« 自らの身体との対話力、、、日々重ねていけば着実に向上していきます。。。 | メイン | 似て非なるもの Vol.45 »

人はいつからでもどこからでもやり直せる、、、直感と想像力からはじまり革新へと繋がっていく。。。

■【三浦雄一郎】「人間は150歳まで生きられる」
最高齢エベレスト登頂者が挑む“攻めの健康”

日野 なおみ

 最近は、登山に挑戦したり、山岳部に属して山に挑んだりする絶対数が少なくなっています。確かに登山は、ある意味じゃあ非常に危険なきついスポーツですからね。そういう意味ではある種のチャレンジ精神が薄れている世代になりつつあるんじゃないかな。

 ただ、そんな世の中でも山に挑む若い連中を見ていると、みんなテクニックや技術は素晴らしいよね。トップクラスの登山家は、今も昔と全然変わらないどころか、もっとすごい。

 例えば、2013年に僕と一緒にエベレストに登った平出(和也)くんは、登山家の金メダルと言われるゴールデンピッケル賞をもらっていますし、冒険山岳カメラマンとしても一流。

 僕が必死にエベレストにしがみついているところを、自分の庭みたいに跳び回っている(笑)。そういう意味では、新しい世代が次々に生まれているんでしょうね。

 登山家だけじゃありません。国際的な評価を見ても、オリンピックのメダリストやノーベル賞の受賞者、国際的な学術関係のトップクラスの受賞者たちは、僕らの年代と比べてケタ違いに増えています。

 僕らの時代はノーベル賞なんて、遠くて遠くて。日本人が一生取れるものじゃありませんでした。湯川秀樹さん以外、自分が生きているうちに取れる人はいないんじゃないかと思っていたら、みなさんどんどん受賞していますよね。

 もちろん、単にノーベル賞を取ればいいというものじゃないでしょう。けれど科学のほかに、スポーツでも世界のトップを争うようになってきている。うれしいですね。

 僕のこれまでの挑戦を振り返っても、日本人というのは、戦後の日本の復活とともに成長してきたのではないかと思います。

「松下幸之助さんが興奮した」

 僕が世界で初めて、エベレストのサウスコル8000m地点からスキー滑降したのは1970年のことです。当時の僕のやっていたことというのは少し変な表現だけれど、時代のニーズといいますかね、そういうものがあったように思います。ちょうど日本が世界にチャレンジして、どんどんトップに迫りつつあった時代でしたから。

 その頃、スポンサー探しでソニーの盛田(昭夫)さんや松下幸之助さん、本田宗一郎さん、サントリーの佐治(敬三)さんに会いました。みなさん、当時ちょうど世界に挑戦しようとしていた第一線の経営者たちです。

 お会いしてみると、みなさん、それぞれに素晴らしい独特の個性と非常に強い好奇心を持ち、チャレンジ精神も旺盛でした。例えば松下幸之助さんというのは、非常にまじめで実直な印象をお持ちの方が多いでしょう。だけど一緒に食事をして、僕が世界で初めてエベレストをスキーで滑るんだと言ったら、松下幸之助さんは興奮して「いや、これはすごいですよ」と応援してくれた。

 僕はゼロからスタートして、まったく未知の世界に飛び込んでいった。そういうフロンティア精神やチャレンジ精神に共鳴してくださったのでしょう。本田さんにお会いしても、盛田さんにお会いしても、みなさん一緒でした。佐治さんなんかはそれこそ、「おもろい、やってみなはれ」という感じで(笑)、一も二もなく応援してくれました。

 全身全霊の挑戦なしには成し遂げられない命がけの目標。こういうものが、世界に挑戦して成功した起業家の人たちと同じだったのでしょう。人間、切羽詰まったり、命懸けになったりすると、いろいろな知恵が生まれますよね。それが製品にどんどん反映されて、日本企業は世界をリードできた。

 応援してくれたのは経営者だけではありません。エベレストをスキー滑降した時には、石原慎太郎さんに頼んで、石原プロを総動員して映像を撮ってもらいました。ちょうど、石原裕次郎さんが「黒部の太陽」や「富士山頂」を撮っていた頃です。このフィルムが英語版になって、1976年のパリの映画祭で長編記録映画のアカデミー賞をもらったんです。

 今でも僕の挑戦を応援してくれる企業は多いですね。一番の理解者であり応援者なのは、やはりサントリーの佐治さんの息子さん、信忠さんです。ほかにも、東芝さんやトヨタグループの皆さんだとか、世界を舞台に活躍する日本企業の幹部の人たちは、みなさん応援してくれています。個人的にサポートしてくれる方も大勢いらっしゃる。非常にありがたい話ですし、挑戦者を応援する文化は日本に根付いていますね。

「え、氷河がまたこんなに溶けたの」

 1969年から今までエベレストを行ったり来たりしていて、今、とても気になっているのがエネルギー問題です。中でも地球の温暖化には特に胸を痛めています。

 地球の温暖化が進み、海面の上昇が進行すれば、日本の土地がおよそ半分なくなるだろうというくらい、非常に危機的な状況を迎えているんです。モルディブだとかが、どんどん海底に沈んでしまう。今から防止しても間に合わないかもしれないけれども、これを止めなきゃいけないし、そのためにはクリーンエネルギーを進めていかないといけない。

 僕はもう50年近くエベレストを見ていますが、登頂するたびに、温暖化の脅威を感じるんです。恐ろしいくらい氷河が後退していて。ヒマラヤの周辺には、インドも中国もあるでしょう。これらの国々はヒマラヤの水で生活をしているわけです。それなのに、氷河の水がどんどん少なくなっているんですね。僕はちょうど5年おきぐらいにエベレストに行っていますから、登るたびに「え、またこんなに溶けたの」と感じるんです。この氷河の崩壊が、いずれアジアやインド大陸の水資源の枯渇につながっていくかもしれない。

 加えてアジアのいろいろな国が、ものすごい排気ガスをクルマや工場からばらまいています。ネパールでは、病院を訪れる患者の8割が呼吸器系の疾病だと聞きました。それでも病院に入れる人はいいんですけど、入れない人もたくさんいる。化石燃料に変わる新しい資源を生み出し、こうした問題を解決しないといけないんです。

「攻め」の健康があってもいい

 環境問題のほかに、課題だと思っているのが、急速な高齢化社会です。日本はせっかく世界で一番の最先端高齢化社会になっているんだから、この高齢者たちにこれから、どうやって元気で活力を持って生きてもらうか。

 高齢者が増えても、寝たきりだったり、介護が必要だったり、あるいは栄養補給や酸素補給に頼ったりして生きている状態なら、単に寿命が延びただけでしょう。そうじゃなくて、もう一段アクティブな「健康寿命」が大事なんじゃないかな。

 守りの健康がある一方で、攻めの健康があってもいい。守るだけじゃ、どんどん年を取って年齢に負けていきますから。年を取っても富士山に登ってみようだとか、マラソンを始めてみようだとか、何かアクティブに運動する、行動する。

 その点、僕の挑戦は同世代には分かりやすいと思います。

 僕自身も病気をしたり、けがをしたりして、それを抱えて動いているから。だけどみなさん、病気をしたり、けがをしたりすると諦めちゃうんですよね。「ああ、もう年だし、無理だ」って。けれど、高齢者だってまだまだ挑戦できるんです。

 エベレストの山頂にたどり着くと、実年齢が20歳の登山家が、90歳くらいになったように感じると言われているんです。酸素は地上の3分の1くらいしかありませんから、どうしてもパフォーマンスが出ないんですね。20歳の若者が70歳加齢されるんだから、僕が80歳でエベレストに登ると、体感年齢は150歳くらいということでしょう。実際には20歳の登山家よりもっと歳を取っていますから、本当は200歳くらいなのかもしれない(笑)。

 ということは、逆に言うと、人間は150歳くらいまで生きられるのかなと思うんです。

90歳で4度目のエベレスト登頂に挑戦する

 高齢化が進む日本にとって、100歳の「センチュリアン」が1つの節目になっていく。あと10年もすれば、60歳の還暦を2回祝う、120歳の「大還暦」がテーマになる時代が来ると思うんです。100歳になってもまだまだこれからだ、と。

 高齢者はみんなそう思わなきゃいけないし、そうなれば、今度は個人も社会も、どうしなきゃいけないかが分かってくる。

 つまり80歳というのは、人間がどんどん衰退する状態ではなく、100歳に向かってまだまだ挑戦していく年齢になる。

 僕の当面の目標は、85歳でチョーユーというヒマラヤの8200m地点からスキー滑降をすることです。それを達成したら、次は90歳でエベレストに4度目のトライをしたい。

 僕の一番の欠点は心臓の不整脈なんです。スポーツをやっているうちは心臓が肥大して、これが高齢になると心臓が変形しちゃう。ただ、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんのiPS細胞とか、再生医療も随分進歩していますよね。心臓も今、実験中だそうです。

 うまく技術を生かして、若返る心臓を作れる可能性が見えています。まだ、これから10年近くありますから、他力本願だけれど、再生医療の進化を期待しながら、90歳でエベレストに登頂できる可能性があるんじゃないかと思っています。

 今もまだ休んでいますが、足にはそれぞれ1.4kgのウエイトを付けていますよ。

 今晩(取材時の2014年11月18日)は、これから小泉(純一郎)さんや豊田章一郎さん、御手洗(富士夫)さんを含めた財界人のパーティーが夜にあるんです。いつも通り、これにも重りを付けて参加します。いつも、そうやってうろうろしているとみんなが寄ってきて、「今日は何キロ?」なんて聞かれたりして(笑)。

「63歳で余命3年と宣言された」

 実は一旦、50代後半でもうリタイアだと思っていたんですね。仲間がみんな死んでいきましたから。植村直己や加藤保男、山田昇、長谷川恒男…。僕より若い、世界に誇る登山家や冒険家が、次から次へと死んでいった。

 僕は運が良かっただけだとは思うけれど、よく今まで助かったものだと感じて、60歳にリタイアしようと考えていた。

 でもね、リタイアした途端に、典型的な怠け者になったんです。飲み過ぎや食べ過ぎで運動不足になってしまった。

 すると63歳くらいの時に、寝ていて、気持ち悪いなと思った途端、心臓が何かにつかまれるように痛くなったんです。狭心症の発作でした。本当に危ない状態になって、病院で検査を受けたら「余命3年どころか、明日だって危ない」と言われたくらいです。

 狭心症の発作以外に糖尿病も患っていたし、血圧も高くて190ぐらい。人工透析も、もうすぐというぐらいで、本当に「余命3年」と宣言されてしまった。

 それで、思い切って足に重りを付けて、背中にザックを背負うようになったんですね。

 1年目はそれぞれ1kgずつ、2年目から3kgずつ、3年たって5kgずつ。最後には10kgずつ、合計で30kgを背負って歩くようになりました。こうしたらメタボが完全に治って、膝の半月板損傷や腰の痛みも全部治っちゃった。

 エベレストに登ってみたいという目標を立てた時、僕は走れなかったんです。だから苦し紛れに足に重りを付けてゆっくり歩き始めた。

 例えば新幹線で大阪に行く場合は、(東京の)北参道にある事務所から東京駅までの約9kmの道のりを、片足5kgずつ、背中に25kgの重りを背負って歩いて行きます。ちょうど富士山に登ったのと同じくらいの運動量で、やっとの思いでふらふらしながら新幹線によじ登る。それで、トイレでびっしょり汗をかいた洋服を全部着替えていくんです。

どん底の健康状態を克服してエベレストへ

 実はこのトレーニングで大失敗したことがありました。

 心臓の手術を受けた2週間後にこのトレーニングをやったら、うっかり風邪をひいて熱が出て、心臓手術の前よりももっとひどくなってしまった。

 とうとう病院に担ぎ込まれて、全身麻酔で電気ショックをかけられて、ぎりぎりの手術をしたんです。

 それがエベレストに向けて出発するちょうど1カ月くらい前でした。リハビリにはもう失敗できないし、ベースキャンプまで行くのに時間もない。だから「今までのヒマラヤに登る常識を全部変えてやってみよう」と、1カ月かけてゆっくりと体調を整えていきました。

 普段通りの健康な80歳の体でエベレストに登るのはうんと楽だったんでしょうが、そういうわけではなかったんですね。

 70歳の時には狭心症発作を起こしていたし、75歳の時にはひどい不整脈を抱えていた。そして80歳の時には、やっと心臓が良くなりかけたと思ったら、直前にまた手術を受けることになった。

 そのうえ76歳の時には大腿骨と骨盤を骨折しました。この時は、治っても車いすで生活できればいいだろうと言われて、さすがに再起不能だと思いました。

 もうエベレストに登るなという思いや色々な迷いはあったけれど、結局は怪我を治して、ようやく本番という時に、半年前にヒマラヤへ入って虫歯がひどくなって、それが引き金になって心臓の不整脈が悪化した。

 手術して不整脈が良くなりかけてきたのに、さきほど説明した東京駅で風邪をひいて、また再起不能かという状況になってしまった。1月15日に手術をして、3月に出発でしたから。

 つまりどんな挑戦でも、「そういうこれがなかったらいいのに」というどん底の状況に追い込まれながらやってきたわけです。僕自身は、こちらのほうが、意味があると思っています。

「いくつになっても諦めるな」

 要するに、病気であっても、けがをしても、いくつになっても諦めるなということです。可能性はいくつも開けるんだ、と。

 みんな80歳を過ぎると、病気をしたりけがをしたりすると、すぐ「あ、俺はもうだめだ」って諦めるんです。

 僕だって再起不能だと言われる困難に直面したことは何度もあったけど、エベレストに登ろうという目標があったから頑張れた。

 国家でも企業でもそうなんですよね。夢や目標があるとチャレンジし続けます。人間だって同じでしょう。目標があれば、病気やけがも乗り越えられる。

 やっぱり人間、一番大事なのはイマジネーションです。想像力というか、1つの創造性。自分はこうありたいと思うこと。

 「エベレストの山頂に立ちたい、立ったらすごいだろうな」と強く思う。そうすると、その過程で何をしなきゃいけないかが見えてくるわけです。けがしたら治さなきゃいけないし、心臓がだめだったら手術してリハビリをする。あるいは、登り方を、今までと全然違う方法に変えてみるとか、それなりの工夫をする。

不可能を可能にする「3つの想像力」

 つまり、あらゆるものの中に、3つの想像力があるわけです。イマジネーションとインスピレーション、それとイノベーション。

 健康法の中にも当然、今までなかった方法があるだろうし、病気を治す方法にしても、病院の先生がこうだという方法だけじゃない手段もいっぱいあるんです。

 僕は今だって心臓の冠動脈の65%が詰まっているんです。専門医の先生は「手術しなきゃ心臓が詰まって死ぬから、絶対にエベレスト登頂は許可しない」と言っていました。

 でも65%が詰まっているということは、35%が通っているんだから、それでいこうと考えたんですね。そのうえで、血液をさらさらにする薬を処方してもらいました。

 つまり、できる方法を探ればあるわけです。

 僕の挑戦は、いろいろな人が喜んでくれているし、珍しがられてもいます。だからこれからも、挑戦を続けていきたいと思いますね。まずは85歳でヒマラヤをスキー滑降すること。これに向けて挑戦していきたいですね。

[日経ビジネス]

ここから続き

Posted by nob : 2015年01月06日 10:25