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最善の主治医は自分自身、、、すべては自らのファイナルジャッジのためのセカンドオビニオン。。。Vol.2
■「抗がん剤の是非」を巡る論争は、不毛である
がん患者にとって一番大事なものは何か
がんが日本人の死因の第1位となって久しい。家族ぐるみで考えれば、この病気と無縁なままで済む人はまず、いないだろう。だが、その割には、うまく付き合えている人は少ないのではなかろうか。そこで、腫瘍内科の第一人者として、数多くのがん患者に接してきた、虎の門病院臨床腫瘍科の高野利実部長に、3回にわたって問題の本質を語ってもらう。
今回はその第一弾。抗がん剤治療がテーマだ。抗がん剤に対する患者側の対応は、すがりつくか全否定するかの二極に分化しているのが実情だが、こうした極端な風潮の裏には何があるのだろうか。そして、流されないための心構えとは。
もし、あなたや、あなたの大事な人が、抗がん剤治療を勧められたら、どう思うだろうか。
抗がん剤というと、髪の毛が抜けてしまう、ゲーゲー吐いてしまうなどのきつい副作用のイメージが強い。最近は、副作用を軽減する治療が発達したとはいえ、つらい治療であるのは間違いない。
医師は悪魔ではない
つらいだけであれば、それは「悪魔の薬」であり、患者さんを苦しめるためにそんな薬を使う医師がいたら、それは悪魔だ。だが、多くの医師は、悪魔なんかではない。患者さんにプラスになると考える場合に限って、抗がん剤を使っている。
抗がん剤をうまく使うことができれば、使えば使うほど、がんの症状がやわらぎ、患者さんは元気になる。もし、使えば使うほどつらくなり、何もいいことがないという場合には、その治療をやめた方がよいだろう。
抗がん剤に限らず、すべての医療行為には、利益(ベネフィット)と不利益(リスク)があり、リスクがあっても、それを上まわるベネフィットがあれば、その治療を行う意義がある。
重要なのは、リスクとベネフィットのバランスであって、どちらかだけを強調するのは適切ではないが、抗がん剤は、その激烈なイメージゆえに、両極端なとらえ方をされることが多いようだ。
「抗がん剤は絶対に受けません!」。最近、そういう患者さんが増えている。
その一方で、「とにかく何でもいいので、抗がん剤を使ってください!」
と懇願する患者さんもいる。
私が担当する「腫瘍内科」の診察室では、抗がん剤をめぐる話し合いが、日々繰り広げられている。
腫瘍内科とは、がんを専門とし、主に、抗がん剤治療や緩和ケアを担当するする内科系の診療科だ。抗がん剤で根治(完全に治すこと)を目指すこともあるが、根治が難しい「進行がん」を担当することが多く、治療方針の話し合いでは、しばしば難しい決断を迫られる。
治療方針を考えるときは、まず治療の目標を患者さんと医療者とで確認・共有した上で、治療によって目標に近付ける可能性(ベネフィット)と、副作用(リスク)を予測し、リスクとベネフィットのバランスを慎重に検討することになる。
リスクやベネフィットは、過去に世界中で行われた臨床試験の結果に基づいて予測するわけだが、パーセントで示される数値で単純に判断できるものではなく、患者さん自身の価値観や治療目標によって、その判断は違ったものになる。
ギリギリの判断の連続
「とにかく1日でも長く生きたい」
「残された時間をできるだけ穏やかに過ごしたい」
「髪の毛が抜けてしまう治療で命を伸ばしたいとは思わない」
「子どもが大きくなるまでは元気でいたい」
「生きがいにしている仕事を続けたい」
そういった想いに耳を傾け、腫瘍内科医からは、治療法の選択肢、判断の根拠となるデータ、専門家としての見解をお伝えし、納得できるまで、時間をかけて話し合った上で、治療方針を決めていく。
患者さんの人生がかかった重い決断となることもよくあるが、どんな場面でも第一に考えるのは、「患者さんの幸せ」である。納得した判断であっても、期待通りの結果になるとは限らず、進行がんゆえの厳しい現実もあるが、患者さんとともに、語り合いを重ね、ときに試行錯誤しながら、目標に向かって歩み続ける。
患者さん一人ひとりに、かけがえのない人生があり、大切なものがあり、揺れ動く想いがある。病状もさまざまで、それに対する治療法の選択肢も無数にあり、単純に治療方針を決められるような場面はほとんどない。リスクとベネフィットの微妙なバランスを慎重に評価して、ギリギリの判断が続いていく。
抗がん剤がプラスになると判断すれば使うし、マイナスになると判断した場合は使わないわけだが、使うかどうかよりも、治療目標に向かって進んでいくことこそが重要である。
ところが、最近は、上述のように、「抗がん剤を『絶対に』やりません」とか、「抗がん剤を『絶対に』やってください」という患者さんが増えている。
絶対にやらないという患者さんに理由を聞くと、「絶対にやらない方がよいと主張する医師の本を読んだから」だと言い、絶対にやってほしいという患者さんに、何のために使うのか聞いてみると、「何のためかなんて関係なく、とにかく抗がん剤を使うことが自分の希望のすべてであって、それをあきらめたら絶望しかない」と言う。
まずあるべき「治療目標」を思い描くこともなく、「抗がん剤をやるかどうか」にだけ結論を出し、それ以上の思考を停止させてしまっているようである。
ややこしいことは考えず、病気に身を任せ、あるいは、抗がん剤に身を任せて、人生を送るのも、一つの生きざまかもしれない。
「どう生きていくか」から考える
しかし、多くの患者さんの生きざまを見てきた腫瘍内科医の立場からすると、自分らしく生きるために、もっと病気との向き合い方を考えてもよいのではないかと思う。患者さんが、抗がん剤をめぐる「イメージ」や、偏った主張の影響を強く受けている場合、その思いはより強くなる。
「抗がん剤は効かない」「がんは放置すべき」
「いや、抗がん剤は効く」「がんは放置してはいけない」
今、世の中では、抗がん剤の是非を問う論争が起きている。誰もが自分の問題として考えられるような生産的な議論になればよいのだが、最近は肯定派と否定派の間で、とても科学的とは言えない不毛な議論が展開され、患者さんにも影響を与えている。
そもそも、抗がん剤は、がんという病気と向き合う際の道具の一つにすぎないし、さらにいえば、病気と向き合うことも、大きな人生の中のごく一部分にすぎない。人生全体を見渡すことなく、抗がん剤を使うかどうかだけにこだわるのは、得策ではない。
まず考えるべきは「これからの人生をどう生きていくか」ということだ。その目標にプラスになるなら抗がん剤を使えばいいし、マイナスになるなら使わなければいい。プラスかマイナスかは状況次第で違う。「どんな場面でも絶対にプラス」とか「どんな場面でも絶対にマイナス」というように、一般論として白黒つけることに意味はない。
いいと決めつけてすがりついてしまったり、悪いと決めつけて全否定してしまったりして、思考を停止させてしまうのではなく、いい面と悪い面を知り、そのバランスを考えることこそが重要なのだ。
頼りすぎず、怖がりすぎず
抗がん剤は、「希望のすべて」でも「悪魔の毒薬」でもなく、使い方次第でプラスにもマイナスにもなる道具だ。頼りすぎず、怖がりすぎずに、活用すべきときに活用すればよい。
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抗がん剤に対して、いいイメージを持っていても悪いイメージを持っていても、また、医療に対して肯定的でも否定的でもよいが、そういったイメージや善悪二元論のために、バランスのとれた思考ができなくなっているとしたら、それは考え直した方がよいだろう。
不毛な抗がん剤論争は、もう終わりにすべきなのだ。
それよりも、「幸せ」「希望」「安心」を感じられるような医療のあり方、自分らしく生きるための、がんとの向き合い方について、一人ひとりがきちんと考えていくことの方が、よほど重要だ。
高野利実
Toshimi Takano
虎の門病院臨床腫瘍科部長 1972年東京都生まれ。1998年、東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院内科および放射線科で研修。2000年より東京共済病院呼吸器科、 2002年より国立がんセンター中央病院内科レジデント。2005年に東京共済病院に戻り、「腫瘍内科」を開設。2008年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。2010年、虎の門病院臨床腫瘍科に最年少部長として赴任し、3カ所目の「腫瘍内科」を立ち上げた。「日本一の腫瘍内科をつくる」ことを目標に、乳癌・消化器癌・泌尿器癌・肺癌など悪性腫瘍一般の薬物療法と緩和ケアに取り組んでいる。また、日本臨床腫瘍学会(JSMO)がん薬物療法専門医部会長として、日本における腫瘍内科の普及と発展を目指しているほか、西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員会委員長として、乳癌に関する全国規模の臨床試験に取り組んでいる。著書に「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ ―」(きずな出版)がある
[東洋経済ONLINE]
Posted by nob : 2016年05月12日 13:25