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言い得て妙。。。Vol.22/“事実はひとつ、考え方はふたつ”で世界が変わる。。。
■過去や他者のせいにしても何一つ解決しない!
「今、自分にできること」にスポットを当てよ
和田裕美×岸見一郎 対談【前編】
49万部のベストセラーとなった『嫌われる勇気』は、フロイト、ユングと並んで「心理学の三大巨頭」と称されるアドラーの思想を哲人と青年の対話形式で紹介し、“アドラーブーム”とも呼べる現象を巻き起こしています。
そのアドラー心理学に共感し、自身でも「陽転思考」という生き方の転換を唱えているのが作家・経営コンサルタントの和田裕美氏。その和田さんと、『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎氏が行った公開対談の内容をダイジェストで2回に分けてお届けします。前編では、4年前に出会っていたというお二人に、アドラー心理学を巡って、その特徴や、「陽転思考」との共通点などを縦横に語り合っていただきました。(構成:宮崎智之)
専門家による独占を拒否した
アドラー心理学
和田裕美(以下、和田) 本日はよろしくお願いします。
岸見一郎(以下、岸見) こちらこそ。
和田 私がアドラー心理学と出会ったのは4年前。石田衣良さん原作のドラマ『美丘』(2010年放送)を観たときでした。ドラマは滅多に観ない私が、その1話だけ偶然観ていたんですが、大学の先生役をしていた志賀廣太郎さんが「アドラー心理学」に関する台詞を一瞬言ったんですね。それが素晴らしくて、思わずそばにあったティッシュの箱にメモしたくらいです。
私は「陽転思考」という考え方を皆さんにお伝えしていますが、それは“事実はひとつ、考え方はふたつ”で世界が変わるという思考法なんです。それまではこの考え方を裏付ける心理学は知る限りありませんでした。マズローなどにしても過去に原因を求めるので、変わることができないんですよね。でも、アドラー心理学なら、私の考えの裏付けになるかもしれないってその瞬間に思ったんです。
岸見 それで、私にご連絡くださったんですね。
和田 はい。それも大阪で開催された自分の講演会にお呼びして、講演まで聞かせて(笑)。
岸見 そうでしたね(笑)。
和田 その後、初対面であるにもかかわらず、3時間くらい一緒にいろいろなお話をしました。今日はご著書に書かれていない話も含め、聞かせていただければと思っています。
岸見 僕は友人から『美丘』でアドラー心理学が取り上げられていることを教えてもらいました。その後、amazonで検索してみたら関連書籍の順位が急上昇していました。しかし、それでも当時は今ほど知られていなかったのですが……。
和田 まさか4年後にアドラーがここまで注目されるとは思いませんでしたよね。アドラー心理学は長い間、メジャーになれない憂き目をみていて、研究者も少ないと聞きました。なぜなのですか?
岸見 一つは、大学で学べないということが大きな要因だと思います。大学で心理学を専攻した人でも「名前は聞いたことがあるけど……」という程度です。さらに、もともとアドラー心理学が専門家のみを対象としたものではないことも関係しているでしょう。アドラーがアメリカに活動の拠点を移したときに、精神医学の技法としてアドラー心理学を採用したいとニューヨークの医師会が申し出たことがありました。その際の条件は「われわれ医師会にだけアドラー心理学を使わせてほしい」というものです。しかし、アドラーはその申し出を断わったのです。
和田 どうしてですか?
岸見 「私の心理学は、みんなの心理学である」というわけです。しかし、そのような考え方を専門家はあまり好みません。専門家だけの専売特許にしたいからです。
和田 アドラー自身も他者からの評価を求めなかったということですね?
岸見 アドラーは「自分の学派が存在していたことを皆が忘れてしまってもかまわない」と言っています。それだけ、皆の生き方に浸透したという証拠です。アドラーが他の心理学よりメジャーでないのは、アドラー自らが望んだことだとも言えそうです。
和田 たしかに名前は知らなくても、考え方はいろいろなところに浸透していますよね。私の「陽転思考」もその一つだと思います。
岸見 実はアドラーが源流となっている考え方が色々とあることは間違いないと思います。
人は隠れた「目的」のために
「原因」を作り出す
和田 『嫌われる勇気』では、とてもわかりやすい実例がいくつも提示されています。たとえば赤面症で悩む女の子の話が出てきます。彼女は赤面症を治して好きな男性に告白したいと言うわけですが……。
岸見 赤面症に限らず神経症の人が、「この症状を治してほしい」と言ってカウンセリングに来ることはよくあります。赤面症の彼女も「治してほしい」と言葉では言うのですが、実は治ってしまうと困るのです。なぜなら、治ってしまうと人とのかかわりが始まるからです。今は「赤面症だから、男の人とお付き合いができない」と言い訳ができても、赤面症が治ったら好きな男性にアプローチしなければならない。それで振り向いてもらえなかったら、ひどく傷つきますよね。それが怖いから赤面症という原因を作っている可能性がある。「男性にアプローチしたくない」という目的を果たすために。だから、症状をどうこうしようという話はカウンセリングではしません。
和田 何の話をするんですか?
岸見 人は一人では生きていけません。人と交わることで傷つくこともあるし、裏切られることもある。しかし、そういう経験をしなければ、他者と深い関係に入ることができない。深い関係にならなければ、生きる喜びも得られません。だからあえて対人関係の中に入り、そこでいろいろなことを経験して生きる喜びを感じてほしいといった話をします。
和田 私が岸見先生にお聞きしたカウンセリングのなかで一番印象的だと思ったのが、先生が相談を受けるときに使う三角柱の話です。三つの側面のうち、二つの面には「かわいそうな私」「悪いあなた」と書いてあり、相談者が話している内容に沿って三角柱を回転させながらどちらかを提示していくという。
岸見 ほとんどの話が、この二面のうちのどちらかなんですよ。
和田 私も相談者とお話しするとき、「つらい、つらい」とばかり訴える人とときどき出会います。「私はこんなにつらくて、こんなに大変で」と。これは「かわいそうな私」ですね。一方、「夫は帰りが遅くて、お酒ばかり飲んでいて、私の話を聞いてくれない」と「悪いあなた」ばかり話す人もいる。でも、この三角柱を見せられながら話すのは、結構キツいですよね(笑)。
岸見 今、自分がどういうことを話しているか意識してほしいのです。しかし、二つの側面の話に終始していてはカウンセリングになりません。そこで、患者さんに見せていなかった三角柱のもう一つの側面を提示します。そこには、「私には何ができるのか」と書いてあります。過去のことを聞くことがまったく意味がないとまでは思いませんが、あまり意味がない。今は過去ではありませんから。解決策を一緒に考えていきましょうというスタンスで話を進める必要があります。だから「私には何ができるのか」を示すのです。
和田 誰かの責任にしているあいだは、何も解決しないですよね。
岸見 そうですね。
和田 日本の犯罪報道を見ていると、犯人は過去に親に捨てられただとか、虐待を受けただとか昔のことを調べて、そうしたトラウマが原因で悪人になったと報じる傾向があります。
岸見 虐待を受けたことが、まったく影響を与えなかったとは言いません。しかし、二つのことを指摘したい。一つは同じ境遇に育った人が皆、同じような大人になるとは限らないということ。同じような境遇に育った全員が犯罪に走るわけではない。もう一つは、過去に原因があって今があるというのが正しいとしても、タイムマシンがない限り過去には戻れないということです。だから、「私には何ができるのか」が大切になるのです。
過去ではなく、
自分で変えられる「今」にフォーカスする
和田 でも、悩み事を抱えている方は、自分のことをわかってほしくて仕方ないんですよね。過去のつらい出来事を吐き出して、「大変だったね」と言ってもらいたい。悩んでいる人にそのように接するのは悪いことですか?
岸見 アドラーは「患者を無責任と依存の地位に置いてはいけない」と言っています。つまり相手に対して、「あなたのせいではない」という言い方をしてはいけない、と。責任を他者に転嫁するお手伝いをするのではなく、「すべてが自分から始まっている」ことを理解してもらう必要があります。
和田 なるほど。一方では、虐待された子どもが、親になったときに虐待を繰り返すという話もありますね?
岸見 これはかなり複雑な背景があると思います。というのも、どんなに親から大変な目に遭っていても、カウンセラーが「それは酷い親ですね」と相談に来た方に言うと怒られてしまうことがあります。なぜなら、どんな子どもでも例外なく親を愛しているからです。では、なぜ自分が親になったときに子どもを虐待するのかというと、「私が子どもを虐待して、なおかつこの子を愛せるなら、私の親も私を愛していたのだ」と思いたいからなのです。
和田 かなりこじれていますね。
岸見 私は、相談に来られた方が考えもしなかったことを伝えるのがカウンセリングだと思っています。これまでの考え方を強化するようなカウンセリングをしても意味がありません。
和田 なるほど。
岸見 カウンセリングをした後に、その人の人生が変わらないようなカウンセリングはしてはいけないと思います。どうにかして「なんとかできそうだ」という希望を抱いて帰っていただきたい。過去の話をしても絶望するしかありませんよね。たとえば子どもが不登校になったと相談しにきた人に、「あなたの育て方がよくなかったからだ」と話しても救いがありません。「今後、適切な関わり方をしていけば子どもとの関係は変わります。そのことによって子どもが変わるかどうかは子ども自身の『課題』なのでわからないけれど、少なくとも変わる可能性は出てきます」といった話をする必要があると思います。
和田 今、自分が変えられることにフォーカスするということですね?
岸見 そうです。「私には何ができるのか」ということに思いを向けてもらうのです。
和田 過去ではなく「今」にスポットを当てるのは、アドラー心理学の素晴らしいところですね。でも、たとえば「死にたい」と言われたらどうしたらいいのでしょうか。「よりよく生きたい」とか「人とつながりたい」といった根っこの欲求があれば話は別ですが、そうではない場合にどう対応したらよいかわからなくなってしまうのです。
岸見 そうした人に私は「ご両親は健在ですか?」と聞いたことがあります。「もし、親御さんが亡くなっていれば、死んだら天国で会えるかもしれない。でも、ご存命なら会えませんよ」と。おかしな説得の方法だと思うかもしれませんが、カウンセリングに来る人は、総じて深刻な人が多い。生きる以上、真剣でなければいけないとは思いますが、深刻である必要はないのです。ですから、深刻さをやわらげるために、風向きを変えるような拍子抜けする話もしてみる。生死の問題は単純ではないのでリスクはあるかもしれませんが、あまり思い詰めなくてもいいということを伝えたいのです。
和田裕美(わだ ひろみ)
京都府生まれ。作家、営業コンサルタント。人材育成会社「和田裕美事務所」代表。
岸見一郎(きしみ いちろう)
哲学者。
(後編に続く)
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2014年10月11日 16:05