« 結局のところ突き詰めれば、、、 | メイン | 私も休煙中、、、きっぱり止めようと考えずにしばらく休むつもりで気楽に取り組めば止められ、いや休み続けられます。。。 »

また旅立つ君へVol.81/“行到水窮処”(ゆきてはいたるみずのきわまるところ)

■あとでクヨクヨせずにすむ!物事を「後悔なく決断できる」ようになるコツ

並木まき

友人や家族となにかを決めるときや大きな買い物をしようとするとき、「Aがいいかな、Bがいいかな」と悩んでしまうこと、よくありますよね。

その上、どちらかに決めたつもりだったのに「やっぱり、あっちが良かったかな……」と、その後もクヨクヨと悩んでしまった経験はありませんか?

これではせっかくの楽しいはずの約束や買い物なのに、かえってストレスを感じてしまいますし、精神的にも疲れてしまいますよね。そこで今回は、どうしたら物事を後悔なく決断できるようになるのか、ということについてご紹介します。

■1:迷うこと自体が心に損をしている

僧侶である小池龍之介氏は、著書『しない生活』の中で、“なにが得か”を常に考えて迷う行為は心に損をしていて、さらに心に迷いがあるとなかなか物事は決まらないと指摘します。

例えば、待ち合わせの場所を決めるときに「前回は私が遠出をしたから、今回はあの子にこっちに来てほしいんだけどな」などと思ってしまった経験はありませんか? このように、どの選択肢が“自分にとってより得か”を計算したがる欲望は、人間誰しもが持っているものだそうです。

けれど、このような考えに陥ってしまうと精神と時間を消耗して疲れてしまうので、結局は「どちらが得かな~」と迷うこと自体が、心にとって損をしていると小池氏は分析しています。

■2:迷っているということはどちらも実は大差がない

でも、迷うことが精神を消耗するような疲れることだとはわかっていても、決断後の後悔を少しでも減らしたいから、やっぱり悩んでしまう……という人もいますよね。

小池氏はこの点について、そもそも迷っているということは、いずれかの選択肢が“決定的に“優れているわけではないから迷っているのだ、と指摘します。

つまり、自分では“よりベストな選択肢“を選んだつもりでも、そもそもAとBで悩んでいるくらいだからAを選んでもBを選んでも実は大した差はないのだ、というのです。

なるほど、確かにどちらかが決定的に優れていれば、そもそも“迷う”という事態に陥らないといえるかもしれませんね。

以上、どうしたら物事を後悔なく決断できるようになるのか、ということについてご紹介しましたが、いかがでしたか?

私たちの生活は日々、小さな決断から大きな決断の積み重ねであるともいえます。「なんでもクヨクヨと後悔してしまう……」という癖があると、ストレスで体にも悪い影響が出そうです。

そんなときは今回ご紹介したような考え方を思い出して、ご自分の決断への後悔を減らせるよう、ぜひ意識してみてくださいね。


■「転職or留まる?」決断できない悩みに答えを出すたった1つの方法

宮野茉莉子

転職するか、今の職場に留まるか。このままカレと結婚するか、別れて婚活するか。大切な問題なのにどちらにも決められない悩みって、ありますよね。悩むのは自分が「優柔不断だから」「決断力がないから」と思いがちですが、問題はあなたの性格ではありません。

今回は、決断しにくい悩みの答えを出すたった1つの方法を、哲学を専門とする筆者が、禅の教えをもとにご紹介します。

■“正直どっちでもいい”から悩む

あまりに悩むと「何でこんなに悩むんだろう!」とヤキモキするものですが、それもそのはず。結局悩むのは、“正直どっちでもいいから”なんです。

本音は、転職してもいいし、転職しなくてもいいのですね。「コレだ!」という答えが決まっていれば、悩むこともありません。悩むということはどちらでもいい、つまりほんとうの答えが見つかっていないということなのです。

■ほんとうの答えは来るべき時がきたら明白にわかる

ではどうすれば、「コレが答えだ!」とわかるのでしょうか。

禅には“行到水窮処”(ゆきてはいたるみずのきわまるところ)という言葉があります。これは“歩いていたら水源にたどり着いた”という意味です。

アレコレ悩んだり、半信半疑だったり、いまいち自信がなかったり、迷いがあったり……それは例えるなら川の流れを見ながら歩いている最中のように、答え(=水源)にはたどり着いていないのですね。

ほんとうの答えに出会ったときは、ここが水源だと明白にわかるように、「コレが答えだ!」とわかるものです。ストンと腑に落ち、他に選択肢もなく、心が迷うこともありません。

■“自分の気持ちに沿って行動する”ことでのみ答えがわかる

悩んでいるうちは、ひたすら答えに出会うまで行動しましょう。

水源にたどり着くまでには、穏やかな流れの川もあれば、狭くて流れの速い川、雨が振って増水した川、岩がゴツゴツした川もあるでしょう。どんな状況でも、歩き続けることで、やがて水源にたどり着きます。

同じように、たとえば転職に悩んでいるときも、ネットで情報を探す、実際に働いている人に話を聞く、まずは週末だけやってみるなどの手段があります。小さな疑問もうやむやにせずに行動すれば、やがて「コレだ!」という答えに出会えます。

ポイントは、“川に沿う=自分の気持ちに沿う”こと。自分の気持ちを無視して行動を起こしても、道に迷い、答えにはたどり着きません。「自分は何に興味があり、何に喜びを感じ、何が疑問で、何に不安を抱えているのか?」。自分と相談しながら歩くことが大切です。

以上、決断できずにいる悩みの答えを出すたった1つの方法を、禅の教えをもとにご紹介しましたが、いかがでしたか? 

禅では、ほんとうの答えとは、外にあるのではなく、自分の中にあるとしています。自分の気持ちをないがしろにせず、行動していきましょう。

[いずれもWooRis]


■理不尽でみじめな人生を送りたくなければ、今ある「ルール」を疑うことからはじめよう

『できる人の自分を超える方法』(リチャード・テンプラー著、桜田直美訳)は、日本でも『できる人の仕事のしかた (The Rules of Work)』、『できる人の人生のルール(The Rules of Life)』、『上手な愛し方(The Rules of Love)』とベストセラーを生み出してきた"Rules"シリーズの最新刊。

押しつけられたルールにただ何も考えずに従うのではなく、そのルールが本当にあなたのためになるのかを疑ってみる必要がある。間違ったルールで生きていると、本当のあなた自身の可能性を発揮できず、理不尽にみじめな人生を送ることになってしまうかもしれないからだ。(中略)「自分の頭でちゃんと考えよう」──これが本書のメッセージだ。(「はじめに」より)

いままで教わったことをすべて疑い、他の人が決めたルールにただ従うのではなく、従う価値があるかどうか、自分で確かめなければならない。それが著者の主張。そんな考え方に基づいて、本書では92のルールを並べています。すなわち、それらに対する判断も読者に委ねられているわけです。

いくつかを引き出してみましょう。

「成功とはなにか」は自分で決める

「いい人生を送りたいなら...」と、成功する方法をアドバイスする人はたくさんいます。しかし、「そもそも成功とはなんだろう。そして、成功への道はたった一本の細い道なのだろうか」と著者は問題提起をしています。「こういったアドバイスをする人は、あなたが人生に望むものを勝手に決めつけている」とも。

そして、成功を測る唯一の基準は「自分が人生に満足するために必要なものを手に入れたかどうか」ということだけのはずだというのが著者の考え。それは高級車かもしれないし、人に賞賛される仕事かもしれない。しかし、もしも「それでは満足できない」と感じるなら、人生に求めるものは別のところにあるといいます。

成功の定義は人によってさまざま。私たちはみんな違うからこそ、何を目標にするかを決めるのは自分自身だけ。だからこそ、他人に成功の定義を決めさせてはいけない。大切なのは、自分にとっての成功の定義をじっくり考えること。成功の姿がわからなければ、目指すこともできないからです。(14ページより)

他人をうらやむことをやめる

他人の人生をうらやましく感じることは、誰にでもあります。しかし、そう感じるのは人生の表面しか見ていないからだといいます。彼らが「あえて見せている」ものしか見えていないということであり、そもそも人間は、自分が欲しいと思うものしか目に入らないと指摘しています。

誰しも、実はまわりの人の人生の半分も知らない。そして「本当に彼らのようになりたいかどうかわからないから」、著者は他人をうらやむのをやめたのだそうです。しかし少なくとも、自分の人生ならよくわかっているし、自分の意思である程度はコントロールすることが可能。それは、大きな意味のあることだといいます。

人間は、自分の持っているものには慣れてしまうもの。そして、持っていないもののことばかり考えてしまう。だから、たまには他人の目で自分を見てみることが大切。そしてどんな人も、恵まれているところもあれば、そうでないところもある。つまりプラスとマイナスを総合すれば、自分の人生も他人とそう変わらないということに気づくはずだと著者は記しています。

それからもうひとつ大切なのは、他人の人生ばかりを見ていると、自分の人生に本気で取り組むことを忘れ、人生を改善する努力から逃げることになってしまうということ。他人の持っているものがうらやましいなら、それを自力で手に入れる方法を考えなくてはいけないわけです。自己憐憫をやめ、欲しいものを手に入れるために行動すれば、他人をうらやんでいる暇などなくなるはずだから。(16ページより)

自分の人生の責任を引き受ける

誰にでも、いいときも悪いときもあります。人から仕打ちを受けることもあれば、ちやほやされることも。人生は、いろんなことのごちゃ混ぜでできているということ。

そして大人になって自立してからの人生は、すべて自分の責任。不幸な子ども時代を恨んで他人を責め続けていたら、以後の人生まで不幸になってしまうと著者は記しています。人のせいにするのは、もっとも簡単な選択肢。過去の恨みを根に持っている限り、いまの幸せを手に入れることはできないということです。自分の人生に責任を持つのは、それが正しいからだけではなく、幸せを手に入れるためにもなるからだというのがその理由。

そして周囲を見渡してみれば、幸せな人は、それなりの責任を引き受けていることに気づくはずだと著者は主張しています。彼らは状況に振り回されず、自分でコントロールするからこそ犠牲者にはならないわけです。もちろんすべてをコントロールできるわけではありませんが、きちんと責任を引き受けるなら、状況を正すために行動したり、ショックの余波にも自分なりの方法で対処できるもの。(24ページより)

困った人のよいところを見つける

いつも周囲の人の神経を逆なでしたり、いつも自慢話ばかりしていたり、もめごとが好きだったりと、誰から見ても感じの悪い人はどこにでもいます。では彼らはなぜ、わざと困らせるようなことをするのでしょうか? そこにはれなりの理由があるはずなので、今度いやな人に会ったら、その人の動機を想像してみるといいそうです。

自慢ばかりする人は、本当は「自分はすごい」と自分自身にいい聞かせているにすぎないというのが著者の分析。自信がないから、自分は大丈夫だと常に確認しなければならないということ。他人をけなす人も同じで、自分をちっぽけな存在だと感じて不安だから、他人を小さくしないではいられないというわけです。

自慢も、他人をけなすのも、自信を持つための正しい方法ではない。そう断定したうえで、著者は「彼らの動機は理解できる」とも記しています。そして、その人が行動する動機が理解できるようになると、その人とつきあうのが楽になるともいいます。完全にイライラが解消できるわけではないけれども、少しはましになるということ。それだけでも、相手の立場に立って考える価値はあるというわけです。

自慢ばかりしている人のエゴは、叩き潰してやりたくなって当然。けれど、実際にそうするのは逆効果だと著者はいいます。そうすると相手は自信を取り戻すために、さらに自分を大きく見せようとするから。それでは、事態がさらに悪化するだけです。

それよりも、彼らのよさを認め、ほめるほうがずっといい。それが著者の考え方。そうすれば自分自身も、他の人も助かることになるから。自慢ばかりする人は、子どものころ親にほめられなかった人や、必要以上に厳しくされた人が多いそうです。そうした相手に親切心を見せることができれば、それは彼らにとって大きな意味を持つことになるという発想。そうすることで失うものなどなにもないのだから、「とにかくやってみよう」と著者は行動を促しています。(34ページより)

ひとつひとつのことがらは、このようにとてもシンプル。しかし、だからこそ再確認すべき問題も数多く含まれています。少なくとも「92のルール」のうちのいくつかは、日常生活のどこかに役立てることができるはずです。

(印南敦史)

[ライフハッカー]

ここから続き

Posted by nob : 2014年12月01日 16:12