切さ

「会社を辞めたい」「自分はこの仕事に向いてない」「仕事がつまらない」。社会人であれば、一度は思ったことがあるかと思います。本日のテーマは、「社会人としての修業期間」です。自分の「強み」と「弱み」を知ることの大切さについて、お話しいたします。

「仕事の向き不向き」は、
自分で勝手に決めつけているもの

「会社に入ったら3年は辞めないほうがいい」、これが僕の考えです。その理由を述べていきます。

 入社してすぐに会社を辞める人の多くは「こんなはずじゃなかった」「想像していたのと違う」などの思いを持つと思います。

 でも、まず考えて欲しいのは、会社側だって「あなたに何が向いているのか」を正確に把握できるわけじゃない、という点です。

 とりあえず何かをやらせてみて、その過程で能力、向き不向きを判断していくのは当たり前ではないでしょうか。会社とて、あなただけを見ているわけではありません。それなのに、あまり早い段階から「自分の向いている仕事をやらせてもらえない」と言って会社を辞めていくのは、とてももったいない気がします。

 それと理由をもう1つ。
「仕事の向き不向き」というのは「自分が勝手に思っているに過ぎない」のです。

自分と他人を比べて、
能力と才能を見極める

 あなた自身は「企画が向いている」と思っているのに、会社や上司が営業の仕事を与えてくれば、当然不満を感じるでしょう。その気持ちはよくわかります。

 しかし、「企画が向いていて、営業は向いていない」と感じているのは自分だけで、上司や会社側は「こいつには営業が向いている」と判断しているのかもしれません。

 営業職へのインタビューの中でよく聞くこととしては「営業だけは向いていないと思っていたが、やってみたら天職だった」という意見です。やってみて、はじめてわかることは多いものです。自分だけの判断で、まして若いうちから「これは向いている、向いていない」と早々に決めつけ、会社を辞めてしまうのは得策とは言えません。

 だから、せめて3年くらいは会社から与えられた仕事を懸命にやってみて、「自分には何ができるのか」「自分ができないことは何か」をじっくり考えつつ、情報収集と検証をしたほうがいいと僕は思います。

 3年くらい働けば、自分と他人の能力差、資質の違いなども少しは見えてくるでしょうから、その上で今後の身の振り方を考えても決して遅くはありません。

「900人が採用され、
100人が辞めた」と言われる研修

 ちなみに、僕が就職した松下電器のような大きな会社では、希望する部署に配属されないのは当たり前でした。今はどうかわかりませんが、当時は大卒、高卒、高専卒などを合わせて約900人が毎年採用され、そのうち100人くらいが研修中に辞めたなんて話も聞いたことがあります(あくまでも噂ですが……)。

 当時の研修は、文系も理系も関係なく、とりあえずいろんなことをさせてみる、という感じの内容でした。入社直後の3ヵ月は会社全体のことを学びます。「松下の世界の工場ではどんなことをやっているのか」などを徹底的に学ぶ時間。

 それが終わると、次の3ヵ月では系列販売店での実習が始まります。当時、販売店にはお客さまから「テレビが故障したので見に来て欲しい」などの連絡が入り、僕らのような新人が派遣されるわけです。

 その頃のテレビは真空管を使っていたので、テスターという機械を使って、どこが断線しているかを調べ、修理をします。その現場では文系、理系は関係なく、大学院でものすごく高度な研究をしてきた人でも、同じように販売店の仕事をしていました。

 専門的なことを学んできた理系の人たちにしてみれば「こんな単純なことしてられるか!」と不満を持っていた人も多かったに違いありません。そして、販売店実習が終わると、次の3ヵ月は工場実習です。

どこに配属されるかは、
完璧に運の世界。

 新入社員全員はそれぞれどこかの工場に配属されて、工員として仕事をします。配属先の希望なんて受け入れてもらえるはずはなく、「どこの工場へ行くか」によって処遇が大きく変わってきます。これは完璧に運の世界でした。

 当時、人気が高かったのが録音事業部という、オーディオなどを作る部署。この部署には若い女の子がたくさんいて、1日中いい感じの音楽が流れ、まさに「楽しくおしゃべりしながら働く」という感じでした。少なくとも他の工場勤務の連中はみんなそう思っていました。まさに当たり部署というわけです。

 しかし、僕が配属されたのは、電気事業部という外れ部署。鉄板を打ち抜く音が1日中ガンガン鳴り響いている工場内で仕事をするので、働く人は全員が耳栓をしていました。身振り手振りをしなければ、ロクに会話もできません。

 また、「打ち抜いた合板をアルミで固める」という作業をする関係上、夏でもクーラーは一切なし。室温が下がると作業効率が下がるので、仕方がない措置とは言え、まさに地獄のような部署でした。

 ちなみに、僕らは毎朝、栄養補給の錠剤を飲んでから工場実習に入っていました。それだけでも、いかに過酷な環境かわかってもらえるでしょう(もちろん、当時と今では研修内容も、職場環境もまるっきり違うと思います)。

何もできない人間が一人前になるには、
相応の修業期間が必要

 それだけの研修を経て、11月に配属が決まります。すでに述べたように、研修中に約1割が辞めていくし、研修を終えたからと言って、自分の希望の部署に配属されるわけではありません。

 でも、僕は社会とは、そもそもそういうものだと思っています。何もできない人間が、一人前になるためには、やはり相応の修業期間が必要なのです。

 だから、せめて最初の3年くらいは、好きな仕事だろうが、嫌いな仕事だろうが、向いていようが、向いていなかろうが、上司の言うことに納得できようが、できなかろうが、とにかく文句を言わずにやってみることが一番大事だと、僕は考えます。

 懸命にやってみて「自分は何ができるのか」「何ができないのか」をきちんと知る。これこそ社会人としての第一歩ではないでしょうか。

 根気良く、懸命にやりもせずに「これは自分に向いていない」「こんな仕事に興味が持てない」「上司の言うことは間違っている」なんて言うタイプは、結局は何をやっても結果は出せません。そして、その言い訳として「自分に向いている業務ならば、もっと成果を上げられる」と言い出す人も見かけます。

 しかし、社会はそんな甘えた言い訳に耳を貸してはくれません。自分の好きな分野、向いている仕事に就きたいと思うなら、まずは、「社会人として一人前になるべく、目の前の仕事を懸命にやってみる」というスタンスが必要なのではないでしょうか。


■夢は9割叶わない。

弘兼憲史

“世界の9割は、理不尽でできている”
たくましく生きるための「たった1つのコツ」

「こんなの理不尽だ」「世の中おかしい」。こんな思いをしたことはありませんか?そうです。社会は理不尽で、「正義」や「ルール」が通用しないことが多々あります。さて本日は、そんな現実社会の中でたくましく生きるための考え方をご紹介します。

「世の中は理不尽だらけ」。
まず、現実を知る

 若い人が社会に出て、まず何を学ぶべきかと言えば、それは「世の中の理不尽さ」かもしれません。実際、世の中とは理不尽なことばかりです。

 上司は勝手なことを言うし、その上司の言う通りにしていたら、今度は別の上司から「何をやっているんだ!」と叱られる。あるいは、教えてもらってもいない仕事を押しつけられて、いろいろ手間取っていたら「いつまでチンタラやってるんだ!」と怒られる。

 そんな上司に対して不満があっても、昇給やボーナスの査定、さらには昇進も上司の評価に左右される以上、基本的には我慢するしかありません。サラリーマンとして生きるのであれば、いつかこの壁にぶつかると思います。

 こんな理不尽な話はないと思いますが、これが現実なのです。

 最近は、学校の先生に体罰を受けることもほとんどなくなり、地域のガキ大将に理由もなく殴られることもなくなりました。その分、陰湿なイジメが横行しているのかもしれませんが、概して最近の子どもや若い人たちは「理不尽さ」に慣れていないように感じます。理不尽さへの耐性が低い。これは大きな問題だと思います。

誰も助けてくれない。
それが現実

 ちなみに、僕は大学生のころ寮暮らしをしていて、実家からは毎月2万円の仕送りをもらっていました。貧乏学生のなけなしの生活費です。

 ところが、この仕送りが届くころになると、決まって先輩から電話がかかってきて「おまえ、仕送り届いたか?」と聞かれました。それで「はい、2万円届きました」なんて正直に言ってしまうと、「じゃあ、それ持って出てこいよ」と無理矢理呼び出され、新宿や下北沢へ飲みに行くわけです。

 ときには、キャバレーのようなところへ連れて行かれ、店の女の子と一緒に飲んで、騒ぐこともありました。ひとしきり騒いだ後、お会計はもちろん僕の仕送りから払うことになります。当然ながら、後日返してもらえるなんてこともありません。

 たまたま寮には朝食と夕食がついていたので、昼食さえ我慢すれば何とか生活はしていけました。でも考えてみれば、こんな理不尽な話はないでしょう。

 しかし、文句を言っても仕方がないのです。それが現実なのですから。自分で何とかするしかありません。

世の中から「理不尽」は消えない。
たくましく生きるには?

 誰も助けてくれないわけですから、こっちも頭を使うようになるわけです。

 毎月、仕送りの2万をまるまるふんだくられてはたまらないので、「今月は5000円しかありません」などと適当な嘘をついて、何とか手元のお金を確保するなど、さまざまな工夫をしていました。

 社会に出て理不尽な思いをしたとき、「パワハラだ!」と正当性を主張したり、騒ぎ立てたりする人が多いと聞きます。

 しかし、そもそも世の中は理不尽なのですから、「世の中とは、そんなものなんだ」と開き直ったほうが”楽”ではないでしょうか。

 何を言ったって、世の中から「理不尽さ」はなくなりません。だから、その「理不尽さ」を学び、「理不尽さ」の中でたくましく生きていく術を身につけるほうが、はるかに現実的な対処法だと思うのです。


[いずれもDIAMOND online]

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Posted by nob : 2014年05月31日 09:57