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支持。。。(3/3)

■東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命

史上最低の「アベ政治」と
「SEALDs」という名の希望の光
――木内みどり×広瀬隆対談【後篇】

反原発集会、安保反対集会の
定番司会者になったのは……

広瀬 木内さんは反原発集会、安保反対集会などの司会をやってくだっています。
 僕も木内さんの司会をかなり聞いていますが、本当にいい! 会場の笑いを誘いながら、僕らが思っていることをズバリとストレートに言ってくれます。

木内 4年前に初めて司会をお引き受けしたときはびっくりしました。
 司会といっても進行台本はありませんし、段取りの打合せもありません。話す人の順番を書いたリストだけ渡されます。

 それなのに突然「3分間フリートークでつないでください」なんて言われるんですから(笑)。
 トンデモナイことを引き受けてしまったと思いました。

広瀬 でも、木内さんは、すでに物事の本質を理解しているし、話し手の考えをすぐに理解して、即興で元気に怒りを伝えてくれるから、こっちも「そうだ! そうだ!」と盛り上がるんです。

木内 ありがとうございます。でも、最初の頃は、3日くらい前から勉強してから行きました。「大江健三郎さんってどんな方なんだろう。最近はどういう発言をしているんだろう」とか、登壇される人たちのことをたくさん調べていきました。
 だって話す内容も、いくつもいくつも持っていないと、「3分間つないでください」と言われた瞬間に真っ白になってしまいますから。

広瀬 木内さんはカンパを集めるのも上手ですよね。

木内 今年5月3日に横浜で行われた「憲法大集会」のときは、スゴイ金額が集まったと聞きました。

 私は司会を始めたら、絶対に舞台から降りません。参加している人をずっと見ています。
 あのときは、カンパを入れる袋が透明のビニール袋で、1000円札を入れているのが見えたのです。
 それで「みなさんの怒りが本物になってきました。1000円札を入れてくださっているのが、ここからよく見えます」と言いました。
 そう言われると、次の人は1000円札以外を入れにくい(笑)。
 そんなことを3回くらい言ったのです。
 そうしたら数日後にスゴイお金が集まった、と連絡を受けたのです。みんなびっくりして、3回数えたそうですけど。

広瀬 あの日は大変盛り上がりましたね。

木内 普段は丁寧な言葉で話される大江健三郎さんが初めて「安倍総理」と言わないで、「安倍」って呼び捨てにしたのです。
 そんなことはそれまで一度もなかったので、驚きました。

普通の人が
「自分の言葉」で話す集会に

広瀬 木内さんが司会を始められた頃と、現在とを比べて集会の変化を感じますか?

木内 参加者のみなさんが変わってきていると感じています。
 最初は組織から動員されてきている人が多かったように思います。
 高齢の方の割合も多く、自主的に参加しているわけではないので、なんだかつまらなそうな方もいたし、なかには寝ている人もいました。
 そういう人たちをなんとか盛り上げようと思って、大きな声を出したり、ときにはちょっと黙ってみたり。

 黙ると、「どうしたの? この人、言うことを忘れちゃったの?」と思ってこっちを見てくれます。
 そんなふうに人の気持ちをつかもうという努力はしてきたつもりです。

広瀬 さすがに女優です。舞台をつとめる役者ですよ。

木内 そのうちに、登壇してくれる人たちに愛情が湧いてきたのです。
 本当に日本の宝のような人たちだと思う。
 ギャラはないし、交通費も自腹。だからこの人たちが話しやすい場をつくろうと一生懸命でした。そのうち、「いい司会でした」と何人もの方が言ってくださるようになり、大江健三郎さんが「ありがとう」と言ってくださったりと、うれしいことがあるのです。

 でも、困難なこともありました。
 2014年2月の都知事選で、舛添要一さんが圧勝したときです。
 あの時期、私も相当いじめられました。「おまえが余計なことをするから票が割れた」と言われて、本当に辛い時期があったのです。
 それで、二度とこんなことをやるものかと思ったりもしました。

広瀬 反原発派が、2つに割れてしまいましたからね。

木内 でも、その後の集会で、もう一度、参加者に本気でお願いしたんです。

「私たちは脱原発という同じ目的を持っている。労働組合だ、共産党だとこじれて仲違いしてしまったけれど、もう一回、元に戻りましょうよ」と。
「内輪の対立なんか、乗り越えていきましょう。本当の敵は、あっちです!」と国会議事堂を指差したのです。

最悪の状況と
「SEALDs」という希望

広瀬 その通りです。だって、敵は好き放題やって、日本が現在のようなひどい状態になったのですからね。その敵を倒さなきゃ。

木内 安倍さんが、ここまで日本をメチャクチャにするとは思わなかったですよね。
 アメリカの経済誌『フォーブス』が作成している2014年版「世界で最も影響力のある人物」ランキングで安倍さんは63位。「国家指導者」としての国際社会での地位が、こんなに低いなんて、恥ずかしいと思います!
 国際的な政治・経済の世界において、安倍さんの順位の低さは、ただごとではありません。先進国ではなく、滅亡に向かっている国家のようです。

広瀬 そう言われると、世界の首脳で魅力ある人間が一人もいないのが、今の地球です。僕らが若い頃はいましたよ。ホー・チミン、周恩来、ナセル、ネルー、スカルノ……。今は魅力ある政治家が一人もいないけれど、安倍晋三がそのクズの中で一番ひどいんだから。

木内 でも、最近のSEALDsの登場は、集会参加者の雰囲気を大きく変えてくれました。彼らが登場する前に、こんなことを話をしたことがあります。

「○○はやめろっ!」というのは古すぎるし、音楽をもっと使いたい。それに、有名な人ばかりがしゃべらなくてもいい。若い人が自分の言葉で自分のことを話してほしい。そのほうが多くの人の賛同を得られるはずだから、と。

広瀬 たしかにSEALDsは、木内さんが言っていたことを全部やっています。奥田愛基《あき》さんの話には、ユーモアがあっていい。真剣で、しかも愉快ですよ。

反骨の報道写真家・
福島菊次郎の生涯

木内 反骨の報道写真家・福島菊次郎さんが入院されていたことは知っていましたが、具合が悪いと聞いて、SEALDsのことを伝えなくてはと思いました。
 菊次郎さんは、被爆者、自衛隊、公害、祝島の原発反対運動、震災後の福島などを取材し、問題点を訴え、国にずっと逆らって生きてきた人です。

 その反骨ぶりたるや、ものスゴイ。
 軍需工場に潜入して写真を撮ったときも、「写真家は法律を破ってもいい。本当のことを国民に見せるのが仕事だから」と言うくらい「気骨のある人」です。
 でも、60歳のときに、日本というこの国に絶望して以来、瀬戸内海の無人島でひとり暮らしをしていたのですが、ガンになって……。それからは故郷の山口県柳井市に戻り、ひとり暮らしを続けていました。
 90歳をすぎた頃、『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』というドキュメンタリー映画ができて、それが評判になり、いろんな映画祭の賞も受賞しました。90歳をすぎて「時の人」になったのです。
 東京での上映会、大規模な写真展、そして講演会はいつも満席でした。
 94歳をすぎて体力も落ちてしまったある日、病院に入院しました。
 私も、そのことは知っていましたが、具合があまりよくないと聞いたある日、映画のプロデューサー・橋本佳子さんと二人でお見舞いに行きました。
 ベッドの上の菊次郎さんは体重が29キロまで減ってしまっていて、ベッドから起き上がることすらできませんでした。
「遠いのに、よくきてくれたね」と幾度もそうおっしゃって、繋いだ手を離そうとされませんでしたから、ずっと、手を繋いでいました。
 私は、iPadで国会前の様子の動画や写真をたくさん見てもらい、こう報告しました。

「今、国会前で安倍政権に抗議の声をあげている人たちの数は日々増えています。新聞・テレビは報道しようとしませんが、インターネットの時代です。フェイスブックやツイッターでの拡散力はすさまじく、次から次へと伝わっていきます。
 そして、SEALDsという大学生たちが立ち上がりました。今までの抗議にない運動のスタイルで、新鮮で感動します。自分のことを自分の言葉でスピーチします。
 本気の言葉はやはり聴く人に響きます。ずっと見てきて感じたのですが、彼らの本気の抵抗には、菊次郎さんの本気の抵抗が受け継がれてると思うのです。菊次郎さんのこれまでの抵抗は無駄ではなかったのです。菊次郎さんの反骨の種は、これからもずっと受け継がれていくと思います」

 菊次郎さんの目には、涙がにじんでいました。

「若い人たちに、何か言うことがありますか」と聞くと、
「僕はこんなになっちゃったからもうそこには行けないけれど、みんなにありがとうって伝えてね。よろしくって」とおっしゃっいました。

 お見舞いから帰ってきた日、国会前では深夜2時半をすぎても、雨の中、デモが続けているSEALDsとたくさんの人がいることを知って、私は菊次郎さんのエールを伝えなくてはと思い、深夜の雨の中、温かい飲み物を差し入れに持っていきました。
 流れに乗っていつの間にかスピーチ台に乗って、みなさんに話しました。
 菊次郎さんのお見舞いに行ったこと、みんなががんばっていることを伝えたこと、菊次郎さんが涙をにじませて、みんなに感謝と激励の言葉をくださったことを伝えました。
 その場にいた全員に、菊次郎さんの最後の想いが伝わったと思います。

 9月23日の代々木の安保法制反対抗議集会で、私は司会でした。
 菊次郎さんの容態が悪化して、点滴と酸素吸入が入っていると聞いていましたから、菊次郎さんのお世話をしてくださっている森田さんに電話でお願いしました。
「明日の集会には3万人もの人が集まります。その人たちに何か伝えたいことがありますか……と菊次郎さんに聞いてください」と。
 もう菊次郎さん、想いはあっても言葉にはならず、ただ、拍手をしてくださったそうです。
 23日の集会でそのことをみなさんに伝えました。
 そして翌日、9月24日に亡くなったのです。

広瀬 福島菊次郎さんの魂は、SEALDsをはじめとする若い世代に受け継がれていくでしょう。

木内 そうですね。彼らは超・優秀だけれども、普通の大学生。自分の言葉で自分のことを、なぜ抵抗するのか、何に抗議するのかをしゃべる。だから、力がありますよね。
 彼らはものすごく先を見ています。代々木公園の集会で、奥田愛基さんはこう言いました。
「安保法制が通っちゃった日、朝5時までずっとデモしていました。なぜかと言うと、終電を逃しちゃったからです。電車がないから、タクシーでは帰れないから、始発が出るまでコールを続けた。でも夜があけたら、まるで新年を迎えたようにさわやかだった」って。疲労感もないし、挫折感もないって。
 ここに新しい希望がある、そう思いました。
 その後、奥田愛基さん、本間信和さん、牛田悦正さん……私がつながりを持てた3人には、福島菊次郎さん最後の写真集『証言と遺言』(DAYS JAPAN刊)を送りました。
 こうやってこれからも本当のことはつながっていくのだと思います。
 本気の人から本気の人へと、本気の種が。
 そう、つなげていかなければ……。私たちのこの国のために。この国のこれからの人たちのために……。

(おわり)


□なぜ、『東京が壊滅する日』を
緊急出版したのか――広瀬隆からのメッセージ

 このたび、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』を緊急出版した。

現在、福島県内の子どもの甲状腺ガン発生率は平常時の70倍超。

 2011年3~6月の放射性セシウムの月間降下物総量は「新宿が盛岡の6倍」、甲状腺癌を起こす放射性ヨウ素の月間降下物総量は「新宿が盛岡の100倍超」(文部科学省2011年11月25日公表値)という驚くべき数値になっている。

東京を含む東日本地域住民の内部被曝は極めて深刻だ。

 映画俳優ジョン・ウェインの死を招いたアメリカのネバダ核実験(1951~57年で計97回)や、チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増。フクシマ原発事故から4年余りが経過した今、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』で描いたおそるべき史実とデータに向き合っておかねばならない。

 1951~57年に計97回行われたアメリカのネバダ大気中核実験では、核実験場から220キロ離れたセント・ジョージで大規模な癌発生事件が続出した。220キロといえば、福島第一原発~東京駅、福島第一原発~釜石と同じ距離だ。

 核実験と原発事故は違うのでは? と思われがちだが、中身は同じ200種以上の放射性物質。福島第一原発の場合、3号機から猛毒物プルトニウムを含む放射性ガスが放出されている。これがセシウムよりはるかに危険度が高い。

 3.11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多いからだ。

不気味な火山活動&地震発生の今、「残された時間」が本当にない。

 子どもたちを見殺しにしたまま、大人たちはこの事態を静観していいはずがない。

 最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?

 同時に、日本の原発から出るプルトニウムで核兵器がつくられている現実をイラン、イラク、トルコ、イスラエル、パキスタン、印中台韓、北朝鮮の最新事情にはじめて触れた。

<著者プロフィール>
広瀬 隆(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『日本のゆくえ アジアのゆくえ』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。

木内みどり(Midori Kiuchi)
女優。1965年劇団四季に入団。初主演ドラマ「日本の幸福」(1967/日本テレビ)、「安ベエの海」(1969/TBS)、「いちばん星」(1977 /NHK)、「看護婦日記」(1983/TBS)など多数出演。映画は、三島由紀夫原作『潮騒』(1971/森谷司郎監督)、『死の棘』(1990/小栗 康平監督)、『大病人』(1993/伊丹十三監督)、『陽だまりの彼女』(2014/三木孝浩監督)、『0.5ミリ』(2014/安藤桃子監督)など話題 作に出演。コミカルなキャラクターから重厚感あふれる役柄まで幅広く演じている。3・11以降、脱原発集会の司会などを引き受け積極的に活動中。Web Magazine :「木内みどりの発熱中!」

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2015年11月02日 10:30