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原発推進、沖縄普天間、安保法案強行採決etc.、民意に背を向け続け、すべての政策が姑息さに満ちた現政権、、、それを看過し続けるのは、覚悟を持てない私たち国民一人一人。。。

■集団的自衛権、安倍流「普通の国」とは、どんな国か
大前研一の日本のカラクリ

日本の若者の血が流れても厭わない

安倍晋三首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が集団的自衛権の行使容認を求める報告書を提出、これを受けて安倍首相は5月15日に記者会見し、「国民の命と暮らしを守るための法整備が、これまでの憲法解釈のままで十分にできるのか、さらなる検討が必要」と集団的自衛権の行使容認に向けた検討をさらに進める姿勢を強調した。与党にも協議を呼びかけ、必要があれば閣議決定で憲法解釈を変更する考えを示した。

もともと安倍首相は憲法改正によって集団的自衛権の行使容認を実現しようと目論んでいて、そのための地ならしが国民投票法だった。しかしながら、安倍首相は、国民投票法案を通す過程で改憲の厳しさを痛感したため、路線を切り替えて、憲法解釈によって集団的自衛権の行使容認を目指したのである。

ちなみに安保法制懇は第一次安倍政権時代の2007年に首相の肝煎りで設置された機関で、座長の柳井俊二元外務事務次官以下、メンバー全員が集団的自衛権の行使容認派だ。つまり、今回提出された安保法制懇の報告書というのは安倍首相の思想を慮って作り込まれたものであって、安保法制懇の提言自体には何の哲学もない。現行の憲法九条の下でも集団的自衛権の行使は許される、という首相の“御意”に沿った結論を出したものに過ぎないのだ。

安保法制懇の報告書を「政府の考え方とまったくイコールではない」と安倍首相は弁明しているが、そのあたりは阿吽の呼吸で、要するに子飼いの安保法制懇の提言を梃子に、集団的自衛権の行使容認に向けた議論を前に進める腹づもりだろう。しかも憲法解釈を変更する必要があれば閣議決定で行えばいいという、これまた姑息なやり方だ。

憲法解釈の変更だけで集団的自衛権の行使を容認してよいのかどうか、連立を組む公明党のみならず、自民党の中にも反対意見が存在する。本来なら、国会の場で与野党交えて議論を尽くすべき重要なテーマだ。それをたまたま安倍首相に任命された閣僚だけで決定していいものか。閣議決定となれば、自民党内の反対派も手が出せない。

尖閣諸島の帰属をめぐって揉めることになった理由の一つは、日清戦争の最中の1895年に尖閣諸島を閣議決定で日本に編入したことにある。しかし、日本の閣議で決まったことなど世界の国々は知らない。本来、議会で決議するなり、国際法に照らして法律を整備するなり、きちんとした議論の場を経て日本国の総意として、世界に発信する形を取るべきものなのだ。

防衛費を1%以内で経済成長に特化

憲法解釈の変更によって日本の集団的自衛権が解禁されることに対して、アメリカのへーゲル国防長官は歓迎の意を表明した。キャロライン・ケネディ駐日大使も憲法解釈の見直しを評価し、来日したオバマ大統領も安倍政権の取り組みを支持すると明言した。

当然だろう。集団的自衛権の行使容認は、もともとアメリカが軍事負担の軽減を求めて、日本に応分の負担をしてほしい、と強く要請してきたことである。安倍首相はそれをハッキリと言えばいいのだ。

戦後日本の安全保障はアメリカに大変お世話になってきた。アメリカのおかげで防衛費をGDPの1%以内に抑えることができ、経済成長に特化できた。冷戦を首尾よく切り抜け、台頭する中国と張り合っていられるのもアメリカのおかげ。しかし、そのアメリカもだんだん国力が弱まって、国防予算をかけられなくなってきた。従って今後は日本も応分の負担をしていく。在日米軍に対する思いやり予算のような形ではなく、もっと積極的に、と。

金銭的負担ばかりではなく、「boots on the ground(地上のブーツ:比喩で派兵)」で人的な貢献もしていく。時に日本の若者の血が流れることがあるかもしれないが、それも厭わない。我々はそういう決断をしなければならない――と。

集団的自衛権の議論が迷走しているのは、「アメリカの負担を減らすための集団的自衛権を今年中に日米ガイドライン見直しに盛り込みたい」という本音を政府が押し隠して、「普通の国になるための集団的自衛権」という建前に終始しているからである。アメリカからどういう要望がくるかわからないので、いろいろなケースを想定しているうちに、「地球の裏側までいくのか」「グレーゾーンはどうする?」などとわかりにくい抽象論にはまり込んで、議論が空転してしまっているのだ。

「アメリカの負担を減らすための集団的自衛権」という前提なら、アメリカの具体的な要望に沿って集団的自衛権を行使できるかどうかをその都度議会で議論すればいいのだ。安倍首相がそう腹を決めれば、いま15ものケースを並べ立てるなど無駄な議論をしなくて済む。

しかし、安倍首相としてはそれはやりたくない。なぜなら、「それならば湾岸戦争のときに、集団的自衛権の行使容認を閣議決定していたら、あなたは自衛隊を派遣したんですか?」と問われるからだ。「集団的自衛権が行使できるとしたら、イラク戦争やアフガン戦争に自衛隊を出したのか?」と具体的に聞かれたら安倍首相は答えに窮してしまうだろう。

野党にIQがあれば、そういう質問をしているはずだ。イラク戦争もアフガン戦争も何の大義名分もない戦争だった。あんな無意味な戦争でも、アメリカに頼まれたら自衛隊を出すのか――。安倍首相としては過去の事例を引き合いに出されて、集団的自衛権の定義を迫られるのが一番困ることだからだ。

韓国はベトナム戦争で犠牲者5000人

続いて議論しなければいけないのは、国連の平和維持活動(PKO)との兼ね合いである。現行のPKO協力法では自衛隊に許されるのは後方支援だけで、武力行使はできないことになっている。集団的自衛権が解禁された場合、自衛隊はどこまでPKOに従事できるのか。

これも過去の事例からエグザンプルを挙げて問い詰めるのが効果的。私ならこのように質問する。

「安倍さんが頭の中に描いている普通の国とは、どこの国ですか? 韓国ですか?」

過去10年のPKOを振り返っただけでもソマリア、アンゴラ、西サハラ、東ティモール、レバノン、ハイチ、アフガニスタンなど10回以上実施されているが、アジア太平洋地域でPKOに積極的なのが韓国とオーストラリアだ。韓国は現国連事務総長を出していることもあって熱心だが、東ティモールでは5 人、アフガンでは3人の死者を出している。もっと言えば、韓国はベトナム戦争に最大5万人派遣して約5000人(10%)の犠牲者を出しているのだ。

「5000人の犠牲者を出すのが普通の国か?」と安倍首相を攻めれば、「いやいや、韓国は特殊な国だ」と絶対に言い始めるはずだ。

ではオーストラリアはどうか。オーストラリアはほとんどのPKOに派遣しているし、多国籍軍にも率先して参加している。オーストラリアのジョン・ハワード元首相とイギリスのトニー・ブレア元首相は「ブッシュのポチ」と呼び称されたほどだ。

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恐らく安倍首相は「オーストラリアも違う」と言うだろう。同様にPKOに積極的に参加しているイギリス、フランス、ポーランドなども決して、「普通の国」などではない。同じ敗戦国のドイツにしてもアフガンで54人の犠牲者を出している。実際、アメリカに要請されてアフガニスタンに派兵した国は14カ国になるが全ての国が2桁以上の戦死者を出している(表参照)。日本が「普通の国」ではなかったことの幸せをこの表を見ながら感じてもらいたい。

エグザンプルを挙げていくと、結局、安倍首相は答えられなくなる。最終的には「普通の国ではあるが過去に事例はない」と認めざるをえなくなるのだ。つまり、安倍首相の言う普通の国とは「安倍首相の御意のままにアメリカ軍に協力する“特殊な国”」ということになるだろう。

国民の目の前できちんと議論せよ

東ティモールのPKOは東ティモールの独立を阻止しようとするインドネシアを抑える目的でスタートした。もし日本が東ティモールに自衛隊を派遣していたら、ASEANの盟主にして日本の最大の友人であるインドネシアと戦うことになったのだ。東ティモールのPKOはアメリカではなく、インドネシアと仲の悪いオーストラリアの要請によるものだった。集団的自衛権に基づいて国連PKOに参加しようというのなら、アメリカではない盟友に協力する、というケースもありうる。

一方でベトナムと中国の関係がキナ臭い。ベトナムには多くの日本企業が進出しているし、そこで働く邦人も多い。日本の国益そのものだ。ベトナムと中国の間で戦争が起こり、友好国ベトナムから要請があった場合、日本は自衛隊を派遣するのか。

憲法解釈の変更で認められる集団的自衛権とはどこまでを言うのか。閣議決定で押し通そうというのなら、安倍首相はこれを定義する義務があるだろう。私自身は集団的自衛権の行使容認に反対でも賛成でもない。どちらでもいいが、ここで一度決着をつけるべきだと思っている。

大事なのは国民の目の前できちんと議論をすること。野党や反対派は私が上記に提起したような論法で安倍首相を攻め、政府が目指している「普通の国」を定義させるべきだろう。

ありもしない事態を想定して、「そのケースは含まれる」「含まれない」などと政治家と役人が決めていくことではない。これまで、世界の国々がどれだけ多くの血と汗を流して「普通の国」をつくり上げてきたか。この議論を通じて、過去50年の諸外国の経験を学んでほしい。

朝日新聞的な戦後民主主義というものが、いかに日本人の目を現実から逸らしてきたか。そのことに少しでも早く気付いて、世界にキャッチアップしてもらいたい。


■沖縄から基地がなくならない隠された理由
大前研一の日本のカラクリ

国相手の裁判になったら沖縄に勝ち目はない

沖縄県の米軍普天間基地(宜野湾市)を辺野古(名護市)に移設する問題をめぐって、政府と沖縄県の対立が深まっている。昨年11月の知事選で、辺野古沖の埋め立て申請を承認した現職の仲井眞弘多氏が敗れ、辺野古移設反対派が全面支援した翁長雄志氏が当選した。続く12月の衆院選では県内4つの小選挙区すべてで移設反対派の候補が勝利、自民党候補は比例区での復活当選に回ることになった。

しかし永田町に就任挨拶に訪れた翁長知事は安倍晋三首相以下、主要閣僚から面談を拒まれ、さらには財政難を理由に2015年度の沖縄振興予算が減額されるなど、辺野古への移設作業が進まない沖縄に対して政府は圧力を強めてきた。3月には辺野古沖の海底ボーリング調査を再開、夏に着工予定の本体工事に向けた動きを加速させている。

一方、第三者委員会による埋め立て承認手続きの検証が終わるまでボーリング調査を行わないように政府に要請していた翁長知事はこれに強く反発。ボーリング調査のために投入したコンクリートブロックがサンゴ礁を破壊した可能性が高いとして、現場調査の名目で移設作業を停止するように防衛省沖縄防衛局に指示。従わない場合、移設作業の前提になる「岩礁破砕許可」(昨年8月に仲井眞前知事が認可)を取り消す考えまで示した。

すると今度は防衛省が「停止指示は不当」として、関連法を所管する農林水産大臣に(行政不服審査法に基づく)審査請求を行い、併せて審査結果が出るまでの間、県の指示の効力をストップするための「執行停止」を申し立てた。これを受けて、林芳正農水相は暫定的に県の停止命令の効力を停止する決定を下した。翁長知事の停止命令が正式に無効かどうか、引き続き農水省が審査して裁定を下すことになるが、政府の意向を踏まえた裁決になる可能性が高い。

その場合、翁長知事サイドが移設工事を止める手立ては、裁決の取り消しや工事の差し止めを求める訴訟を起こすぐらいしかない(審査請求が棄却された場合、逆に防衛省が岩礁破砕許可取り消しの無効確認を求める行政訴訟を起こすこともありうる)。だが、国相手の裁判になったら沖縄県に勝ち目はない。そもそも辺野古移設は国の安全保障や外交に絡んだ国政案件であって、憲法第8章(地方自治)にもあるように(沖縄)県は国から委託された種々の事務作業を行っているに過ぎない。一地方自治体の一首長の判断で右から左には動かせない。翁長知事もそれは重々承知していると思う。

12年、垂直離着陸輸送機オスプレイを普天間基地に配備する問題が起きたときも、沖縄の反発は大きかった。しかし、結局は普天間基地にオスプレイは配備された。スピードは従来の輸送ヘリの2倍、航続距離は5倍のオスプレイは今や引く手あまたで米軍全軍に配備され、自衛隊も購入を決めたほどだ。オスプレイなら尖閣諸島まで簡単に行って帰ってこられる。つまり尖閣問題がこじれるほど普天間基地に配備されたオスプレイが抑止力になる(と勝手に勘違いする)のだ。小泉純一郎元首相の頃に合意された日米ガイドラインでは、日本周辺の島嶼部分は日本の担当となっているので、海兵隊に期待することはできない(ハズな)のである。一方、アメリカは尖閣が日米安保条約の対象となっている、とも言っている。対象ではあるが、担当は「おまえだ!」ということらしい。最近の集団的自衛権の解釈では、米軍の指揮のもとに日本も世界中に出かける、ということらしいので、今やこうした議論はあまり重要ではないのかもしれない。

辺野古移設問題にしても行き着く先は同じだ。政府と沖縄の溝がどれだけ深まっても翁長知事は、あるいは他の知事に代わったところで、最終的には辺野古移設を承認する。

膨れ上がる中国の脅威に真っ先に晒されるのは尖閣であり、沖縄だ。その抑止力になっているのが米軍基地であり、特に攻撃能力の高い海兵隊の存在である。仮に尖閣を奪われた場合、今の自衛隊ではとても奪い返せない。それができるのは上陸作戦が得意な米海兵隊。その拠点が普天間基地、という見立てなのだ。これがどのくらい信憑性がある筋書きなのか、あるいは軍事に疎い人間の錯覚なのか、明確には説明されていない。

実は06年の在日米軍の再編をめぐる日米合意で、普天間基地の辺野古移設を条件に、海兵隊の一部(沖縄駐留海兵隊約1万3000人のうち、8000 人とその家族9000人)を14年までにグアムに移転することが決まっていた。しかし尖閣問題の緊迫化もあって、海兵隊の重要性を再認識した日本側が残留を望んだために、グアム移転が遅れた、と言われている。一方、前述のように同じ頃に締結された日米ガイドラインによると「島嶼部分」は日本の担当、となっている。尖閣が攻撃された場合に米軍に頼ることはできないはずであり、尖閣が占領されたとしても海兵隊が出撃して取り返してくれる、という筋書きにはなっていない。だから辺野古に普天間の代替基地をつくり海兵隊に残ってもらいたい、というのは誰の希望なのか、が明らかではない。米軍は海兵隊をグアムまで後退させる、という独自の展開を当初から想定していたわけで、辺野古に移転して一部を沖縄に残留させる、というのは(沖縄県の要望でないのなら)日本政府の意味不明の筋書きだ。

翁長知事や名護市の稲嶺進市長は辺野古移設を否定しているが、当の辺野古では受け入れ容認派が多い。漁業者とも補償金で手打ちが済み、沖縄防衛局は名護漁業協同組合と総額36億円の漁業補償契約を結んだと報じられている。

沖縄の産業振興、雇用創出に役立つ解を

沖縄の基地問題は日本のカラクリの最たるものだ。基地問題で沖縄が炎上を繰り返す根本的な理由は、沖縄返還の真実を政府が国民に説明してこなかったことにある。72年の沖縄返還に際して、アメリカ政府は「軍政がこれまで通りなら、民政については返還する」という条件を出した。だが、そのことを時の自民党政府は国民に一切説明せずに、「我々が沖縄を取り戻した」と返還の手柄だけをアピールした。軍政が残された以上、米軍が沖縄の基地に核を持ち込もうが、貯蔵しようが、日本政府は文句を言えない。

アメリカは「民政は返してやったけど、軍政は自分たちの権利」と考えているから、日本の防衛とは直接関係のないベトナム戦争や湾岸戦争にも沖縄の米軍基地を使ってきた。当然、オスプレイの配備を日本政府に相談する理由はないし、「普天間基地が危ないというなら辺野古でもどこでも、さっさと代替施設を用意しろ。それから移転経費はおまえたちが払え」というのがアメリカの言い分。好きなように使えて、思いやり予算で駐留経費の面倒まで日本が見てくれるのだから、こんなに条件のいい在外基地はない。

一方、「民政だけ返す」という日米両政府の密約について、日本政府は国民に対して口をつぐんできた。代わりに、先の大戦で唯一の地上戦の地となったための戦禍や戦後長らく米軍の施政下に置かれた歴史的事情、さらにわずか0.6%という狭い国土に在日米軍基地の約70%が集中する基地負担の重さなどを理由に、政府は沖縄振興特別措置法(12年4月に22年まで延長する改正法を施行)を制定して、これに基づいて莫大な補助金や助成金を沖縄に投じてきた。 72年の本土復帰から40年以上続いてきた沖縄振興予算の総額は10兆円超。だが、そのほとんどが公共事業に費やされて、沖縄の産業振興、雇用創出には役立ってこなかった。また沖縄県民も補助金に甘えてまともに産業振興に取り組んでこなかった。振興予算以外にも軍用地代、各種税金の軽減措置など、さまざまな形で特別扱いを40年以上受け続けてきた。その結果、地場産業が育つこともなく、県財政の約75%を補助金に頼る依存体質が染みついてしまった。

25年ほど前、私は「ユイマールビジョン」という沖縄の経済的外交的自立ビジョンを提起した。当時は沖縄の政財界も盛り上がったが、補助金漬けで麻痺した今の沖縄には気概の欠片も感じられない。補助金と基地で働く人々の給料を入れても、県民1人当たりGDPは断トツ最下位。そんな沖縄から米軍基地がなくなれば、どうやって食べていくのか。辺野古移設問題はそういう前提に立ち、政府も、沖縄の人々も理性的かつ現実的な解を見つけるしかない。


[いずれもPRESIDENT Online]

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Posted by nob : 2015年07月16日 17:44